俺が消えた日   作:れいめい よる

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Mary Anne

 

 

アルミ製特有の金属音を最小限に抑制しながら、恰も睡眠中の赤子を起こさぬようにと控えめに下がるシャッターが床面と密着するまで焔は動作を見守っていた。軽やかで滑らかな動きで見晴らしが遮られる直前、窓に反射した男の鼻下が手柄話でもするかのように伸びているのを彼は見逃さなかった。 

 

「弊社のシャッターは米国の本社にも導入されている防火、耐衝撃に特化した建材メーカーの物を全窓全扉に使用しております。」

「そうなんですね。」

「因みに全室の扉もオートロックとなってまして、一度閉じれば中央制御室若しくは係員の誰かが持つたった一枚のICカードなしには開錠することはできません。」

「カジノみたいですね。」

「あ、今は私が居りますが万が一お一人でお出になる際はそちらのベルをお鳴らし下さい。使用中の部屋は常に誰かしらが待機しておりますので。」 

 

世界中の凡ゆる機密建築物へのアクセス権を有する彼の身分にしてみればさして稀有ではない代物に、まるで手前味噌を並べるが如く得意顔で語る職員に焔は差し障りのない適当な返事をした。

 

シャッターの封鎖が広々とした室内の自然光までをも遮断してしまうと男はつかつかと窓際へ移動して付属の操作紐を操り羽板を調整する。幾筋もの冷ややかな光が飄然と差し込み、抽象的な空模様を影格子の揺らぎにみせた。斯様な鎧戸でなくとも近頃の日本の屋内をやんわりと仄かに晒す光と影が織りなす模様は洒々落々な雲翳の涼やかな様を精確に描写していた。

しとどに街を濡らす黴雨の、遍くを腐らせてしまいそうな窮屈加減は不幸中の幸いにも炎を性分とする青年に干渉することはない。けれどもその一粒一粒を産み落とす黒雲は粛然とした室内に潜り込み低気圧特有の不快指数を高めていた。 

 

陰鬱な湿気に僅かに潜められた柳眉を流石の営業魂で見て取った職員の男は、惜しくも不機嫌の原因を荒天と誤解しガラステーブルから端末を掴み取る。電動操作機を弄り外付けの鋼製シャッターを下ろそうとする男を焔は柔らかく制した。胸の高鳴りを面輪に滲ませた男は今にも本建築物の要所に用いられた畳込防火鉄戸と同素材の日除の性能についてを語らんとしていたのだ。常日頃の賓客の来店を待ち侘びるばかりに手持ち無沙汰となった銀行職員の気散じに付き合うばかりか黎明とも夜ともつかぬ薄明かりすら阻まれては、元来季節の影響で半減以下に減少した活動力どころか生気すら取り戻せなくなってしまうだろう。 

 

焔は溢れかけた溜息を吸い込むと呼気に変じて声帯を震わせた。 

 

「ところでジェームズさんはいつ頃いらっしゃるんでしょうか。彼此二時間待ってますが。」 

 

昨晩、焔の携帯に送られた一通のメール。ジェームズを名乗る者が綴った「ある代物」の厳重保管の要請を承諾した焔に指定されたのが此処IABC——International America Bank Construction——杯戸支社だった。アメリカのメガバンクの日本支社が東都に複数在るのは知っていたものの、よもや利用者が僅少な店舗の三階に顧客御用達の応接間があるとは、況してや赤の他人との面会を求めて訪っただけの己が案内されるなどとこの世の誰が想像が及んだだろうか。 

 

満点の顧客満足度どころか上限を突き破り疲弊させるほどのもてなし云々はさておき、通常焔への依頼は仕事の斡旋を担う隼人を介して行われる仕組みとなっている。しかしながら此度の依頼人は仲介人を通さず杳として知れぬ筈の焔の仕事用携帯に直接連絡を送ったのだ。

 

ハッカーエリセイの電子防御を掻い潜って焔に辿り着いた類稀なる電子技術、ジョージなる者が保持すると主張するある代物について興味を唆られた二人は二つ返事で依頼人と相見するべく承諾の旨を送り返したのだった。

無論、此のような不審な依頼が幾度となく穏やかならぬ問題を惹起してきたのは重々承知であるがすっかり米花町の住人と化した二人にとって好奇心と波瀾とは水魚の交わりの如き意義である。

余談だが彼等の短日月の客人となったジェイソンも同様に感興を不均一に吊り上げた口角に滲ませていたのは他言無用である。しかしながらリハビリを終えて完全に復活したニッキーを空港まで見送る為に名残惜しげな面差しを残してセーフハウスを出て行ったのが今朝方の閑話である。

それから二時間も経たぬうちに焔も出掛けるべく身支度を整え銀行にやってきた。 

 

