メイソンと別れてから暫くして、俺は東都タワー周辺にいた。メイソンに貰った連絡先から電話をかけて逆探知をしてみたところ組織の関係者Xーーイシードル命名ーーはまだ米花町内にいることが分かった。現状、命の危険に晒されているのはメイソンよりもXの方である。
俺の記憶に関しても訊きたいことが幾つかあるので好都合だと、組織の手から逃す為に探している最中だった。本人が望もうが望むまいが強制的に保護する算段だ。港の一件から公安にも目をつけられているので迅速に事を収めた方が良い。
「イシードルに送ってもらった位置情報だとこの辺りのはずなんだけどな。」
東都タワーの頂上に登り広がる街並みを見渡す。Xの居場所を示す目印は東都タワーの隣に建つホテルの入り口あたり。だが頂上から俯瞰する限り付近に目的の人物は見当たらない。ぐるりと視線を巡らせてみると、ふいと奇妙な光景が視界に飛び込んできた。
ホテルから数百メートル離れた位置で不審な挙動の集団がいる。一般人は気付かないだろうが、そういった世界に従事してきた俺には判った。あれは間違いなく訓練された人間の動きで...
「同時進行で工作員を派遣してたのかっ!」
メイソンと共にXを始末しに現れた組織の連中が密かに連絡を取り合いながら何処かへと向かっているのをよく観察してみる。
彼等の行き先を辿った先にXがいた。しかし彼は連中のバンの接近を露知らず呑気に道路を歩いている。俺は屋上から飛び降りると、人目も憚らず彼等の元に一直線に駆け出した。
「待てっ!」
だが一歩及ばずXは連中の巧みな連携で狙撃されてバンに引き摺られてしまった。
「クソッ!」
舌打ちを溢すと加速をつけてバンの上に飛び乗る。片手に熱を込めて窓ガラスを溶かして運転手を気絶させ、自身は屋根にしがみつく。すると操縦士を失ったバンは甲高い音を立てて道路沿いの建物に衝突して停止した。衝撃でリヤドアが開いて複数人が外に転がり出てくる。打ちどころが悪かったのか彼等は揃いも揃って身体の節々を抑えて蹲っていた。それを無視して投げ出されてから微動だにしないXを診てみる。
至近距離からの心臓に一発、じわりと白いシャツに濃厚な赤色が滲んでいるのを見れば一歩間に合わなかったことを悟った。
「ピョートル……ノリリスクッ!」
直後、地を這うような声調と悪寒が背筋を走る。咄嗟に避ければ銃弾が左耳を掠めた。発砲主は未だ痛みに悶絶している男だった。俺は懐から銃を抜き取り振り向きざまに引き金を引いた。男は絶叫することなく息絶えた。
そうしている間に、ホテル周辺にいた別の工作員達が迫ってきていた。
バンッ!パァン!此処を何処だと思っているのか、無法地帯の如く銃を乱射する奴らの攻撃を避けて迎撃する。けれども撃てども撃てども何処からか次々と湧いてくる刺客。弾丸の雨に遂に避ける余裕がなくなって腹を被弾てしまった。
「ちっ、」
咄嗟にバンの中に飛び込む。そして偶さか目に映り込んできた光景に俺は硬直した。そこには工作員が本部と連絡を取り合っていたのだろう、バンの奥に数台のパソコンが置かれていた。
『何があった?応答しろ!』
通信状態のまま、外に投げ出された工作員達に情報の更新を促すその人物を俺...ピョートルは知っていた。FSB情報長官ボリス・ゴーゴリ、それから俺が先程間接的に対面したCIA作戦本部長ロベルト・ダラス。有り得るはずのない二人が画面に映っているのを見た途端、いつかの記憶が走馬灯のように蘇ってきた。
「…思い出した。」
ピョートルが諜報員として起用される最初の試験。それは日本の政治家浅見清二の暗殺だった。彼は組織の陰謀工作を何らかの経緯で知ってしまい、組織にとって不利益をもたらす存在として暗殺対象に指定されたというのが当時のボリス言い分だった。俺はそれを信じて疑っていなかった。実際に彼が何の理由で俺に始末されたのか、詳細は明らかになっていない。だがこの二人が深く関わっていることは火を見るよりも明らかだった。
なら、
「俺がお前らの秘密を暴いてやるよ。」
『..............!』
身体に灯った熱を抑えることなく宣戦布告すれば、二人はこれでもかと瞠目して、言葉を発することなく通信を切った。
