俺が消えた日   作:れいめい よる

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どこまでも続く蒼い穹

 

 

八月も終盤に差し掛かった頃、ちっとも変わることのない炎天下に蝉の鳴き声も弱まっていた。そんな酷暑の中でも、厳しい暑さをものともせず働き蟻の如く駆け回る男達の姿が警察庁内にあった。 

 

一週間前の出来事だった。一連のテロ事件に終止符を打ったのは黒田兵衛の内ポケットに入っていた一つのUSBメモリ。その内容は一度外に漏れれば警察庁、強いては世間を揺るがす大問題となることに違いなく、二十歳になりたての容疑者を追いかける余裕などもはやなかった。更には焔に関する捜査を急遽中断した翌々日、USBメモリに記録されていた全ての情報が赤裸々に世間に暴露されたのだ。国際信用を失いかねない失態に特にアメリカとドイツ、ロシアに日本の世論は大いに荒れていた。

 

だが警察庁を悩ませたのは何もそれだけではなかった。橋下忠次警視総監は一連の事件の総責任者であり、過去の暗殺の責任を追及され失脚。国外に逃亡し公安は指名手配犯として追っている。CIA作戦本部長官ロベルト・ダラスと、不可解なことに階級不明のFSB所属ボリス・ゴーゴリを含めた当時不正を行っていた計三十八名が逮捕された。...表向きは。

 

一番の問題は元諜報員が暴露した世界各国の諜報機関が水面化で進めていたという人間兵器プロジェクト。非現実的な話は更なる混乱を招くとして、超能力という箇所は秘匿のまま全貌が白日の元に晒された。各国政府としては闇に消し去りたいところであったが、既にハイエナの如くマスコミが群がっていたため世間は諜報機関という闇深さに戦慄することとなった。しかし警察庁とFBIに衝撃を与えたのは更なる別の事実であった。

そう、この異常事態を引き起こした世界的新聞社ニューヨクタイムズの発行記者は捜査により死んだと思われていたダニエル・メイソンだったのだ。本来ならば元諜報員であるピョートル・ノリリスクもとい篠宮焔との関係、事実の確認等を直ちに行うべきだが、イギリス側の厳重な保護の元生活を送るメイソンに近づくことは叶わず、ましてや他国の諜報機関の不正の犠牲となった人物が日本の政治家であったことから日本国内のマスメディアを含めた数々の混乱を収拾するのが最優先となっていた。 

 

そういうわけで、寝る間も惜しんで働き続け隙間時間を見つけては床に転がり深い眠りつく正義の社畜達の姿が警察庁では頻繁に見られる光景だった。近一週間、多くの捜査官達が三大欲求を犠牲にした甲斐もありマスディアを除いて粗方の問題は整理された。

今日、最上階の会議室では政府高官や警察関係者が一堂に会する秘匿会議が開かれていた。

 

 

ーー広い一室に一定間隔を開けて腰掛ける要人の面々、一連の捜査で協力体制を築いたとして部屋の前方の巨大なスクリーンにはFBI関係者の姿もあった。一連の捜査の最高責任者として指揮監督を行っていた黒田の報告を皮切りに、繰り広げられる舌戦。会議が一度お開きとなったのは日が暮れる頃だった。 

 

スクリーンの画面が暗転し会議室にいた一同が休息に席を立とうとした時、音もなく扉が開かれた。姿を現したのは、巡査制服に身を包んだ男。気配も音もなく入室したその男が単なる巡査だと思う者はおらず空間にただならぬ緊張が走る。

 

「何者だ。ここは関係者以外は立ち入り禁止だ。」 

 

護衛の一人が要人らを守るべく立ちはだかる。巡査の姿をした男はそれに応える事なく...

 

「ッ!?」

「このっ...」

「うわっ、ガ!?」

 

目にも止まらぬ早さで手腕を交差させると、黒服の護衛を全員伸してしまった。素人目に見ても判る熟練の格闘術に、一同は一層警戒を引き締める。その人物は一言も発することなく中央まで足を進めると、帽子を外した。 

 

「なっ!?」 

 

誰ともなく喫驚が上げられた。

黒髪に黒目ではあるが病的に白い肌に日本人らしからぬ整った顔立ち。その者はつい先程まで会議の主題であった人物だった。 

 

「数人を除いては初めまして。俺はピョートル・ノリリスク。」 

 

大小の騒めきに呑み込まれゆく室内を、彼は手にした帽子をライターとマッチもなく発炎させたことで沈静化させた。緩やかな笑みを浮かべて焔は全体を見渡す。たった一人、辛うじて沈着を保った一人が声をあげた。 

 