…ところが顧客の来者ということで恭しく応接間に案内されたものの肝心の依頼人は居らず、待てども待てども来る気配がないではないか。若しや俗にいうドタキャン、或いは悪乗りの類ではないかと疑いだすのも無理はない。 

 

痺れを切らした焔の問いかけに接待係の化粧と見紛うほどに雀斑が集中した目尻が器用に上下した。焔の幾つ目かのアメリカ国籍の身分証が多額を本銀行に貯金していることを知らぬが故に、場は部外者と本来の利用者の不在と対応に惑う職員というさも乱倫を放映するテレビを前に凍りついた茶の間のような不調和に充ちていた。 

 

「ええっとですね。その、ジェームズ氏は多忙な方ですので恐らくお仕事が長引いておられるのかと…はい。」

「どんなお仕事をされてるんですか。」

「申し訳ありません。弊社ではお客様のプライベートに関するご質問にはお答えできません。」 

 

何といっても世界最大の都市銀行に従事する行員である。巧みな言い回しで追求を回避した男の頑固な拒絶の目遣いに焔は如何なる言葉運びでも依頼人に関する情報を引き出せないことを悟った。ならばせめて退屈紛れに何方が客か疑わしいほどに饒舌を発揮する男に退場してもらうべく、ピョートルに似せた薄倖の笑みを貼り付け断りを入れると職員はここぞとばかりに退室した。 

 

 

一人分の熱量が失せた室内に静寂が降り落ちる。 

厚壁から漏れ込む雨音と孤独な視界を癒さんばかりに埋める洗練されつつも絢爛な内装、夥しい雨滴により間断なく洗浄される天窓が相俟って居心地は海底に蕭条として沈む宮殿のようだった。それからも半刻ほど快いカウチソファーで応対に汲まれた緑茶の器を弄り暇を潰していた焔だったが、備え付けの時計の長針が〇〇分を指せども人気がないことから到頭粘るのを諦めた。 

 

とんだ徒足を踏んだと職員から教えられたベルを手に取り鳴らしてみる。カラン、と放牧された牛のカウベルに似通った硬質な音色が発せられた。 

ベルの音に続いて携帯が振動する。開いた画面に映し出されたのは淡白な二文だった。 

「ハプニングが起きた 追って連絡する」 

余程繁忙を極めて無ければ初対面の相手に此程までに無礼な短文を送りつけることはできまい。薄らと立った青筋を指先で撫でることで押し戻した。何も無作法な振る舞いに煩わされたのは初めてではない。以前護衛を請け負った対象が畜生にも劣る冷遇を働いたことと比すれば、謝罪の言葉はないものの進展を追送してくるだけ塩梅は良い方だ。断じて理想的ではないが。 

 

その時、室内が闇に侵された。鍛えられた瞳孔は忽ち順応し薄暗闇の中に万物の鮮明な輪郭が浮かび上がる。停電だ。大方雷が電線に落ちたのだろう。東日本は昨日から台風直撃の話題で慌ただしかった。 

簡潔な返事を送信しようとして、停電の影響で断念した。再度ベルに触れる。 

 

…廊下は沈黙を保っている。若しや己の存在を失念されているのでは、余分な勘繰りを巡らして焔は取手に手をかける。 

扉は開かない。ボルトをストライクごと接着剤で固めたかのように微動だにしない。鬱蒼とした雨季は何彼と歯車が噛み合わぬものだと精彩の衰えた嘆声が漏れた。 

 

普段より物腰柔らかで辛棒強い気質をピョートルと共有する焔だが、如何せん年に一度の最も厭気な時期に加えて延々三時間弱の待機に不満を募らせていた。彼の乱心を治め得る歯止め係である隼人もジェイソンも、日本永住権を巡る行政との協議の末に警察庁が特例で任命した特別監視官の風見と諸伏も折悪しく不在であった。…後者二人に関しては朝方に東都空港で発生した航空事故に駆出されている為に随伴不可との旨の通達があったが、そも事細やかな報連相を焔が怠っているのが常態である。 

 

ともあれ、待ち倦ね堪忍袋の尾が切れた焔は他を顧みずに取手を溶かした。  

 

雨天の鉛色の空がそのまま舞い降りた廊下は暗晦に濁っていた。六六〇平方メートルの他支店よりも百平方メートル程面積の狭い敷地は杯戸町内の近隣商業区域と商業区域の境目に建設され、駅前立地の好条件に適している。外観は軒なしの箱型シンプルモダンとなっており、ブルックリンの本社を追随した無骨なアイアンレッグの木材とガウバリウム合板とを組み合わせた温かみのある工業的な雰囲気が特徴的だ。利用者は専らIABCに口座を保有する帰国者や観光客。その為客入りは本国の支店や日本国内の他の銀行よりも乏しい。 

接待室から顔を覗かせて焔は小首を傾げた。 

 

「気の所為か?静かすぎるような…」 

 

