俺の妹は初雪   作:cobu

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「俺」視点に戻ります。


【 第三話 】

二人の女が帰っても、防空壕の中には戻らず

ぼうっと立っていた。

何かを考えていたと言うよりは、何も考えられずにいた。

 

父は既に死んでいた?

母はこの空襲で死んだ?

妹に召集令状?

 

たった四人の俺の家族が、みんないなくなってしまう。

もともと父が軍人であまり家にいなかったので、

家族みんなで楽しく暮らしていた思い出は多くない。

遠い記憶が、本当は夢だったのではないかと思えた。

 

目を開けても閉じても、辺り一面まっくらだ。

夜空には暗雲。

星さえなく、風が心も体も凍てつかせるようだった。

 

「お兄ちゃん…」

 

妹から声をかけられるまで、時間も忘れて立っていた。

振り返ると、妹はかすかに笑っていた。

「風邪ひくから…中に、入ろう」

「……………ああ」

妹が微笑んでいることが辛くて、

俺はうつむきがちに頷くしかできなかった。

 

防空壕の中の黴臭い布団をひっぱり出す。

空襲はまたいつ起きるか分からない。

ここ最近そうであったように、俺たちは寝間着にも着替えず

布団に並んで寝転がった。

 

あ、と気づいて妹が電気を消してもう一度布団に入る。

一枚の薄い掛け布団しかないので、俺から布団を奪わないように

妹はそっと戻った。

 

一瞬外の冷たい空気が入ってきて、

それからすぐに妹の体温が伝わってきた。

生きている人間が横にいる。

それは今が現実である、と痛感させた。

(夢ならよかったのに)

 

昼は学徒動員で働き、夕方から夜にかけて空襲で逃げ回り、

本来なら体を横にした瞬間眠ってしまうだろう。

しかし、目が冴えてしかたない。

耳を澄ますと、虫の声さえ聞こえないほど静かだった。

寝息が聞こえない。

妹も寝ていないようだ。

 

「…なあ」

小声で呼びかけると、小さく寝返りをうった後に

「なに」と返事がかえってきた。

なに、と聞かれると答えに詰まった。

それでも会話を途切れさせないように、思ったことを口にする。

 

「疲れたな」「眠れないな」「寒くないか」

「お腹すいたな」「風呂に入りたいな」

 

妹は、うんと頷くばかりであまり会話にならない。

目を開けて、ちらりと妹の方を見た。

ずっと目を閉じていたから、真っ暗な防空壕の中でも妹が見えた。

妹は俺に背を向けて寝ていて、防空ずきんを枕にしている。

 

「そのずきん、お母ちゃんが縫ってくれたやつだろ?」

「………。………うん」

「………………………お母ちゃんが死んだって本当だと思うか?」

他愛ないことばかり口にしていたが、

ついに俺は言いたかったことを話し始めた。

妹がそっと上半身を浮かして、防空ずきんを見た。

青色の防空ずきんだ。

父がいる海と同じ色の布を使おうと、母が言って作った。

 

「本当だと…思う。……そう感じたから…」

二人で歩いた焼け果てた町。

妹が言うように、俺も感じていた。

俺たちがいた防空壕は町から離れていて助かったが、

母がいたはずの家周辺は何もかも燃えていた。

平地だったのが災いして炎は燃え広がり、

家も人も何もかも―――。

 

そして父のこともそうだ。

家に帰れなくても、手紙をくれた父。

戦局には触れず、俺たちのことばかり語られる手紙。

時には下手くそな絵が描いてあって、

母がそれを壁に飾ったりしていた。

その手紙も届かなくなって、ずいぶん経っていた。

 

「あの女の人たちの言ったことは、全部…本当だと思う…」

妹は俺の次の質問を察して言った。

声色は一定して落ち着いている。

「学徒動員って言いながら、召集令状を出してきたんだぞ」

「でもあの召集令状は本物だった……」

「そうだ。本物だ。本物だけど、あいつらは怪しいって話だ」

 

俺たちは召集令状を何度も見たことがあった。

近所の仲が良かったお兄さんにも、親友のお父さんにも届いていた。

だから本物かどうかはすぐ分かる。

俺たちの両親の話だって、全く脈絡のないものではなく

むしろ嫌になるくらい辻褄が合う話だった。

 

「看護要員で戦地に行くって話はあるけど、召集令状はおかしいだろ。

しかも俺にじゃなくて、お前になんて…」

 

