平日の喫茶店、それもチェーンではない地元のお店というのは、休日とはまた違った趣がある。
休日よりもその町に自体に住んでいる人がより中心となっていて、ちょっと閑散としながらも、おじさんと商談するパリッとスーツを着たサラリーマンもいれば、音楽を聴きながらレポートをする大学生、あるいは学校帰りの高校生などもいる。
さまざまな町の人たちの生の営みが、挽きたての豆とコーヒーの香りと共に広がっている。
そこに少し普通と違った組み合わせの待ち合わせが起こる事もある。
「ご苦労さん」
席の一つに座った、和装に金髪という一風変わった風体の、悪目立ちする狐顔の青年は笑みを浮かべて待ち合わせにやって来た相手に、週刊誌を掲げて挨拶をした。
明らかに雰囲気が浮いている上に、腰には日本刀らしきものまでぶら下げている。
通り過ぎた若者が、なんのコスプレだろうかと2度見する事も何度かあった。
やってきて正面に座ったのは、パンツスーツにカジュアルなシャツを合わせて、ビジネスカジュアルでありつつも垢ぬけた印象の服装に身を包んだ一人の勝気そうな女性記者だった。
青年の掲げた週刊誌にはこの記者の書いた、
それは記者にとっては、まさに目の前のこの青年がやっていたように、重病の患者の弱みに付け込む許しがたい行為だった。
「じゃ、報酬は治療費の貸しから引いといたるわ」
実ににこやかにこの青年は記者にそう申し出た。
なぜか。
この記事は、記者自身もかつて特殊な治療を受けた緑青会ではなく、全く別の新興病院が仕掛けた詐欺行為だった。
緑青会で、この和装の青年が裏で関与していた治療法は、その有り方の是非はおいておいて、効果は体感したとおり本物と言わざるを得ないモノだった。
しかし、記事に取り上げられた病院もどきのやった事は、もっと粗雑で悪質な詐欺だった。
「…あくまで、この件を明るみに出す事が社会正義の観点から適切だと判断したから記事にしただけです。情報提供には感謝いたしますが、不適当な利益供与を受ける訳にはいきません」
まことしやかな隠れた治療法とその奇跡のような効果の噂を人づてに耳にして藁にも縋ろうとする人々は、頭の回る詐欺師にとっては絶好の獲物だったようで、かなりの金額をだまし取られた人が続出していた。
記事は、緑青会経由での情報提供を元に、患者サイドや周囲の関連病院の証言を集めて、裏どりをして纏めたものだった。
記者が行った裏どりの証言は驚くほど多数集まって、記事も拍子抜けするほど一切横槍が入らずに特集として出された。
かつて緑青会の、目の前の青年の件を相手にしようとした時とは全く違っていた事に、記者は改めて皮肉を感じずにはいられない。
「ふーん、なら親御さんが出すの断った分のお金、身体で払う?」
記者は自分が受けた特殊治療の法外な治療費を親が出すのを、拒否していた。
それはプライドの問題でもあり、通すべき筋の問題でもあった。
「っ下種な…」
「いやいや、若い女を借金でカタにハメといて、口説きもせんのは人としてどうなん?」
ニヤニヤと笑う男を前にして、女性記者は嫌悪感を露わにする。
そんな彼女の行動を嘲るように、あるいは揶揄うように、この男は下世話な軽口を叩いていた。
「どんな歪んだ環境で育ったらそんな倫理感になるんですか」
「不良債権の癖に生意気やな。親が貼ってくれた値札剥がして10割引の値札貼っとるんは自分やろ。ティッシュ以下やで。文句あるなら金払えや」
そもそも親が支払う契約までしたお金を、代わりに払えもしないのに自分が交渉するなどと言い出した相手にこうやって付き合っているのは、この男の気まぐれだ。客ですらない相手のクレームなど知ったことではない。
若くて女で無ければ、そもそも下世話な駆け引きの相手にすらされないだろう。
だが、それはこの男の論理だ。
本来、患者の意思を無視した治療、しかも原理も手法も謎な治療など、訴訟対象であり、いくら家族が契約したからといって、その契約内容の履行そのものの適法性に問題があるのであれば、支払いについても不当とする余地は十分にある。
それが記者の女側の論理だった。
「そちら契約の支払いについて不満があるなら、以前お伝えしたように訴訟を起こしてはいかがですか。私は受けて立ちますよ。その結果、支払いを命じられるのであれれば、親に頭を下げてもお支払いいたします」
「はーめんどくさ」
わかりやすく溜息をついた青年は
「時間の無駄や。僕が時給でいくら稼げると思てるねん」
と手をあげて肩をすくめた。
そもそも争点になっている治療そのものが、全く驚くべきことに、たった数分で終わっている。その程度の時間の損失に対して訴訟などやっていられないというのは、全くその通りだろう。
