俺が消えた日   作:れいめい よる

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Nr.1

 

 

通話を切って直ぐ、俺は携帯を道辺へと投げ捨てた。使い捨ての端末はカンッ、カンと疳高い文句をあげて亀裂を走らせて側溝へと消えていった。

目的地に着くとバイクを適当に停める。コロンボからアパートに戻るのが面倒で、路肩に無断駐車していた中型二輪を拝借したのだ。

 

俺は炎翼を具現化してコンビナート上空を高速飛行する。屋外でヘリコプターと同等の高度で天翔けるのはこれが初めてだった。晴天と太陽を背中に東都の港を俯瞰する。この椿事でなければプロペラの付いた機体の中から眺望を遊覧するよりも楽しめただろうに、残念でならない。六百メートル低空で太陽光を反射させて光輝く工場群が無機的な絶景を織り成している。多種多様な大型工場プラントが建ち並ぶ壮観な広域の彼方此方で、業務に携わるエンジニアや作業員らが一様に倒れ伏す有様が展望の心地を最悪にさせた。自ら誘致したにも関わらず、後手を踏んだ己の愚鈍っぷりが恨めしくて仕方なかった。

だからといって地団駄を踏んでる場合じゃない。これ以上の悲劇を犯させない為にも、他でもない俺が奴に引導を渡さなければならない。俺は一層加速した。

 

空中からであれば監視カメラ——今頃捜本が必死に洗っているだろう——に捕まることもなく堂々と索敵できる。不幸なのか幸いなのか、地上から俺の姿を捉えられる人間はもう一人も居ない。対流圏を縦横無尽に飛び回り、周辺を探っていれば目当ての人物は早くも見聞色擬きの探知に引っ掛かった。否、待ち草臥れた奴が自ら居所を知らせたと謂える。  

轟轟と燃え盛る翼を微妙に操り降り立つと、煙の立ち上る煙突の骨組みの頂点で偉そうに佇んでいた青年は驚異的な身体能力で飛び降りてきた。 

 

Ich habe dich endlich gefunden(やっと見つけたぞ), Dietrich(ディートリヒ)!」

 

奴の母国語で憎々しげに言い放てば、ディートリヒは弄っていた端末を仕舞って意気がった首振りをした。 

 

「なんだよ、もう爆弾解除されたのか。ヤーパンの爆弾魔ってのは飯事かよ。」

 

西中部カッセル特有の独特な訛りのドイツ語、今や一体となった記憶が訓練生時代の懐旧を猛烈に呼び覚ました。二人で懲罰房から見上げた鉛色の空が、遭難した雪山の銀世界を見渡して繋いだ手の温もりが、一緒に分け合った一切れのパンの味が酷く懐かしい。けれどこの感情はピョートルにとっての名残でしかない。 

 

「よくもっ、よくもシェアリング博士を殺したな!」 

 

彼女を殺めたばかりか無関係の民間人を爆殺し、陣平さんの命までをも脅かした憎悪すべき敵は一瞬、恰も俺の怨言がとんだ虚誕とでもいうかのように小首を傾げる。殆思い当たりがない、そんな鳥影を見るかの表情をしてすぐに口角を愉悦に歪めた。

視界が真っ赤になった。激情が頭も心も瞋恚の炎に燃え上がらせただけじゃない、実際に湧き起こった忿怒が灼熱の気体と液体に変じて表に現れ出でたのだ。言葉の応酬を交わしても平行線を辿るだけだった。こういう根が陳曲がった野郎は一度徹底的にぶちのめさなければならない。

 

俺は灼熱のマグマと高温の炎を半々に纏わせる。この人間味のない鉄屑の血管が蔓延る工業地帯を塗り替えるであろう凄惨な未来を想像したディートリヒは好戦的に嗤った。彼の踏み締める大地が溶解していく。異常な熱線を放つその能力をピョートルでない俺が目の当たりにするのは初だった。

 

『放射能?』

『ああ、ディートリヒは核物質に触れることなく放射能を放出できる。』

『人間核爆弾みたいな?』

『そういうこと。』

『何それチートじゃん。だからNr.1なのか。』

『使い勝手の良さなら俺の方が断然上だけどな。戦争で席巻できるからって理由でアイツが一位になっちまったわけ。』

『御愁傷様。』

 

