ある市立病院の若手医師は初めは仕事が忙しいと取材には及び腰だったが、ようやく時間を貰う事が出来た。
トピックはある病院についての噂。
「保険適用外治療、と一口に言っても色々あって、仕方なく高額なものもあります。例えばアメリカでしか実績が無いけれど効果は確認されている手法とか、そもそも日本に経験者が居ないので海外に行かないといけないとか。日本は皆保険ですからね、アメリカの医療費はビックリするほど、そもそもが高い。まあ話が逸れましたね。基本は理由があって高いんですよね」
そこで医師は言葉を切って、ふーと溜息をついた。
「でも緑青会は・・・これ、本当に僕から聞いたって言わないでくださいね? 数百万どころか…数千万って金を取るらしいです。しかも、事前の治療方針の説明はほとんど無しで秘密保持契約まで結ぶそうです。知り合いから偶然聞きましたけど、こんな無茶苦茶な事は聞いた事がないです。トンデモ医療だって、尤もらしい説明はしますよ。でも、追いつめられた患者はああいう藁にも縋っちゃうんですねえ」
年齢よりも老け込んでみえる若手医師は疲れ切った顔で深々と溜息をついた。
「その知人の連絡先?いや、それはちょっと勘弁してくださいよ。こっちもここだけの話って言われてるんですから。紹介は出来ませんよ」
食い下がって見たものの、それ以上はその話を追う事はできなかった。
付近のとある開業医の中年男性は取材に快く応じてくれたので、さっそく件の病院の件をぶつけて反応をみる。
「緑青会病院の噂?…まあ色々ありますね。宗教系の病院は色々ありますけど、寄付や勧誘がーとか、色々。でも基本的に来るもの拒まず、急患や面倒な患者の受け入れも拒まない方針でやってくれてるんで、ウチとしてはありがたいですよ。地域の最後の砦みたいなね」
返ってきたのは意外にも悪くない評価である。
確かに受け入れ実績は近隣の病院と比較しても高い事は資料からも確認できる。
そこで、例の黒い噂についても真相を確認すべく話を振る。
「保険適用外の高額治療? ああ。アレの事かなぁ。いや、でもアレはなぁ」
すると思い当たるフシはあるようだが、とたんに言い淀む。
「これ、オフレコでお願いしますよ」
記録にとらない事、名前を出さない事、そう念を押して男性医師は声を落として話を続けた。
「その患者はまだ若くて、ここらの良いとこの一人息子で、出来も良くて、東京の大学行って向こうで就職して、こっちに戻って家を継いで欲しかったってのが、そこの親御さんの、まあ自慢交じりの愚痴だったわけだけど…がんになっちゃってね。息子さんはこっちに戻ってきて療養。親御さんのほうがほうぼう病院を探したりして、やつれにやつれて、まあ気の毒だったね」
「それは御気の毒に……。」
お金持ちの一人息子が大病。確かに気の毒で、そして、いかにも騙されてしまいそうなケースである。
「その息子さんが、緑青会に入院する事になってしばらくしてからね。そこの親御さんが結構な額の土地を売りに出したの。なんで知ってるかって?表に出る前に不動産屋から紹介されて買ったのが僕だからなんだけどね」
それまで気の良いおじさんにしか見えなかった中年医師の笑みが、少し恐ろしいものに変わったように感じられた。
「かなりのお金が要りようだった、と」
「大きな額の取引だし、知らぬ仲じゃないから、契約の時には顔を合わせる訳ですよ。そしたら、ずいぶん晴れ晴れとした顔で、緑青会に紹介して頂いて、ありがとうございますって。僕もね、患者や家族の顔は随分見てきたから分かるんだけど、子供が治らない病気に罹ってて、ああいう顔はできないのよ。それで聞いたら、退院して東京に戻りましたって。以前の状態から考えると、起き上がれるようになっただけでも、ちょっと信じがたかったですね」
医師は結局その患者の詳細をそれ以上語る事は無かった。しかし、不動産の登記情報を当たると、取引先を絞り込む事が出来た。