「…篠宮焔、いや、ピョートル・ノリリスク。何をしに来た。」 

「焔で構いませんよ。…そりゃあ当然、雑談(、、)以外に理由が?」 

 

一層口角を歪めた焔の返答に、どんな不平等条約を結ばされるか戦々恐々としていた要人を他所に黒田は報告にあった彼のプロファイルを思い出していた。

僅か十歳にしてプロジェクトに参加し組織が三千万ドルをかけて育て上げた人間兵器。しかし過酷な訓練と任務を繰り返すうちに徐々に蝕まれていったノリリスクの心はいつしか解離性障害という形で防衛手段をとるようになった。そこで生まれたのが篠宮焔という別人格。

写真とは違い金髪に染め上げ、瞳は体内を流れる血液と同じ色を隠すことなくこちらを見据えている。その表情は確かに心を失ったノリリスクとは異なり煮え立つマグマのような攻撃性を宿している。黒田とて超能力などというSFめいたものは信じられなかったが、資料による情報と今し方彼が消し炭にした帽子を目の当たりにすれば彼が炎系の超能力者であることは否定しようがなかった。  

 

「...話とは?」 

 

徐々に現実に引き戻された要人のうちの一人が続きを促す。男に視線を寄越した焔は一歩足を進めた。 

 

「日本では色々と世話になったからな。勿論、良い意味で。……俺は政府を信じないしこの先誰かの協力者になることもない。けど派手に暴れすぎたという自覚はある…だからこうしたい。」 

 

そこで一度言葉を区切り、焔は一人一人と目を交差させた。

 

「この先何かあれば三度…三度まで、暗殺でも護衛でも陰謀工作でも何でもござれの依頼を受けつける。費用はそっちに受け持って貰うが。あくまでツインタワービル、コンビナート、それからホテルの詫びだ。」 

 

意想外の台詞に再び場が騒然とする。焔の言葉に引っかかりを覚えた黒田は疑問を口にした。 

 

「ツインタワービル?」 

 

心当たりなら十分すぎるほどあった。

一年前のツインタワービル炎上事件。内部のみが何らかの兵器による攻撃を受けたかの惨状に公安はテロの可能性を含め捜査を進めた。だが犯人は愚か、目ぼしき目撃証言も監視カメラによる映像も得る事が出来ずに捜査は打ち切られた。アレがこの青年とその組織の仕業であるなら何も証拠が残らなかったのも合点がいく。思考を巡らせている黒田を読み取って焔が反応した。 

 

「言っとくけどあれに関しては自己防衛なので勘弁。責めるならCIAにして。」 

 

さらりと言ってのけた焔にやったのは君だろうと口から突いて出そうになるのを黒田はすんでのところで堪えた。 

 

「それで?」

「ん?」

「...しらばっくれるな。何を求めている。」 

 

別な男に追及されると一転して焔は表情を削ぎ落とした。

 

「俺とエリセイが求めるのはただ一つ、永住権だ。俺達は平穏を脅かされることなく、静かに暮らしたい。それだけだ。」  

 

淡々と告げる焔の双眸が真実を告げているのを見て取った黒田は視線を上司に寄越した。彼の視線に上層部を代表して一人が口を開く。 

 

「それは今この場で決断できることではない。」

「勿論。けどあまり待たせないでくれ、辛抱強くないんだ。」 

 

一つ頷くと焔は踵を返す。咄嗟に一人が呼び止めた。

 

「待て、連絡手段はどうするつもりだ。」

「さあな。」 

 

そうして手をヒラヒラと振ると焔は去ってしまった。 

 

 

再び静寂が訪れた室内で、誰もが言葉を発せないでいると何処からか携帯の着信音が鳴り響いた。発信源は黒田の懐。黒田はポケットを漁り携帯を取り出して...硬直した。 

 

「どうした、黒田。」

「……いえ。」 

 

歯切れ悪く手に取った携帯を上司に渡して、同様に彼が体を強張らせるのを横目に苦笑いを浮かべたのだった。それは黒田にとって見覚えのありすぎる彼の上司の携帯電話であった。液晶画面に貼られた一枚の付箋には電話番号と巫山戯たメモが記されていた。

 

 

『連絡はこの番号に。

 +81 ××-××××-××××

 追伸:スリにはご注意を。』

 

 

 

 

一週間前、黒田管理官に秘密裏に渡したUSBメモリのコピーを予めイシードルに送っていた俺はセーフハウスに戻ってからメイソンの取材を受けた。新聞の記事に必要な組織の全貌を暴露して、貴重な情報に嬉々とするメイソンに新しい身分を用意していたのだが。当の本人はダニエル・メイソンとして生きていきたいと頼んだので緊急連絡先を渡すだけに留めて空港まで見送った。裏でSISに保護するよう手回ししておいたので諸外国が彼に干渉するようなことはないだろう。特に組織の幹部連中は今頃責任の押し付け合いで忙殺されているに違いない。