——互いの肉体から発せられる熱が最大値に上昇したとき、巨大な爆発が起こった。

半径五百メートルに渡る工場施設が、転瞬の間に吹き飛ばされた。

 

コンビナートの広大な敷地の彼方此方から中規模な爆発が勃発していた。これ以上人的被害が生み出されないのを良いことに、二人の能力者(互い)の手加減のない攻撃が炸裂し続ける。並木は爪楊枝の如く薙ぎ倒され、悉く崩された建造物の瓦礫が地面を覆い尽くしてゆく。  

 

「つーかあの優等生サマがまじで二重人格なわけ?上の爺いどもが遂にボケたのかと思ってたが、ほんとに雰囲気違くてびっくりだわ。」 

 

陽気に紡ぐ言葉とは裏腹に捻り出される拳の威力も技の精度も抜群だ。高濃度の放射能が纏われたソレを一度でも喰らえばいくら俺だってただじゃ済まない。双方、相手の能力を食らわぬよう神経という神経を全力稼働していた。ディートリヒは全身に不可視の放射性物質を膜のように密接させ、俺はマグマに近しい温度の熱風を纏った。 

二人が踏んだ場所、触れた箇所が温度によって分解され、迅速に溶かされていく。俺は前後左右に避けながら隙を狙っては炎拳を飛ばし続けた。

 

「どうやって博士を見つけ出したッ?」

「あ゛?…あー!アンタのネーチャンね。んーと、まあロシア連邦保安庁(FSB)の伝ってやつだ。」

「大渡間町の商港を破壊した挙句プルトニウムの爆弾を設置しただろ」

「設置したのは俺じゃねェぞ。偶々爆弾作ってる奴がいてソイツが天才的な爆弾魔だって自称するもんだから、面白そうだったから付き合ってやったんだ。その場で爆弾生成してやったら跳ね上がって喜んでやがった。何だっけ?警察に復讐するだのって一人語り始めたあたりから興が冷めて帰った。」  

 

俺の追撃を躱しながらディートリヒは下卑た笑みを浮かべた。不意に閃いたとばかりに瞳を輝かせる。

 

「そういやアンタの彼女がどんな死に方したか教えてやろうか?」

「…やめろ」

「嗚呼悪ィ、特に言うことなかったわ。どんだけ痛めつけても泣き喚かねェもんだから、鬱陶しくなって建物ごと破裂させちまったもんで」

 

刹那、ディートリヒは喉を百回突かれたかの呻き声を漏らした。限界まで凝縮したマグマが弾丸さながらに指先から放出したのだ。秒速を超えた何発もの灼熱の弾子が防御を破ってディートリヒの腹を貫いた。

怯んだ小隙に攻勢の手を緩めずクロスカウンターを仕掛ける。流石というべきか、先の攻撃を耐え抜いたディートリヒは顔面の打撃を間一髪で避けて、俺が伸ばした腕を掴んできた。

言葉にできない激痛が右手から半身を侵食していく。捥げるのも構わず腕を引き抜いて、高熱の重いミドルを喰らわした。  

 

Scheiße(クッソ)!Stück Scheiße(この糞野郎)!」

Das ist mein Satz(コッチの台詞だ)...」

 

双方、蹌踉けて後退した。

一息に大きく飛躍して折煙突のてっぺんに着地すると、同じく体制を整え直したディートリヒも足から放出した爆風で一つ間隔を開けたH笠の片方に止まった。距離を置き、爛れた腕を庇う俺にディートリヒは舌鋒鋭く声を飛ばした。

 

「是迄のアンタの言動で確信してんだわ。ココ(日本)に大事な奴が居るだろ。」

 

返す言葉に倦ねた。彼の云う通り、俺は日本…延いては特定の人達に強い思い入れがある。陣平さんに研二さん、伊達さんや佐藤さん、それに緑川さん達も。大道に従って正しく生きる彼等は直視できないほど眩しくて、けれども絶対に眼を逸らすことはできず、況してや切っても切り切れない仲へと想いは強まっていた。己が足首どころか全身を浸している場所が日影などではなく泥濘であることにもっと早く気付けていれば…否、よしんば自覚があったとしても俺はきっと彼等から身を引けないでいただろう。蛾が街灯に惹かれるように、闇はいつだって得難い光に憧れるのだから。