初任務の夜、あの部屋にピョートルが侵入した時、浅見清二は忙しなく机の整理を行なっていた。昨日訪れた時も家具の配置は変わっていなかった。ならば彼処に彼の遺した意思があるかもしれない。勘に過ぎないが、確認せずにはいられなかった。いてもたってもいられなくなって、通信を繋げた。
「イシードル、少し遅れる。」
『は?ちょ、待…』
一方的に告げると早々に通信を切って、今頃バンを包囲しているであろう工作員達を一斉に粛清すべく外へと飛び出したーー。
短機関銃なんて物騒な物を構えて俺を待ち侘びていた工作員達はものの数分のうちに一掃された。
横髪から滴り落ちる赤い水滴を乱雑に拭う。血生臭さと痛いほどの静寂が一帯を包んでいた。
周辺で集っているのは銃声にも物怖じしない撮影好きの変わり者のみだった。フードを深く被っているので彼等のカメラに俺の顔が映じることはないだろう。
寧ろ言い逃れができないのはバンでの誘拐、銃乱射を行なった
遠くからパトカーの音が聞こえてくる。警察が駆けつけて厄介なことになる前に退散しようと踵を返そうとした時だった。
「焔!」
「ッ」
背後から耳馴染みのある声が俺を呼んだ。まさかと思い顔を見返らせれば、そこには矢張り数日前に顔を合わせたばかりの研二さん達がいた。
「どうしてここが…」
思わずいつものように手を振りそうになって思いとどまる。瞳孔を開いて驚愕に満ちた面持ちでこちらを正視する研二さん達。俺の動作を注意深く伺っている景光さん達。それから何故か赤井秀一まで。宿敵を相手にする猫のような彼等の雰囲気に異変を感じた俺は周囲に視線を走らせる。...一帯を囲むように覆面と制服警官が動員されていた。おそらく公安にも組織の手が回ったのだろう。
元々一連のテロ事件の重要参考人である俺が誘拐されたと思いきや、人通りの多い交差点のど真ん中で拳銃を片手に死体に囲まれている時点でアウトだ。黒寄りのどっぷり黒でしかない。ここで捕まれば言い逃れは許されず、刑務所への搬送中に組織に連れ戻される未来が待ち受けているだろう。メイソンの新聞記事の掲載で世界に組織の存在を暴露することも不可能になる。
つまり、この場で俺に残された選択肢は一つ。
パァンッ!
彼等の間を通り抜けるように銃を一発撃った。掠めるつもりすらなかったとはいえ、罪悪感で胸がいっぱいになった。一方、陣平さん達は自身らに銃口が向けられたことに驚愕して呆気に取られている。その一瞬の隙を突いて、俺は近くに停車してあった誰かのバイクに跨ると最速で発進させた。
ーー道路のど真ん中を突っ走り続けて彼此数分、背後まで迫ってきた警察車両から赤井秀一が腕を出しタイヤ目掛けて発砲した。曲線を描いて放たれた弾丸は、しかし俺の車体を貫くことなく、俺が後方に纏わせた熱風で一瞬にして溶けた。今のが当たれば忽ちバランスを崩して川に落下していたことだろう。シルバーブレッドの名前は伊達じゃないってか。
手強すぎる追手により一層スピードを加速させる。
空気を伝播して轟音が轟く。
大通りを曲がって車が通れない細い小道に滑り込む。背後で車が方向転換したのをタイヤの引き攣る音で感じ取った。物語の登場人物以前に、単独の潜入捜査を許されるほどの手腕の捜査官たちだ。恐るべき速さで頭脳を駆使して最善ルートを導き出して俺の目前に現れるだろう。ならばこちらは裏を掻くのみ。
向い風でうねる髪からチラチラと火花が散る。見聞色擬きを展開させると、既に二ブロック先に進んでいる公安チームが視えた。その地点から俺が出現する場合の先方の動きを予測して、近くの建物の極限の隙間を利用して中に入り込む。
後ろから迫ってきていた白バイは方向転換に付いて来れず壁にぶつかり転がった。
「あとは........。」
ハンドルを握り込みバイクを更に加速させて、窓を突き破った。一直線に建物を乗り越えていく。最後の窓を突き破ると、少し開けた路地に降り立った。
パトカーがウィンウィンとサイレンを鳴らすのが遠くに聞こえる。例の六人を確認すると、いつの間にか降谷零がバイクに乗り換えて赤井秀一の運転する車輌と併走していた。
「まじかよ」
