——こうして懐かしい顔が勢揃いするのは何年ぶりだろうか。
各々の位地に多少の差異はあれど警察という治安業界の裡で交わる筈もない特異な立場の人間が驚嘆に値する事件という糸で繋がり合っている。運命とは人間の想像が及びもつかぬものだと、松田は出揃った面子を一人一人見回しては感慨深く思わずにはいられなかった。この際己が手を挙げ気の利いた一服歓談の提案でもしたいところであったが、生憎この大円団の中で異彩を放つ見知らぬ男が、彼の険しい顔立ちをもって事態の逼迫を告げているので松田は黙した。気の利いた提案が場違いな一言になるのは願い下げだった。
「そちらさんは誰だ?」
ともあれ、感傷に浸っている暇も一服する余裕もないと、彼は背筋を居心地の悪い椅子に逆らうように丸めると見慣れぬ人物に声掛けた。全員の着席を待ち侘びていた男は、閉ざしていた瞼を徐に持ち上げると翡翠色の瞳を覗かせた。
「俺はFBI捜査官の赤井秀一だ。好きなように呼んでくれて構わない。」
「…降谷」
微小ながらの皮肉の籠った問いかけが露いささかも効いていないのを彼の物言いから理解すると、本能的に馬が合わないと悟った松田は説明を降谷に求めた。降谷は詮無いとでもいいたげに肩を竦める。
「仕方ないだろう。合同捜査なんだから一人くらいはFBIを代表して混ざるべきだとこいつが聞かなかったんだ。」
「もういいか?話を進めたいんだが。」
問題児代表ともいえる三人のやり取りを見守っていた諸伏が間に入った。兎にも角にも油を売っている場合ではないといった調子だった。
「ここにいる全員が知りたがっている篠宮焔とアラン・隼人・クリスチャンセンという人物について、先ずは俺から説明させてくれ。松田達には言い辛いが最悪なことに一人が公安の重要指名手配犯の検索に引っ掛かった。それも国際枠で。」
息を呑んだのは誰だったか。ずしりと重苦しい沈黙が会議の進行を躊躇わせたものの、諸伏は素知らぬ振りで報告を続けた。
曰く、アラン・隼人・クリスチャンセンは偽名で裏社会ではエリセイの名で通った、指折りのハッカー兼である。情報屋としても達者で客が求めた情報は譬え大統領が忘れた個人情報であろうと必ず齎される。但しかなりの食わず嫌いで依頼人は彼が興味を示した人間でなければ面会することも叶わないという。
そしてエリセイと米花町で一つ屋根の下で暮らす青年、篠宮焔。これもまた気味が悪いほどに彼に関する情報の一切は見出せなかった。調査の過程で諸伏は赤井に頼み込みFBIのリストを洗ってもらったが国際犯罪を視野に入れた超監視大国アメリカの警察機関の検索網にすら該当する人物はいなかった。とりもなおさず、篠宮焔という人間は存在しない。搗てて加えて、彼等の銀行口座やマンション等の所有名義を調査したところ全て他人名義が使用されていた。
「はっきりと俺の見解を言わせてもらう。彼等は
明瞭に断言した諸伏に、格段焔達と関わりの深い三人が鈍器で頭を殴られたかの衝撃を受けるは無理からぬことであった。現実を飲み込めずに焦点を彷徨わせる彼等を一瞥して、赤井は諸伏の話に附言した。
「もう一つ、彼等が今回の事件への関与を疑われているのには理由がある。最初のテロ現場にICPO捜査官を偽った青年が現れたそうだ。」
「…まさか」
「そのまさかだ。…実際にその青年と会った捜査官達の報告により作られた似顔絵と篠宮焔の容姿は一致している。容疑者ではないにしても、十中八九彼は事件に関わっているだろう。普段から彼と行動を共にしているエリセイもな。」
云い終えるまでに神経質な不調和、殺伐とした空気が充満していた。
有り得ない、よりにもよって己らが目をかけている人間が重罪を犯しているわけがない。この場の萩原達にとって最も忌避すべき現実は警察の身分で犯罪者と懇意な間柄を築き上げていた不祥事ではなく、実の家族のように見守っていた年若い青年達が引っ込みがつかぬ大罪に手を染めているやもしれぬ蓋然性だった。否定したくとも論を待たぬ証拠を突きつけられてしまえば彼等は絶句のうちに己の言動を振り返るしかなかった。