俺を通して世界を眼差しているピョートルにだって、心境の変化が起こっている。俺が深層で昏睡している間に記憶を探って景光さんの救済の根回しをしてくれたのは、彼が少しずつ明日を肯定していることの確たる証左だ。つい先日だって滅多に話しかけてこない彼が陣平さん達のことを好奇心旺盛に尋ねてきた。凡庸な光を失いつつある俺と日向を求めたピョートル。俺達は逆様に成長していた。

正鵠を射られて唇を引き締めれば、ディートリヒは鼻を鳴らして滑稽と嘲笑った。 

 

「ハッ、図星かよ。アンタは昔から情に流されやすくて惰弱だった。折角強ェ力を持ってるっつーのにその甘ったれた部分が俺は大嫌いだった。」 

 

軽蔑にも似た眼差しが俺を不倶戴天の敵もかくやと睥睨した。俺は意趣返しとばかりに口端を吊り上げる。

 

「お前こそ変わったな。」

「何?」

「教官が怖くてピーピー泣きながらピョートルにくっ付いてたくせに、No.1に昇格した途端神様気取りか?自惚れも甚だしいな。」

「ピョートルはてめェだろ気色わりィ。人格破綻者の分際で偉そうな口効いてんじゃねェぞ。」

「お互い様だろ、フラン坊。」

「黙れよ。」

 

漂う殺気が二人の能力を帯びて一帯を崩壊させていく。崩れゆく建物が煙突をグラつかせて足場が無くなった時、全身に巡らせた熱を空高く打ち上げた。

 

「流星火山!」

「裂核!」

 

空に打ち上げられたマグマが急降下を始める。ディートリヒと俺を爆心地として大爆発が発生した。

衝撃波が瞬く間に拡大する。耳を劈く爆音が轟いた——。

 

………。

 

巨大な揺れが収まった頃、俺は徐に体を起こした。 

 

破砕され砂と成り果てた瓦礫がさらさらと被った上半身から零れ落ちていく。見渡せば地獄が広がっていた。更地となったコンビナートに、煮えたぎる地面。マグマの塊が流星の如く降り注いだことでクレーターが無数に生まれていた。大渡間町が消し飛ばないようにと加減してこのザマだ。大噴火を使えばこの程度じゃ済まなかっただろう。

 

極小規模の核爆発にマグマの雨。自分の命さえも顧みない攻撃を全身に受け、防御に徹したものの血染めとなった無様な体を支えるようにして跛行する。左足が潰された。

攻撃に耐え抜いた瓦礫の山からディートリヒが現れるのを、辛うじて機能してくれている右目が捉えた。彼も彼で、瓦礫で躱しきれなかったマグマを受けて左半身を火傷していた。

五メートルの地点に迫って、ディートリヒはやおら両手を挙げた。 

 

「やめだやめ、これじゃキリがねェわ。」

「そうだな…」 

 

超能力の交差から生身の果たし合いへと移行を互いに望んでいた。身を守る障壁を消し去って両手を構える。

 

懸声と一緒に一直線に、急所を狙って突きを炸裂させた。相手は曲線を描いて鮮血を撒き散らせながらボディーブローを打ち込もうとしてくる。ドイツ人のくせに曲がった奴だ。

ビュンビュンと、風を切るよりも素早い一挙手一投足が交差を繰り返す。たった一度の瞬きすら命取りとなることが分かっていたので何方も断固として瞬きをしなかった。 

 

最小の動きで極限に込めた殺意がディートリヒの鳩尾に当たった。鼓動を止め、動きが鈍る。

更にもう一発食らわせようとして、咄嗟に掴み投げられた砂利が眼球を痛めて俺は堪らず踏鞴を踏んだ。システマの馴染みの呼吸法で異物感を吐き出して再び腰を据える。ディートリヒも同様に体勢を直したところだった。サイレント・キリング(無音殺傷法)という、現代軍隊格闘技の始祖とも称されるイギリス軍人が開発したフェアバーン・システムと呼ばれる格闘技の一種に見られる重心の置き方だ。

 

遮二無二粘っているものの体にガタがきてるのはお互い様、もう次が限界だった。これを最後にするべく大胆な一歩を踏み出したディートリヒを俺は不動で待ち構える。迎え撃つ算段だった。

 

「死ねッ!」

 