言葉にすると、気持ちが口を抉じ開けて、

言わなくて言いことまで言おうとする。

 

「戦地にお前が行って、何になるって言うんだ。

何をさせようって言うんだ。そんなことしたって……」

それ以上口走りそうになって、俺は自分の手を思いっきりつねった。

痛みに、声を失う。

思わず爪を立ててしまったので、血が出た。

でもこれでやっと少しだけ落ち着いた。

 

「…ごめんな。今のはなしだ。今のは言いたかったことじゃない」

妹からはぎ取らないよう、そっと布団を出た。

俺が前に座ると、妹も布団に包まりながらも起き上がる。

膝を突き合わせて、じっと暗闇の中で見つめ合った。

妹とこうして見つめ合うのは初めてだ。

 

いつも伏し目がちで、人と目を合わせない妹。

真っ直ぐ見つめるとこんなにも、力強い瞳をしていたのか。

 

「征くんだな」

「……ん、征きます」

 

たった一言だけ言葉を交わして、俺たちはもう話せなくなった。

お互いに涙が溢れてしまって、言葉にならなかった。

 

俺は妹をどうしてやることも出来ない無力さに泣いた。

もっと大人だったら、何かしてやれたかもしれない。

でも俺は何もできず、妹を戦場に送るのだ。

 

妹は何を泣いていたのだろう。

言葉にならない嗚咽の中に、

何度も謝罪の言葉があったのは分かった。

馬鹿な妹だ。

俺を置いていくことは何も悪いことじゃない。

俺が悪いんだ。

 

悔しくて悔しくて悔しくて、

朝を迎えるまで二人で大声をあげて泣いた。

 

 

 

14歳の俺と、13歳の妹は

どうしようもなく子供だった。

 

父と母の腕に抱かれて、

よしよしと頭を撫でてもらいたかったが、

戦争で両親とも死んでしまった。

 

 

 

 

+++++

 

 

 

空が白んできた。

昨日の夜の雲は風に流されて、明るい朝がやってきた。

 

俺たちはやっと泣き止んで、お互いの顔を見て笑った。

いつも腫れぼったい瞼の兄妹が、一層ぱんぱんに腫らしている。

「お前のその目、好きな男に見せたらだめなやつだぞ」

「…泣き顔も可愛い女なんて、男の浪漫か幻想……」

 

クスクス笑いながら防空壕を出た。

辺りを見回しても、あの二人の女はいない。

少し歩いたところに池があったので、妹と顔を洗った。

冷たい水に手がかじかんだが、少しは瞼の腫れも治まったかもしれない。

 

池の水を鏡替わりに、妹と並んで見た。

昔はそっくりだと言われた俺たちも、

成長して次第に違いが出てきた。

これから俺の骨格はどんどんゴツゴツしていくだろうし、

妹は柔らかくまるくなっていくのだろう。

 

(大人になったら、一目では兄妹とは分からなくなるかもしれないな)

 

―――今日戦地へ征く妹が、大人になれるだろうか?

そんな不安が脳裏を過って、俺は大きく頭を振った。

 

妹の顔に、洗ったばかりの顔の水しぶきを浴びせた。

「拭いたばっかりだったのに…。やめて…」

そう言って、妹は乱暴に手拭いで俺の顔をぬぐう。

「んぐっ、お前こそっ…やめろって!」

 

じゃれ合うように手拭いを奪い合った。

俺は闘牛の物まねをして華麗に避けるものの、

妹はこしょぐり攻撃という反則技を駆使してくる。

 

しんとした朝の空気に、俺たちの笑い声だけが響いていた。

 

無理をして笑いあっているのではない。

いつも通りに戻ったのだ。

このまま家に帰れば、母にも会える気がした。

 

 

 

+++++

 

 

 

防空壕の手前まで戻って、妹がぴたりと足を止めた。

魔法が解けたように、すうっと笑顔から真剣な顔つきに変わる。

「本当は手紙、とか…何かを残しておきたかったけど…」

 

姿勢を正して、妹が深く頭を下げた。

「ありがとうございました……」

何秒間か頭は下がったままだった。

「お兄ちゃんの妹で………よかった」

顔を上げる。微笑んでいた。

 

「お父さんはいつも『お前たちを守るために戦う』って言ってた。

昨日の人は…深海棲艦を倒せるのは“私たち”しかいないって…。

私、お兄ちゃんを守るために…ん、戦います」

 

お国のために、ではなく、俺のためと言ってくれた。

それが俺の胸を突く。

 

