術師として呪霊を狩るために色々な地域を回っていて、かつそれなりの金が手元にあるのなら、お買い得な土地や物件を買う事くらいは難しくない。
なにせ基本的に呪いの住まう案件の現場は、安売りされている事が多い。
専門家が引き取ってくれるならむしろありがたい。さっさと手放したい。という持ち主はいくらでもいるし、リスクを考えれば当たり前の選択の一つである。
ある山に建つ死んだ芸術家のアトリエも、そんな風にして引き取られた物件の一つだ。
芸術家自身が工夫を凝らして設計した建物は、近代的な作業場としての大型ガレージと木造の風情のあるコテージの中の生活空間が融合しており、建物それ自体も評価が高い物件だった。
芸術家一家が怪死し、呪霊が巣食ってしまうまでは。
広大な敷地の土地値以下で叩き売られてしまったが。紆余曲折を経て、このアトリエにはまた一人のアーティストが住む事となった。
都会よりもはるかに広々とした山林の空を切って飛来したなにかが、アトリエのガレージ屋上スペースに降り立った。
それは和装を纏った青年だった。
コンクリートのガレージに降り立った人物は慣れた様子で、屋上の扉の合鍵を使って中に入ると、薄暗いガレージの中へと入っていった。
中の広々とした空間は様々なオブジェで溢れている。
大きな材料を持ち運ぶ家庭用のクレーンやら、メカメカしい工作機器、芸術家が遺したらしい作りかけの裸婦の彫像、金属を加工するための炉に金床まで。
いたた、さむむっむっ
ひゅうひゅうと息漏れの激しい声を発したのは訪問者の方ではなく、このガレージの住人のひとりであった。
「あべっ?こべっ!?…あったくてぇ??きもちぃ…!」
要領を得ないくぐもった呟き声を発しているのは、ガレージの天井から鎖で逆さに吊るされた、筋肉質な男…だったらしきモノ。
見れば、その男の全身の皮は剥ぎ取られ、じゅくじゅくと血が滴っていた。
血は漏斗に集められて、汚れがこびりついたビンに貯められている。
目はぐりんとひっくり返って、口からはよだれが、鼻からは鼻水が垂れ流されている。だが同時に体にまとったわずかな呪力が、男の生命力も感じさせる。
訪問者は、それを見て目を細めて、顔をしかめた。
「また素材剥いでもうたん?」
狐目の青年は、あーあという口調で、ややとがめるような視線を送る。
視線の先、薄暗いアトリエの奥に居たのは、黒い作業着を着たスキンヘッドの男だった。
「結局、ボクがおらんと再収穫出来んから、在庫増えへんやろ。いくら頑丈でも傷んでまうで、あべこべちゃん…おい、聞いとるか?」
げしりと青年が振り返ろうともしないで、なにかゴソゴソと作業台に向かってやっているツナギの男、組屋鞣造を蹴りつけた。
「んだよ、平気だって。コイツはこれが好きなんだよ。なっ?」
だが、振り返ったスキンヘッドの男、鞣造は気にした様子も、悪びれる様子もなく、逆さに吊られた男に嗤って同意を求めた。
「う、ううんんん。うううん?ぎゃぎゃくに?ぎゃくにねぇ」
うめき声とともに返ってくる答えが、中途半端に意味を成しているところが、逆に空恐ろしさを感じるだろう代物だったが、残念ながら、あるいは幸いにして、この場にはそのような健全な感性の持ち主は不在であった。
「はよ反転術式のアウトプット覚えーや」
以前から出している宿題が出来ていない生徒にあきれたような口調だが、それは宿題の要求水準が高すぎるというものだ。
「いちいちボク呼ぶんはだるいし、素材から自分でやったほうがええもんできるやろ」
「チッ。わーってるよ。俺だって覚えたいつの」
苛立ちを隠せない様子で舌打ちをするのも無理はない。
なにせ、まともに反転術式がアウトプット出来る人間など、若干の未来を含んだとしても世界に数えるほどしかいない。
「材料取り放題とか最高すぎだろ」
この職人気質の男が切実に欲するような、他人の欠損すら治せる水準となると、それこそ史上を探してみても僅かにしかいないだろう。
「未だに自分に反転術式も出来てねぇ。自分のだけでも使い放題なら練習にもってこいなんだが」
そう言って鞣造は練習に使ったのであろう包帯の巻かれた足を指差す。
血が滲んでいるところを見るとそう古いものではない。この趣味と職人の世界に生きる男がそれでも反転術式の修練にそれなりの時間を割いているのは確からしい。
「ま、手本は見したるで」
狐目の訪問者が逆さ吊り男の身体に手を触れると、露出して血だらけだった身体が、みるみる内に再生した肌に覆われていく。
「ぎゃぎゃ、ぎゃくにぃぃ!?」
「おぉー」
その手並みに感嘆の声が上がるのは、ある程度見慣れたとしても変わりはない。
むしろ鞣造などは当初より呪力への理解が進んだ分、その異質さと高度さがよりはっきりとわかるようになった程だ。
回復作業を終えた青年は、ポンと手を叩いて思い付きを口に出した。
「そや、反転術式と言えば、ブタの〆かたもいっぺん見したろか」
