俺が消えた日   作:れいめい よる

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死は最初からそこにいる

 

 

重たい瞼を開ければ眩しすぎる白が視界を焼いた。瞬きを繰り返すうちに次第に明るさに順応していった。沈澱していた意識が遅れて浮上してくる。暫く屡叩いていると見晴らしが改善した視界に飛び込んできたのは己の無様な姿態だった。

 

俺を猛獣だとでも思っているのか、後手に交差する腕を真っ白な空間に留める鎖は天井辺りの壁に繋がっていて、厳重にも足首にまで枷が嵌められている。塵一つない無機質で殺風景な部屋の隅で自分を中心に広がる乾いた赤が腐った鉄の独特な臭いを充満させている。

 

質素な作業台と椅子以外には時計すら置かれてない空間でどれ程の時間が経ったのかは想像もつかない。ツインタワービルでの記憶を最後に次に監禁されていたのがこの部屋だった。

如何いうわけだか能力が発動できず、せめて拘束を外そうと藻がいていると見知らぬ男達が現れた。ピョートルの記憶の総てを持たない為に初対面も同然の彼等は、誰も彼もがまるで道具でも見るかの如く温度の無い無神経な眼差しで次々と質問を投げ掛けてきた。

その後、隅々まで身体検査をされた挙句逃亡の原因が突発的な精神病だと診断された。如何やら奴等は俺がひた隠しにしていた曖昧な記憶と性格の齟齬を最初から見抜いていたようだった。

 

雲行きが怪しくなったのはここからだった。男達は揃いも揃って好都合だとばかりに眼を爛々と輝かせると、彼らに追従する科学者らを呼び付けて何かを熱く語り始めた。正直いつ再び意識を手放す羽目になったのかは憶えてない。

 

また覚醒した時には別の部屋で尋問という名の苛酷な拷問を受けた。逃亡手段や俺が逃したシェアリング博士のこと、とりわけ執拗に詰問されたのは約一年半に及ぶ逃亡生活について。組織に敵意を抱いている俺が謀略にかけようと不都合な根回しをしたのではないかと連中は勝手に決め付けていた。 

EkSの覚醒者が常人より屈強なのを善いことに肉体を徹底的に甚振り、反抗的な態度も取れないくらいに疲弊した頃に精神攻撃に転換する…戦前から何一つ変わってない典型的なCSS(戦略情報局)の遣り口だ。その道の手慣れが時には数人掛かりで凡ゆる手段を用いて自白を迫ってきて、さしもの俺も何度絶叫したか知れない。

 

それでも断固として黙秘を貫いていれば尋問官は諦めたのか今の部屋に連れ戻して科学者に後を継がせた。果然、どいつもこいつも頭の捻子が吹っ飛んだようなマッドサイエンティストどもだった。程良い鬱憤晴らしに薬漬けにされてからは曲の転調並みに記憶が彼方此方へと飛び回っている。一通り満足して点滴を通されたのが数時間前、それからはずっと眠っていた。  

 

故意に外されたままの肩の関節が痛みを逃す為の深呼吸もままならなくさせている。身動ぎをするだけで千本の釘が食い込んだハンマーで殴られたかの激痛が身体の節々を襲った。  

能力ではなく外傷による発熱も慣れ親しんだ感覚となっていた。もはや屠所の羊の如く運命に身を任せようと瞼を閉ざそうとして、不意に耳が扉が開かれる音を拾った。 

 

今度はどんなイかれた輩を寄越したのか、興味すら湧かずに血で薄汚れた床を見詰めて無視を貫いていれば頭上に影がかかった。

沈黙が双方を押し包む。…いつまで経っても話し掛けてこない気配に最初に根負けしたのは俺の方だった。

顔を上げてみれば人相は記憶にないものの見飽きた白衣を羽織った白髪の、中年くらいの男が俺を見下ろしていた。その背後には尋問官と一緒くたに嗜虐癖を拗らせたトロールだと罵倒して散々な目に遭わせてきた屈強な男二人が眼を光らせて控えている。

こんな状況で警戒するなという方が無理な話で、いっそ懇切丁寧なくらいに睥睨してやると被虐嗜好でも患っているのかソイツは喜ばしげに微笑んだ。男の目報せを受けてトロール一号が俺の轡を外した。

 

「久しいね、ピョートル。」

「…悪いが俺はお前を知らない。」

 

飽きるほど繰り返された挨拶に辟易して吐き捨てると、男はそうだったと態とらしく手を叩いた。 

 

「君、とは初めましてだね。自己紹介しよう、私はカナン博士という。もう一人の君からは博士と呼ばれていた。」

 