あくまで見聞色なので表情は分からないが迫真の覇気を背負ってるのは見ずとも察せられる。思わず苦笑いを溢して再び裏路地に入ると、導き出した最短ルートを進んで目的地へと走らせたのだった。
*
突然の発砲に俺達が愕然としている間に焔はバイクに跨り逃走してしまった。
「焔っ」
隣で呆然と立ち尽くす萩原が悲痛にアイツの名前を漏らした。かくいう俺も、殺意はなくとも発砲されたという事実が金縛りのように脚を地面へと縫い付けていた。発砲した直後の焔の痛ましげな表情が脳裏に焼き付いて離れない。そんな顔をするくらいならいっそ、助けを求めれば善いというのに...。
大通りから裏路地に入った焔を追跡していると、無線から白バイ数台が焔を見失ったと報告が届いた。
「流石焔だね。」
「感心してどうする、俺たちは追いかけてる側だぞ。」
感嘆を漏らす萩原に半ば呆れると、萩原は心得ているとばかりに横顔を晒す。
「ほら、焔って前から運動神経良かったじゃん?いくら白バイとはいえ警察出し抜くなんて流石だなって思って。」
何故か俺の代わりに諸伏が深く頷いた。まだ出会って数日だというのに、コイツは焔に多大な信頼を寄せている気がするのは気の所為だろうか。
とにもかくにも、今は焔を追うのが最優先だ。攻撃の意志がなかったとはいえ、この兄貴分たる俺たちに発砲した事実は重い。全てが落着したら拳骨一発じゃ済まさないつもりだ。特に今この場に居ない伊達は本気の鬼の形相をしていたので正座説教記録更新もまんざら夢じゃないだろう。不本意にも、警察学校時代に俺と降谷が喧嘩して教官の部屋を壊して連帯責任で叱られた時が一番怖かった。教官じゃなくてその後の伊達の説教がな。半日なんて生易しい....今となっては苦すぎる思い出だ。
FBIの男が運転する猛スピードで疾駆する車の中から外の様子を確認する。バイクに乗り移って併走していた降谷が急停止した。それに伴い車も急停止したことで思わずバランスを崩しそうになる。
「うおっ、てめえさっきから運転が手荒すぎんだよっ!」
「どうした降谷君、先回り地点はまだ先だぞ。」
「無視かよおい、良い度胸だなァ。」
「ま、まあ落ち着けよ松田。」
食ってかかろうとする俺と宥めようとする諸伏を無視して降谷と赤井は話を続ける。
「さっきから窓ガラスが割れる音が何度も聞こえる。それとバイクのエンジン音も。」
「.....俺達に気づいたってことか、やるな。」
「感心してる場合じゃないだろ、ったく...」
そんな会話を繰り広げながら別のルートを探っていると、焔の行き先の手がかりを探すと現場に残った伊達から連絡が届いた。
「聞こえるか、SAKURAシティタワーへ向かえ。メイソンが調べていた組織と焔に関する汚職事件で何度も殴り書きされている。焔はそこに行く可能性が高い。」
「了解だ。」
「さんきゅー班長。」
「おう、俺もここを片付けたらすぐに向かう。」
無線が切れるとFBIの男が降谷に目配せする。それに反応してバイクを発進させた降谷を追うように、俺達もSAKURAシティタワーへと車を走らせた。
*
警察の追跡を躱しきって裏道を走り続けること暫く、目的地に到着した俺はバイクを脇に停め正面入口から建物に踏み入れた。
政界や芸能界など、様々な業界から名だたる著名人が住むSAKURAシティタワー。前回は裏口から入った為に見ていなかったが、こうして改めて建物を観察すると至る所に一流のおもてなしを感じる。
中に入った途端に広がる広々としたエントランス。一面に敷かれた大理石をほの暗いシャンデリアが照らすことで場の雰囲気に優雅さを増している。中央のホールにはマンションの名に相応しい巨大な人工桜がホールの中央で存在感を放っている。このマンションに訪れるのは住民だけではない。世界最高峰の高級マンション、その豪華な内装を一度でも目にしたいと観光客までもが訪れロビーにあるカフェは常に多くの人々で賑わっているのだ。
夏も終わりに向かっているからか、平時より人の多いロビーを通り抜けエレベーターに乗り込むと目的の階へと進んでいく。機械特有の振動がなく、羽のようにふわりと上昇して目的の階に到着した。アナウンスと共に開かれた扉、俺はエレベーターを降りて廊下を突き進む。すぐに昨日足を運んだばかりの部屋へと辿り着いた。
