俺が消えた日   作:れいめい よる

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#ピョートル・ノリリスク 前編 三十〜三十二


アフタヌーンティ

 

 

ギリシャ、アテネ。

 

国会議事堂前のシンタグマ広場には多くの人々が集まっていた。国の財政破綻回避の為の緊縮策採決を前に七万人のデモ隊が集結、それに対応せんと五千人の警官隊が配備された。両隊の緊張状態は破裂寸前の風船のように膨れ上がり、デモ隊集結の数時間後には狼煙が上がった。 

 

力強く投げつけられた火炎瓶が砕け散る音。催涙ガスに瞼を抑え悲鳴を上げるデモ隊。デモに乗じ窓ガラスを割り、店の品を盗んでいく市民。市内は混乱を極めていた。 

混沌極まる夜間、首都内を全速力で走り回るバイクが一台。 

 

 

空気をつん裂く鋭い排気音を響かせながら走り続ける、男女の二人組。ハンドルを握る男が卓越した技術でデモにより生じた障害物を避けながら、石造りの立ち並ぶ住宅街の狭い路地裏を抜けていく。彼等を追跡していた警察車両はとうに二人の姿を見失い、航空隊によるヘリコプターでの捜索が続けられていた。しかしそれよりも先に二人の姿を捉える男が一人。

彫りの深い目元に鷲鼻が特徴的のスナイパーの男は、インカムから伝えられる指示に従い屋上でライフルを準備し、二人の接近を待っていた。至る所で火炎瓶により立ち上る煙に視野がぼやけるが、男は猛禽類のような眼差しでライフルのスコープを覗く。 

 

『目標接近、五秒前…。』

 

耳で響くカウントダウン、黒煙から走り去ろうとするバイク。男は影に照準を合わせる。心の中でカウントを続けて。  

三…二…一。  

 

ドンッ!破裂するような音と共に銃声が響いた。銃口から飛び出た銃弾は回転しながら狙い通りに女の胸を貫く…はずだった。 

 

「..............、」 

 

行先を失った銃弾は女の腹を貫いた。走っていたバイクの前輪が何かにつまづき、車体は大きく斜めり激しい音と共に壁にぶつかり倒れた。男の方は転げ落ちた先の車の影に隠れ見えないが、女が這って動いているのをスコープ越しに確認した男は再び照準を合わせる。 

次こそはと、女の胸元に狙いを定め引き金を引いた。だが、銃弾が届けるのを見届けるよりも前に視界に熱く赤いナニカが映る。ソレを確かめる前にスコープが破裂し... 

 

「っ…ぐぁ…!」 

 

突如、男の右目に激痛が走った。

 

 

真夏が去り残暑も衰えかけた九月の半ば過ぎ、爽やかな秋風はさらりと肌を撫でて季節の交代を教えてくれる。徐々に紅に染まっていく公園の木々を眺めれば、大都会で怱々しく生きる人々の心にも束の間の平穏が訪れつつあった。 

 

「…だが平穏という完備な響きは俺の日常に存在する余地はないのである。」

「なぁに言ってんだ。」

「俺も普通のリーマンみたいに血生臭くなく程度の良い忙しなさ欲しかったってこと。」

「今更だろうが。」   

 

確かに。元政府直属の殺し屋兼諜報員という属性過多な黒経歴の時点で、俺のような非凡な人間に本当の意味での平穏など訪れるはずもないのだろう。そんなことを熟思っては嘆く近頃であった。 

 

EkSプロジェクトという超能力を持つ諜報員育成プログラムが世間に暴露されてから約一ヶ月と少し、漸く世界各地で勃発する反政府デモもほとぼりが覚めてきた頃だった。ジェイソン・ボーンのトレッドストーンの件もあり政府への信用は失墜する一方。政府がメディアに圧力をかけたことで報道は早期の段階で収まりをみせたが、それでも規制をくぐり抜けてスキャンダル雑誌やらが紙面で報道、更にはSNSで情報を公開拡散。いやはや、SNS時代とは恐ろしいものだ。とりわけ、CIAの荒れ模様は他の諜報機関から群を抜いて過酷だった。現に石〇ドルに奴らの動向を内偵してもらったが、事態の収拾にあたるのに忙しく、責任のなすりつけ合いで俺を追跡する余裕など微塵もないらしい。 

