俺が消えた日   作:れいめい よる

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ボンドガールズ

 

 

躯中の血液という血液が急速に循環し、大熱が外気に溢れ出すような猛烈な体感に意識が切り替わった。強制的に意識が現実に引き戻される。飛び起きて、まだ焦点の合いそうにない視界を正そうと頭を振れば、水中から水面を見上げたみたいにぼやけた視界は段々と明快になっていく。

「ピョートル。」と優しい音色が俺を呼んで、視界をずらしてみる。直ぐ真上でシェアリング博士が俺の顔を覗き込んでいた。

 

「良かったっ、アドレナリンを注射してもすぐに意識が戻らなかったから、最悪の事態が起こったのかと…」

 

瞼に涙を滲ませて切実に胸を撫で下ろす彼女に、自身が置かれていた状況が徐々に蘇ってきた。

 

「今何時っ?」

「八時十二分よ。」

 

跳ね起きた俺の両肩に手を添えて、宥めるように彼女は囁く。だが心穏やかに構えてはいられなかった。博士の言葉を聞き届けるよりも先に俺は予め支度しておいた荷物を引っ掴んだ。

直様出掛けるのでイシードルの到着まで此処で待機するようにと言い残して、言い終える前には駐車場に駆け出していた…はずだったのだが。

 

…インドリクのエンジンをかけようとしたところで、ヒールの軽やかな跫が背後で高鳴った。サドルに跨りつつ首を回せば、博士が身一つでこちらに走って来ていた。やけに強かな足取りに嫌な予感が胸を過ぎる。まさか、まさか。

 

「私も行くわ!」

「駄目だ!何が起こるか分からないんだ、部屋に戻れ!」

 

だが二十年弱の短い人生の中で女性と関わる機会なんて限りなく少なかった俺は知らなかった。往々にして、一見温厚そうな女性に限って一度下した決断は梃子でも曲げないことを。どれ程か弱く臆病に見えても、底に秘める資質は男が仰天するほどに気丈夫な頑固者がいることを。

博士は俺の制止を振り切って勝手に後ろに跨った。自分で運転すると言わんばかりの気迫でヘルメットすら被らずに。

 

「自分の身くらい自分で守れるわ!それにアドレナリンで覚醒したばかりの貴方を一人で行かせるわけにはいかないの。貴方、自分が思っているよりも重症なのよ?足取りは覚束ないし、呼吸だって荒い。」

「それは…」

 

綺麗な小鼻を膨らませて詰め寄る博士に俺はつい言い淀む。実際、彼女の自己弁護はぐうの音も出ない正論だった。平静だった脳波を脳波を乱した所為か、四肢の動作は重く脳漿の回転は鈍い。まるで思考と体を動かす神経が隔たれて噛み合わなくなった歯車みたいだった。

狭い座席の上でひたひたと迫る博士に愈々説得の術を見失った俺は観念して深く腰を下ろした。

 

「分かった。だけどその代わり必ず俺の指示に従って。」

 

そう釘を刺せば、博士は心得てるとばかりに大きく頷いてみせた。だから俺は無言でヘルメットを手渡して、バイクを発進させた。 

フォン、フォン、フォーン!大一番に差し掛かった暮夜、緊張感を孕ませたマフラーが迫力満点に猛る。夜の帷に紛れる混沌と化し、孤独な二人の反乱者に寄り添う鉄馬となってインドリクは駆け抜けていった。

 

 

ーー予定時刻の二十分を過ぎて会場に到着した。

空高く聳え立つ要塞のようなビルを仰げば、とうに閉門時刻を超えているにも関わらず複数箇所から漏れ出る電灯が薄い光の筋を空中に描いている。目を瞑って中の様子に意識を集中してみる。某海賊世界の本家までとは、俺の見聞色擬きーー未だに第六感か見聞色擬きかで略称を定められていないーーは高層ビル一棟なら細部に至るまでを余裕で視ることができる。

 

「ん?」

 

建物の頂上から下層までを細やかに観察していると、ついと真暗な視野に映じる点々とした多色景色に不穏な彩度を捉える。その一点を注視すると、四十階あたりで妙に己の気を引く原因がサーモグラフィー的な色感で存在を主張していた。複数の人影が尋常でない速度で走っている。時折鼓膜に届く音響による凶行の瞬間と会話内容が好い年こいた大人達の生死を賭した本気の鬼ごっこを教えてくれる。