喉を目掛けて急接近する貫手を半身を捻ることで躱した。

ディートリヒの口角が不吉に歪められる。だが卑怯な魂胆は見え見えだった。

対になった背中に掌をひたりと当てて能力を発動しようとしたディートリヒに、俺は右足を軸にくるりと回転して炎を纏った左手でジャガった。ここに至って渾身のムエカッチュアー…タイ式殴打である。 

 

ぐぁア!呻き声を上げて後ろに倒れ込んだディートリヒに即刻馬乗りになる。窒息死させようと気道を塞ぐ。魚が空気を求めるように、ディートリヒの唇が痙攣した。手が宙を掻き、脚が地面を叩く。酸欠から救われようと彼は激しく抵抗していた。

そのうち指が左腿の傷口に食い込んだ。思わず緩みそうになるのを堪えて、悲鳴も怒りも凡てを指先に結集させる。あと少し、あと少しで殺れる…。博士の仇が真下で喘ぐ様にほくそ笑んで…

 

「…あ、れっ…?」

 

俄に手が震え始めた。まるで視えない力に阻まれているように、腕が勝手に弛緩していく。指が離れると折角奪った酸素がディートリヒの肺にいっぱいに入り込んでいった。

 

「っどう、した…さっさ、と殺しやがれッ」 

 

息も絶え絶えに挑発しやがった。云われずとも殺してやる。そう思っているのに、何故か力が入らないばかりか弱まっていく。…ピョートルだ。ピョートルが俺の殺人を初めて拒絶してるのだ。それを理解した途端、スクリーンプロジェクトみたいに彼の記憶が溢れ出した。 

 

ピョートルとディートリヒがプロジェクトに参画したのは十四歳の時、彼は俺よりも二年遅れて入隊した。各国でもずば抜けて優秀な訓練生、或いは潜在性の高い未熟者が北国へと集められる。

地図にも記されないシベリアの辺境で訓練に勤しみ、大勢の同期の死を見届ける日々は過酷の一言に尽きた。EkSを開花出来てもコントロールが効かずに自分自身に殺される者、教官や年上の熾烈な虐めに遭って死ぬ者も、環境の総てに心を壊して自殺する者だっていた。全員が成人すらしてない若者だった。

 

候補生に志願した理由は十人十色だ。能力に適性があったから、血縁がプロジェクト関係者だったから、スカウトされたから、市井の守護者となりたいから、昇格したいから。いつしか同じ窯の飯を食った同期達とは家族以上の絆を築き上げていた。

EkSに覚醒してからディートリヒは変わってしまった。上手く能力を操ることが出来ずに情緒も不安定になり、事ある毎にピョートルが彼の暴走を防いできた。何れ周囲に取り返しのつかない事態を招くと危険視され隔離されるのは時間の問題だった。ピョートルは彼が隔離される前に訓練生を卒業したので、訓練所でのディートリヒへの酷い扱いを知ったのは何年も後になってからだった。たった数年、されど数年は俺がカナン博士に脳を弄り回されたようにディートリヒの人格を変貌させてしまうには十分な歳月と地獄だった。

 

「ふっ、うっ…」

 

ピョートルが泣いていた。寂寥と辛苦が心奥から突き上がり闇雲な涙となって溢れ出る。負の感情が猛烈に俺の気分を引き摺り込み、情状酌量の余地を押し付けた。凪いだ水面に垂れる一滴の木の葉の雫さながらに、音もなく頬に悲哀の証が滴り落ちると、ディートリヒは目を見張り…心底忌ま忌ましげに顰蹙した。

 

「…して…どうして、俺を置いていった」

 

張り裂けるように、静かに怒鳴った。先程までの覇気は雲散して悄然と唇を噛み締めて。細やかな、されど肝要な認識の齟齬が今日に至り不幸せの連鎖を引き継いできたことを理会してしまえば、彼の衷心からの慟哭が心に刺さらないわけがなかった。救済を求めた切なる響きが浸透して、深く抉られた胸の奥底から天と地が逆さまになるかの如く身体の主導権が交代した。

 

「ごめん、、、」

 

二人の懺悔がで重なった。

ディートリヒに、片や博士に。落莫たる寒地に残してしまったこと、仇討ちを果たせないことを。首元を鷲掴んでいた腕はいつの間にかディートリヒの頬を包んでいた。ピョートル?と子供が寝ぼけて母親を呼ぶように彼は囁いた。

 