そも、二人と知り合ったのは只の偶然だろうか?よもや彼等の笑顔は、好意の全てはこのような破滅を齎らすた為の演技ではなかったのか。警察関係者として松田達は度々身内の情報を漏らしていたという事実が益々彼等を疑心暗鬼に陥らせ、疑惑に濃厚な色を帯びさせた。篠宮焔とアラン・隼人・クリスチャンセンを名乗る二人の正体不詳な青年らを覆い包む不穏な膜はどす黒い靄へと変貌しつつあった。
「違う!」
張り詰めた空気を破ったのは、胸を締め付ける彼等の傍で貝の如く俯き沈黙を貫いていた女刑事だった。蒼白な顔面でいつにない否定を振り立てた佐藤に一同の視線が集中する。緊張を強いられ身を竦ませた彼女は、しかし己こそが焔にとっての唯一人の味方成り得ると決死の覚悟にも等しき
「二人は間違っても故意に一般人を傷つけたり、テロを起こすような輩じゃないわ。」
「佐藤…」
「どうしても言わなければならないことがあるの。……私、焔君が普通の身分じゃないのは最初から知ってたの。」
——そうして彼女の口から語られたのは昨今の日本で警察庁を煩わせてきた空前絶後の数々の事件の真相だった。G20サミットから始まり博物館での大規模パレードでの大爆発、その水面下で繰り広げられた疫病テロを阻止する為の奮撃、更には細やかな小事件に至るまで…。境遇は知らずとも秘密を知る者として、一警察官として東都の安寧を最優先に協働してきた佐藤だからこそ知り得る一切合切を、時折熱くなる目頭を堪えながらも彼女は打ち明けた。
「…前に博物館のパレードで大きな爆発があったでしょ。あの時だって焔君は自分を庇って松田君達が傷ついたことに酷く自分を責めてたの。彼の動機はいつだって誰かを想ってのことよ。だから今回もきっと、きっと…」
「そうか。…よく話してくれた、佐藤。」
焔君は被疑者ではない、そう云おうとして高ぶった感情が喉を詰まらせると伊達が慰謝を掛けてやる。そこはかとなく焔を思い出させる温もりに、佐藤は机に突っ伏すと程なくして肩を震わせはじめた。そんな彼女に穏やかな横目を遣って、諸伏が口を開いた。
「ああは言ったが正直俺も彼が今回のテロを起こした張本人とは思えない。三日前、彼に会いに行ったんだ。」
「どうだった?」
「良い子だったよ。確かに普通じゃないとは思ったけど、とても誠実で優しかった。」
云いながら彼の脳裏に思い描かれるのは昼下がりに抱えたベースを奏でる青年の姿だった。
*
犯罪蔓延る世の中を助長させる悪の巣窟たる犯罪組織、黒の組織。対象組織に犯罪者を偽装して潜入し、仲介役や狙撃手として違法取引の便宜を図り情報を本部に持ち帰る、それが俺に与えられた任務だった。
悪を滅して正義の為に尽くす。情報の応酬と少しばかりの命の賭け合いでいつか巨大な犯罪シンジケートの息の根を止められると、当時の俺は強く信じていた。どれだけ犯罪に手を染めようとも確かな正義感が穢されることはないと。矜持を保つ為の信念が無情にも打ち砕かれることになるとは露ほども思わずに。
組織の末端として身分秘匿捜査を開始してから程なくしてスコッチというコードネームを与えられると、是迄懸命に避け続けてきた忌むべき問題に直面せざるを得なくなた。…人殺しだ。他人の人生を奪って己の利益のみを追求する許されざる蛮行だ。
スナイパーとして後援に回れば引鉄を引かなければならない機会は少なくない。見方の為と言い聞かせながら実際には逮捕すべき罪人の悪行を見逃す為に何度も命を奪ってきた。そのうちに自分の背負うべき信念がどういうものだったのか分からなくなったのはある意味必然の心理作用だったのかもしれない。組織の信頼を勝ち取る為だけに殺めた相手には
平然と指先に力を込められるほど俺の心魂が腐り果てたのは何時からだったろか。…いや、かまととぶってただけで本当はもっと早い段階で気付いてた。俺は正義を盾にした卑怯な人殺しでしかないと。
裡に潜む悪の自覚、それは大きな弊害を齎した。