だが、住所として記載されていた大きな邸宅に伺っても、留守になって居た。
周囲の人に寄れば、どこか別荘のほうに移って、ここにはあまり戻っていないらしい。
郵便は転送されているようなので、取材の申し入れを行ったが、返事は返ってこなかった。
次は、提携を結んでいる私立総合病院の有名医師からの証言をいただいた。
その内容は衝撃的な示唆を含んでいた。
「…これ、僕から聞いたって絶対言わないでくださいよ。一応提携先で関係ぶち壊したら僕個人の問題じゃなくなっちゃうんだから」
判を押したように繰り返されるオフレコの要請。しかし、前置きとは裏腹に、その医師は話したくてしょうがないように見えた。
「でも、本当に、あそこはヤバい。移植じゃないとほぼ治らない患者を回したことがあるんですよ。紹介状書いてって言われてね。でもドナー待ちは病院ごとじゃないから、適合するドナーなんてそうそう出ないのは、こっちでもわかるんです。…なのに、回復したんですよ。患者が。街中を普通に歩いてました。他人の空似かと思ってビックリしてたら、普通に挨拶されましてね。どういう事なのか聞いたら、気まずそうに治療内容は一切話せない契約だって」
「おかしい、と」
せきを切ったように話をする医師の話に相槌を打ちながら切り込むと、食い気味に頷きが返って来た。
「おかしいでしょ。あの症例が移植以外で治ったらめちゃくちゃ価値の高い症例報告ですよ。でもそんなのは聞いた事ない。移植だったとしても、紹介状書いたこっちに何の連絡もないなんて事はありえないですよ。それに、医者には守秘義務ありますけど、患者に守秘義務課すなんて聞いた事ない」
「移植じゃないと治らないというのは確実でしょうか」
今回の話の肝は恐らくここだ。
口早に話をしていた医師も、そこでは流石に即答をしなかった。
しかし、より正確を期すようにゆっくりと、肯定の言葉を紡いでくれた。
「僕の知る限りでは、そうだ」
であれば、記者の方ももう一歩踏み込むことが出来る。
「それは、ヤミ移植が行われた可能性がある、と?」
「可能性は、否定できない」
ぞくりと肌が粟立つのを感じた。
それがもし事実なら、不祥事どころの騒ぎではない、大スクープだ。
記者はまとめた内容を手に、編集部の中の一室で編集長と直談判していた。
社内とはいえ誰が聞いているかわからない場所で出来る話ではない。
記者は顔を真っ赤にして、編集長に詰め寄っていた。
「どうしてですか。こんなに、証言が集まってるんですよ!緑青会には何かあります!しかもその内容がヤミ移植かもしれないっていう発言まで取れたんですよ」
「でもなぁ。医者たちは、結局、皆オフレコ希望で、具体的な個人名は誰も出さなかったんだろ」
編集長が苦虫を嚙み潰したような表情で問題点を指摘する。
「…う、それは守秘義務が」
「そこだよ。こういうのは、患者側からも裏取らないと。ただの誹謗中傷になっちゃう訳。まあ、飛ばしの記事を出すことはあるけどさ。大病院相手にそれをやったら確実に訴訟だよ」
「患者側にも、当たってはいるんですが」
「証言はなし、ね」
「これだけ噂があるってことは、記事が出てれば、名乗り出てくれる人もいるはずです」
ふーと編集長は煙を吐き出した。
逃げ場のない部屋の中で、煙が顔にかかる。社内での喫煙は禁止になったはずだが、見えない場所ではこうやって吸っている人間が多い。
「実はね。圧力が来てる。ビックリするほど上の方を経由してね。緑青会には恩があるから、不当な中傷は許さんぞってね」
「は?」
記者は今度こそ耳を疑った。
なにせ、記事はまだ出ていないどころか、原稿すら出来ていないのだ。
原稿が出来上がって内容が社内や印刷所に知れてから待ったがかかるのとは訳が違う。
「緑青会を探ってる事、向こうにはもうバレてるよ」
「そんなの逆に何かあるって言ってるようなものじゃないですかっ」