告げられた名前に俺は思わず瞠目した。カナン博士…そうかコイツがピョートルを壊した最大の元凶か。

 

「ずっと貴方を探してたよ、クソ博士。ピョートルの記憶を取り戻す為にね。」

「おや、私を求めてくれていたのかい?嬉しい限りだよ、素直にCIAに来てくれればいつでも会ったというのに。それで、君の名前は?」

「…ケビン…ガッ!」

 

嘘を吐いた途端、手持ち無沙汰だったトロールどもがようやっと出番が回ってきたといった風に得々と拳を振りかぶってきた。

痛みに耐えかね咳き込む俺に博士は膝を屈めると強制的に眼を合わしてくる。焦茶の双眸に執着とも扇情的ともつかぬ、病的な欲が孕んでいるのを見留めてしまうと言い知れない怖気が迸った。

 

「もう一度聞こう、名前は?」

「ほむら…」

 

散々自白剤を使われても黙秘を貫いた口が、まるで独立した意思を宿したようだった。咄嗟に脳裏を過るのは先程刺された点滴だ。己の発言が信じられずに頭が真っ白になる俺に博士は笑窪を気色悪いくらいに深めた。

 

「最後に打った薬は私が開発したものでね、極度の痛みで生存本能を危ぶまれたと錯覚した体が脳の前頭葉に信号を送るんだ。信号を送られた前頭葉は脳内に浮かび上がる言葉を無理矢理吐き出させることで痛みを軽減させられると勘違いする…謂うなれば生物の生存本能に働きかける錯乱剤だよ。自白剤とまではいかないが充分に強力な効果を発揮するんだ。…痛みに喘いだ君の本能は頭の中で質問に対する答えを浮かべた。それが反射的に自白に繋がったのだよ。噛み砕いて言えば思考を言語化する魔法の薬だ。」 

 

僅かな息継ぎで問わず語りに種明かしをした男は、例に漏れずマッドサイエンティストだった。

 

「ハッ、長ったらしい説明をどうも。」

 

胸中に巻き起こる危惧の嵐が表に露見しないように、平静を装い嫌味で返せば博士は顔一つ変えずに「どういたしまして。」と返した。 

 

「それではホムラ、尋問を再開しよう。これはテストだ。組織を離脱してから是迄の期間、何処に居たのかな?」

「此処に長く居過ぎて忘れた」 

 

言い切る前に鳩尾に強烈な衝撃が加わった。

 

「ッ、アジア圏内…ガァッ!はぁッ、は…」 

 

腹部に、顔面に重々しく放たれた殴打の音が吸音機能のない室内に痛ましく鳴り響く。トロールの仕業だ。あろうことか此処に来てから負わされた傷の上を何度も何度も執拗に狙ってくるのだ。とっくに枯れ果てたはずの声が呻きとなって腹の底から絞り出された。 

只々喘ぎ忍ぶ俺にマッドサイエンティストはこれはテストだと、同じ質問を繰り返した。俺の口は意に反して勝手に喋った。

 

「に、日本に…」

「宜しい。では第二問だ。君の逃亡を手助けしたニュートン・ベイカー、彼の消息が例のケースと共に掴めなくなってから随分と時間が経つ。是非とも彼にも詳細を聞きたくてね、ベイカーは今何処に居るんだい?」

 

駄目だ、違うことを考えろ。答えを正確に思い浮かべるな。そう己に強く言い聞かせて、襲い来るであろう痛みに備えるべく俺は瞼を固く閉ざした——。

 

………。

 

純白の悪意渦巻く監禁部屋に打撃音と機械の無情な稼働音が反響している。バケツの水が床一面を洗い流す程に飛び跳ね、頸を掴んだ男の爪にはピーラーで薄らと削がれた皮が詰まっていた。悪魔と契約して畜生道に堕ちた人間はどこまでも残忍だった。

数え切れないくらい嘘で真実を覆い隠して真実を有耶無耶にしていると、博士は意図に気付いておきながら次々と質問を転じていった。

 

「参ったな、質問はこれで最後なんだ。好い加減答えてくれないと余計な痛みを味わうのは君なのだよ。」 

 

きっとコイツらは血が通っていないからこうやって人間の生き血を欲してるんだ。そうだ、きっとそうに違いない。

カナン博士がさも聞き分けの悪い子供に対するかのように呆れ返った超嘆息を吐き出した。 

 

「ホムラ、シェアリング博士の居場所を教えなさい。」

「…ギリシャ、アテネ」

 

