俺が消えた日   作:れいめい よる

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追跡劇

 

 

平日休日を問わず数多の来館者が訪う社会教育施設、日本三大水族館として人気を博す米花水族館は殊、夏休みの真っ只中に在って盛況していた。延床面積にして四万平方メートルもある広大な敷地が抱える五百種にも上る海洋生物の観覧を愉しむ人々にとって、ごった返した人混みの中で多発する瑣末な不審行為など視界にも入るまい。

 

されどもいくらなんでも野外水槽の区域内で複数の男達が全力の鬼ごとに勤しむ姿は、イルカショーの開演を待ち侘びる客達の注目を引いた。真夏の炎天下に季節外れの長丈のスーツを着込み、時折立ち止まっては猛禽類もかくやの悪どい目付きで周囲を見渡し、また駆け出す…

明らかに異様な様相を呈する彼等を、特に子連れの親は胡乱に凝視し近くの係員に懸念を告げるべきか否かを勘案していた。しかし奇異な行動を継続する者達は周囲の厳しい視線に対して等閑にして、そこはかとなく切羽詰まった気配を醸し出しつつ何か…否、誰かを捜索していた。 

 

時を同じくして、米花水族館内を訝しい挙動で駆け回る人影はもう一人あった。

 

 

じりじりと焼き付ける太陽が体温の昇った身体を更に昂らせていく。

 

ランニングすら一年に一度程度しかしないというのに、無理に駆け回ったせいで上手く呼吸ができない。過呼吸を起こしたかのように荒い息を吐きながらそれでも必死に足を動かし続ける。携帯からの指示に従い次々と襲いかかる追手を何とか躱して裏口に入ると、今度は迷路のように入り組んだ細道が待ち受けていた。 

 

 

この俺、ダニエル・メイソンは生まれてこの方誰かに命を狙われたこともなければ、全力疾走で水族館を駆け回ったこともない…なかったはずのただの新聞記者である。事の発端は約一ヶ月前、俺の働いていた本社に匿名で奇妙なタレコミが届いた。先進国の行政機関が大枚を叩いて秘密裏に進行している極秘プロジェクトがある。そしてそのプロジェクトが何れ実を結べば世界に厄災をもたらすだろうと。

 

詩的に書かれたそのタレコミに誰も興味を示さなかったが俺だけは違った。本社のエースとして数多くの功績を残してきた俺の第六感がタレコミを調査しろと告げていたのだ。上司の猛反対を押し切り一人で始めた取材、よっぽど臆病なのか紙面を通してでしか連絡を取り合おうとしない先方とのやり取りは予想以上に時間がかかった。そうして昨日、遂に日本の東京で対面取材をすることになったのである。

とあるプロジェクトの一員として関わっていたという男の話は到底信じ難いものだった。だが荒唐無稽と笑って退けるにはあまりにも現実味があった。数時間に及んで打ち明けられた組織についての情報に有頂天になっていた俺は東京支局で収集した情報を記事に纏めていた。

そんな時、一件の非通知電話がかかってきた。 

 

『もしもし?』

『初めましてダニエル・メイソン。例の組織について調べているとか。』

『…どなたですか?』

『ピョートル・ノリリスクといえば分かるか?』

『っ!?』

『時間がない、今から三十分後に米花水族館北出入り口に来てくれ。』

『待っ!』 

 

電話の主俺の返事を聞かずに通話を切った。

ピョートル・ノリリスク。昨日取材した組織の関係者が話していた重要人物。組織の支配から逃れ反旗を翻そうとしているのを上層部が危惧していると組織内で専ら噂になっているらしい、まだ成人したばかりの青年。もし出会うことができるならきっと良い情報源となる、そう溢した俺にリーク主は危険すぎると首が捥げてしまうほどに反対してきた。そんな人物から接触があるなど、一体誰か想像できただろうか。  

衝撃のあまり椅子から立ち上がって微動だにしない俺を周囲が不審そうに視線を寄越すのに我に返って、俺は携帯と手帳を持ち急いで指定された場所に向かった。

 

