しなびた老人ながらも眼光鋭い人物、京都校学長、楽巌寺嘉伸は軽薄に危険な行動を取り続けながらも、のほほんとこの場に胡坐を組む青年を睨みつける。
京都高専の応接間で互いに向き合って座る学長と呼び出された狐目の和装青年。
「…田中に、
「ああ、ハワイ連れてったったついでにな。
ニヤリと笑う金髪の不良青年の太々しい態度にも、楽巌寺嘉伸は揺るがない。
「お主の実力で、銃など必要が?」
特別一級術師。
特級が占める特殊な地位を考えれば、一級術師こそが呪術界を支える屋台骨。
そう考える楽巌寺とて、目の前の人物が五条や夏油という規格外の陰であっさりと一級となった事に疑義の余地はない。
投射呪法、拡張術式、そして反転術式。
術式の評価を抜いた呪術師としての純粋な錬度では、あるいは例外コンビをしのぐやもしれぬ確かな実力。
一方で、得物を扱う事を必ずしも良しとしない術師もいる中、彼は常に帯刀している。
報告から判断した戦いぶりからすると、呪霊を祓う際に刀などほとんど必要としていないにもかかわらず。
それに加えて、今回の銃火器の仕入れだ。
「威力はともかく僕の術式と銃、実は相性ええし、
青年は着物の袖からスっと手を出して、しかめ面の爺の頭に指でっぽうを向けてバンバンと撃つ真似をする。
「相変わらず
交わされる眼光と言葉のニュアンス。そのやり取りの意味を分かってなお、綱渡りを止めない。
「
顔を青くした補助監督が報告してきた武器密輸の規模は、下手な犯罪組織顔負けだ。
いくら銃が合法なアメリカでもあっさりと行方が分からなくなっていい物量ではない。
一体何が目的だと問い詰めない訳にはいかない。
ジロリと眼光を増すジジイにも青年はどこ吹く風だ。まるで他人ごと。
「…わからん」
「なにがや?自分の歳か?」
ひとりごちたセリフに対して失礼極まりない問いかけをぶつけられた楽巌寺は怒りもせずに嘆かわし気に首を振る。
「何故、そう跳ね返る。御三家の一つ、禪院家の当主候補筆頭。その立場であれば、人や、金など、いずれ転がり込むであろう」
ましてや、歳若くして反転術式と拡張術式を使いこなすとなれば。
五条悟と夏油傑を擁する東京高専に対抗する意味でも、西の禪院家の麒麟児に期待する面々は、すくなくない。
呪術規定違反の危険を犯してまで、反転術式を使った治療で荒稼ぎなどする意味もない。
禪院家内部で窘められた折には、妥協案も拒否して力ずくで黙らせたという。
あげくに、家中の人間から切り取った体の一部を呪具に加工して並べて見せたというから、凄まじい。
問題は、その人体を呪具に加工した呪術師を、禪院家も、呪術協会も、誰も把握していなかった事だ。
一級に類する呪具の作成が可能という点、材料がよりにもよって人間の、しかも呪術師の肉体。
その術者が、現時点で呪詛師ではなくとも、一定の監視下に置きたいと考えるには十分な動機だった。
呪術協会や高専は術師たちへの指揮権をもってはいるが、実態として御三家を始めとする各家が持つ人員については、そこまで徹底的に管理はしていない。
せいぜい、等級登録や術師登録をしたり、協力を要請するのが平時の運用である。
夜峨の東京高専学長就任で、京都、東京の呪術高専学長の双方が御三家でなくなったりと、退潮気味ではあるものの、そもそも総監部からして御三家出身が多いのだ。
だから、登録さえすれば、各家が術師を子飼いとして囲う程度は、うるさく言われない事が多い。
そう、登録さえすれば。
だがその当然の要請はアッサリと拒否されていた。
年若く才能はあるが無鉄砲な術師の反抗期、名家のボンボンの道楽、たしかにそういう解釈もできる。
だが、それでは済まなくなってくる事案が積みあがっているのも事実だ。
つい最近も保護した術師の双子を連れ帰ったらしいが、今現在、協会側は所在を把握できていない。
カネ、武器、そして、人員。
「戦争ごっこでも始める気か?」
はぁーと深い溜息が、こっちの番だとばかりに返って来た。
嘆かわしいのはソッチだろうと言わんばかりに。
「こんなんキホンやろ、
「何の基本だ」
会話がかみ合わない。二人の間での前提となる認識がかみ合っていない。
「金と人と道具を集めるんはヤクザの基本やろ?」
任侠映画くらい見るやろジジイ、と知ったような口を利く。
だが、その例えは高専学長としても、先達としても見逃せるものではなかった。
「
「冗談も大概にするんはどっちや。
冷徹な目で、鋭く切り返した青年は応接室に掲げられた呪術規定を指さした。
1条(使命)
・呪術師は呪術の脅威を排除しなければならない。
2条(呪術総監部)
・日本国政府内に呪術総監部を設置。
3条(呪術高専)
・高専の役割は呪術師の教育及び監督の機関。
・学長は全ての呪術師に対して指揮できる。
・学長は呪術総監部が任命する。
・呪術総監部は学長を指揮する権利がある。