記者は興奮して机を拳で叩いた。
探られて痛くない腹なら、圧力が飛んでくる方がおかしい、はずだ。
「…本物」
「え?」
「あそこには本物のナニカがいる」
その瞬間、静まり返っていた会議室の空気が微妙に変わった。
記者の携帯電話が、雰囲気をより緊迫させる予兆かのように不意に鳴り響いた。
謝罪の言葉を口にしつつ、記者は電話を見ると、その画面に映し出された名前に一瞬躊躇うが、編集長がそれを許さず「出ろ」と命じた。
「もしもし、父さん?今、ちょうど仕事中で…」
電話の向こうから聞こえてくる声は、いつもの落ち着いたものとは異なり、どこか焦燥感を帯びていた。
「まさにその仕事の話だ」と、父は切り出す。
彼の言葉には、長年培った経験から来る重みが感じられ、電話越しにもその苦悩が滲み出ている。
「今までは黙って見守ってきた。だが、この緑青会病院の件だけは別だ。これ以上関わるな」と、彼の声は更に厳しくなる。
その一言一言には、ただの忠告を超えた、切実な願いが込められていた。
しかし記者は反射的に声を上げた。
「いきなり何を言うんですか!?」
「…おまえのためなんだ。世の中には、おまえの知らない、知らなくていい世界がある」
会議室の緊張感は、まるで厚い霧が立ち込めるように一層濃密になった。
その忠告は、間違いなく父親としての深い愛情と年長者としての経験から発せられたものだった。しかし、それは拗れて伝わってしまう。
「信じられない。実の子供を脅迫してるんですか。そんなものがあるなら、光を当てるのが記者の仕事です」
ブツリと通話が終わり、静寂が戻った会議室で、記者は重い視線を編集長に向けた。
電話がかかってくるのを知っていたかのような態度の編集長へと。
「...父に連絡を取ったのは、あなたですか?」
その問いかけには、裏切りへの疑念と失望が混じっていた。
「いいや、俺じゃない。でも会社の上に圧がかかって当事者が君だったら、君の親父さんの所にも話が行くのは当然だ」
編集長は深く息を吸い込みながら答えた。
その言葉には、業界の複雑な力関係と、そこで生き抜くための苦悩がにじみ出ていた。
記者の父は、ある地方の代議士で、地元では名士で通っていた。
入社にあたってコネを使ったつもりは無かった。しかし、時に会社の上の人間は当たり前のように父親へのコネクションを使えと要求してきた。
そして当たり障りのない紹介を通して、本人の知らない所で、関係作りが行われている。
めまいを通り越して、吐き気がする。
編集長は記者の目をじっと見つめて最後通告のように言い放った。
「このままじゃ記事にはならん。それに、これ以上は諦めろ」
しかし、記者はその言葉を受け入れることなく、強い意志を持って反駁した。
「お断りします」と、その声には揺るぎない決意が込められていた。
その瞬間、彼女は決断を下し、会議室を後にする。
ドアがばたんと閉まる音が、その決意の重さを物語っているかのようだった。後には、どうしたもんかね、と煙を吐く編集長だけが残された。
一月の時が流れ、緑青会病院に関する深い闇を解明する手がかりを追っていた記者は、地道に足を使って、とうとう高額治療を行ったと思しき患者家族の所在を突き止めて、アポイントメントを取る事に成功した。
その当日、アポイントメントに向かう道の交差点で、記者は轢き逃げに遭った。
目撃者は無かったが、なぜか救急車は呼ばれたらしい。
病院への搬送が早かったことも助けとなって、一命は取り留めたものの、両足切断の大けがを負った。
皮肉な事に、入院先は最寄りの緑青会病院であった。
意識を取り戻し、親に自分の状況を知らされて頭がぐちゃぐちゃになってから数日後…
「どうも」
そう言って病室に入って来たのは、まだ若い金髪の青年だった。
身長は低めで、和装の上から白衣を羽織っていて、おまけに腰には…刀??