一睡も出来ずに疲労を蓄積させ、組織の仕事でしくじってジンや他の幹部に小言を言われるようになった。俺を按じてくれる幼馴染は何てこともないように潜入捜査官としての務めを立派に果たしている。
毒を以って毒を制す。俺にはそれができなかった。
NOCであることが露呈して組織を離脱しても、一度心奥に根付いてしまったどす黒い蟠りが消え去ることはなかった。お前は人殺しだと、身分を盾にした悪人に過ぎずそこらの犯罪者よりもよっぽど卑劣だと、ふとした瞬間に声が囁いてくる。どれだけ耳を塞ごうと喉が切れるほど否定を主張しようとも糾弾が止むことはない。
陰鬱な気配を拭うこともできぬまま日々が流れ、或る日彼奴らと再会した。松田も萩原も伊達も数年前と何も変わっちゃいなかった。賑々しくて、馬鹿正直で、信義に悖った正義の味方だった。三人と語らうだけで荒んでいく内心が自分の卑屈さをくっきりと際立たせて、益々嫌悪感を催した。
永年の絆を頼ってきた彼等の願いを無碍にするわけにはゆかず、俺は篠宮焔に会いに行った。公安案件などとは微塵の懸念も抱かずに赴いた先の喫茶店で、即刻認識を改めることになるとは思わなかったが。様子を観察する俺に一般の大学生では有り得ない殺気を纏わせる彼に愈々厄介事を持ち込まれたと冷や汗を搔いたものの、言葉を交わしていくうちに彼の本質は自然と見えてきた。彼はそこらの大学生となんら変わらない好青年だった。何よりも俺の無茶振りに嫌な顔一つせず、快く歌ってくれた曲の歌詞は胸に深く刺さった。
白状しよう。演技だろうと素面だろうと俺は彼の人柄に呆気なく絆されたのだ。
いつだったか警察官になりたいと打ち明けて家族に反対された日のことが思い起こされた。あの頃は反抗期真っ只中、駄目だと云われただけで世界の全てに否定された心地がして反発心もいいとこに志願の理由も告げずに出て行こうとして、兄に叩かれたのは良い思い出だ。真っ直ぐな言葉が本当に人の染み込んでくるだなんて俺は知らなかった。凍てつく冬が一筋の春陽に氷解するように、彼の歌は卑屈に凝り固まった俺の心を解いてくれた。演奏が終わって彼に指摘されるまで俺は自分が泣いていることにすら気付けなかった。二十歳になったばかりの青年が施してくれた自己呪縛からの解放の音色はこの先、譬え老いて認知症になったって忘れることはないだろう。
——人生で最も満たされた瞬間ランキングがあれば間違いなく入賞を果たすであろう喫茶店での一時を思い出してつい口元を緩ませると、ゼロに咎められた。
「すまない。…兎に角、これでも人を見る目はある。あの時の彼はどこか思い詰めてるように感じた。佐藤さんの言う通りテロに纏わる重大な手掛かりを持っていて、一人で阻止しようとしてる可能性もあるかもしれない。」
「お前の言いたいことは分かった。だが信用するには説得力が足りない。」
尤もな抗弁に思わず言葉を詰まらせる。パスポートや戸籍等の偽造に留まらずICPO捜査官に成り代わって事件現場に足を踏み入れる。誰が聞いても真っ当でない裏街道に片足を突っ込んでる人間のやり口だ。今の状況では怪しむなと謂う方が無理がある。
それでも俺は安息を贈ってくれた彼の笑顔を信じたい。同僚や管理官は無理でもせめてゼロを説得できる上手い切り口がないかと言葉を探して、突として佐藤さんが伏せていた面を晒した。
「役に立つかは分からないけど、彼はある国の特殊部隊に所属してたと言ってたわ。それと」
「それと?」
意思の強そうな面様を心持ち強張らせて、云い辛そうに吃る彼女に松田が続きを促した。
「…アルビノなの。」
隣で赤井が息を呑んだ。
「待て、アルビノと言ったか?」
「え?ええ」
「どうした赤井。」
端正な眉間に皺を寄せ、赤井は深い思案に耽る。
アルビノとは先天的にメラニンが欠乏する遺伝子疾患及びその症状を伴う個体のことをいう。日本では二万分の一の確率で発症すると謂れている。確かに稀有な遺伝子疾患だが、異次元の狙撃手が自身を凌いで数百ヤード先から狙撃した際にも眉一つ動かさなかったポーカーフェイスがアルビノ如きに驚愕しているわけではあるまい