4条(呪術師の等級)
・【特級】【一級】【準一級】【二級】【準ニ級】【三級】【四級】あり、上級の呪術師は下級の呪術師を指導する。
・等級を認定、及び変更する権利などは呪術総監部にある。
・等級に応じて手当が変動する。
5条(懲罰)
・呪術総監部は呪術師に懲罰を科す権利がある。
【公開死刑】【秘匿死刑】【呪詛師認定】【封印】【拘禁】【謹慎】【財産没収】
6条(引退)
・呪術師は呪術総監部の承認を得て引退することができ、引退後の呪術師は無等級になる。
・引退後の呪術師は呪術を行使してはならない。
・ただ脅威を排除する場合はよし。
7条(脅威への対応)
・【呪霊】【呪物】【呪詛師】などを脅威とし、それを発見した場合、学長に報告しなければならない。
・救急のときはその場で制圧してもよし。
8条(秘密)
・非術師に呪術の存在を明かしてはならない、ただ脅威が迫ってる場合はよし。
9条(非術師の保護)
・非術師に呪術を用いて危害を加えてはならない、ただ他の人の命を守る場合はよし。
「呪術規定5条、令状も裁判も無しで
財産没収、拘禁、果ては死刑まで、総監部の一存で課すことができるという決まり。
2条で合法感を出してるのかもしれないが、5条は何をどう頑張っても超法規的、日本の法律ではなくて内部の掟を優先するという宣言だ。
一般社会の論理としては正論かもしれないが、呪術界に正面からぶつけるのはあまりに危険な解釈。
そもそも、この青年自体が、この規定に則って相当の数の呪詛師を狩っている。
正当化する論理がなければそれはタダの人殺しという事になってしまう。
楽巌寺としてもそんなことを言い出されては釘を刺しておかざるを得ない。
「いいか、ここでの会話は…」
「総監部に報告するんやろ。したらええよ」
それでも着物の青年は全く歯牙にもかけずに立ち上がって、話は終わりとばかりにヒラヒラと手を振って応接室を出ていった。
その後ろ姿には、長くて暗い影が張り付いて居た。
同日、呪術総監部
報告に来た京都高専学長、楽巌寺嘉伸を取り囲むようにして、闇の中に衝立が立ち並んでいる。
呪術協会を取りまとめる総監部。
その座は連綿と続く呪術界の伝統や権威の象徴でもあり、家どうし術師どうしの権力争いの縮図でもある。
「全く困ったものだな」
「野放しにするのか」
やり玉に上った青年を問題視する声は次第に無視できないものになっている。
一つ一つが、やりようのない問題ではないが、本人が折り合いをつける気がない上に積み重なっている。
「拘禁する?」
一人が発した踏み込んだ発言によって、場に沈黙が訪れた。
ここで旗幟を明らかにするのは得策か、どこまでは追い込めるか、あるいは、どのラインで留めるべきか。
場合によっては御三家、ひいては総監部内のパワーバランスにも影響のある事案だ。
「まあ、■■の…っ!?」
その時、発言をしようとした総監部の面々の一人が、衝立の裏側で息を呑んで、
「…いつからだ?
「どうした?」
突然、困惑してブツブツとつぶやき始めた者へと耳目が集まる。
他の総監部の面々はまだ
「口にできない… ■■の、コイツの名前を、我々は
「■■は■■じゃ、ろ…? っどういうことだ!? 認識阻害!?我々がか?」
麒麟児、危険分子、はねっかえり、様々な理由で、様々な立場から注目を集めていたはずの人間の名を、誰も認識できていなかった。
直接話をして来ていた楽巌寺を含めた誰もが、それを指摘されるまで気づけない、異常な事態。
「
騒然としてきた中で、最初に気づいた一人がそう呟いた。
「
古くは古代中国より本名を避ける慣習や技法は存在し、本名たる
呪術全盛の平安の時代にも避諱の慣習は存在したし、藤氏直属暗殺部隊に所属する者に至ってはそもそも名前を与えられなかったという。
貴人の伝統か、あるいは隠に身を置くもの達の流儀か。
だが、いったいなんのために?
それに答えられる人間はこの場にはいなかったが、ろくでもない目的である可能性は十分にある。
そして自分たち自身すら術中にあったという事実は、プライドと面子を保つこと自体が存在意義である総監部にとって実に重い。
対象に関する議論を慎重論から転換させるだけの爆弾であった。
ゆえに、楽巌寺の想定よりはるかに事態は動いてしまう。
他の面々が居なくなった闇の中、衝立の後ろで残った一人の人物が、思案にふけっている。
重要な案件以外であまり目立つつもりはなかったのだが、今回はつい口を出してしまった。
年を経ると何事にも心が動く事が減っていく。
一体どれほどの時間をこういった暗い孤独な思索に費やしてきただろうか。
意外な事があるというのは、それだけ面白い。
「やるじゃないか、
呪術総監部より通達
呪術規定5条に基づき、
従わなければ
ドブカス「名乗るほどの者では…行動で語るのがドブカスや!」