事前に備えた情報によると管制室は一階のフロント裏にある。追いかっけこに勤しんでいる連中を探るついでに、監視カメラで会議室の位置を割り当てる為にも手始めに足を運ぶべきは管制室だと断じた俺は博士にその旨を伝える。閉館時間をとうに過ぎていると耳打ちする博士に、閉鎖された表出入口を見遣る。防犯センサーに引っ掛からず、且つ事を荒立てずに侵入する術は一つしかなかった。

俺はバイクを駐車場の茂み付近に寄せると、博士を伴い従業員通行口から内部に立ち入った。

 

「博士、大丈夫?」

 

無事に侵入してからずっと貝みたいに黙りこくっている博士を覗いてみる。非常口の灯だけが頼りの薄暗い館内、急ぐ俺の歩幅に合わせて大股で付いてきてくれる足つきに反した彼女の引き攣った面輪はありありと緊張を訴えている。果然、組織の科学者とはいえ一般人の枠をでない彼女を、どんな危険が潜んでいるやもしれない場所に連れてくるのは無茶だったのだ。今からでもイシードルに迎えに来て貰っても遅くないと携帯を取り出すと彼女は食い気味に拒絶した。

 

「大丈夫、私は平気だから。」

「そう…博士は絶対に危険な目に合わせないから、もっと体の緊張を解いて。」

 

自身の服を掴む彼女の手を握って微笑みかけると、幾分か顔色を取り戻した彼女は応えるように口角を深めた。

 

意気込み新たに管制室に向かったものの、いざ到着すると俺達は偶さか肩透かしを喰らうことになった。

微かな電子音とファンの動きに合わせて絶えず交代するスクリーンの映像。壁一面に備えられた機材の前で全館を常時監視するべき警備員二人は職務を忘れて惰眠を貪っていた。余程連勤で疲労が溜まっていたのか、将又単に仮眠を取っているだけなのか。だが仮にも明日も要人が来訪する建築物の運営者として、殊に昼夜厳重警戒を敷くべき特別期間にこの職務怠慢っぷりは些か油断と隙だらけじゃないだろうか。きっと無能に厳しいアメリカじゃ即首を切られても宜なるくらいには。

とはいえ、不法侵入者の俺達にとっては都合が良かった。俺は口元で人差し指を立てて起こさないようにと博士に合図を送ってから慎重に機械を弄ってみる。  

 

最上階から六階下までの各階の一部屋ずつ、開けっぴろげの部屋が二室ある。それら以外の階下層の部屋々々は総じて施錠されているのにその二部屋だけに外部から意図的に開けられた痕跡があった。巡回する警備員が入って無防備に放置したとしても照明が付いていないのは少々不自然だ。

映像記録を遡ってよくよく注視していると、午後八時丁度に人影が侵入して僅か十分足らずで鬼でも出たような急足で出ていくのをカメラが捉えていた。小走りなどではなく全力疾走の歩武は本当に何かから追われているような切羽詰まったものだった。シルエットからして女だろう。女性は焦りで四肢を振り回して廊下を一目散に駆け抜け、エレベーターに飛び込もうとして盛大に転んだ。断じて躓いたわけではない、同じく部屋から後を彼女を追跡する当該の鬼ーーこちらは男の風姿をしているーーによって足を撃たれてしまったのだ。日本にあるまじき発砲事件を早送りで観ていると、撃たれた女性が片脚を引き摺りながら懸命に非常階段を駆け降りていく姿が観える。二段飛ばしに階下に降りた彼女はその内の一室に駆け込んだ。

 

「ピョートル?」

「ちょっと待って、考えてる。」

 

最上階のあの部屋で一体何が起こったのか確かめる必要があると更に時間を巻き戻せば、午後七時半頃から異変が生じていた。特徴的な衣服を身に纏った集団…恐らく俺の目当ての連中が最奥の部屋に数分おき、一時間弱掛けて入室したきり出てこなくなった。最後の一人が入っても一向に中の電気はつかない。何がなしに、某スパイ映画の会議室の奥に設られた秘密の部屋が脳裏を掠めた。