そしてつい先週、日本政府との取引は成立した。俺とイシードルの日本への永住権は無事獲得し、対価として有事の際は三回まで難易度を問わず二人で出動するという条件のもと、一般人焔君と隼人君と愉快な警察仲間達の普通の生活がスタートしていた。…はずだったのだ。

 

記念すべき三日目の穏やかな日常を迎えた今朝、イシードルと俺の住むマンション宛てに匿名で荷物が届いた。

政府との契約が済んでからはセーフハウスじゃない方のこの家の住所は公開してるので、荷物が届くこと自体は何ら不思議ではない。だが問題は匿名であることと、海外便だったことだ。見聞色擬きで視た感じ中身は爆弾ではなさそうだが。如何してこんなにも不穏な予兆を感じるのだろうかと、イシードルと二人でうんうんと唸っていたところである。 

 

「取りあえず開けるしかなくね?」

「うーん、まあ爆弾ではなさそうだし…いいか。」 

 

ピンクのドット柄の包装紙に紫のリボンで丁寧にラッピングされているほどきに手をかける。普通であれば単なるプレゼントだと喜ぶところだが、俺達に限ってそれはない。ファンシーな見た目だけにまるでポップな毒キノコを眼差すようにいつまでも開けようとしない俺に見かねてイシードルが呆れた視線を注いでくる。 

 

「…良かったらお前にこのリボンを解く名誉をやるよ。」

「いやいや、お前といれるだけで俺は幸せだからさ。」

「…恋人みたいなこと言うなよ。いいからやるって。」

「焔宛てに届いてんだからここはお前が開けるべき。」

「文字読めねェの?お前の名前も書いてんだろ。」

「お前の名前の方が先に書かれてる。」  

 

くだらない押し付け合いが続くこと数分、遂に痺れを切らした俺達は二人同時に破くようにして包みを開けた。

 

「……は?」 

 

困惑が重なった。まさか箱の中身がイギリス産菓子の詰め合わせだとは誰も想像できまい。先程までの押し問答は何処へやら、俺達は呆気に取られる。見た目は包装紙と同様ピンク色の花柄が大変可愛らしいデザインとなっている。

 

「どこからどう見てもお菓子だよな?俺間違ってる?」

「いいや、俺にも四角い缶詰のお菓子ボックスに見える。」

 

試しに小箱を振ってみる。すると、三つ目の缶詰に微かな音の違いを感じた。開けてみると、中にはまっさらな封筒が一枚。洒落た封蝋で閉じられたそれを開けてみると、手紙が一通とusbメモリが一つ入っていた。ウイルス混入を危惧してusbメモリをイシードルに頼んで、俺は手紙を披見してみる。

 

 

『ピョートルへ 

 

お久しぶりです、ベイカーです。その後お変わりありませんか。

以前は私と妻子を助けてくださり、本当にありがとうございました。貴方には大きな恩ができてしまいましたね。そこで、お礼とまではいきませんが細やかな贈り物を受け取ってください。レベル5.6の情報は僕の技術をもってしても限界がありますが、貴方が以前気にかけていたことについて調べておきました。

 

これから先、何か困り事があればいつでも僕を頼ってください。  

 

追伸:

君とイシードル、どちらが先に包みを開けたかまた教えてください。』

 

 

思わず手紙を握り潰したくなる気持ちを抑えてそっと息を吐き出した。追伸曰く、この露骨に怪しい包装はニュートンの揶揄いだったのである。  

イシードルによると、己の不手際で俺が組織に捕縛されたことを深く悔いていたらしい。そもそも、俺が組織から逃げるためにイシードルとの繋ぎを頼んだのが事の発端だなので気に病む必要なんてないというのに。寧ろ俺個人の事情に巻き込んでしまったこちらが詫びなければならなかったのだが。どこまでも律儀な男だと自然と頬が綻んだ。

 

「焔、解析済んだぞー。」

「これ、ニュートンからだった。」

「え、そうなのか?」 

 