 

水族館の北口は前が大通りとなっている為か、特に来館客が多く混み合っていた。入り口付近に置かれているベンチ横に佇み時計を見る。先程の電話から丁度三十分。辺りを見渡してみるがこの人混みでは顔見知りでさえ合流するのに苦労するだろう。 

不意に、昨日男に告げられた警告が過ぎる。 

 

ーー確かにノリリスクは組織を裏切った。だが度重なる人体実験により奴の倫理は欠けている。組織にとって都合の良い人間兵器に改造された奴が組織を存続の危機に陥らせる為に、多くの民間人を巻き込んでテロを起こすのではないかと彼等は危惧しているのだよ。

 

突然不安が去来する。ノリリスクは何故こんな場所を?まさか人混みを狙って何かを企んでいる?...ここには子供から老人まで沢山の人達がいる、万が一が起これば俺はどう行動すれば良い?ネガティブな思考が胸中を駆け巡って足が竦む。と、服に小刻みの振動が伝わってきた。ポケットを弄る。 

 

「…携帯?」

 

それは明らかに自分の物でない携帯だった。着信は非通知、恐る恐る応答する。

 

「もしもし?」

『六時の方角を見ろ。』 

 

電話越しに伝わってきたのは、半刻前にかかってきた電話の主と同じ声調。相も変わらず抑揚のない音吐で指示を受けて指定された方角に視線を動かす。するとそこには、黒服を来た男達がこちらに向かって足早に歩いてきていた。

 

『十二時の方角、ジェラートショップの脇にも、四時の方角、着ぐるみと子供の集団の後ろにも貴方を付けている男達がいる。』 

 

立て続けに放たれる言葉に従い視線を巡らせれば、確かに複数の男達がこちらに近づいてきていた。それも俺を狙って。俺は呆然と立ち尽くす。

 

『まずはこの状況を潜り抜ける。生きたいなら俺の指示に従って。』 

 

穏やかの裡に緊張感を潜めてノリリスクは云った。端から拒否する選択肢などない俺が唾を飲み込めば、その意が伝わったのか彼は詳細な指示を下した。

そして電話の指示に従い男達を撒くため館内を走り続けることおよそ十分。ようやく館内の深海魚展示エリアに辿り着いたと思いきや、近くのトイレから出てきた黒服の男一人に遭遇してしまい再びノリリスクの言う通りに館内を走り回ることになったのである。なんという不運か。だが嘆く暇などあるはずもなく、息を切らしながらも必死にだだっ広い館内をかけ続けたのだったーー。 

 

 

そして今に至る。 

 

『着いたらそのまま物陰に身を潜めて動かないように。』

「あ、ああ。けどここじゃ駄目だ。見つかってしまう!」

 

もはや口調を気遣う余裕なんてなかった。物陰に隠れて周囲の様子を伺っていると、硬く慌ただしい足音が遠くから聞こえてくる。息を潜めようと必死に務めるが、半ばパニック状態に陥っていた俺には震える身体を抑え付けることしかできない。 

徐々に足音が近づいてくる。 

 

「ヒッ…!」

 

恐怖に体を震わせた拍子に手帳が懐から落ちてしまった。室内に反響した音に、足音は更に迫ってくる。半狂乱になった俺は声にならない悲鳴を上げて屈み込んだ。   

 

「ぐあああ!」

「ッガ….!」 

 

骨が折れるような鈍い音が聞こえておずおずと顔を上げる。追手の男達はそれぞれ四肢を押さえ地面に倒れ伏していた。何が起こったかも分からずに呆然と座り込んでいると、男達を伸ばした男…いや青年が近づいてくる。彼は血の滴るナイフをハンカチで拭うと、綺麗に笑った。

 

「お疲れ様。」

「っピョートル…ノリリスク。」

「ピョートルで良い。」 

 

ピョートル・ノリリスク。彼が醸し出す雰囲気は俺が空想を膨らませていたような冷酷な殺人兵器ではなく、ありふれた好青年だった。勿論、彼の手にするナイフが自身が一般人ではないことを示しているけれども。

