鼓膜を揺さぶる銃声が大気に木霊した。
高速回転する銃弾が耳の真横を掠め過ぎる。間一髪で避けた拳銃弾の軌道は間違いなく俺の眉間を狙っていた。
前触れもなく、それも原作の登場人物によって施行された奇襲に呆気に取られて硬直していると、赤井は感嘆を漏らした。
「どうやら噂は眉唾物ではなかったようだな。」
「
寸秒遅れて現実に引き戻される。生の実感とアメリカ人の無鉄砲さに焦燥がじわじわと一気に込み上げてきて、俺は赤井に詰め寄った。依然として束の間の出来事が呑みこめていない緑川さん達を差し置いて、赤井は取り澄ましてガンプレイを披露すると降谷の腰元に返した。
「俺が避けなかったらどうするつもりだったんだ!正気かよFBI!」
胸倉を掴む勢いで捲し立てるように抗議すると、赤井は動じるでもなく梟みたいにほぉと唸った。
「ロシア語か。あまり得意ではないが一目で俺をFBIと見抜いたならば捜本に関する知識は多少は蓄えてるようだな。君はどう思う降谷君。」
「馬鹿にするな、僕だって少しは理解できる。」
赤井に視線を寄越すことなく降谷は俺を睨め付ける。
「篠宮焔、君には聞きたいことが山ほどある。大人しく着いてきてもらおうか。」
「断るって言ったら?」
「その場合は仕方ないな」
——実力行使といこうか。
挑戦的な俺の態度に、彼は不敵に吊り上った口角で挑発し返した。その面持ちから姿態の全てが臨戦態勢を醸し出している。俺は手振りで投降を表明した。手負の身としてはこれ以上の肉体を酷使したくなかった。
「どうぞご随意に。」
反抗の意志がないと判断してくれた降谷と赤井は面輪の厳しさを緩めた。場の緊迫感が突風とともに流されていくを感じた。
脚の状態を察して肩を貸してくれた景光さんに礼を告げると、横から声が掛かる。歩を止め首を回せば、ようやっと唖然から現実へと帰ってきた航さん達が詰め寄ってきた。もごもごと唇を動かしては参ったように眉を下げる陣平さんを見るのは初めてだった。どうにか言葉を探そうとする彼を新鮮な心地で見詰めていれば、見かねた研二さんが代わりに口を開いた。
「焔。君って何者なの。」
何とも漫画や映画で使い古されたようなありがちな台詞だった。こんな殺風景で殺伐とした場所で、簡潔な説明で彼等を納得させられる自己辯護など思いつくはずがなく、俺は弱った顔つきになった。
「研二さんってこういう時に限って難しいこと訊くんだね。」
「はぐらかさないで」
「はぐらかすも何も、予想がついてるから此処に来たんじゃないの?」
「…俺は君の口から聞きたいんだ。」
三人は額に皺を寄せて煩わされた表情をする。今までで一番の居心地の悪い沈黙が間を通り抜けてゆく。到頭彼等の求める回答を紡ぐことなく、俺は警察車輌に乗り込んだ。
答え合わせにはまだ少し早かった。
*
同日米花町、平日午前の空っぽな喫茶店は普段とは異なった独特な気配を漂わせていた。和やかなジャズが控えめな音量で憩いを空間を彩り、隠れ家的雰囲気も相乗効果を成して何処か牧歌的な教会を聯想させる店内で二人の男が向かい合って座っている。人目のつかぬ店奥部の席で対面し、一杯の珈琲と休息を求めているとは到底伺えぬか張り詰めた緊張感を滲ませて。この二人組こそが、閑静な住宅街の外れに構える喫茶店に荒れ模様を齎す要因だった。
格段、明らかに日本人と見受けられない異国の顔立ちが険しく顰められているものなので、空気を読んだ店員は注文の品を届けて早々そそくさと厨房に篭ってしまった。流れる空調すら好ましくない異質さを際立たせる彼等を避けるようにして店内を循環していた。男達が喫茶店に入店したのは二時間前、淹れたて時は香ばしい湯気を立ち昇らせていた二客のコーヒーカップはよく効いた冷房も相俟ってとう冷めていた。
彼等は着席と同時に会話に没入した。涼感な店内で一人は玉のように汗を吹き出させながら慎重に言葉を選び、もう片方は彼の一言一句を漏らさず真剣な面差しでノートに書き留めていた。メディア業界に縁のない部外者でも、彼等の取材内容が著名人のゴシップや近所のスーパーの脱税などではないことは察せられただろう。生憎この場の利用者は彼等だけだった。
「…これ以上は無理だっ」
深々と語り暮らしているうちに時計の針は駆け回った。終盤に差し掛かり愈々落ち着きを失くした被取材者は、ハンカチで額を拭いもせずに一口も含んでいない珈琲を思い出したように一気に飲み干した。終始筆を走らせていた男は取材断ち切りの合図に初めて手を止め面を起こした。
「判りました、協力ありがとう。」
「奴らは必ず現れる。幸運を祈る…」
男は乱雑に千円札を置くと足早に店を去った。見えない敵に怯えるかの円背が完全に角を曲がるのを見届けると、取り残された男は慌ただしい手付きで架電する。数回の呼び出し音で応答があった。
「EkSプロジェクトをご存知ですか?」
長い沈黙だった。一向に返答のない先方に、男はもう一度問いかける。今度は否と返ってきた。露些かも興味をもたぬ拒絶の声調に、しかし男は気負けもせずに己が二時間あまりの長講の末に獲得した特ダネを語り始めた。
「——ということです。幸いなことに、そのピョートル・ノリリスクという人物は現在日本にいるそうです。接触さえできれば…」
あらましを話し終える頃には携帯を持つ手が小刻みに震えるほどに男は興奮していた。問わず語りに言葉を紡ぐ男の音色には、一貫して絶好の昇進機会を逃すまいという強固な熱意が秘められていた。
「虚構なんかじゃありません、大当たりですよ!上手くいけば行政の闇が世界中に暴かれるでしょう。」
己の書き下ろした記事が世界に動乱を招くかもしれない未来を思い描いて、彼はすっかり自己陶酔に浸っていた。一方、壮大な実話を静聴していた通話主は彼の力弁を以て渋々といった風に肯定に傾いた。
『目処は。』
「早速記事に纏めます。まだ調査したいことがあるので帰国までの期間を延長させてください。」
『良いだろう。』
「ありがとうございます、ではまた。」
通話を切って直ぐ、店員がウォーターピッチャーを片手にやって来る。然り気無い退店の催促であった。彼は謂われるまでもなくぎゅうぎゅうに文字が詰め込まれたノートを大事に鞄に仕舞うと立上る。一杯に注がれた珈琲には目もくれずに店を後にする迷惑客の小走りを、店員は恰も小売店のタイムセールに急ぐ住人を見るかのような白けた目付きで見送った。
虎穴の先に魑魅魍魎の脅威が巣食っているなどとは夢にも思わずに、類を見ない収穫に心を弾ませる男の足取りは飛ぶように軽かった。