何年も使われていないからか、キィッと少し古ぼけた音を立てて扉が開く。
昨日来た時と全く内装が変わっていなかった。まだ奴らに勘付かれてはいないようだ。
「さて、と。」
浅見清二が触っていた書斎を念入りに調べて始める。この部屋は彼がマンション側と仮契約していた仮住まいだ。照明からソファーに至るまで家具の一つ一つに拘りが宿っている。一先ず寝室を見聞してから、リビングの中央に置かれているオーク製の重厚感ある仕事机を漁る。
「…ここか。」
二段目の引き出しの二重底、その奥行きにある微かに触れて感じることのできる出っ張りを指先で軽く押してみる。すると左側の、机の素材の模様に見えていた一部分が引き出しとして出てきた。そこに入っていたのは小さなUSBメモリ。丁度当時と同じパソコンが卓上に置かれていて、電源も問題なく稼働してくれた。
少し埃がかった穴に息を吹きかけメモリを挿入するとすぐにデータが映し出された。複数に分けられたファイル一つ一つに目を通していく。最後のファイルを開こうとしたところでエラーが起こった。
「パスコードか。」
三段階と念入りにパスコードロックされたファイル。ここに浅見清二が他人に断固として見せたくなかった秘密が眠っているのは明らかだ。中々に凝った暗号化が成されているがこの程度のセキュリティ、突破するのは容易いことである。キーボードを忙しなく動かしてロックを外すと、データを開く。
「これは….
そこには今までのファイルと異なり数字の羅列がずらりとデータ化されていた。サウジアラビアで掘られた石油源の取引に関する極秘文書が。
当時のダラスとゴーゴリは利害の一致で金儲けの為に共にFSB、CIAの貿易資金を横領した。そこに正式に資源の正式な外交取引を行っていた浅見清二が勘づき、二人の出世の脅威となった為殺したのだ。その手引きをしたのは橋下忠次...現警視総監というわけだった。
「つまり俺は利用されたのか。」
そう溢したのは俺か、ピョートルか。言い知れぬ憤怒が胸中を蝕んでいく。ぐつぐつと煮えたぎる行き場のない怒りが革製下敷きを溶かそうとして...そんな俺の憤りを断ち切ったのは偶さか目に飛び込んできた、パソコンに貼られた一枚の少女の写真だった。
浅見清二の子女、浅見佳奈。今でも鮮明に思い出せる、母親の亡骸を前にして何も理解していない幼い少女は俺に手を伸ばしてきた。
瞼の裏に蘇った瞬間、不思議な感覚が込み上げてきた。それは今までに体験した走馬灯とは違う、所謂感情の再現というものだった。
「思い出した。俺が日本に来たかった理由。」
あの晩、あまりにも一方的で残酷な情けでこの世界にたった一人残された彼女が今どこで何をしているか。どうしても感情の記憶から消し去ることのできなかった一人の少女のためにピョートルは仕事の合間に日本に訪れる決意をしたのだ。
ならば俺が成すべきことは決まっていた。
コピーを取ってパソコンの電源を切り、USBメモリを抜いて部屋を出る。パーカーを再び深く被り歩き出すと、先程から見聞色が拾っていた複数の感じなれた気配を目指してロビーに再び向かう。
既に追ってきた警察が階を占領している中に、降谷零と赤井秀一、それに陣平さんたちの姿を確認する。カーチェイスの時は姿のなかった伊達さんもいる。
「容疑者は銃を所持している。監視カメラの確認が終了次第突入班を送ってくれ。」
『了解。』
「こちらA班、ま…ガッ!」
廊下でトランシーバーを介して連絡を取り合っていた警察官をトイレに引きずり込む。「ちょっと借りる。」と制服を拝借して再びロビーに戻ると、建物の設計図を机に広げて議論している六人…ではなくその近くで場を監督している黒田管理官に接近する。
「これはほんの詫びです。」
通り過ぎる瞬間を見計らって管理官の内ポケットにUSBメモリーを忍びこませて、彼の耳にだけ届くように呟いた。聞き覚えのある声に咄嗟に振り返る管理官。けれども彼の両眼に俺の姿が映り込むことはなく、管理官が内ポケットに手を触れたのを尻目に見届けて俺はホテルを立ち去った。