 

「残念ながら貴方のフォローに回ったことで奴らに顔が露見した。…まあ初めてにしてはよく頑張ったほうだと思う。」

「…ぁ、」

 

ピョートルの言葉に硬直する。確かに俺は、冷静な判断を失っていた何度も指示を無視して勝手に動き回ってしまった。その結果、あの黒服の男達に見つかり幾度も逃走経路を変更しなければならなくなったのだ。 

 

「彼等は一体誰なんだ…。」 

 

ずっと気になっていた疑問をぶつけてみる。 

 

「CIA。」

「はっ!?」

「当然だろ、衛星を通して通話は盗聴されている。組織に関する重要な単語を対策もなしに電話越しに発言するなんて、命知らずにもほどがある。」 

 

国民の通話が盗聴...?いや、確かに数年前にスノーデンというCIA及びNSAの元局員が米政府があらゆる電子機器越しに監視していたとニュースになったのは耳にしたが。彼の口から軽々と放たれた台詞は思考を奪うには十分すぎた。だが絶句する俺を他所に、ピョートルは強引に腕を引いて立ち上がらせる。

 

「早く行こう。」

「え、行くって…一体何処へ。」

 

さっさと足を進め水族館を出ようとするピョートルに慌てて着いていく。 

 

「別の場所だ。増援が来るまでにそう時間はかからない、急いで退却しないと俺は捕まりアンタは始末される。」

「っ俺は行政の悪事を暴こうとしただけだっ!」

 

どんな記者だって美味いネタが吊り下げられれば飛びつくだろう、だというのに何故俺だけが命を脅かされる羽目に…!思いのままに叫ぶと、前を歩いていたピョートルはぴたりと足を止めて振り返った。 

 

「っ!!」 

 

喉が声にならない悲鳴が上がった。ゾッとするほど冷たく無機質な紅い眼差しだが俺を射抜いた。 

 

「本気でそう思っているなら随分と花畑だな。」 

 

リヤドロのように白く繊細な容貌が能面のような表情をより際立たせていて、俺は金縛りにあったように動けなくなった。密かに体が震えているのにも気付かずただ身を強張らせる。 

 

「これは単なる政治家のスキャンダルでも、不祥事なんかでもない。…取材時に忠告されなかったとか、ちょっと記事に載せようと思っただなんて言わせない。」

 

反論の余地も与えずに、重みのある言葉が胸にのしかかってくる。ピョートルは言葉を続けた。 

 

「こんな言葉を知ってるか...」

 

ーー深淵をのぞく時深淵もまたこちらをのぞいている

      

 

 

 

……ソン..、メ……ソン...

 

「...メイソン!」

 

肩に触れた軽い衝撃に意識が現実に戻ってくる。眉を顰めて俺の顔を覗き込んでいたピョートルは安堵したように無音の息を洩らした。 

 

「悪い、ちょっと言いすぎた。けど俺の言ったことは脅しなんかじゃない。……それで、どうすんだ?」

「え?」

「このまま国に帰るか、仕事を続けるか。最も、もう手を引ける段階じゃないけど。」

 

今の身分を捨てて新たな人生を生きるなら逃してあげられるかもしれない、腕を組み一人思考に浸り始めるピョートル。そうだ、俺は決して踏み込んではいけない領域に片足を突っ込んだ。後戻りできる道などもうありしない。それに何より...

俺の眼前で真剣に赤の他人の為に脳漿を捻っているピョートルを見る。独り言を呟いてはうんうんと唸る今の彼はその若さに見合っていた。そんな彼が関わりもない人間を守ろうと最善を尽くしてくれているのだ。命の恩人に報いずに一人逃げることなどできようか。

すると幾分か冷静さと普段の口調が取り戻された。

 

「逃げる?まさか、全てを記事にしてやりますよ。…協力してくれますか?」

 