それ以降も映像を凝らして視ていたものの現状把握に繋がりそうな目ぼしい視覚情報は得られなかった。約三十分後、新たな人物が現れるまでは。一人、先程廊下を疾駆していた女性が階段を登って例の部屋へと辿り着いた。画面を拡大して確かめてみて、強い動揺が俺を襲った。

 

「ッ佐藤さん?」

 

狙撃された太腿を抑えて下唇を噛んで苦痛に耐え忍ぶその顔立ち、既視感のある制服。思いがけずして公にできない政界人の打ち合わせに参画してしまったのは交番勤務警察官になりたての佐藤さんだったのだ…!

予想外の展開に俺は思惟する。最上階の明かりの灯らない部屋に入る各国首脳と政界の重鎮たち、それから足を引き摺りながらも必死に逃走する佐藤さん、彼女を追跡する男たち。脳漿が爆速で回転し、漠然としていた事象に輪郭を持たせる。この建物で起きている事態に忽ち理解が追い付いた。

 

会議を探るよりも優先度の高い目的を見出すことになるとは…予定変更だ。

依然として熟睡していて起きる気配のない警備員から通信機を奪って博士に一つを手渡す。佐藤さんと博士を五体満足で安全圏に逃すことが今の俺が成すべき喫緊の課題となった。

  

「博士、予定を変更する。俺は今から彼女を助けに行くから貴方はここで待機してて。監視カメラを確認して何かあればそれで」

「連絡するのね。分かったわ、任せて。」

「頼んだ。」

 

曲がりなりにも国家機関に科学者として採用されるだけあって博士は即応力が高かった。預けたトランシーバーを大切そうに握りしめて心意気を見せる彼女に拳を突き出してみると、彼女は少し小っ恥ずかしそうに拳を突き合わせた。

ポールハンガーに掛けられた警備員用のつば付きの制帽を取ると、目元まで深く被って俺は部屋を飛び出したーー。

 

..........。

 

フロント階から最上階付近まで行き着くには一つ問題があった。この建築物の分類は層が幾重にも重なり百メートルを超越する超高層ビル。おまけに夜間、エレベーターは節電のために稼働しないので上昇手段は階段しかなかった。要するに如何せん時間がかかるのだ。

かてて加えて芳しくないのは全快していない己の身体。会場への道のりで走行中にギアの切り替えを間違えかけたり、段差で躓いて博士に支えて貰ったりと何かと間抜けが目立っている。喝を入れて吹き抜けの非常階段に向かっているものの途中で燃料切れにならないことを願うばかりである。

 

非常階段はビルの裏側、フロントの間反対にあった。鉄とコンクリートの造形物は巨大な渦を描いていて、上に向かうほど吸い込まれていくような錯覚を起こさせる。象徴的な螺旋階段のアングルを保っていて、細長く続く段数を数えるのは骨が折れそうだ。足取りも覚束なくなるような不調具合で全力疾走したところで中途でへばるのが関の山だ。ならば、

 

吹き抜けの中央に立って目を閉じる。

想像力を掻き立てて、何も視えない暗闇の真ん中で熱を帯びた発光体を想像する。輪郭のない、印象通りの抽象的なそれはぼうっと音を立てて燃え盛り始める。原初の炎だ。無から生命を象徴する炎が春の陽だまりのように俺の全身を温かく充した。

肩甲骨に意識を流す。全身を纏っていた炎が二点へと集結したのが感じ取れた。揚力によって空を舞い上がるタービンに相似した炎の翼も。大きく羽ばたいて巻き起こる高温の風を利用して鳥のように飛べる姿を鮮烈に思い浮かべる。非現実的で物理の法則を無視した力技だけど、こんな幻想が現実化すればどれ程心躍るかと考えた瞬間は数えきれない。  

 

成功すれば佐藤さんの元まで辿り着けて、失敗すればそもそも飛べないか、地面に落ちて死ぬだけ。一か八か、日頃の鍛錬で鍛え上げられた脚のバネを引き出して、大きく飛躍した。

バサッ、バサリ。最初に形を維持した翼が正常に可動する。端々から放たれる熱風でまるで肉体が羽そのものになったかのように地上から軽やかに浮き上がった。

いける…!