単なる金銭のやり取りに関する訴訟ならある程度は代理人に任せる事もできるだろうが、この件を訴訟すれば治療そのものが争点になり、彼自身も争点になってしまう事は明らかだ。
「それより、アナタはこれでいいんですか。緑青会のやっている事にも影響があるんじゃないですか、この記事は」
「んー僕こないだ実家継いだから、もう小遣い稼ぎはそんな積極的にせんでもええしな。まあ付き合い程度には顔出すけど」
強引に話題を戻しても、青年は動じない。
「ま、後片付けやね。立つ鳥は後を濁さず言うやろ。別に馬車馬みたいに治療する義理はないけど、自分が立てた噂で金騙し取るやつを放置するんは癪やからね」
「…どういう実家なんですか」
「わかりやすい探り入れてくるやん」
狐のような目がすいと少し踏み込んできた記者のほうを見る。その視線にはぞくりと生理的な恐怖を引き起こすものがある。この生き物は危ない。なけなしの本能が警鐘を鳴らすほどに。
「せやなぁ、マジカル極道? 付き合いのあるとこからマジカルみかじめ料もろて、後は普通に地主」
「宗教系、という事ですか」
「そうそう、除霊とかな」
緑青会病院自体が宗教系の病院で、普段からこの和装である。なんらかの宗教系団体と関わりがあってもおかしくない。
そもそも青年の力がホンモノなら、いくらでも信徒など集め放題であろう。
それよりも、この軽いやりとりから、記者の勘が訴えかけるものがあった。
本能が鳴らす警鐘とは真逆の、好奇心の猫が鈴を鳴らす。
「…私も、それなりに真剣に人に取材をしてきたつもりです」
人にはいろいろなタイプがある。
取材に対する姿勢もその一つ。
頑なな人間や警戒心が強い人間もいれば、口の軽い人間もいる。
「人間の事について、少しはわかるようになってきました。治療に除霊、お金になるでしょう。でもあなたはお金に執着するタイプじゃない。お金を使って遊ぶタイプ」
「ふーん?」
そういう経験や感触に裏付けられたセンスがささやく。
「ですので、記事にお礼をしてくださるのであれば、一つだけ、聞かせていただけませんか?」
「
ギブアンドテイク、取引を重視するタイプの人間は、いわゆる反社、やくざ者のなかにもいる。それも中でも危険なタイプだ。なぜなら、取引の強要というのは、人間を支配する手段になるからだ。
「あなたは、もっとヤバい遊びもするのでは?それも聞かれれば隠すこともなく」
青年はその指摘を聞いて面白そうにニヤリと笑った。
ああ、そうだ。そういう反応だろう。
露悪的で、それでいて悪びれない。自分の倫理が世の中と違っている事になんらの呵責も恐れもない。
ケーキをきっちり切り分けられるのに、犯罪自慢を平気でするようなタイプ。
「アカンもんがゴロゴロあるアトリエ、見に来る?」
賭けには勝った。勝ってしまった。
闇を覗く、取り返しがつかない賭けに。ぞくぞくと大怪我を経て取り戻した下半身の傷が熱を持って疼く。
「はー、相変わらず惚れ惚れするほど巧いな、速い上に速さがぶれない」
ツナギを纏った若いスキンヘッドの男、この森の中のアトリエの主が、着物を着た青年の手元を見てしきりに感心している。
「ま、そういう術式やしね。僕はイメージできる作業なら一分の狂いもなくできるし、失敗もせん」
彼の手がくるくると動き、手品のように加工が進んで、一切のよどみなく終わる、それはまるで人間精密工作機械だ。
もちろん工作機械に比べれば時間分解能も加工精度も高が知れているのだが、手作業にこそ意味がある工程もある。
「アーティストにはインスピレーションが重要だが、それを形にする技量も重要。そう、つまり、お前は相棒だったか…」
「また変な電波受信しとるな」
ほい、と完成した人形を、二人の少女にひとつずつ手渡す。
少女たちはわあと喜んでそれを受け取っている。このアトリエに住んでいるらしい。
「うぇ、うぉぇえ」
吐瀉物を床にまき散らした客人は床に蹲って震えながら、談笑する住人たちと目を合わせられないでいた。
「うわ、またか。お姉さん吐きすぎ…」
「掃除たいへん。でもご褒美ある」
吐き出したものの掃除と、このアトリエの案内をした少女たち、年端もいかない彼女たちに怯えの色はない。
「あ、あなたは、こんな、こんな事が許されるとでも…」
「いうて、隣でオブジェになっとた連中も大概クズやで。あのだるまとか分かってるだけで軽く百人くらいは一般人殺しとるし」
後から聞いた話では殺し方の下劣さも相まって捜査本部も作られていたにも関わらず捕まえる事ができていなかったらしい。