そう云うとピョートルは少し目を見張った。 

我ながら随分と大きく出たものだ。この瞬間、世界を敵に回したと言っても過言じゃない。けれど不思議なことに彼が味方についてくれているというだけで強大な闇に立ち向かえるような勇気が底から湧き上がってくるのだ。俺は最強の矛と盾を手に入れたと。

俺の台詞にピョートルは力強く不敵に笑った。 

 

「任せろ、命に代えても守り抜いてやる。」

 

 

その後、同じ場所に留まるべきでないというピョートルの提案から俺達は早々に水族館を去ることにした。 

去り際に彼がCIAの刺客達を燃やしてしまったのには酷く動転した。聞くに俺が新聞を出版するまでは会社にも迷惑がかからないように死亡偽装をするのが最善だという。ピョートルの起こした小規模の火災騒動もあり、CIAの包囲網が完全に張られる前に裏道を通り抜けることができたのは幸運だった。 

 

 

 

所代わり米花駅のホーム内。

 

「ああ、頼んだ。」 

 

ベンチに座って電車を待っていると、通話を切ったピョートルがこちらに向かってくる。 

 

「俺の協力者に周辺の監視カメラから俺達を隠してもらうことにした。俺は今から行くところがあるけど、もうすぐ俺の協力者が迎えに来るからダニエルは彼と一緒に先に帰っといて。」

「行くところ?」

「夜には帰ってくる。」

 

俺の質問には答えずに指先で非常出口を指し示すピョートル。困惑しつつも俺は腰を上げる。

 

「あの、」

「ん?」 

 

一つ、素朴な疑問が口を衝いて出た。 

 

「水族館燃やすのと監視カメラ乗っ取るのって裏社会では日常茶飯事なんですか。」

「失礼だな滅多にしないさ。…多分。」

 

語尾に近づくになるに連れて言葉が曖昧になるピョートル。頭を掻いて罰が悪そうにする仕草はやはり年相応の青年らしく、そんな彼に自然と苦笑を滲ませた。 

 

「はは…ではまた後で。」

「……ああ。」  

 

そうして俺とピョートルは各々の進むべき方角へ一歩を踏み出した。

 

 

 

 

一方その頃、米花水族館前には消防車、救急車、警察を含む緊急車両が並んでいた。鎮火に専念する消防隊や裏道の方へと駆けていく救急隊員、それらを覗き込もうとする野次馬達を抑える警察で周辺は雑然としていた。消防隊が鎮火を終え現場の安全性を確かめてから数分後、スーツに身を包んだ捜査官達と公安警察が現場の調査に取り掛かり始めたのだった。  

 

 

「これは…」 

 

火事現場特有のヒトが焦げた匂いが鼻を刺し複数の捜査官達が嘔吐く。それに視線を寄越すことなく他の捜査官数名は燃え尽きた死体に近づき見分する。

 

「消防隊の調査によると現時点では出火元が全く判らないそうです。」

「妙だな。」

「そもそも何故こんな忙しい時に火災現場に出動要請が?」 

 

諸伏景光、松田陣平、降谷零が黒田に意見を仰ぐ。作業に取り掛かっていた捜査官達の視線を受けると、だがしかし黒田はその場から離れた。

 

 

現場から二角曲がった先の突き当たりの廊下で黒田は携帯を取り出す。電話をかければ、数コールのうちに反応があった。背後の物陰から様子を伺う気配に気付いておきながら敢えてスピーカーに設定した。

 

「黒田です。」

『...どうした。』

 

電話の相手は数時間前にこの水族館に出動要請を送った張本人、橋下警視総監である。

 

「現場に重要参考人は居ませんでした。」

『では何を悠長にしている?一刻も早く奴を捕まえろ。捜査指揮の権限は君にある。』

 

焦りの滲んだ音色で口早に命じる警視総監に黒田は眉間の皺をより一層深くさせた。 

 

「彼のことで何か私に伝えておくべきことがあるのでは?」

『何?』

「...上層部が手段を選ばずに捜索要請を下すほどの人物とは思えません。成人したばかりの青年を此程の脅威とする理由をお聞かせ下さい。私も無闇に部下を危険に晒したくはありませんので。」 

 