「三年前、黒の組織の潜入任務に就いて渡日する前にCIAから奇妙な協力要請が届いた。」
彼は先の会議で用意された資料を捲って赤井が焔君の顔写真を凝視した。次いで携帯を取り出すと懸命に何かを探し始める。
「ある青年が捜査線上に上がったらCIAに一報してほしいという旨の簡素な要望だった。こちらの見当たり捜査の提案はぞんざいに辞退して、詳細もなく国防長官の命令だと一点張りだ。」
不意に赤井は佐藤さんに携帯を寄越すと、「ミス佐藤、貴女はこの青年が篠宮焔だと思うか?」と問うた。覗き込んだ佐藤さんは喉を鳴らして一瞬押し黙った。
「間違いないわ。以前焔君が秘密のお礼にって見せてくれた瞳と全く同じだわ。」
何度も点頭して彼女は携帯を萩原へと回した。写真を改めた萩原は面食らったように驚愕をあらわにして、松田に渡した。そうやって携帯が回されていくのを横目に赤井は話を続ける。
「あの陰に籠もった連中が我々に六十点妥協してくるとは余程の事態だと、上層部はこの機に奴等の身を落とさせてやろうと内情を探ることにした。そうして
「いいから続けろ」
「失礼。叩けば叩くほど埃が出てくるもので俺も今だに動揺から抜け出しきれてないんだ。兎に角、CIAがひた隠しにしていた爆弾案件がなければ俺が日本に遣されることもなかっただろう。」
「…何だって?」
暗に渡日の動機が潜入捜査だけでなくCIA絡みの後ろ暗い案件だと言い放った赤井に、ゼロが早速食いついた。まあ待てと、可愛げのない犬でも宥めるようにあしらう赤井に青筋どころか益々顔を引き攣らせて。二人の茶飯事を横目に眺めながら俺は思った。こいつら、一度でいいから仲良く話し合えないのか。
遂に身を乗り出して怒鳴りだしそうなゼロを差し置いて赤井は話を続ける。
「約一年半前にCIAが所持していたプルトニウムを収めた三つの容器が研究施設からの輸送中にある集団に強奪され、その後東都空港を最後に消息不明となったそうだ。」
「それって…!」
「公安に届けられたプルトニウムはCIAが所持していたものと思われる。…ミス佐藤は篠宮君は特殊部隊に所属していたと言ったな?これは数ヶ月前に判明したことだが、CIAは他国の防諜機関と手を組み何事かを企んでいたようだ。ガードが固く内部に潜り込むことはできなかったが、関係者筋の話によるとどうやら奴らは年若い少年を集めて世界を舞台にした国際的な防諜組織を結成したらしい。俺達他国派遣組に与えられた任務は奴等の目論みを凡ゆる角度から探って白日の元に晒すことだ。」
「成程、丁度一年半前に行方を眩ませた篠宮焔。彼の失踪と同時にプルトニウムが消失し、帰還と共に代物は公安に届けられた。決して偶然ではなさそうだな。」
「待て待て!まさか焔がその防諜機関とやらの工作員だって言いてェのか?」
すかさず伊達が混迷を洩らした。もはや考察は都市伝説の領域へと突入していた。
「というより逃亡したのではないかと我々は推測している。」
「逃亡?」
「鑑みたところ彼の失跡と時を同じくしてCIAは特別手配要請を取り消した。松田君の話では彼は大変な重傷を負って帰ってきたそうじゃないか。これは憶測に過ぎないが、空白の約二年間彼はCIAに連れ戻されていたんじゃないだろうか。」
陰湿な奴らだと、赤井は手に負えないとばかりの口調で吐き捨てた。彼は続いて、FBIに下される次の任務は篠宮焔の生捕だろうと紡いだ。国防長官や軍上層部までもが携わっていると思しき極秘特殊部隊とやらの実態を暴ける唯一の手掛かりは現状焔君以外に存在しないと。
若しもFBIの仮説通りならば、焔君は天下の秘密工作組織からの身命を賭した逃亡という到底不可能な、それこそ連木で腹を切るような苦境に陥っているということになる。
赤井とゼロの言わんとするところ、それは即ち焔君の危機を強調していた。遅かれ早かれCIAやFBIといった国防機関が防衛を笠に着てその血腥い魔手を、大人達に都合の良いように使い回された哀れな青年へと差し向けることを示していた。
