俺が消えた日   作:れいめい よる

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Mary Anne 後

 

 

所代わり米花町。都市近郊部のアーケード式商店街の一画には規則正しい屋並みの中間に一軒だけ侘しく俯き加減の庇の小さなパブが佇んでいる。嵐が過ぎ去り低震度の地震に見舞われる度に低予算で組み立てられた後付けの庇がパカパカと口笛を吹き、建築基準不適合の通知が送られること三十回にも及ぶ。視覚的に安価で不均衡な古ぼけた建設物だがどことなく戦後の闇市を彷彿とさせる古風な雰囲気が却って好評を博し常日頃繁盛している。 

 

経営しているのはぽっきりと折った爪楊枝のように腰を折曲げ鼻息を荒げるたびに粘着力の強そうな鼻毛を垂らす不潔なイタリア系アメリカ人。パナマ侵攻に際してエル・チョリージョの激戦地での軍事作戦で、現地に構えるとあるトラットリアで手にした一本の果物ナイフで切り抜けたという武勇伝を年柄年中熱弁する老人だ。口々に囃し立てはすれど真偽を糺そうとした物好きな客は未だ嘗ていない。  

 

「それでの…薄汚い漁民がの、」 

 

時代錯誤の卑語御託をつらつらと臆面もなく並べ立てる痴呆気味の店主の話を子守唄代わりにカウンターに突っ伏す者、噂を仄聞して身を運んだものの度肝を抜かれる血腥さに食欲が失せる一見、店主の台詞を先行して口遊む、或いは復唱する者など店内は変わり映えのない景色を描き上げていた。内装は彼が命を賭した決戦の地たるトラットリア・バーを模倣しているらしく、常連客曰く「啄木鳥も啄き甲斐がないくらいにペラッペラ」な薄壁越しに両隣の八百屋と喫茶店の環境音をバックミュージックとして味わうのも風情だという。 

 

「おーじさん!」 

 

多少見慣れた顔ぶれに割り込んで焔は自分語りに没頭する老人に声掛けた。ビールサーバーの使用方法とレンジの単純な取り扱いしか知らぬ老いの一徹な店主は一度として注文を取ったためしがない。電磁波で加熱しただけのミードボールが意想外に味わい深くパナマのラガービールと相性が抜群なのも客足が絶えない所以である。

出入口付近の数少ないテーブル席では物珍しげなマリアンヌと三度目の来店となるボーンが自面尽くによもやま話に興じていた。 

 

「ミートボール二人前とペスカトーレ(いち)、それからビール三杯頂戴。」

「んぁ?...んだらば目ぇんだまくり抜かれたガキが教会に、」 

 

かくも悍ましき独り言で周囲を戦慄させつつも注文を汲み取った老人は頭垢塗れの頭皮を掻いた指でボウルの埃を払った。店の看板には地元民に配慮のない金釘流の英語で「潔癖!非紳士!エル・チョリージョのうみんちゅはお断り!」などとなんとも非紳士的な警告が記されている。 

 

『今朝六時四十分頃、台風等の天候に見通しがつかない東都空港にABAのボーイング767機が墜落しました。同機体はA滑走路南進入灯用地に墜落炎上し、咫尺の間を走行中のシンガポールへと飛行予定のSA-295C機に直撃。二機の航空機の大炎上に伴い同空港の滑走路は一時閉鎖されました。未曾有の大事故に航空局は…』

「こりゃあ大変なことになっだぁね」 

「んっふ、今日もイケメンねぇ焔。」

「ありがとうポーリーヌ、君も綺麗だよ。」

「あらぁ、うふふ」

 

ほろり。一夕話を繰り返す店主が誤って火事場の対岸に無防備に上陸してしまった消防隊員かの如き剣呑な眼光で、恰も手前の喫緊事を煙たがるような手振りで客の吐き出した紫煙を払った。彼が虚空を睨めば機械式時計の二番車程の大きさの傷痕が引き攣ったように嗤った。 

 

「メリケンもエゲレスも自己中っだらありゃしねェよ。…んでどこまで話しだか?」

「やれやれ、明日は五年ぶりの帰国だってのにツイてねェな。」

「まじか、俺は娘が来日してくれる予定だったんだよ。ったく、どうなってんだ一体。」 

 