「ごめんよディートリヒ。僕が気付くていれば、もっと早く全てを捨てて君と、君達候補生と逃げ出していれば」

「…見捨てたじゃ、なかったのかよ。」

「そんな筈ないじゃないか。皆の存在はいつだって僕の支えだった。」

 

それは焔ではなく、ドイツから遥々送り込まれた憶病な少年と一緒に惨状を呈する幼少期を生き抜いたピョートルの紛れもない真意だった。彼の言葉を聞き届けたディートリヒは虫も殺さぬような安らかな顔になって瞼を閉ざした。 

——ありがとう焔

身体の主導権が戻ってくる。身を起こして俺は離れる。あどけなさを取り戻してすやすやと眠りにつくディートリヒを見下ろしていれば、救われない複雑な心境になった。 

 

「シェアリング博士を殺したこと、俺は一生許さない。」 

 

とうに意識を失っている博士の仇を目一杯睨め付けてから、俺はディートリヒを乱暴に肩に担いだ。

更地となった工場地帯に進むべき道などなく、後は来た道を戻るだけだった。四肢を動かすのも億劫で俺は翼を生やすと空へと飛躍した。

 

………。

 

上空から見たコンビナートは酷い有様だった。 

ずらりと軒を争って工業地域を創り上げていた特殊建築物は跡形もなく消し飛び、熱風が吹き荒れている。爆発の影響で生み出された夥しい数のクレーターは九割が水溜まりならぬ溶岩溜まりとなっており、今だにぼこぼこと煮え滾っている。当然地面からは陽炎が昇っていて、有害な高温に覆われた一帯に生身の人間が立ち入るには数日を要するのは一目瞭然だった。これで対戦相手がディートリヒではなくヒエヒエの実の能力者だったなら完全にパンクハザードになっていたに違いない。

 

ゲートに戻ると砕け飛んだ瓦礫にバイクは潰されてしまっていた。どうせ無断駐車だという無慈悲と愛車家としての罪悪感が変な葛藤を生み出していた。守衛所の手間で此処にいる筈のない人影が見えて俺はゆっくりと降下する。地上に降り立てば、彼は俺を目にするや否や目の色を変えて駆け寄ってきた。 

 

「イシードル!セーフハウスで待ってろと言ったろ。」

「心配でじっとしてられなかったんだよ!ていうかその怪我どうしたんだよ!」 

 

イシードルは擦り傷から爛れた箇所まで体の隅々を呆気に取られたように凝視していた。続いて俺が抱える青年に視線を寄越して瞠目して、 「そいつが…」と苦虫を噛み潰したような顔でディートリヒを見詰める。囁くように零された「思ってたよりも若いな」って言葉が対峙した時の俺の感想を今一度再現した。

 

「ピョートルの大事な友人なんだ…殺せなかった」 

 

我ながら消え入るような声調が嘆かわしい。イシードルは目を丸くして僅かな愕きを示したものの、直ぐに安堵を微笑に湛えた。 

 

「それで善いと思う。博士もきっと復讐の為にお前が傷つくことなんて望んでないさ。それに殺さないっていう選択は簡単にできることじゃない。矢っ張りお前ら、成長してるよ。」

「……同い年のくせに年寄りみたいなこと言うなよ。」 

 

面映くなって嫌味で返せば、心境は見抜いてるぞとばかりにイシードルは歯を見せて笑った。果たしてこの兄貴肌は本当に俺と十歳も離れていない年上なのだろうか。馬鹿馬鹿しい疑問が脳裏を過った。

 

「で、どうすんのソイツ。」

「BDNに送り返す。此程の惨事を引き起こしといて、今回ばかりはお咎めなしとはいかないだろう。その後どうなるかはコイツ次第。」

「…ああそうだ、大事なことを言い忘れてた。ケンジ達、こっちに向かってるよ。」

「おまッ、先にそれを言えよ!」

「い、いや仕方ないだろ?居ても立ってもいられなくなって駆けつけたら地獄絵図だし、しかもお前はそいつ抱えて満身創痍だし!」 

 

全く悠長に話なんかしている場合じゃなかった。焦燥を募らせるように、見聞色擬きが何かか猛スピードでこちらに駆けて来るのを捉える。俺はディートリヒをイシードルに押し付けた。 

 

「イシードル、お前はこいつ連れて先に帰っといて。」

「ピョートルは?」

「これは流石に言い逃れできないだろ。…例の頼みは?」

「そろそろ。」

「なら善い、ありがとう。」 

 

