初めてお会いした提督――、いえ、この時はまだ一人の少年でした。
その少年は、疲れ切った顔をしていました。
空襲の中歩き回ったのでしょう。
顔に煤がついていましたし、足も真っ黒に汚れていました。
世間では深海棲艦との戦いの中で、
深刻な物資不足となり、靴さえ貴重なのだそうです。
この少年も他の子供たち同様に、
空襲の中でさえ裸足で歩き回っていたのでした。
「待っていました」
私が声をかけると、反射的に彼は妹を自身の背後にやりました。
その妹も彼と同じように疲れ果て、汚れていました。
私は海と鎮守府以外の場所へ行くのは、あまり好きではありません。
彼らのような子供を見るのが辛いからです。
不憫さに何か慰めでも言いたかったのですが、
私は上手く言葉にできませんでした。
不審げに私を睨む少年と、ピリリとした空気の中見つめあっていると、
赤城さんが私の代わりに「とにかく、座りませんか?」と
話を続けてくれました。
深海のように暗い闇に満ちた防空壕に、赤城さんは灯りをつけていきます。
古い白熱電球が灯りました。
本来は電球には黒い布で傘などして明るさを外に漏れないようにします。
空襲の際に、少しでも敵に家があることを悟られないためです。
外も家の中も、夜は真っ暗で憂鬱なものです。
けれどこの防空壕は奥が深い横穴なので、電球は剥き出しでした。
おそらくこんなに明るい夜は、彼らにとって久々でしょう。
明るい場所で私たちの姿を見て、彼らは少しは安心したようでした。
外見的には私も赤城さんも一般的な女性です。
布きれのような座布団に座る少年の膝で、固く結ばれた拳がやや緩みました。
妹の方は相変わらず怯えているようでしたが、ひたすらうつむいて黙っています。
私も黙っている、というわけにはいきません。
私たちがここへ来たのは目的があってのことです。
任務を遂行しなくてはなりませんでした。
「単刀直入に言います。あなたたちの両親はどちらも死んでいます」
まずは彼らが気になっているであろうことを伝えました。
これだけでは説明不足でしょう。
念のため、付け加えます。
「母親はこの空襲で死にました。父親は既に海で戦死しています」
深海棲艦に一般的な攻撃は効きません。
少年の父は、他の大人たちと一緒に海の藻屑となりました。
痛ましいことです。
「か、加賀さん…!」
私が説明しているところへ、赤城さんが慌てて戻りました。
「ごめんなさい。早速本題に入らせてもらっているわ」
「いえ、そうじゃなくって、その言い方は…」
ちらりと赤城さんが少年を見ました。
先ほどまで私を真っ直ぐ見ていた少年は、変わらず私を見ています。
眉をひそめ、唇がかすかに震えていました。
赤城さんが私の耳元で囁きます。
「泣いたりしたらどうするんですか。もっと優しく言いましょう」
「優しく言ったところで、事実は変わりません」
「そうですけど…」
私は改めて彼らへ向き直りました。
赤城さんもため息まじりに、私の横へ座ります。
少年は私を見つめ、彼の妹はうつむいたままです。
私は少年たちが、嘘だなんだと泣いたり喚かないことに感心しました。
話が早く進められます。
「今、我が国では両親を亡くした子供たちに新しい学徒動員をさせています」
鞄からさっと書類を取り出し、彼らの前に出します。
書類は誰でも知っている赤色の紙です。
少年はハッとして、紙を手に取りました。
「召集令状…!…いや、何だこれ…」
果たしてその紙は召集令状で間違いありません。
彼はその内容に困惑したのでしょう。
召集令状であるのに、そこには彼ではなく、彼の妹の名が書かれていました。
「新しい学徒動員は、女子限定です。それは、あなたの妹に宛ててあります」
「学徒動員って、戦地へ行かすってことなのか!?」
召集令状を乱暴に握りつぶして、彼は妹の肩を抱きました。
妹は長い髪が邪魔をして、表情は分かりません。
「戦地に行きますが、今の生活よりずっとよい暮らしになるんですよ!」
私と彼の間に入るようにして、赤城さんが笑顔を作りました。