斜め後方では何人目の愛人同伴の女が熱心な自撮りの最中に焔に艶めかしい目じらせを纏わり付かせてくる。男の不在時には必ずや官能的で濃密な過ちを犯そうと猫のように撓垂れる濫りがましさに薄幸の美丈夫は何度自身を抱き締めたことか。自称英雄譚を語り直す店主と思いがけぬ不運を嘆く客に挟まれて、四方から奔放が空調に乗って流れてくると肩身の狭くなった焔は他人のナッツを摘んだ。まろやかな塩と炒られたナッツだった。

外国人客がカウンターに身を寄せ合って空騒ぎしているうちにもテレビ画面の向こうでは現場に切り替わり、男のリポーターが憂色を滲ませて固い声調で生中継している。 

 

『現場ではドローンがファンブレードに高速追突したとの目撃談が上がってます。…えー、テロか事故かは判明していません。先程情報を提供して下さった男性の方が…あれ?ええと』

「けっ!んな惨事が民間のドローンで起きるかよ。こりゃあテロに決まってらァ。」

「まあた出やがったぜ妄想癖が、好きだなアンタも。」

「んだとォ?」 

 

追っ付け倦怠感漂う組み討ちが始まりそうな予感に焔は一歩身を退く。 

際どいところで左から繰り出された骨太の拳が眼前を萎え萎えとした拳骨を喰らわした。アルコールと余興の香りに敏感な客達が調子外れな口笛を吹いて冷めきったパスタとともに興趣を感じようと傍観の姿勢に入る。 

 

呆れ果てる焔の前に三杯のビールグラスが置かれた。濃厚な麦汁と境界を接してきめ細やかな純白の気泡がパチパチと溌剌に弾けている。

礼を言って持ち上げたグラスの輝かしい琥珀色の彼方で噴火寸前のクリームにも負けず劣らずの金色がちらついた。気になってグラスを横に移すとそれはテレビ画面だった。放映内容は相も変わらず二十キロ遠方で起きた大惨事の生中継。 

 

先よりカメラが焦点を当てる警察と消防車輌の災害時もかくやの夥しい回転灯の風景に焔の眼は釘付けになる。現場に残留する関係車輌等の誘導を行う警官よりも、鬱陶しいほどに眩いパトランプよりも、まるで蛤で海をかえるように弧を描く放水も…液晶越しに伝わる差し迫った重圧の最中で唯一人、スーツのポケットに馴染みのある褐色肌の両手を差し込み異質な背中を映される金髪の男の後ろ姿。彼を含めた警官らの顔面が絞り込まれるよりも先にカメラは大慌てで眺めを移行させてしまった。けれども一瞬のうちに捉えられたその人物の正体を焔ははっきりと確信していた。 

 

店内ではたまゆらの掴み合いを終えた男達を発端に奔放な憶測が乱れ飛び交っている。

一人が云った。 

 

「間違いねぇ陰謀だよ。い、ん、ぼ、う。」 

 

虚な目付きで断言する男をオードトワレを噴水のように浴びたのだろう連れの女がドラム缶テーブルにしなだれ掛かりながらせせら笑った。さあれども焔は人知れず呟いた。 

——案外、今回は出鱈目じゃないかもしれない。

 

 

飲食物を確保して席に戻るとボーンとマリアンヌは居然として歓談していた。 

 

「何話してたの?」

「他愛もないことさ。マリアンヌは一年前にロサンゼルスから奥穂町に転勤したらしい。」

「若しかしてフランスとかにも住んでた?鼻音が強いから気になって。」

「Oui!両親がフランス人なの。大学だけソルボンヌを出たけどずっとアメリカ育ちよ。」

「なんだ。のわりに西海岸の訛りがなくて綺麗なイギリス英語に聞こえるよ。」

「俺への嫌味か?」

「んふふっ」 

 

グリッサンドをするように嫋々とした笑い声が耳朶を撫でた。二人が目線を寄越せばマリアンヌは莞爾として微笑みを湛えている。隣町の銀行で貧乏くじを引き元気を阻喪していた弱々しさは雲散し、一点の曇りなき愛嬌を目尻に滲ませている様は自然と焔とボーンの笑顔を引き出した。 

 

「ごめんなさいね、貴方達ってなんだか弟みたいで懐かしくなっちゃって。」

「弟がいるの?」

「...あ」 

 

くるりと左右交互に動く金壺眼が焔の何気ない一言に不審に泳ぐ。不躾な質問を自覚した焔が直ぐに謝罪を口にすると今度は瞼を瞬かせ、驚き入ったように両の手を交差させた。マリーに似て内心が表に出やすい質なのだと自得して、ボーンは胸に深く突き刺さったままの過ぎ去りし愛に咳払いすることで素知らぬふりをした。 