俺は彼の写真を今一度眺めてみる。先日初対面した非凡な大学生と瓜二つの、美しいアルビノの青年が写っている。陶器さながらの繊細な白皙、猛火の如き真紅の双眸。されどもカメラを見据える面輪は情感というものを母親の腹の中に置いてきてしまったかのように酷薄だ。能面と纏う薄幸の雰囲気も相俟って年齢にそぐわぬ異質さ醸し出している。
足場のないようなどん底で曙光を差してくれた心根の清らかな青年の魂が、陰険な大人達に穢されるのだけは看過できない。
「そんなの、許せるわけないだろ。」
己が発するよりも先に地を這うような憤りが耳朶に触れた。目線をずらせば、白むほどに拳を握り締め怒りをむき出しにしていたのは萩原だった。学生時代ですら滅多に見たことのなかった憤怒の様相に誰もが言葉を失くした。けれども彼の激憤の所以も又、皆が痛い程に共感できていた。
一度爆発すれば手をつけられない萩原がちゃぶ台を引っくり返すかの如く暴れ出す前に、ゼロが言下に譲歩することで取鎮めた。
「依然としてエリセイと篠宮焔が一緒に行動している理由は謎だが、兎も角は件の捜査に片をつけるのが最優先だ。どちらにしろ彼等には事情聴取に協力してもらわなければならない。…だがこの話は上には通さない。赤井もそれでいいな。」
「ああ、俺は構わない。」
差し当たっては俺達だけで焔君とエリセイを探し出して事情を聞き出す。その過程で感触が良ければ協力を持ちかけて事件を解決し、二人が保護を求める場合は公安で便宜を図る。方針は定まった。
「最後に彼に会ったのは?」
「多分私よ。二日前に彼の家に行ったの。隼人君は居なかったわ。」
佐藤さんは云う。焔君は何やら切羽詰まったような様子で暫く留守にすると話したと。
「その二日前は泣きそうな顔で私の家に来て…そういえば彼、日本に帰国したばかりって言ってたわね…」
「なんかお前らやけに親密じゃね?」
「そ、そんなわけないでしょ!あくまで友人の関係よ!」
訊いてもないのに食い気味に詰め寄る佐藤さんに俺は慌てて両手を交差させた。と、鈍い音が聞こえて目線を動かせば松田が豆鉄砲を喰らった鳩みたいな面相で突っ伏したところだった。何となく事情を察すると、慰め代わりに背を叩いてやった。
「しかし困ったな。既に風見が業者を偽って連絡を試みたが逆探知対策もしてるようで居場所が特定できなかった。」
「何それ、俺そんな話聞いてないんだけど。」
黒の組織への潜入当時口酸っぱく報連相を言い聞かせてきたくせに、こともあろうに本人がすっぽかしていた事実に非難を飛ばせば、ゼロは然有らぬ風に視線を流した。あとで覚えてろよ…。
それにしても居所が掴めないことには事が進展しない。どうしたものかとおのがじし脳漿を絞り出していた時のことだった。ふいと誰かの携帯が鳴った。発信源は佐藤さんだった。
「焔君からだわ…!」
途端、俺達の間を流れる空気が引き締まった。緊張感を滲ませて、赤井がスピーカーを指示すると佐藤さんは静かに首肯して携帯を中央に置いた。まるで命懸けのポーカーでもやっているかのように、全員が各々の聴覚に一点集中していた。
「焔君。」
『佐藤さん、今時間大丈夫?』
「大丈夫よ。どうしたの?」
電話の向こうから風切り音が伝わった。運転中、恐らくバイクに乗っているのだろう。
『一つお願いがあるんだ。観覧車と米花中央病院に設置された爆弾あったよね?あれの解析そろそろ終わったと思うんだけど、中身を教えてほしい。』
「そういえば目暮警部が何か言ってたわね…ちょっと待って、確認してくる。」
『ありがとう。』
そう云うと慌ただしげに佐藤さんは会議室を去っていった。
沈黙が降り落ちる。赤井が試しに逆探知ができないかを小型端末で確認するが、矢張り無効だった。一方で焔君が唯の市民ではない現実を初めて己が耳で突き止めた萩原達は衝撃のあまり呆然と凭れ掛かっていた。
