俺が消えた日   作:れいめい よる

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幕間

 

 

慣れた仕種でライターを弄ぶ。但し指先でこねくり回すのは持ち手だけ。人差し指と中指で蓋を押さえつつ底を親指で支える。親指の支えを軸にして他の二本を素早く底に下げる。ポンっと軽快な音が鳴って目にも止まらぬ速さで蓋が弾け飛んだ。一度開けばあとは流れるようにフリントウィールで着火するだけ。と、指を滑らせてジッポごと宙に浮かんだ。

スローモーションみたいに浮遊したライターはそのまま一直線に落下するかと思いきや横から伸びてきた手に掻っ攫われた。

 

「ふはっ!」

「ちょっとちょっと!馬鹿にすんなよ!」

「してねぇよ...クク。」

 

馬みたいな鼻の鳴らし方が不正直な男の本音を代弁していた。初歩中の初歩のジッポトリックを誤ったからって何だよ。冬の寒さに悴んだ手元が狂うことくらいあるだろ。大体ジッポトリック如きで得意げになるよりもちょっと子生意気な女の子を弄ぶ方がずっと有意義だろ。

訳の分からぬ居直りを胸中で陳列していれば、デビル・キスなどという名実ともに危険すぎる超絶技巧を実演して同僚は灯った火を寄せてきた。完敗だ。

 

忽ち煙草の匂いが立ち籠め、癖になる心地良さが胸一杯に広がった。肺でひとしきり堪能する。緩やかに吐き出せば煙はつながったシャボン玉のように上昇して、蜃気楼の如く呆気なく消えてしまった。この流れを見届けるまでが俺の一服時のワンセットだ。

俺の煙草を付けた後に隣で喫煙の喜びを味わう男を横目に見る。松田陣平、俺と同じく爆弾処理班の将来有望なエースは気怠げに紫煙を燻らせていた。やけに仕草が揃うのはきっと俺の真似をしているからに違いない。ハイエナみたいに厳つい目付きが常態だというのに世の女性に持て囃される謎は署の七不思議となっている。

 

「まあ、解体技術は俺の方が上なんだけどね。」

「何言ってやがる。どう考えても俺の方が上だろうが。」

「陣平ちゃんったら照れちゃって…イッタ、暴力反対!」

「やかましい口だな。」  

 

そう云って拳を握り込むものだから早々に降参した。こんなバイオレンスな一面も男性性に支配されたい一部の女性には必要不可欠な魅力なのかもしれない。尤も、そんな女性がいるなど想像したくもないけど。

今は休息の時間帯。先週各所を騒がせた爆弾設置事件の捜査がある時点を境に進展せず、到頭窮した俺達はこうして息抜きに社外の喫煙所へと足を運んだのである。

 

あの日、平時通り登庁した俺は爆破予告による緊急出動要請を受けて現場に赴いた。ところが指定されたマンションにいざ向かうと爆弾の類はなく、悪戯を疑い相棒に連絡をするとなんと陣平ちゃんの方には本当に爆弾が設置されているという。愈々事態を軽視するわけにはいかなくなって褌を締めてかかろうとした矢先、住民の誘導に動き出した隊員が平置き駐車場の人集りに気付いた。後輩に事情を聞きにいかせたところ、俺達が到着する約十分前に一人の巡査が全ての戸室を空にさせて何処かへと消えてしまったと。それだけなら使命感に燃えた新人がマニュアル通りに駆けずり回ってうっかり報連相を忘れてしまったという事情だと納得できなくもない。けれども一人の供述によるところ、警察手帳を掲げて民間人を避難させた警官はパトカーでも白バイでもなく黒光りの大型二輪に跨っていたらしい。特徴から推察するにハーレーダビッドソンのブロンクス。一体この世界にいる何人の公務員がーーよしんば実家が太いとしてもーー納税している民間人の前で堂々とVツインエンジン搭載モデルに乗じて出勤するだろうか。俺はゼロだと言明できる、一年分の給料を賭けても良い。

 

「賭けろよ。」

「マジになんないでよ。あくまで例えだって。」

 

兎も角、通信でもう片方の爆弾は既に解体に取り掛かっていると報告された俺は爆処の同僚達と共に再度マンションを隈なく捜索した。念入りな点検の末に爆弾を見つけたのかと問われればそうではなく、ついぞ発見に至らなかった俺達は捜査の撹乱という結論に至って警視庁に帰還した。捜査が難航し始めたのはここからだった。  