数秒言い淀んだ後に、マリアンヌは意を決した。 

 

「実を言うと、日本に転勤したのは弟を探しにきたからなの。一年前から…いえ、正確にはもっと前から行方知れずだったのに私が馬鹿だから。」

「…話を聞かせてくれ。」 

 

マリアンヌの弟は三歳の歳の差で生まれ落ち、幼少期から息の合った友悌だった。プリスクールから学校、大学まで進路を共にし互いにソウルメイトと呼び合うほどの親和性の高さだったという。マリアンヌの大学院卒業を経ても類例のない姉弟愛に恵まれた二人は其れからも海よりも深い恩愛を分かち合って行くものだと思い込んでいた。 

 

「今の会社に勤めるようになってから半年で私に恋人ができたの。良い人だったわ、弟ばかりを優先する私を責めもせず傍らで見守ってくれるような優しい彼だったの。」 

 

植物学を専攻分野とするマリアンヌは緻密な作業で擦り切れたらしい絆創膏だらけの指先を気もそぞろに揉んだ。 

 

「恋人っていうよりかはお試し期間だったんだけど、彼が譲歩ばかりしてくれるから流石に申し訳なくなって二、三回弟との約束をキャンセルしちゃったの。振り返ってみればそれが失敗だった。」 

 

マリアンヌの心が遠ざかっていくのを理解した弟は彼女が勤務する研究所に内定を得ているにもかかわらず初出勤日の二日前に姿を消した。交際相手と共に隣町までもを捜索し警察にも届出を出したが都市内部で彼を発見することは叶わなかった。それから約一年と数ヶ月後、信憑性のある情報筋から弟がマリアンヌの会社の日本支社で研究に没頭しているという情報を得たのだ。欣喜雀躍した彼女は転勤届を提出するばかりか婚約も破棄して来日したそうな。 

 

「まだ見つけられてないけど、大丈夫、きっとそのうち再会するんだから。」 

 

自身に言い聞かせるように締め括ったマリアンヌに、事の顛末を聞き終えた焔は大層な愛想笑いを浮かべ、ボーンは露骨に眉間に困惑の筋をつくった。 

 

「弟さん、何歳だっけ。」

「二十になったばかりよ。正真正銘のギフテッドで学校には行かなかったけど私が大学を卒業する頃には難解な数式を自ら生み出していたのよ。」

「俺には兄弟がいた記憶がないから判らないが、弟なんてのはそんなモンじゃないのか?二十ならまだまだ年頃だろ。」 

Bobby(警察)にも同じことを言われたわ。けどそれだけじゃないの。」

 

至極真っ当な主張であるがもはや信者と言い表せるほどのブラザーコンプレックスを患っている彼女は骨を折る勢いで首を横に振った。次いで激しい感情の起伏のままに重ね合わせた指で面相を覆うた。 

 

「それが…実は最近ストーカー被害に遭ってるのよ。」

「ストーカー?貴方の来日を知った弟さんじゃなくて。」

「間違いないわ。弟だったら百パーセントわかるもの。」 

 

些か懐疑的な反駁だ。しかし一転して俯き加減に上唇を噛み締めるマリアンヌは雪原で冷水を浴びせられたリスのように背中を丸めている。よくよく見入ってみた厚めのコンシーラーは深刻な寝不足を誤魔化す為と推察できた。 

 

焔とボーンは目線をかち合わせる。互いに意図を確認すると交互に質疑をはじめる。 

心当たりはいつから?一ヶ月くらい前よ。警察に通報は?したけど…証拠もないようじゃ話にならないって。日本から一時的に出ることは考えなかったのか?弟を置いて?まさか。 

 

「何時何処に居ても妙な視線が突き刺さる。振り返ってみても誰もいない…夜道なんて最悪。家に居ても常に誰かに見張られてるような感じがして最近は碌に帰れず社員寮に寝泊まり。悪質な盗撮写真を送られて夜な夜な悪夢で目が醒める…寝ても覚めても恐怖に苛まれる毎日」 

 

——耳を劈く轟音が鳴り響いた。

まさに耳元で大砲でも打たれた心地にマリアンヌは椅子を蹴飛ばした。愕いて囂々たる衝撃の源に視線を走らせてみれば、掘立て小屋紛いの粗末な扉が店主の歯軋りのように軋めいている。商店街を吹き荒ぶ疾風が最も等閑な家屋を嘲謔したのだ。 

