黄金の波紋疾走 作:逃ィげるんだよ~~~~!!
「はぁ……!はぁ……!」
息を切らせて、ヨセフは地獄のスーパーマーケットを脱出する。
そこから十数メートル走った所で、その膝から唐突に力が抜けた。
「ッ……!」
こける事こそなかったものの、その場に蹲り動けない。
当然だろう。如何に精神的に育っているように見えても、彼は十歳の子供。ついさっきまで命のやり取りをするような状況にあり、尚且つ相手は殺しの経験のある様な大人たち。路地裏のチンピラ程度とは訳が違うのだから。
崩れ落ちた兄に、背中に乗っていたアーニャはすぐさま降りると寄り添った。
「あに!へいき?」
「ゲホッ!エホッ!……ッ、はぁ……平気だよ。それより、アーニャ。僕は動けそうにないから、先に警察署まで行ってくれないかな?」(あの人がどういう考えで裏切ったのか分からないけど、最悪アーニャは逃がしきらなきゃ)
もう一度呼吸で力を練り上げようとして、そこで小さな手が石畳に乗せられた手に添えられた。
「アーニャ、あにといっしょがいい」
「いや、でも、ここは危ないからさ」
「いっしょがいい。ずっとずーーーっと、いっしょがいい!」
「ッ」
自分を見つめてくるエメラルドの様な瞳に、ヨセフの説得の言葉も喉に詰まる。
アーニャは、知っている。自身が変装した父より受け取った紙には孤児院の情報が載っているという事を。そしてこれを警察にまでもっていけば、そのまま保護され孤児院へと送られる事を。
兄とはそこで一緒に居られるだろう。
だが、父が居ない。かといって、ここで兄一人を置いて行けば再び再会できるかも分からない。
このまま説得を続けても泣かせる結果が見えてしまったヨセフは、諦めて息を一つ吐き出し、体を引きずる様にして近くの電話ボックスの陰に隠れた。
ここならば、少なくともスーパーマーケットから直ぐには見つからない。
「はぁ……全く」
縁石に座り、アーニャを膝の上に乗せるようにして座らせてヨセフは溜息をもう一つ吐き出す。
座り込んだら本格的に気が緩んできたらしい。ウトウトと睡魔が押し寄せてくる。
「あに?」
「………ん?」(眠い………ああ、そう言えば、帽子が血塗れだ…………)
アーニャの声に現実に引き戻され、ヨセフは思い出したように被っていたニュースボーイキャップを脱いだ。
元々紺色である為目立たないが、その内側にはべったりと血の跡が残っている。
呼吸法で身体能力が高く、体も頑強、回復力も高いとはいえ生身の人間だ。鉄パイプで殴られれば血も出る。そして頭部の出血は傷口が小さくても派手だ。
「気に入ってたんだけどな、コレ。捨てなきゃダメかな」
「あたらしいぼうし、かう?」
「うん」
「じゃあ、ちちとおんなじぼうしがいい!」
「ハットの事?うーん……僕、似合わないと思うけど」
「だいじょーぶ。アーニャにまかせる」
「ははっ、ソレも良いかもね」
義父の様にハットにスーツ姿の自分を想像して、ヨセフは軽く笑う。
似合わない、と。
空を見上げれば、そろそろ黄昏時だ。
「ちち!」
「え、お父さん?」
「!アーニャ、ヨセフ……!?」
常のキッチリとしたスーツ姿とは違う、ラフな格好のロイドが(ヨセフから見て)何故だかスーパーマーケットの方から歩いてくる。
兄の膝の上から飛び出して、アーニャはそんな父の足に抱き着く。続いて、欠伸を噛み殺しつつヨセフも立ち上がる。
「おまえたち、なんで………あ、いや、勝手に家を出て何してるんだ」
「まあ、色々と……お父さんこそ、どうしてこんな所に居るんですか?」
「いや、オレは偶然ここに買い物に来たんだが、どうやら閉店してしまったみたいでな。いやー、残念だ、全く」
(ちち、うそつき)
アーニャが内心で不器用な父を見ている一方で、ロイドは分が悪いと話を変える。
「そ、それよりも、ヨセフ。帽子はどうしたんだ?」