従容として断言した黒田に橋下は口を噤んだ。黒田が相手とはいえ、事態のあらましを彼が独断で打ち明けるのは憚られたのである。だが余程切羽詰まっていた為に橋下はやがて話しだした。  

 

『彼はとある組織が誇る諜報員だった。』

「……。」

『暗殺から政治工作に至るまで物心つく頃から最高峰の諜報員になるべく鍛え上げられた彼は...彼等はその超越した能力(、、)を以て多くの任務を果たしてきた。』

「能力?」 

 

警視総監の含みのある物言いに黒田が反応するも、橋下は深めることなく続きを紡ぐ。 

 

『組織の一部の人間が彼等を邪険に扱いすぎた。その結果、篠宮焔...ノリリスクは精神的苦痛に耐えきれず逃亡した。』

「ノリリスク?」

『ピョートル・ノリリスク。それが彼のコードネームだ。...兎も角、それが真実だ。』

 

人為的につけられた他人の膿を明らめてしまったような心地がして、黒田は言葉を失った。其れ程までに橋下が語った背景は簡潔ながらも人間の陰惨たるやを見抜くには十二分であった。一方の橋下は黒田が絶句しているのを理会していながらも、平然と話を続行した。 

 

『奴はいつ爆発するやもしれない時限爆弾のようなものだ。だからこそ、暴走したノリリスクが何かをしでかす前に捕まえて組織に戻さなければならない。』

「組織に戻して諜報員として復帰させると…上は彼についてを周知していたのですね。」

『...彼は上位の諜報員だ、始末するには惜しい逸材なんだよ。これで分かっただろう。彼を野放しにしておくと何れ一般市民にも危害が及ぶ。一刻も早く彼を確保しろ、いいな。』 

 

多少の犠牲は差し支えない。そんな含意を黒田は読み取ったが、反論するよりも先に橋下は有無を言わせぬ口調で再度『至急だ。』と警告して通話を切った。ツーツーと携帯が規則的な音を鳴らしている。彼はそれを懐に戻すと、翻ることなく口を開いた。 

 

「篠宮焔の捕獲を最優先にする。現場の監視カメラに映っていた彼ともう一人の男の身元を洗い捜査を進める。」 

 

姿が見えなくとも物陰に隠れて盗み聞きしていたであろう複数人に向かってそう言い放った。

 

 

 

*   

 

 

 

半刻後、俺達合同捜査組はニューヨークタイムズ日本支社へ訪れていた。  

 

監視カメラに映った僅かな情報を頼りに辿ったのは大手の米国新聞社の有名記者、ダニエル・メイソン。主な担当記事は保安専門。同僚の話では数日前に取材の為に来日し、日本支社の一室を借りて何やら真剣に記事に書き起こしていたそうだがその内容は誰にも教えなかったという。

今日の昼頃、誰かとの電話で血相を変えると椅子を蹴飛ばす勢いで何処かへ向かったという。急ぎ令状を取り彼が借りていた一室を調査してみると、机の裏側にUSBメモリが貼り付けられていた。早速中身を検分してみれば、それはメイソンがこの数ヶ月間集めてきた情報が纏められたものだと判った。その内容は突拍子もないものであった。

 

『ピョートル・ノリリスクとは?世界組織の闇に迫る!』 

SF雑誌にありそうな胡散臭い題材に反して内容は濃厚で現実に即していて、最後まで目を通した俺達は衝撃のあまり言葉を失っていた。 

 

「超能力者…そんなものが本当に存在するのか?先進国各国が協定を結んだ諜報軍隊組織のNo.2が焔?」 

 

怒涛の情報は心が処理できずにいつになく弱々しい声が漏れるのを自分でも自覚していた。超能力というものが実在しているだけでも仰天ものだというのに、メイソンの資料は俺が潜入していた黒の組織よりも濃厚な闇を赤裸々に描写していた。かくの如き悪辣合法組織に俺の命の恩人である焔君が所属していたという事実は、正直脳味噌がストレスで溶けてしまいそうなくらいだった。