暫くして佐藤さんが戻ってきた。血の気が失せた顔色で、力無く椅子に腰掛けて。彼女は頭痛を訴えるように額を抑えた。
「貴方、全部分かってたの?」
『中身のことなら察しはついてた。』
「そう。爆弾の中身がプルトニウムだったこと、知ってたのね。ならどうして私に米花中央病院に行けだなんて言ったわけ?」
マイクが喫驚を拾わぬよう声を抑えられたのは奇跡に等しい。伊達から事前に話は聞いていた。米花中央病院と遊園地に爆弾が設置されて単身出動した松田が危うく死にかけたと。
『いかにもアイツが思い付きそうなことだ。』
「あいつって?若しかして犯人を知ってるの?」
反応はない。痺れを切らしたゼロと赤井が催促するように手振りを送るが、佐藤さんは任せるようにと目配せで返した。
「焔君、言ってなかったんだけどこの間松田君達が貴方の戸籍がない事を知っちゃったの。」
『あ、そう。やっぱ研二さん達鋭いな。流石だよ。』
普通は焦燥を露わにすべき場面で驚くどころか感嘆を漏らす本人にさしもの降谷も呆れ返った。
「あのねえ貴方、感覚が狂ってるんでしょうけど、偽名使ってマンション買ってる時点でアウトなのよ。」
『確かに、次からは気をつける。そろそろ着く、佐藤さんもう時間がないからよく聞いて。どうせそこで聞いてるんだろ、赤井秀一とか降谷零とか』
「え?」
俺や班長達は勿論のこと、予期せぬ名指しを受けたゼロと赤井は顕著に動揺を示した。けれども赤井が即座に携帯を掻っ攫って応答した。
「何故こちらの存在に気付いたのか、他にも聞きたいことは山程あるが先に本題を話そう。篠宮君、君は今自分がどれ程危うい立場にあるか自覚はあるかね?」
赤井の質問に彼が電話越しで鼻で嗤ったのが伝わってきた。
『忠告どうもありがとう。お生憎様、CIAにはもう散々お世話になってるんだ。今更指名手配なんかに怯えてられない。』
「成程、それは君に協力の意志がないと受け取っても良いのか?」
『…そうでもない。アンタら警察がこちらの条件を飲んでくれるなら情報の一つや二つ、提供してやってもいい。』
「話を聞こう。」
『俺はこの四日間、エリセイに佐藤さんを見守らせてた。その役目はアンタらが引き継いでくれ。』
「え?」
佐藤さんは到底身に覚えのないと一生懸命にかぶりを振った。電話の向こうでクラクションがけたたましくなる。「おっと」と良からぬ呟きが聞こえた。
『各国の警察機関は一連の爆発をテロだと疑ってるだろうけどそれは違う。アイツは俺を捕獲しにきたんだ。だから世界各国で起こってしまった爆発も結果的に全部俺の所為。』
プルトニウムを扱った短期間の爆発テロに今や世界中が引っ掻き回されている。だが彼の言い分からして犯人は一人と伺える。只の人間が焔君を追跡する為にこんな惨事を繰り広げたとは到底信じ難かった。
『責任は必ず取る。それがせめてもの償いだ。…そろそろ切る。捜査頑張って、じゃあね。』
「ちょっと待って、焔君!」
「待ちたまえ」
しかし佐藤さんと赤井の制止を聞かずに通話は一方的に切られた。矢継ぎ早に主張を言い置かれて、こちらに残されたのは混迷だけだった。須臾の間誰もが思考の乱脈を極めていると、赤井がぽつりと云った。
「梨善町の××コンビナートだ。」
通話の最後に僅かに通話機から届いた特徴的なアラーム音、それは××コンビナートにしかない警報器だと。彼の見解にゼロが同意した。
「ああ、俺と赤井は何度か彼処で組織の取引をしたからよく覚えてる。」
「行くぞ。」
松田が誰よりも早く立上がった。
「佐藤、よく分からねェがお前は目暮警部達と戻ってろ。焔は引っ叩いて俺が連れて帰る。」
「……分かったわ。」
「なーに言ってんの陣平ちゃん。俺じゃなくて俺達でしょ。」
「はっ、どっちでも同じだろうよ。」
目的地は割り当てた。あとはテロリストを逮捕して、焔君からも事情を聞き出して…その後はまた皆で最善策を練り出せば良い。今までだってそうしてきたように。佐藤さんに見送られながら、俺たちは歩き出した。揃った靴音は少なくとも悲観めいた音頭ではなかった。