妹は下手くそな敬礼をして、もう一度頭を下げた。

「私だって本気出せばやれるし、

もしものことがあっても…お父さんたちが待っててくれるし…。

……心配いらない、です」

 

妹が俺の頬を拭って初めて、自分の涙に気付いた。

俺に優しく触れる手を両手で握りしめた。

「お前の武運長久を祈って、万歳三唱します」

 

本当は妹だって、戦地へ征きたいなんて思っていないだろう。

でもそんなことを言っても征くしかないから言わないのだ。

自分を奮い立たせて笑顔でいる妹を、

俺も笑顔で見送ってやりたかった。

 

握っていた妹の手を放す。

そして力いっぱい、大仰なほどの万歳三唱をした。

声は情けないほど震えていたが、妹は嬉しそうに笑った。

 

「元気に行ってまいります…!!」

 

 

 

+++++

 

 

 

防空壕の中に入ると、あの二人が待っていた。

相変わらず、青い弓道着の女は愛想が悪く、

俺たちが戻るなり「時間です」と突き放すように言った。

 

俺の背後にいた妹が、一歩前に出る。

赤い弓道着の女が優しく肩を叩いてニコリと笑いかける。

「一緒にがんばりましょう」

そして次に真剣な面持ちで俺を見て、大きな封筒を渡した。

「これはあなたのこれからの生活についての書類です。

新しい家もあります。…ありがとう」

 

渡された封筒の中を取り出して流し見る。

新しい家は、ここからずっと離れた場所のようだ。

戦死した父の特別弔慰金や妹のおかげで、生活費は困りそうもない。

当面の金も入っている。

 

ざっと目を通し終わったところで、もう妹を連れていくと言われた。

既に一晩待ってもらっているのは分かっている。

これ以上待ってほしいとは言わない。

 

防空壕の中を片付けて、自分たちの荷物だけ持って出た。

妹と向き合い、握手をする。

もう泣かなかったし、もう何も言わなかった。

 

妹たちは軍の用意した車に乗って行くそうだ。

窓が真っ黒で、乗ってしまうと中は全く見えない。

妹は俺の顔をじっと見た。

もしかしたらこれが最後に見る顔かもしれないと、俺も見つめる。

扉が閉まる瞬間まで、俺たちは見つめ合った。

 

「………死ぬなよ」

閉じられた扉を見つめて呟く。

車のエンジンにかき消されて、

俺の言葉は自分でも聞こえないくらいだった。

 

走り出す車につられるように、俺の足は勝手に動いた。

「元気でいろよ。死ぬなよ。死んでくれるなよ」

一歩一歩踏み出すたびに、走るごとに、俺の声は大きくなった。

車の中の妹には決して聞こえないだろう。

それでも俺は必死に走って、妹へ声をかけ続けた。

 

車は次第に俺を引き離していき、豆粒くらいになって、

やがて見えなくなった。

 

俺は最後に全身の力を振り絞って、妹の名前を叫んだ。

 

 

 

+++++

 

 

 

ヒューヒューと口から息が零れる。

胸が苦しく、のどが焼けるように熱かった。

近くにあった焼け残った井戸の水を汲み上げ、

服を濡らさないようにして頭からかぶった。

 

「これで…お別れか……」

重力に任せて腰を落とす。

井戸にもたれて、妹が行った道を眺めていた。

 

これから俺は遠い安全な場所へ行って、

父と妹の命でもらった金を使って生きていくのだ。

 

「…………」

 

いつか平和が訪れて、妹が帰ってきたら

俺はどの面下げて会おうか。

 

「……………」

 

万が一、いや億が一にでも妹の身に何かあったら

俺はどの面下げて生きていこうか。

 

「………………」

 

荒れた呼吸が次第に落ち着いてきた。

「これじゃだめだ…」

まだ足は棒のようになっていて、まともに力が入らない。

それでも無理やり立ち上がった。

 

朝日に照らされると、気持ちが明るくなった。

周りには、空襲で焼け出されても

前向きに町の片づけをしている人たちがたくさんいる。

俺も諦めていてはいけないと思えてきた。

「このまま終わっちゃだめだ…」

 

俺はまだ子供だけど、何かできることがあるはずだ。

 

車が走って行った道に戻る。

この道の先を、俺は知っていた。

 

いつか昔、父に連れられた軍港だ。

妹はきっとそこへ行ったに違いない。

 

 

 

 


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