某日の午後、他の処理班が俺が担当したマンションから車で西に五分未満走った先の河川敷で爆発音がしたとの通報を受けて現場に急行した。そうして俺の班は漸く爆弾の破片らしき残留物にありつけたのだ。

 

「で、詳しく調べると破片が落ちていた近場の川底に玄武岩が捨てられてたんだよね。」

 

玄武岩とは火山活動で地表付近まで流れたマグマが冷えて固まった火成岩の一種である。

 

「だからそこからおかしいだろ。なんだ、ホシが寝ぼけて爆弾を河原に捨てちまってそれが火山のごとく爆発して火成岩になったっていうのかよ。」

 

心底馬鹿馬鹿しげに松田は鼻で笑った。無理からぬことだ、俺自身鑑識の話を聞いた時は何の冗談かと跳ね除けたくなった。

 

「うーん、それが奇妙でね。…まず爆弾が爆発したのは間違いない。けど仮に火山みたいに爆発したなら、米花町の殆どの住民が爆音を聞いてるはず。だけど学生がクラッカーではしゃいでると思ったと言うご近所さんもいるみたいだし。何より、病院でリハビリ中のもう一人は確かにマンションの四階廊下に紙袋に包んで置いたって供述してる。」

「ああ、例の奴か。」

 

例の奴、というのは被疑者(太夫さん)のことである。警察の追跡から逃れようとトラックに轢かれた被疑者とは別にもう一人共犯者がいたのだ。その男は偶然にも追突事故が起こった交差点の近くの小道で血を流し倒れていた。通りかかった善意の市民により病院へ搬送され一時は危うい状態だったが何とか峠を越えたのだ。金品が抜き取られていたために最初は轢き逃げ強盗と見做され捜査管轄も一課だったのだが...。件の爆弾の破片を手に握り犯行を主張していたことから二人目の共犯者だと判明し刑事部との協力体制の捜査は切り替わった。

 

「んで?」

「河原で回収した爆弾を解析に回したところ、爆発の原因は本体が急激な熱に耐えきれなかったから。直後に溶かされてたみたい。」

「訳わかんねぇこと言うなよ。」

「それ俺の台詞。」

 

威力が不十分だったために付近の住民の証言に食い違いが生じているのではと鑑識は仮説を立てている。

 

「まるで突然マグマが現れてピンポイントで爆弾を襲ったみてェだな。」

「それ以外説明がつかないって。あ!あと、現場に居合わせたマル目が真っ赤な瞳の炎を纏った悪魔を見たって証言したそうだよ。」

「なんだそれ。」

「大方、爆発を間近で経験したショックで錯乱してたんじゃないかな。前髪焦げてたし。」

 

悪魔の降臨などSF映画でもあるまいし。有益な情報は得られないだろう。

 

「ただ一つ引っかかることがあって。似たような車種のマフラー音を河原とマンション付近で耳にしたって多数の公害通報があるんだけど、マンションにも周囲の監視カメラにも猛スピードで走るバイク、ましてや人影なんて映ってないんだよね。」

「犯人が誰かを雇ったという線は。」

「ないね。その線も含めて取り調べたけどずっと黙秘だし。」

「だとしても態々爆弾を解除する必要はないよね。これは考えすぎかもしれないんだけどさ...病院に搬送された、焦げ臭かったらしい。念の為調査したら案の定臭気指数が河原のと一致した。」

 

手摺に煙草を押し付けた松田は眼光を炯々と光らせた。今にも繋がってしまいそうな眉根で、砂利でも噛んだかのような顰めっ面は俺が言わんとしていることを察した様子だ。

 

「つまりなんだ、有志の透明人間がいるって言いたいのか。それも相当な手慣れの。」

「そういうことになるね。ま、証拠がないんじゃ検察はあの男が爆弾解除して溶かす奇行に走ったって締め括るだろうけど。」

 

なんせ時期が時期だ。軽はずみに凶行に及んで人生を転落させてしまう犯罪者なんて腐るほどいる東都において、金の亡者の妄想狂が引き起こした人的損害が皆無の事件よりもサミット会場で彷徨く不審者を検挙する方がよっぽどポイントを稼げるのだろう。終始一貫して今回の検察官は締まりがなかった。どの道これ以上の進展は望めなそうにない。

オカルトチックな推理を披露しているうちに燃え尽きてしまった煙草を吸い殻に捨てる。丁度昼時を知らせる放送が鳴った。ギュルル、どちらともなくお腹が隙間風を吹くような音色で空腹を訴えた。そういや今朝は寝坊したから蒸しパン一個詰め込んだだけだったな。腹の音に益々食欲を刺激されて摩っていると一服を終えた松田が肩を震わせていた。熟失礼な奴だよ。