前の世界で流出して一時期話題になったハリウッド俳優の住所を思い浮かべると、それが口から放たれる。コツさえ掴めばこっちのものだった。何が基準かは判らないが俺の回答に満足した様子の博士は一つ頷くと尋問は終わりだと告げた。

 

彼の合図に暴虐なトロールどもが腕に巻き付く鎖と足の錘のみを外して、中央に設置された治療椅子へと俺を引き摺っていく。碌でもない企みを察知して逃げようとするも限界まで体力を奪われた躯は云うことを聞かず、結局椅子に引き上げられて身動きの術をまたもや奪われた。 

朦朧とし始める意識の端で博士がキャスター付きの作業台を寄せるのを捉える。彼はカツオノエボシを煮詰めたみたいな不気味な色の液体を予告もなく静脈に注射した。

 

「これはEkS覚醒者の為に私が開発した能力抑止剤だ。これを打てば一定期間EkSが使用できなくなるのだが如何にも手間暇がかかると不評でね、最近は内蔵チップの開発を模索しているところなんだ。」

「だれも、説明しろなんて、たのんでない。」

 

聞いてもないことを滔々と語るよく回る口に嫌気が差した。縺れる舌で言い返せば糞野郎はふむ、と感心を漏らした。

 

「矢張り君とピョートルとでは性格が真反対のようだね。あの子はいつだって敬語で私を博士と慕ってくれた。」

「お前がむりやり、従わせたんだろっ」

「…初めて反抗された日は酷く胸が傷んだものだ。」

 

よくもいけしゃあしゃあと。申し訳程度に眉尻を下げる博士の大根芝居に自分の顔が歪んだ。露骨な嫌悪を顕にする俺を歯牙にもかけずに彼は作業を続けている。

 

「ツインタワービルでの戦闘を観せてもらったよ。やはり君は私の最高傑作だ。」

 

耳を疑った。傑作…コイツ、傑作と云ったのか?炎で皮膚を燃やし、溶岩で臓物を溶解させる化物を傑作だと本気で感嘆しているのか。

 

「君は…いや、君達は知らないだろうがね、精神分裂もある種の副作用として仮説を立てられていた。勿論対応措置もあった。私の処置は粗粗成功していたのだよ。その証左に君は一度でも殺人という行為に対して罪悪感を抱いたことがあるかね?」

 

ピョートルという人間に成り代わってからの自己の心の変容を思い起こす。肯とも否とも断言するには大学生としての焔と諜報員としてのピョートルが相反するように拮抗していた。

 

「命を奪うことを躊躇う度に声が聞こえる。死は…死は最初から… 」

 

そこまで云って俺は息を詰まらせた。背筋が凍りつくような心地に博士を見上げる。

俺を見下ろす男の眸には邪念が、齢を重ねて萎びた皺の一つ一つには恍惚が、薄笑いには偏執的な狂気が湛えられていた。肌が粟立つような面差しにピョートルのトラウマが抉り出される。

罪を重ねた中年の顔面が間近に迫る。耳輪に吐息が触れた。嗚呼、矢張り君は私の最高傑作だ。

 

「何度君に言い聞かせたか、もはや覚えていないがね。…死が老人だけに訪れるというのは間違いだ。」

 

博士は言葉を区切った。 

動悸が高まり、喉が引き攣る。極寒さながらの冷気が背筋を這いずる。やめろ、それ以上言うな。声に出ない懇願を無視して無慈悲な言葉が吐き捨てられた。 

 

死は最初からそこにいる(、、、、、、、、、、、)のだよ。だからあれだけ人を殺せない繊細さを弊害としていた君が今では虫を踏み潰すように殺傷を犯せるのは何ら不自然ではないのだよ。」

 

恰も天気の話題でも話すかのように事もなげに投げ掛けられた言葉に戦慄は益々募った。博士は何が収まっているかも判らない注射器の先から液体が出るのを確認していた。 

 

「おめでとうホムラ、君はまだまだ再利用可能な道具であるとの最終決断が下された。これからも世の為人の為(我々)の為に尽くしてくれ。」 

「や、やめ…」

 

激痛を訴える身体を奮い起こして我武者羅に椅子を揺らして逃げようとする俺を背後で控えていた男達が押さえつける。震え慄く様を朗らかに観察していた博士が鋭利な先端を向けてくる。 

 

「———!」

 

注射針が首筋に刺さった。じわりと何かが体内に浸透していく感触に声にならない悲鳴が上がった。焼けるような苦痛が細胞という細胞を駆け巡り、やがて視界が暗転した。

 

 

 

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