手紙とパソコンを交代する。

EkSプロジェクトの箇所をクリックすると数十の項目が表れた。諜報員の名簿、暗殺対象、EkSプロジェクトの目的等、どれも最高機密の内容ばかり。意図的か、赤文字で強調されている項目を押していくと訓練兵時代の俺の顔写真と名前が記されたページへ辿りついた。その先を読み進めていくと…俺の父親らしき人物の名前や、驚くべき真実が記述されていた。 

 

『ラヴレンチ・アルジェブナ・スミルノフ:EkSプロジェクト発案者 

報告:ギリシャ アテネ、××研究所の視察中爆発事故により死亡 

検死鑑定結果:銃殺。死亡推定××××年頃  

 

ピョートル・ノリリスク:EkSプロジェクト候補者 

父スミルノフによる推薦 

行動パターン:愛国主義者ではあるが、志望動機に決め手がない。参加に興味はある為、あと一つ決定的な後押しで潜在能力を発揮するだろう。 

 

××××年××月××日マルコム・スミス』

 

資料を読んだことで徐々に蘇ってくるピョートルの記憶。  

彼の父親はFSBの諜報部副長官だった。家庭よりも仕事を愛す如何にもな堅物男。EkSプロジェクトに勧誘したのも父親本人だった。ピョートルに彼との最後の記憶はない。ある日突然、彼の知らぬまに爆発事故に巻き込まれて死亡したと報せがあった。しかし当時のピョートルは病で床に伏せる母親を放置して仕事で世界を飛び回るような男に興味はなく、加えて訓練兵として過酷な日々を送っていたので墓参りに赴く余裕すらなかった。幼い頃は家族三人で和気藹々と理想的な家庭を築いていたようだが、いつの間にかそんな記憶もピョートルの記憶の隅に追いやられていたらしい。 

 

「このファイル、妙だな。」

「ああ。」 

 

いつの間にか手紙を読み終えたイシードルがパソコンを覗き込んでいた。彼の言う通り、この資料には違和感が否めない。

特筆すべきはピョートルが組織の訓練兵として参加する前から行動を監視されていたことだ。それもかなりの昔から。一番気に掛かるのが父親スミルノフの死亡報告書。報告によれば爆死であるはずなのに、検死結果では銃殺となっている。何より爆発事故ならば明確に死亡時刻まで記されているはずだ。だというのに、まるで現場では死体は最初から存在せず、後になって死亡を確認したかのよう。それらの点から導き出される答えは...  

 

「誰かが編集した可能性がある。」 

 

だが一体誰が、何の目的で。そこで、俺が初めて夢の中でピョートルと話した時のことが想起された。

 

『僕が焔と成り代わるまでの十八年間の記憶。だけどその一割が欠けてしまっている。僕が候補生に志願した理由、組織に反抗するきっかけとなった出来事...どうしても思い出せない肝心な記憶。』

 

何よりも俺自身、報告書の真偽を確かめたかった。ニュートンの贈ってくれた情報はピョートルの失った記憶を取り戻すのに役立つだろう。爆発事故当時の研究所の責任者は引退はしているものの、まだアテネに住んでいるという。 

 

「この研究所がきな臭いな。」  

「確かめに行くか?」

「ああ、だがお前はここに居てくれ。何かあれば連絡する。」

「..............。」 

 

途端にイシードルは不安と不満の入り混じった表情になる。あの忌まわしいツインタワービル事件を以来、こいつの過保護度が加速した。...否、過保護というには些か母性が強過ぎる気もするが。以前傘を忘れてずぶ濡れになって帰ってきた時、小一時間に渡る説教を喰らいながら手厚く介護された時は思わずママと呼んだほどである。余談だが、雨天は能力とそれに付随する回復力等諸々の副作用が著しく低下するようで、説教時に避けられなかった拳でできたたん瘤は治るまでに丸一日を要した。 

 

「大丈夫、今回はすぐに帰ってくる。」

「絶対だぞ。」

「ああ、約束する。」 

 

日本からギリシャまで約十七時間のフライト、面倒臭いが手際良く調べて帰国すれば善い。それがどれ程楽観的だったかを、後になって俺は思い知ることとなる。まさかこれが大きな事件の幕開けだなんて、この時はイシードルも俺も思ってもみなかったのだ。

 

 

 

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