 

「そろそろ飯食うか。」

「この間近くで美味しい定食屋見つけたんだけどそこ行かない?」

「お、いいな。」

 

係長に超勤を押し付けられたくなくてベランダの裏口から忍び足で階下に降りる。面倒臭い事件なんて頭の隅に片付けて埃を被らせてしまおう。

 

「そういえばこの後班長に呼ばれてるんだった。」

「またなんかやらかしたのか。」

「余計なお世話、いつだって俺は最優等生でーす!なんか海外から何たら捜査官が来てて、今回の爆弾事件について話を聞きたいんだって。俺関係なくね?」

 

何でも目撃証言について詳しい話を聞きたいとのこと。俺じゃなくて直接目撃者に聞けっていう至極真っ当な本音は当然係長の前では胸に秘めておいた。

 

「何だ、爆弾が実は想像以上にヤベェ代物だったとか、そういうオチか。」

「そんなことないでしょ。良くできた造りだったけど俺らの手にかかればお茶の子さいさいだからね...っと、すみません!」

 

大手を振って歩いていれば、向こうからやってきた誰かと接触してポケットから手帳が落ちた。即座に謝って手を伸ばせば、俺よりも幾許か若そうな声調が耳朶に触れた。ふと、鼻を掠めたシダーウッドの香りに面を上げる。

...最初に元カノよりも長い簾睫毛が目に留まった。繊細で重たげな切れ長の奥二重が玲瓏とした目鼻立ちに美しい翳りをつくっている。同じ日本民族である筈の黒眼黒髪は鴉ですらうっとりするほどの濡羽色だった。ランニングでもしていたのか大寒波に見舞われる東都で伸縮性スポーツ半袖一枚から晒される透き通るほどの腕に静脈が浮かび上がっている。汗でぴっちりと密着した服は無駄な贅肉が一片もない幾層にも重なった腹筋の一つ一つを映えさせている。まだ何処となはしに幼さの残る青年の相好はそっちの気はない俺ですら見惚れてしまうほどの美貌だった。容貌魁偉とは彼の為にあるんだと得心してしまうくらいに。

 

つい言葉を失った俺の思考を正確に見抜いた松田が視界を遮るように前に出た。ぎろりと流された尻目は恰も性犯罪者を見る目付きだ。お陰で現実に引き戻された俺は青筋を立てつつも青年から手帳を受け取った。

 

「萩原、お前しっかり周り見ろよ。」

「それを言うなら陣平ちゃんだって、その鋭い目つきどうにかしなっていつも言ってんじゃん。」

「そう言うお前はまたこの間も防護服着てなかったってな。」

「うげっ。だってあれ重くて動きにくいんだもん。」

「またそうやってお前は…」

 

再び歩み出したときにはいつもと変わらない、他愛無い日常が広がっていた。

 

*   

 

某日、警察庁七階。

本部庁舎フロア図では完全非公開とされる階層の、複数ある会議室のうち一つ。立ち入り禁止の看板が設置されているその部屋に男の影があった。

 

看板に加えて会議中の張り出しを貼り付けた会議室は人払いがされており、警察関係者というよりかはマフィアの若頭と形容した方が適した外国製の背広を着た男が一人だけだった。六十平方メートル程の中会議室に差し込む黄昏の筋に当てられて、真っ黒な遮光眼鏡の下の琥珀が覗いている。一瞥では青年と壮年の境だと推定できた。

彼は次第に夕陽の色彩が煩わしくなったのかブラインドを閉める。即刻、残照すらも失われ室内は中世の真夜中の如き暗闇に引き摺られた。心許ない冥闇で、男は照明も点けずに心許ない足場をこともなげに進むと最前列の長机に腰掛ける。

ポケットから携帯を取り出すと何処かに電話をかけた。

 

三コール目に突入する前に異国の訛り混じりの英語が余所余所しい応答を寄越した。

 

「俺だ。No.2は日本に居る。」

 

二言告げると彼は返事を待たずに通話を切った。さも端末の向こうに上申する手順自体が鬱屈だとばかりに。携帯を仕舞うと男は乱れてもない襟を整え、会議室を退出した。その不気味なまでに歪められた口角を、人気のない会議室に充ちる宵闇を除いて目の当たりにした者などいなかった。

 

運命の歯車はぎしり、ギシリと部位を耳障りに軋みながら動き始めていた。

 

 

 

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