「私たちもその学徒動員の一員なんです。見てください、良い服でしょう?」
赤城さんの白い袖が揺れます。
洗濯したばかりの優しい石鹸の香りがしました。
薄汚い国民服の少年ともんぺ姿の少女では、
こんな服を何年も着れていないはずです。
「機密事項が多いので、お兄さんにあまり詳しく説明できませんが、
衣食住は保障されています。同じ年頃の女の子もたくさんいますよ」
そして赤城さんは、彼らの暮らしでは決して手に入らない生活の話をしました。
甘言で釣るようですが、しかしその言葉に嘘はありません。
「お兄さんの生活も保障します。安心してください」
「俺のことなんか、どうでもいいんだ!」
ずっと黙って聞いていた少年が、ついに口を開きました。
妹の肩を抱く手は離しません。
「さっきから調子のいいこと言いやがって。
それでも戦地へ行くんだろ。命の保証はあるのかよ」
尤もな話でした。
赤城さんは言葉選びに逡巡します。
「ほら、やっぱり!」
黙っていると、まだまだ文句を言いそうでした。
妹を大事に思っているのでしょうが、これでは埒があきません。
私は彼の口をそっと手で覆いました。
私の手が冷たいので驚いたのでしょう。
膝立ちをしていた彼は、どすんと腰を落としました。
「お前、体温が…」
「命の保証はありません。でも、あなた勘違いしているわ」
彼の言葉に耳を傾けず、私は自分の言うべきことを言いました。
力任せに握りしめられた召集令状を丁寧に開きます。
「学徒動員と言いましたけれど、これは召集令状です。命令よ」
国の命令を無視することは、常人ならあり得ないことです。
どんな命令でも、国の命令ならば従わなければ狂人です。
「あなたの許しを請いに来たのではないわ。
私たちは、あなたの妹を迎えに来ただけです」
私は召集令状をそっと横へどけて、彼の妹の前へ進みました。
彼女は一瞬だけ私を見ましたが、すぐに怯えて視線を外しました。
彼女の視線の先には、彼女を守る兄の手がありました。
「これは私たちにしかできないの。私たちしか、深海棲艦を倒せない」
話しかけると、彼女はさらに俯きました。
整然とそろった前髪は、深い深い影を落とします。
「私たちだけが、この国を救えるの」
ぽんと、優しく肩を叩かれてはっとしました。
振り返ると赤城さんが微笑んでいます。
「熱くなってしまったようね。ごめんなさい」
「いいえ。でも、ずいぶん遅い時間になりましたよ」
赤城さんは召集令状を鞄に戻しました。
「この防空壕は、明日まで誰も近くに来ません。
朝までは、二人でゆっくり休んでください」
防空壕の中には、一般的に多くのものが置いてあります。
靴、包丁やまな板、ざるや釜、バケツ、シャベル他農具、
雑巾、チリトリ、ホウキ、それに布団もあります。
朝まで休むどころか、住むことも出来そうなほどです。
この防空壕は特に大きなものなので、
一通り揃っていました。
「明日の朝に迎えに来ます。では、おやすみなさい」
兄妹は素直に私たちを見送りました。
少年はじっと私を見つめていました。
逃げられると思わないで、なんて余計な牽制は不要のようです。
真っ直ぐな彼の瞳。
自分のことよりも妹を心配する彼の言葉。
信頼してよいと判断しました。
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赤城さんと防空壕を後にする中、私は考えていました。
私が鎮守府に着任する前に、どんな生活をしていたのだろうと。
彼のように私を大事に思う家族がいて、
その家族を守るために戦っているのだと思えば、
気持ちが救われるようでした。
小説内の設定の一部は、引き続き戦時中の暮らしを参考にしています。
防空壕は共同で使うものもあれば、家の庭や軒下に作らされる場合もあったそうです。
「軒下に防空壕を掘ると、いつ爆弾が落ちてくるか分からなくて怖かったから庭に作った」という体験談を聞いたことがあります。
シャッター式の最新のタイプもあるようですが…ってもう防空壕話はいいですね。