五条の誕生で呪霊が活発化していた時期というのもあって呪詛師は野放し気味だった時期だ。
「僕は今ん所、だいたい呪詛師狩りやし、大分ええほうやで」
男はそっと記者の肩に手を置いた。
ひっと情けない悲鳴が漏れ出る。カタカタと身体が震える。この男は手を触れるだけで人間を治して、そして壊せる。
ニンゲンを死ぬより酷い目に遭わせる事も涼しい顔でできる。
元々拾った命。死ぬ覚悟は、してきたつもりだった。
だが、ここでは人間としての死に方は愚か、猫程度の尊厳ある死に方すら、出来ない。
尊厳を一切剥奪された養殖された家畜としての死、それが、それですらが、ここにある一番マシな死に方だ。
覚悟は、全くもって足りていなかった。
「ええもん魅せたるわ」
肩を掴まれて案内されたアトリエの一角に置かれた、大きくて豪華な天蓋付きのベッド。
額縁の様に置かれたそのベッドに展示されていたのは、彫像のようにピクリとも動かずに横たわる、なまめかしい姿の全裸に見紛う女性だった。
いや、その女は実際には全裸だった。
背中から回り込んで胸を隠す水着のようなモノは、体から直接生えてた小さな蝙蝠のような羽だった。
下半身を隠す青いスカートのようなモノは、腰から生えたタコ足のような触手だった。
唯一身に付けているのは、首に嵌めた首輪だけ。
まさか死体なのかと思われたが、青年が
その蕩けるような顔と、目が合った。
「…え?」
記者の脳が、目の錯覚を訴えて、混乱する。 その顔は。
「わ、たし…?」
「君、治療費踏み倒して裁判起こせとか言うとったやろ?めんどいから、君の身体で返して貰っとってん」
青年は異形の女の裸足を撫でながら言った。
足にも爪にも個性がある。見慣れていなければわからないが、その足は、さすがにわかった。
事故で切り落とした、自分の足だ、と。
「さすがに、かなり足りんかったから大分色々継ぎ足したけどな」
はは、とはじめて楽しそうに笑う。
「いや、マジでスッゲェよなぁ。ソレ。オレも手伝ったから、動いてるだけで感動もんだよ」
ついてきていた赤黒い汚れのついたツナギの若者が、呑気にそうコメントした。
自分の裸体が晒されている、この場に他の人間が、それも男が増える事が、とたんに彼女の羞恥心を掻き立てる。
「人間の断片に呪霊を継ぎ足してスタイリッシュに修復とか、端金踏み倒された腹いせで発揮していいインスピレーションじゃねーだろ」
呆れたような感心したような感想を言う、この世の地獄が煮詰まったアトリエの主。
「そのキモになる呪霊の骨肉の呪物化は君の術式頼りやけどな」
呪霊の血骨肉を呪物に加工し、肉体に、肉体の一部に受肉させつつ反転術式を回す。
呪霊の肉体は呪力で構成されていて反転術式による正の呪力ではむしろ破壊されてしまうが、受肉した体は肉体としての性質と呪いとしての性質を併せ持つ。
だが、一つの人間に受肉する呪物を一つの呪霊や人間から作る、それすら高度な技術力の要る事だ。それを部分と部分でやりつつ、呪力で修復するというのは、曲芸を超えた、神技の域だ。
だが、それをやってのけた狐目の青年にしてみれば、それは難しくはあっても単なる曲芸に過ぎない。
世界観の、呪術観の違いだ。
人間の体の一部に魂の情報を圧縮して格納し、それを再展開するのは難しい。
それに比べれば、反転術式で欠損を無から生やせるなら、まだ生きている細胞を増やして修復出来てもおかしくないし、無から手足を生やすより素材となる血や肉があった方がより簡単だ。
呪霊を使って作った呪物には魂も術式もなにも刻まれていない。ただの素材。
免疫は?臓器の適合は?血液型は?
それらは生物を扱うと思うから問題になる。
コレは人間というより、ほとんど、人型の呪具だ。
剣に取り付けた手が臓器も無しに自律行動できるなら、人の肉で出来た人形が自律稼働できてもおかしくない。
どうせ人形なのだから、材料に混ぜ物をしても形がそれっぽければ、問題ない。
そういう思考と世界観で出来上がっている。
笑顔で懐くソレを撫でながら、青年は言った。
「コレ、持って帰ってええで」
「…え」
記者は何を言われたかわからなかった。
「もともと
取引を重視するタイプの人間は危険なタイプだ。
なぜなら、取引は人間を支配する手段になるから。
「
どうしようもない。
ソレを返却されても、自分の生き写しの姿をした人間を殺して埋めるか、外に出せない人間を飼い続けるしか。
これに親を巻き込むのは、絶対にダメだ。
どう考えても
そういう発想を、
口が、からからに乾いて何も言えない。
「ま、
垂らされた蜘蛛の糸は、救いではない。
しかし、縋らざるを得ない。
ドブカス「これでも一部自粛してんで」