 

見渡して自身と同性の客達が一驚から男の腕に胸を押し付けているのを見て見ぬふりをすると、一呼吸置いてマリアンヌは言葉を続けた。 

 

「けどもっと恐ろしいのは弟の元気な顔が見れないことよ。あの子は私と違って引っ込み思案で人と話したがらない。若し弟も同じような被害に遭っているのなら私が助けなくちゃ。」 

 

単なる被害妄想か奇々怪怪な実話か。何にせよ連日胸に打ち寄せるラガービールよりも遥かに苦い波浪に彼女が滅法参っているのだけは慥かだった。 

それでも出会い頭にパブに寄っただけの——いくらマリー・クルーツに生き写しとはいえ——、それも事件直後で情緒不安定な被害者の言い分を打てば鳴る太鼓の如く点頭するわけにはいかなかった。 

 

一度考えを勘案を集約しようと首を回して、焔は言葉を詰まらせた。 

打って変わって差し含みはじめるマリアンヌの弾力のある肩に掌を添えて、するりと撫でるように肘、手首、そして指先を掴んだ大きな手が閃いたように止まった。その空下手な仕草をしかと目撃した焔は脳漿を素早く絞り上げ種々雑多な勘定を行うと無音の息を吐き出した。 

マリアンヌの虹彩を正面に見据えて。 

 

「マリアンヌ、こう見えて僕はある武術で最高段位を取得しててね、用心棒をやってるんだ。」

「まあ、凄いわね!なんていう武術なの?」

「ええっと、色々あるんだけど一番得意なのはシステマかな。」 

 

蒼卒に自己紹介をしだした焔にボーンはある発想に行き当たった。 

 

「ついでにジェイソンも一時はSPなんてのをやってた超実力派なんだ。…だから、その、若しよかったら何だけど僕たちに君を守らせてほしいんだ。ついでに弟さんも探してみるよ、知人に警察関係者だっているし。写真、送ってくれるかな。」

「本当っ?勿論よ!けどそんな危険なこと頼んじゃっても良いのかしら。」

「それに関しては心配いらない。俺達は人探しどころか記憶遡及すらお手のものだからな。」 

 

由ありきな目配せを受けて焔は腹脇で親指を立てたのだった。 

 

…………。

 

斯様な事由でマリアンヌからの依頼を請け負ったは善いものの、如何にも得心できぬ焔は断りを入れてボーンを店奥へと連れ込む。 

 

「なあジェイソン、本当に彼女大丈夫?ちょっと過保護すぎない?」

「そんなことを心配してるのか。エリセイだってお前に対しては母親みたいに振る舞ってるだろう。」

「いやそれはそうだけど...ただの被害妄想とかじゃないよね、過干渉すぎて逃げられたとか。」

「俺の意を汲んでくれたのは有難いがそれも十分に有り得る。」 

 

珍妙な沈黙が二人の間を流れた。双方、落とし所を見出せず相応しい言葉を探しては口籠もっていた。 

兎にも角にも、自発的に仕事を受託した以上確たる証拠もなしに虚実を断定など出来まい。曲がりなりにも機能、能力、経験が物言う職業の選良として依頼の是非は実力で断ずるべき。そう結論づけた焔はせめてボーンが日本に滞在している間は有力な助っ人として協力を仰ごうとして…。 

 

「ね、ねぇ二人とも」 

 

知らぬ間にやって来たマリアンヌを見返った。そして硬直した。 

 

「おかしいの。何だか体がへんで」 

 

覚束無いヒールの踵が多々良を踏む。

腹部あたりを抑えた指間から銀色の異物が頭を外気に晒している。本来あるべき先端は深く突き刺さったまま。 

マリアンヌが崩れ落ちた。 

 

「マリーッ、マリー!」

「......っ」 

 

咄嗟にボーンが彼女を支えた。その魂から放たれる悲痛な叫びに騒乱に包まれた店内の客達が非常事態に気付き始める。

焔が外に駆け出し、客の一人が電話を掛け、また一人が歩み寄って…野次馬が生まれる。次第に他店からの見物人も加わり大勢に囲まれても救急車に乗り込んでも、ボーンの心を占めるのは血の気の引いたアメリカ人の女だけだった。

いつか鉛玉と車ごと川に投げ出されて息絶えた最愛の女の面影を重ねて、ボーンはひたすらにマリー(、、、)の生存を切に祈っていた。

 

 

 

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