 

ともあれ、警察庁の重鎮会議飛び入り参加も大成功だったしこれからは平穏に日々を過ごせそうだ。

建物の外に出ると彼等は俺を待っていてくれた。

 

「お待たせ。」

「遅いぞ焔...おい、その服は何だ。」

「ん?そりゃあ巡査の...げ」

 

会議室に潜入するにあたって巡回中の巡査の服を拝借したのを思い出して即刻上着を脱ぐが後の祭りだった。陣平さんが「お前まさか」と九割方確信した顔つきで俺の頭頂部に拳を押し付けると、俺は早々に音をあげた。

 

「後遺症残らないように気絶させたから...イタダ!そこはもう叩かないって約束だろ!」

「してねえなァ、誰との約束だ?お前が猫被りって知ってたら最初から手加減なんざしなかった。」

「いや、別に手加減なんかしてなかっただろ。」

「なんか言ったか?」

「はは、まあ陣平ちゃん。焔も十分反省してるみたいだしもういいんじゃない?」  

「これが反省してるように見えるのか。」

 

何度目かもはや憶えていない手刀が脳天めがけて何度も振り下ろされると、研二さんが助け舟になってくれた。どうやら俺の仕事口調が本来の口調であると知ったのが心底気に食わないらしく、陣平さんは恐ろしい犬歯を晒して猫被りをやめろと要求してきたのだ。というのも、今朝俺は迷惑をかけたお詫びにエリセイを伴って警察学校組の皆の元に行ったのだ。伊達さんの家にクラッカー両手に突撃訪問。当然、かんかんにお冠な陣平さんと家主たる伊達さんの説教は凄まじかった。特に伊達さん拳はディートリヒの渾身の一発並みに悶絶した。

 

そんなわけで今度はFBI捜査官の赤井を交えて一度全員で食事をしようということになり、今に至るわけだ。 

 

伊達さんと諸伏さんは先に行ってるらしく今この場にいるのは陣平さんと研二さん、それに変装した降谷さんと赤井さんだ。…さん付けなのは研二さんたちと同様執拗なさん付け要求に押し負けたから。

 

「陣平さん?」 

 

不意に頭への攻撃が止んで、不思議に思って見上げれば何やら改まった面持ちで陣平さんは俺を見下ろしている。口を一文字に引き結んで、こちらを凝視して...それから緩慢に唇を動かした。 

 

「焔、経緯はどうであれお前のおかげで俺と萩原、それから諸伏はここにいる。ありがとな。」

「それに関しては僕からも言わせてほしい。君が何故スコッチを助け、どこまで黒の組織についてを知っているのかは気になるところだけれど…大切な親友と同僚の命の恩人である君に心からの感謝を伝えたい。本当にありがとう。」 

 

陽だまりのような眼差しで見つめられると、己の暗澹を無理矢理に照らし出された気がして...。「別に礼なんていらない。」居心地が悪くなって視線を逸らした。 

 

「誰かに感謝されるほど、出来た人間じゃないんだ。...俺ってさ、イカれた科学者に脳改造されちゃってんの。」

「.............。」

「だから今の俺にとっては命の価値なんて紙も同然だ。」

 

そう、全てはカナン博士とCIA本部の地下で初対面を果たしてから。最初こそ微々たるものだったそれは、日を追うごとに違和感を増していった。...殺人欲だ。抑えることのできない攻撃性が徐々に深層から表面化しつつある。それを留めていられるのは、偏に組織との対決で繰り広げられる対人戦の中で発散する機会があったからだ。

 

「俺はピョートルの肉体を借りている偽物に過ぎない。ピョートルに望まれて篠宮焔はここにいる。だからこの世界の何よりも彼の人生を、心を守ってやりたい。」

 

だというのに、何れ完全なる平穏が訪れれば博士に改造された脳味噌が、他でもないピョートルが一番恐れていた化物へと己を変貌をさせようとしている。引き金を引く度に、そんな錯覚に陥るのだ。

すぐ近くで、交差点を手を繋いで渡る少年少女がいた。その先の歩道には日々の営為を享受するありとあらゆる人たちが。楽しそうに、今日という日を送っている。

 

「彼等の幸せを壊したい、いつかそんなことを思ってしまう日が訪れたらって想像してる自分がいる。」

 

それが何よりも恐ろしい。もしそんな悲劇が起これば、きっとピョートルは俺をこの世界に呼んだことを悔やむだろう。心底俺を恨むだろう。ならばいっそ...