何から何までちぐはぐな恰好で、悪目立ちしそうな恰好であった。
顔つきも、まだ若いというより、幼いような気さえしてしまう。
「先生、なにとぞよろしくお願いいたします」
ところが、病室につきっきりだった父と母はその異様な出で立ちの怪しい人物に、みっともないくらいの勢いで頭を下げた。
「まかしとき」
その言葉に答えるように、先に来ていた担当医師が、てきぱきと私の足を台の上へと乗せて手際よく包帯を解いていった。
「っ」
縫い目のある生々しい傷跡が露わになって、現実を見せつけられる。
あるはずの、あったはずのものがない。
「本来術野は隠すんだが、君は見学したいだろうから、そのままにしておくよ」
その担当医の言葉に、怪訝な顔をしていただろう私を尻目に、「先生、お願いいたします」
と声をかけられた金髪男は、無造作に私の足をつかんだ。
あつい。
その金髪の男が手を触れたところから、何かすごい熱量を感じた。
痛みは感じないのに、膨大なエネルギーを感じるという矛盾。
そして、目に映る光景はそれ以上に信じられないものだった。
足が、潰れて切断されたはずの、膝から下が、まるで風船でも膨らませるかのような速さで、生えて来たのだ。
「っうそ」
両親も抱き合って息を飲む音が聞こえる。
ばきぼきと、自分の足が生えてくるという感じた事のない感覚。
それに圧倒される内に、処置は終わっていた。元通りの足になるまで、たった数分しかかからなかった。
「「お疲れ様です」」
医師や、両親が、一斉に揃って頭を下げて、労いの言葉をかける。
だが、ようやく私には事態が飲み込めた。
「この病院が隠していたのは、貴方か。それを嗅ぎまわったから、私はこうなった、と」
つまり、元凶はコイツ、この事故と治療は完全なマッチポンプなのだ。
しかし、睨みつけられても金髪男は首を傾げる。
「君、勘違いしとるかも知らんけど、僕や病院側は君になんも手出ししとらんで。僕はただお金もろて治療してるだけ」
「嘘だ。ならなんで私がっ」
父ががばりと駆け寄って肩に手を乗せて、割り込んでくる。
「おい、止めなさい。治療してくださった先生に失礼だろう」
気に入らない。
意味不明な力を軽薄そうに扱うこの男も、その男を調子に乗らせている周囲の人間も。
慌てて父が話をやめさせようとするのも、なにもかも気に食わない。
睨みつけた私を狐のような目が見下す。
「君が怒らせたんは、患者側」
「は?」
最初は言われた意味が解らなかった。
しかし、事故に遭ったのは、患者家族に会いに行く途中。時間と場所を指定したのも相手。
指摘された可能性に、ぞくりとする。
「順番待ちしとる人や経過観察中の患者もおるねんで。もし騒ぎになって、僕が緑青会から手を引こうもんなら、大金払ってまで助けたい大事な人間の命に関わる」
「だからって!こんな仕打ちが許されて良い訳が…」
青年は肩をすくめる。しらんがな、とでも言いたげに。
「犯人探しするんは勝手やけど、僕を巻き込まんといてな?カタギに手ぇ出したと思われるんは面倒やから」
「申し訳ありません。この子にはよく言って聞かせますので、どうか、どうか」
父が恥も外聞も無く土下座せんばかりの勢いで頭を下げ始めた。私にはそれが我慢ならなかった。
なんなんだ、これは。これが仮にも法治国家でそこそこの地位にあった人間のする行動なのか。
「…私は、負けませんよ」
決意をもって睨みつけた視線の先の金髪男は、あろうことかゲラゲラと笑い始めた。
「適当な記事で他人の客商売潰すんが勝ちなん?それで恨み買ったら被害者面て。笑わすなや。ま、君がアホな事書いたら、親父さんが賠償してくれる契約やから。よかったな、親御さんがお金持ちで」
ひらひらと手を振って金髪男は去っていった。
私はそれを歯噛みして見送るしかなかった。