混乱の渦に呑み込まれる俺達だったが、珍しくも口数少なく思案に浸っていた萩原がぽつりと追撃を放った。 

 

「俺と松田、若しかすると焔に助けられたかもしれない。」

「は?」 

 

予想外の発言に全員が萩原を見遣った。萩原はやけに確信めいた表情をしている。 

 

「二年前、俺と松田が任務に当たった爆弾事件覚えてる?」

「ああ。現場に向かったが爆弾はなく、代わりに付近の河原で何故か玄武岩となった破片が見つかった。…お前が引っかかると言っていた事件だな。」 

 

松田が反応を示した。

 

「そうそれ。俺はずっとあの事件の裏で何か、別の力が働いてたんじゃないかって...漠然すぎるけど確固たる考えを抱いていた。そして矢っ張りそれは気のせいじゃなかった。」

「確かにあの事件は腑に落ちないことが多かった。だがそれと焔がどう繋がるってんだ。」

「俺達と焔が銀行強盗に巻き込まれた日のこと覚えてる?」

「それなら俺も覚えてるぞ。」 

 

事情を知らない俺達を差し置いて二人の会話に伊達が加わる。伊達が何かに勘付いたとばかりに片眉を上げて。 

 

「…待てよ、あの時も強盗犯達が予め用意していた逃走経路が溶岩で塞がっていたと報告があった。」 

 

そこまで聞けば萩原の考えは容易に推し測れた。

 

「つまりお前は篠宮焔が溶岩…熱に関連した超能力を使う能力者で、何らかの理由でお前と松田の命を救ったと言いたいんだな。」 

 

ゼロが纏めると萩原は点頭した。俺としては降谷の口から超能力という言葉が聞けたことに腰を抜かしかけた。明日は槍が降るかもしれない、だなんて感嘆していれば脳内を見透かしたのか降谷が威圧的な視線を注いできた。素知らぬふりをして松田達の会話に加わる。

 

「だがそれだけじゃ説得力が足りないんじゃないか?」 

 

粗をついてみると萩原は大きく手振りで否定する。 

 

「赤い悪魔を見たという目撃証言があった。焔が本当に超能力を使えるなら何かしらの形で目撃者が勘違いをして、支離滅裂な証言になってしまったという説明がつくだろ?」 

 

確かに焔君が超能力とやらを使用して何も知らない一般人が初見で見れば混乱に陥るだろう。パニックになって支離滅裂な発言をするのも無理もない。ならば萩原の言い分にも納得がいくが所詮は仮説に過ぎない。そう思った俺の胸中を理解したのか、萩原は管理官に向き直った。 

 

「だから焔は俺達の命の恩人に違いない。それに諸伏ちゃ…諸伏も。俺は本人の口から直接聞きたい。諜報員とか超能力者とか未だに呑み込めてない部分もあるけど、それでも俺は焔を信じる。……黒田管理官、お願いします。俺達も最後まで合同捜査に参加させてください。」 

 

真剣な眼差しで懇請する萩原に、彼のこんな姿を目の当たりにしたことのない俺たちは息を呑んで見守ることしかできなかった。須臾の間、眉間に皺を刻ませて萩原を険しい眼光で見返していた黒田管理官だったが、やがて一つ頷いた。 

 

「篠宮焔、もといピョートル・ノリリスクに纏わる真相が定かでない以上、当面彼が重要参考人であることに変わりはない。」

「っ...」

「...捜索を続ける。今回は特例として警視庁より松田陣平、萩原研二、伊達航以上三名の捜査への参を許可する。」

「ありがとうございます!」 

 

満面になって頭を下げる萩原に管理官は幾分か険相な雰囲気を潜めると表情を和らげた。そうだ、萩原のこういう実直な視線に誰もが屈してしまうのだと、一人欣喜雀躍する萩原の傍らで俺たちはかつての青春に想いを馳せていた。

 

 