「え゛っ……あー、その転んだときに血が付いちゃって…………買い換えようかな、と」
(やはり、奴らに危害を加えられたか……全く、不甲斐ない限りだ)
スッと細くなるロイドの視線に、しかししどろもどろに血で汚れた帽子を被る訳にもいかず視線を泳がせていたヨセフは気付かない。
再び、ロイドの頭に二人を手放す選択肢が過り、
「……アーニャ?」
「……………………アーニャ、かえりたい。ちちとあにとアーニャのおうち」
「……良い、のか?」
「アーニャ、おいていかれたらなみだでる」
思う所はある。だが、今の彼はどうしたってこの子を投げ出す事は出来なかった。
不意に、反対側の服の裾が引かれる。
見れば、少し気恥しそうなヨセフが居た。
「………そうだな。帰るとしようか」
ジャケットを肩に掛けてアーニャを抱き上げ、反対の手をヨセフと繋ぐ。
「だが、あの家には帰らないぞ。毒蛇が出たからな。似たような部屋割りの家に引っ越す」
「ヘビきらい」
「僕も嫌だな」
「それから、ヨセフ。改めて帽子を買いに行くとしよう」
「良いんですか?」
「勿論だ。血で汚れた帽子をかぶり続けるのも嫌だろう?」
「あに!はっと!」
「だから、僕には似合わないってば」
家族三人仲良く帰宅。その関係は、薄氷の上に在る紛い物なのかもしれない。
それでも今この瞬間。黄昏の空の下で、彼らは確かに家族だった。
「それはそうと、引っ越しをしたら勉強だからな」
「む゛あ”っ!?」
「どこから出してるの、その声」
「ヨセフもするぞ。靴磨きのバイトをしているとはいえ、学力があって困るものじゃないからな」
「……頑張ります」
*
新居に移って数日。
アーニャ・フォージャーは確りと一次試験を突破する事が出来た。
ついでに、ロイド・フォージャーは近年まれに見る、いやスパイになって初めて尋常ではない精神疲労を受けて死んだように眠っていた。
そんな彼に代わってエプロンを纏いキッチンに立つのは、ヨセフ・フォージャー。
かき混ぜる鍋の中ではじっくりと煮込まれたビーフシチュー。
「あにー、ちちしんじゃったー」
「そのまま寝かせてあげて。疲れてるんだよ」
「あーい。ビーフシツー、できた?」
「もうちょっと……ん?」
『郵便でーす!フォージャーさーん、いらっしゃいますかー?』
「あ、はーい!アーニャ、手紙受け取って来てくれる?僕、今手を離せないから」
「あい!」
ビシッと敬礼を決めて、アーニャは玄関へ。
玄関を開ければ、郵便配達員が一通の封筒を差し出してきた。
「フォージャーさん?」
「アーニャ・ホージャーです」
「これ、お父さんかお母さんに渡してね」
「はは、そんざいしない」
「え゛っ、あ、えっとごめんね。それじゃあ、コレはお父さんに渡してくれるかな?」
頬を引きつらせる配達員から封筒を受け取り、扉が閉まる。
封筒片手にリビングへと駆け戻ったアーニャは、そのままソファで死んだように眠るロイドの下へ。
「ちちーっ、ゆびんやさんきたーっ」
「…………」
封筒で数度顔を叩くが、ロイドは起きない。
そこでアーニャに天啓来る。
(あに、りょーりちゅう。つまり、ちちひとりじめ!)
思いついたら即行動。テーブルに封筒を置いて、意気揚々とアーニャはロイドの腕の中へと潜り込む。
しかし、そこは超一流のスパイ。気が抜けていても、
「うぉおおおおおおお!?なんだお前、オレの命を狙ってるのか!?」
慌てて跳ね起きてしまった。
(さくせん、しっぱい)「ちち、てがみ」
「手紙?………イーデン校からか。恐らく、二次審査の案内だろう」
流石は名門校、と内心で納得しつつロイドは封筒を開けて中身を取り出して目を通す。
そして、固まった。
「ちち、なにごと?」
「……二次審査の内容なんだが、
「!はは、そんざいしない」
最大の障壁が立ちはだかる。
「ご飯できましたよー」
「!!ビーフシツー!」
「ビーフシチュー、な?」