彼はガタイの良いドイツ人を抱え直すのに苦労していた。彼等が到着する前にせめて血と塵埃で可哀想な状態になっている髪だけでも整えようと手櫛を解いていると、イシードルが自分の乗ってきたバイクのメットインスペースから何かを取り出した。 

 

「こういうこともあろうかと着替えを持ってきたんだ。残念ながらカラコンは用意してなかったけど、代わりに俺のサングラス使えよ。」

Спасибо(ありがとう).」  

 

薄汚すぎる見た目にばかり気を取られていたようだ。イシードルに指摘されるまでカラコンが外れていたことすら気付かなかった。服と一緒に渡されたタオルで血を拭って服を着るが、止血をしてない所為で折角の新服がじわりと湿り出した。黒の長袖パーカーなのが幸いしたが、肉が見えるほどに抉れた左足は隠しようもなかった。 

 

「じゃあ俺はセーフハウスで予定通りに働くよ。」

「頼んだ。ついでにソイツ郵送しといて。」

「りょーかい。」 

 

………。

 

イシードルがディートリヒを伴い去り行くのを見届けると、俺は広大な敷地の何処かから丸ごと落下したらしい鋼板を椅子代わりに瓦腰を下ろして待っていた。

程なくして、見覚えのある白のマツダと一台のパトカーが停車した。真っ先に車から降りてきて俺を見留めるや否や血相を変えたのは顔馴染みだった。

 

研二さん達は俺と眼前に広がる光景とを交互に見遣っては開いた口が塞がらないといった様子で立ち尽くしていた。いくら犯罪件数がアジア一を誇る都市で警察業務に従事する立場とはいえ、紛争地帯もかくやの出来立てほやほやな現場を目の当たりにするなんてアメリカの警官だってそうそう機会はないだろう。彼等が肝を潰すのも無理もないことだ。寧ろこの惨状を前に気絶せず確りと二本足で立っている時点で大したものだ。

 

そんな警視庁組の傍らで更に度胸を見せたのは案の定潜入捜査組だった。

通称金髪イケメンゴリラこと降谷零は獲物を見定める鷹の如き目付きでコンビナート跡地よりも俺を見据えている。そしてこちらは目下の隈が特徴的なロングヘアー梟、基赤井秀一——付け加えては俺が佐藤さんへの通話で興味本位に煽った——は綺麗な深緑の双眸を心なしか警戒に濃厚さを増して矢張り俺を正視している。

それにしても警察学校組にFBIを添えて、まるでオールスターズだ。よもや顔を揃えてやって来ようとは思わなかった。昔の俺ならばヤクザの大結集だと脱兎の如く逃げ出していたに違いない威風である。

 

「遥々ご苦労様。んで、こんな新地に何しに来たわけ?」 

「随分な出迎え挨拶だな、篠宮焔。これは一体どういうことか説明して貰おうか。」

「…ええと、すみませんけど僕達初対面ですよね。そちらのロングヘアーの方も。」

「焔。」 

 

子供が鼻水を垂らして駈け出すほどの形相で問い糺す降谷にしらばっくれてみれば、彼に代わってかつてなくドスの効いた低音が鼓膜を脅かした。三歩前に出た航さんの剣幕は訓練兵時代の鬼教官にも勝るとも劣らぬ気迫だ。俺は即刻降参した。反省も後悔もしていないが両手を挙げなければ航さんがキングコングにでも変身してしまうんじゃないかと妙な危機感に迫られたのだ。

 

「言っとくけど、俺の所為じゃないから。」 

 

半分は。冗談混じりの物言いに堪忍袋の緒が切れて拳銃を構える降谷を景光さんが食い止める。

ここから如何やって任意同行に持っていくか。恐らく同じことを考えているだろうに、俺達はまるで石橋をたたいて渡るように距離を保ったままだった。この場においては元凶たる俺が自ら譲歩すべきだろう、そう断じて話し掛けようとした矢先だった。

 

捕食者の目付きで獲物()を隈なく観察していた赤井が、突として半歩横にずれた。降谷と景光さんが瑣末な攻防を繰り返している方角だった。彼は俄かに腕を伸ばすと降谷の腰に挿さった拳銃を奪いそして… 

 

パァンッ!  

迷うことなく、俺に向かって発砲した。

 

 

 

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