ーー仕切り直して、俺達は焔君が水族館を去った後の行き先を考察に取り掛かった。水族館の監視カメラの最後の映像には焔君しか映っていなかった。火災現場にあった身元不明の遺体の数と映像に映っていた間近の入退室の人数から鑑みて、おそらくメイソンの遺体もあの現場で見つかるだろうと俺達は踏んでいる。即ち、メイソンはその他の謎の遺体と共に焔君が殺害したと考えていい。その意図を推し図れるはずもないが、彼が警視総監の懸念通り暴走しているわけではないのを祈るしかない。 

 

『…成程、興味深いな。』

「何が興味深いんだ。」 

 

用事があると云って勝手に水族館の現場を離れた赤井がパソコン越しに嘆声を漏らした。その随分な奔放ぶりにゼロが勿体ぶらずに話せと催促すれば彼は得意げな笑みを益々深める。それがゼロを余計に苛立たせると知っておきながら。この絶妙に仲が良いのか悪いのか分からない駆け引きが、黒の組織でもバーボンライコンビだなんて一部の組員に揶揄されていた事実を彼等は知らないのだろう。無論俺も、「お前ら案外良いコンビニなれるんじゃ」なんて台詞は胸中で思っても口が裂けても云ったことはない。 

 

『水族館での警視総監の言葉を覚えているか?』

「ああ…」 

 

橋下警視総監の指示は実に腹に一物を抱えている人間の口ぶりだった。とはいえ、盗み聞きしたと管理官の前で公然と明かすのは好ましいことじゃないのだが。管理官の半ば呆れた視線を受けつつも俺達は推理を続ける。

 

『橋下警視総監は『彼が何かをしでかす前に』と言った。それは即ち、これ迄に世界中で繰り返された特異なテロの惨事はノリリスクが起こしたわけではないということを暗示している。そして仮に彼の能力が発炎系のものであるとするならば、あの港の惨状は彼の仕業に間違いない。…今まで何の行動も起こさなかった彼が突然港を爆破する理由はなんだ?』 

 

画面の向こうでシャーロックホームズのように手を組み悠長に椅子に座り考え込む赤井。半ば自分自身に対する問いに降谷が呟いた。 

 

「…組織に追われていた…まさか。」

『ああ、俺も君と同じ考えに行き着いた。…彼は同業者に追跡されていた可能性が高い。』 

 

同業者、意味深に強調されたその単語の意味するところは、 

 

「つまり...」

「同じ超能力者に追われていたってこと?」

 

同じ答えを萩原が重なるように言葉にした。それならば合点がいく。今日本には二人以上の超能力者が存在していて、たった一度の対戦であれだけの惨状を生み出したということになる。すると別の意味で焔君、ひいては世界を滅ぼしうる行政機関の脅威に悪寒が走った。 

 

『つまり何が言いたいのかというとだね、案外萩原君の希望通り彼は組織から逃亡したいだけなのかもしれない。』

 

そう云う赤井の声音はかつてなく慎重さを帯びている。国民の安全を第一に按じれば超能力者という人種に対する危険度が跳ね上がるのは無理もないことだ。焔君を信じていないわけじゃないが、一度闇に触れてしまえば万が一を憂慮せずにはいられない。そんな不安を払拭するように俺は言葉を発した。 

 

「取り敢えずは焔君を探すことに尽力しよう。…メイソンの残した情報に気になる部分があった。」

 

気になる部分というのは、彼に情報をリークした組織の人間のことだ。降谷と赤井の...そして俺の元潜入先である黒の組織と比較しても焔君が籍をおいていた組織はその全貌がみえないほどに規模が莫大すぎる。であればこそ、組織の存続を脅かす裏切り者として情報源となった人間は遠からず始末されるだろう。メイソンが死亡して焔君の目的地が依然として判明しない以上、情報主を探すのが先決となるべきだ。その旨を伝えると皆も同意を示した。

 

それから捜査に取り掛かること更に三十分が過ぎた。漸く得られた監視カメラの映像から、最後に男が街のカメラに映ったのは米花町のオフィス街へと続く大通りであると分かると、目的地が明らかになった俺達は男を保護するべく早急にその場を後にした。

 

 

 

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