雨音に閉ざされた廊下、西一直線の先に階段のコンクリートの打ち放し風仕上げが垣間見えている。墓場並みの閑散具合と半端に殺風景な内装は、最適な撮影器具と然るべき撮影技術で撮れば過不及無い度合いの映像が撮れるだろう。 

 

「カラオケにはちょっと勿体ないな」 

 

焔はコンクリート造りの廊下を飾るボハラ柄の長絨毯に踏み出した。果たしてこの絨毯も防音防炎加工が施された機能性ありきの敷物なのだろうか、などと他愛もない夢想を馳せ独り白けた笑みを滲ませて。 

依頼人ジェームズとの面会が中断となった今、仮にも客を接待室に置き去りにするような行員に去り際の声掛けなど不要だろう。そんな思いで二、三歩進んだところで彼は歩みを止めた。 

 

「………。」 

 

幾度となく死戦をくぐり抜けてきた百戦錬磨の元諜報員としての直感が猛烈に警戒を促している。歩調が緩まり、差し足が接待室の真横へと逆戻りさせる。階段の端に骨ばった人差し指から薬指がちらと寝そべっている。

慌てて駆け寄らなかったのは屋外で兆し始めた疾雷が強烈な電撃を焔の精神に不吉な黒雲を引き起こしていたからだった。 

 

何かの反射で微かに痙攣した。まだそれは息をしている。けれど焔は近寄らなかった。死の予感が報せるままにすり足を右に捌いて超能力の副作用を使う。 

 

階段の影に人影が潜んでいた。武張った人形がどっしりと腰を折り曲げて廊下の様子を伺っている。中上の緊張を赤外線を通したように血行の良さそうな赤色を纏わせた影が三階に一歩を乗り出す。その事々しいタクティカルグローブが握る物騒な塊が照準を定めるのと、焔が正体を認識するのは斉しかった。 

 

ドドン!

火薬が重々しく破裂した。

重複する発射音が咄嗟に盾代わりとなった扉の表面を抉った。音だけで建物を動揺させてしまいそうな烈しい音波に鼓膜を揺さぶられながらも焔は物陰で身を屈める。 

 

「室内でなんてモン撃ってんだよ…!」 

 

一瞬の目視では武装した人物——体格を考慮するに男——が遊撃に用いた銃火器は製造終了したAR-18と思われた。屋内戦には甚だしく不釣り合いな突撃銃だ。余程履歴の浅い素人であるならばまだしも、扉の影から僅かに晒した額を正しく狙い撃たんとする研ぎ澄まされた殺意は紛うことなき本物だった。 

 

生憎身軽に外出した為に持ち合わせた護身用具は折り畳み式の小型サバイバルナイフ一挺と着火剤不要の炎だけ。だがそれで十分だ。 

扉一枚を隔てた背後からの連続射撃に瞼を閉ざした焔は聴覚に意識を注ぐ。数秒前に装弾が交換される音がした。是迄に放たれた弾数を顧みるに二十連。 

 

ドン、ドン!銃撃が再開される。連射から半自動に切り替えられたようだ。 

雷管が打ち付けられ、発火した火薬が強烈な圧力で実包を押し出す。圧力派が銃声に変じ、弾丸が高速回転しながら突き進む。 

遂に扉が穿たれた。同時に先方が弾切れした。 

——今だ! 

 

焔は半身を乗り出すとナイフの先端を熱して真っ直ぐに飛ばした。

寸分の狂いなく投擲されたナイフは男のヘルメットを難なく突き破り眉間を貫いた。

 

喉をうわずらせただけで絶命した男の元に焔は走り寄る。直ぐ横の階段に亡骸を横たえているのはつい数分前まで建築物の防犯対策を売り込んでいた行員だった。銃撃の合間に事切れたのだろう、血の気のない指先から辿った唇は仄かな朱色を保とうとしているもののきっぱりと永久に開くことのない真一文字を結んでいる。喉から突き出た刃物の生々しい赤が痛ましい。何とも儚い付合いに彼の瞼を閉ざすと、死体に馴染みすぎた青年は早々に刺客の装備を弄った。しがてら靴裏に付着した土をハンカチに包んで。

 

銀行強盗にしては尋常ならざる重装備。抗弾プレートを収納したプレートキャリア、目出し帽フェイスガード、軍放出品と思しきヘルメットゴーグル…少なくとも恣意的な犯行ではないのは明白だ。

——こんな活気のない支社を何で襲撃した?お金…にしては装備を固めすぎてる。アサルトライフルはおいといて此程周到に下拵えしてるなら日銀でも襲わないとコストパフォーマンスが悪いような。 

第六感を働かせる。焔が仕留めた男と同等の防具をつけたシルエットが一階に三人、二階に一人。…階下の一人が丸腰の人間に拳銃を構えている。

 

 

 

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