勢いをつけて飛翔すれば、ゴーゴーと翼らしからぬ換気扇のような音を立てて俺は四十階まで高く舞い上がった。

 

 

件の階では今も猶熾烈な鬼ごっこが継続されていた。

階全体をもう一度視てみると左方手前から四つ目の部屋、その前方に潜伏する佐藤さんらしき人影を捉える。同部屋の入口付近には男が一人、机の下を物色するようにして手負の逃亡者を探し回っている。

廊下の先端に着地した俺はM92のスライドを引こうとして、未だこの段階で派手な騒ぎは控えるべきだと安全装置をかけずに腰に戻す。時を同じくして、別な部屋から現れ出でた四人組が俺の存在を認識した。

 

途端に険のある顔つきで歩み寄ってくる彼等に、俺は帽子を目深く被り警備員を装って足を進める。

すれ違う程度の距離まで近づいた刹那、一気に踏み込んで手近の相手の顎目掛けて下から拳を突き上げた。

 

「がッ…?」

「おいお前! …ぐァあッ!」

 

予兆のない先制にバランスを失い後ろに倒れた男と、彼に衝突してたたらを踏んだ奴の頭頂を狙って組んだ両手を振り下ろす。二人の後方から俺を敵と認知して駈走ってくる残りの男達。

隙だらけにも腕を振り翳しながら間合いに入ってきた一人の腕を掴んで足払いを仕掛ける。体制を崩して浮き上がった男をもう片方に投げ飛ばせば、二人揃って廊下に転倒した。そのまま一向に起き上がれない様子を一瞥すると、早急に佐藤さんの潜む部屋へと向かった。  

 

 

部屋に突入するや否や、彼女の隠れ場所に当たりをつけた金髪の男が拳銃を手に奥へと歩む背中が目に留まった。だが鋭敏にも俺の登場に勘付いた男は振り向きざまに発砲する。狙い撃ちというよりは威嚇射撃のようなものだった。しかし精度は高い。

こちらに直進してきた銃弾を反射的に避ければ、銃弾は耳を掠めて廊下へと消えていった。男は俺を知っている素振りを見せた。俺を視界に捉えた途端にあからさまに双眸を揺らし「ノリリスク...」と呟くソイツに動きを止めた。すぐ近くに隠れる佐藤さんの存在など忘れたかのように踵を返しこちらに向かってくる男に、俺は机と柱の影を利用しながら精察する。

 

足運びに背筋の伸び具合、呼吸を見て悟った。こいつは廊下で伸びてる雑魚とは一味違うと。ついさっきの威嚇射撃ですら見てもいない相手の人中を正確に狙い撃とうとしていた。一度接近戦になれば苦戦を強いられるだろう。当然俺の勝利は確約されてるけど、なんて何処かの最強教師みたいな呟きを胸中で零して。物陰でタマを補いながら最善策を算出した結果、先に佐藤さんを逃すことに決めた。 

 

スライドを引いて影から一息に飛び出て、近くの椅子を引き寄せて思い切り投球する。

ブォンと、椅子投げ如きで聞こえてはならない風切り音を立てながら椅子は男の顔面目掛けて飛来した。だが器用にも体を反転させることで男は椅子を避ける。隙を生み出すには十分だった。

 

一気に駆け出す。こちらの急接近に気付いた男が身構える様を視界の隅で捉えながら、至近距離で敢えてパルクールを用いて壁を蹴り上げる。一歩、二歩、三歩と大股に壁渡りをして…男の脇腹目掛けて一挙に畳みかける。 

ゴッと鈍い音を立てて左脚踵が相手の腕の防御を崩した。急激な衝撃に踏ん張りが効かずに男は窓際まで吹っ飛んだ。

 

前方の演台に駆け寄る。窓硝子に亀裂を走らせて摺り落ちた男が再生するまでに此処から離れなければならない。せめて階下に降りなければ。

台の下を覗けば佐藤さんが弾切れした拳銃の引き金を引き続けていた。博士以上の急場に腰を据えて宥めている暇などなく、俺は彼女の手首をしっかりと把持して起立させると叫んだ。 

 

「俺は味方だ!逃げるぞ!」

 

 

 

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