 

「ピョートルを悲しませるくらいなら、俺なんて...」

 

ーー死んでしまった方が良い。

だがそんな懊悩が音として発せられることはなかった。突として、鬱屈な思考を遮るかのように頭に暖かな重みが乗せられた。

 

「松田と降谷に先越されちゃったけど…俺の命を救ってくれてありがとう。」

「なぁ、俺の話聞いてた?」

 

束の間の発露を聞いていたにも関わらず頓珍漢にも感謝を告げる研二さんに、俺は呆れ返る。マイペースなのは判っていたけれども人の話を聞かないにも程があるだろ。或いは、警察として看過出来ない発言を敢えて聞き逃したということか。何事もなかったかのように、是迄の関係を維持するには聞かなかったことにする方がお互いに都合が良いのかもしれない。判ってはいるけれども、何だか釈然としないでいると再び頭に温もりが乗った。

 

「止めてやるよ。」

「ぇ」

 

視線を上げて、目に映り込んできた陣平さんの表情に俺は瞠目した。心の裡の何もかもを見透かして、それでいて寄り添ってくれる父親のような何ともいえない善い顔をしていて...。

 

「お前が愈々自分自身をコントロールできなくなるってんなら、俺らが殴ってでも止めてやる。だから心配すんな。」

「...............。」

「そうそう、あの班長の拳骨も威力三倍になって焔のこと止めるだろうから、そこは覚悟しといてね。」

 

陣平さんに同意するように何度も頷く研二さんに、少し視線をずらせば数歩先で降谷さんたちも穏やかな眼差しで俺たちを見守っていた。

 

「...伊達さんの拳骨は勘弁だなぁ。本気のディートリヒ並みに痛かったから。」

 

ならきっと、この先も俺が外道の底に転落することはないだろう。

 

「………皆が生きてて良かった。」 

 

何だかとてつもない安心感が心を包み込んで柔らかく微笑めば、研二さん達も素敵な笑顔で返してくれた。紙面の向こうでしか存在しなかった彼等が、今はこんなにも近くにいることに胸がいっぱいだった。

俺たちを包み込んだ、情緒のある空気は赤井さんによって遮られることになる。 

 

「ともあれ、俺としては是非とも狙撃練習に付き合ってもらいところだ。今度の日曜日なんてどうだ?」

「うげっ、勘弁してくれよ。降谷さんともう一戦する方がましだわ。」

「ん?もう一戦?」

「あっ、」 

 

口が滑った。しかし一転して降谷さんの眼が逃がさないと暗に警告しているのがひしひしと伝わると、俺は観念していつかの空港での肉弾戦を白状した。 

 

「...つまりあの時の男はお前だったと」 

 

憤怒を纏いわなわなと握り拳を震わせる降谷さんに俺は即座に降参のポーズをする。 

 

「いやぁ、中々手強かった。」

「あのゴリラ…いや降谷を気絶させるとか、お前凄いな」

「余程殴られたいようだな松田。」

「望むところだァ、」 

 

途端に小学生の喧嘩みたいに謎のオーラを纏わせて走り去っていく二人。研二さんが呆きれ果てた様子で二人の背中を見送っていた。独り、赤井が感嘆を零す。 

 

「興味深いな。では、今度俺も手合わせを願おうか。」

「どいつもこいつも戦闘狂かよ。」

「あ、そうだ焔。折角なら隼人...イシードルだっけ。彼も呼んでよ。」

「隼人で良いよ。じゃあ呼んでくるから皆先行ってて。」  

 

そうしてイシードルを誘うべく、俺は研二さん達と別れた。

 

 

................。

 

三連休だからか街全体が活気付いている。見慣れた道を通ってセーフハウスに向かっていると、電気屋のショーウィンドウに置かれたテレビにふと足を止めた。 

普段から視聴しているニュース番組の特集、ニューヨークか何処かの街並みで起きているらしい大規模デモの映像と共にやけに見覚えのある男の写真が映っていて、アナウンサーが重々しげな面持ちで報道している。 

 

『ー委員会は’’トレッドストーン’’というCIA作戦とこの男、ジェイソン・ボーンに調査を切り込みー』

『ボーンはニューヨークとロンドンでの銃撃事件の関連で手配中です。』

『先週世に明るみとなったばかりの’’EkSプロジェクト’’、重要指名手配犯のピョートル・ノリリスクを含め世界各国で政府の信用が失墜。』

『収まることのない反政権デモ、これは波乱の時代の幕開けでしょうか?』  

 

「………お互い大変だな。」 

 

実際に会ったこともない、画面の向こうの同胞に懐かしさが込み上げた俺は小さく呟いた。

帽子を深く被り直して、力強く足を踏み出す。そんな俺を照らしてくれる大空は、どこまでも果てなく澄み切っていた。

 

 

 

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