まずは適当にイキって好き放題しとる呪詛師を用意しまーす。と、クッキング番組でもやるかのように、軽い調子で懐から一枚カードを取り出して、
「あぎゃあ、ゆ、ゆるしてー」
どさりとコンクリートの床に尻もちをついて、気の抜けた声で現れたのは、痩せたカエルのような風貌の呪詛師の男だ。
飼いならして調教した呪霊を使って様々な事をやらかしていた。しかも調教された呪霊は本来の等級に比べて派手な被害はでなくなるので等級を過小評価されてしまう事が多く、術師にも被害が出ていた。
カード化されていたのはもちろん
「まあまあ、殺しはせえへんから」
軽薄そうに嗤う青年は、その言葉とは裏腹に、腰に佩いていた刀を抜き放って見せる。
ぬるりと光る黒鉄の刀身を持つ日本刀。その刃紋は独特の節目を持った、まるで魚の背骨のような紋様になっている。
「
はじまるのは呪具である刀の解説。情報の開示。
青年はピタピタと刀の平で呪詛師の肌を軽く叩く。
「だから、繊細な動きがでける」
すうと刃が呪詛師の肌の上を撫でて薄皮の上をなぞってゆき、その顔が青褪める。
「呪霊の血ぃとか、おっさんの冷や汗の味とか、舌で味わう気ぃはないけど、刃で味わう分には、なかなか、乙なもんやで」
呪詛師の目はきょろきょろと周りを見渡して、なにか助けになるものは無いかと探しているが、逆さ吊りの男とヤバい風体のスキンヘッドの男しか見つからない。
「ひっひ、はい、ソウナンデスカ」
「で、今からやる事やけど…まず君のアタマにこの刀をぶっ刺す。ちょっとザクッとするで?」
軽く吐かれたその言葉どおり、ザクッと眼窩から潜り混んだ刃は、深く突き立てられる。
一切の躊躇も無かったし、ほとんど宣言と同時にぶち込まれたその暴挙に手も足も出すことができず、ただ、びくびくと痙攣に近い挙動で固まっている。
「ひっぁぁ。こ、こ、こ」
「大丈夫大丈夫。殺さん殺さん。反転術式かけとるから、痛ないやろ」
こうゆう繊細な操作が出来るんがこの刀のええとこやね。といいながら、作業は次の段階へと進む。
「んで、ちょっとクチュっとして…反転かけながらスッと引き抜く」
「はっはっはっ ひゅーひゅー」
解放された呪詛師の荒い息の音がガレージへと響き渡る。
いろいろなモノで溢れているはずの場所が、この上なくがらんどうであるかのように。
「どや?たいしてなんともないやろ?」
「ふーふー。はーい、な、なんともないですぅ」
恐怖で一段と痩せてしまったかのような顔で、自分の顔をペタペタと確認している。
そこにはもう傷ひとつないし、血すらもついていない。
「ええ子やね」
青年がポンポンと肩を叩いて、そう優しく声をかけると、男は素直に、
「悪い事するとかな、約束をしておいてわざと破るとかな、そういうんは、アカンことや。でもアカン事をやるのも実は結構複雑で難しい事やねん。発達障害の子供とかは、自分の決まり事を守らんで破ると、困惑してパニックになったりするしな」
ましてや呪術師は縛りを知っているし、使う事も出来る。約束や決まりの意味は重い。
それでなお渡世の掟を逸脱するのが呪詛師であるのだが。
「ま、そういうアカン事をしてまう困った奴らの治療方法として昔考案されたんが、ロボトミー手術いうて、脳に鉄針ぶっ刺して前頭葉との繋がりぶった切って精神病治療するいう、外科的精神治療法や」
考案者がノーベル賞で称される程、画期的とされた手法。医学界の黒歴史。
多数の犠牲者を出して後に、著しい人権侵害であると認定されるに至った禁忌。
「ところが、まあ大人しくなる効果はあったにしても、そもそも複雑な事考える機能を雑にぶっ壊すわけやから、治療のはずが廃人続出で大問題になってんけどな」
「ふ、ふーん?」
男はよだれを垂らしたあどけない顔で、首をかしげる。
おせじにも可愛いとは言えない容貌で子供のような仕草。そこにはもう、先ほどまでの恐怖はない。
「うん、もう
金髪の青年は老獪な狐のような目をスキンヘッドの男へと向けて指さすと。。。
「今日からこのにーちゃんが世話してくれるから、ええ子にしとき。約束やで?」
「は、はーい!いい子にしまーす!約束ー!」
呪詛師だった男は、ウンウンと首を縦に振りながら両手を上げてそれに応じた。
「…いや、アンタ、スゲェわ」
一連の手並みを見ていた組屋鞣造は半ば呆れながらもパチパチと手を叩いて称賛した。
「ここまで鮮やかに人の心ぶっ壊すヤツ見たことねぇ」
「こんなに繊細な事できるんは道具のおかげでもあるで?ホンマええもん作ってもろたわ。…硬いもんに叩くと金玉ぶつけた位クソ痛いんが文字通り
青年は鞘に納めた刀をとんとんと叩いて、口を歪めてニヤリと笑った。
アトリエのコテージ側に来て珈琲を飲む青年に、鞣造はかねてからの疑問をぶつける。
「でも、マイナスとマイナス?でプラスだとか言うけどよぉ。だいたい呪力の掛け算てなんだよ?」
そもそもの反転術式の理論に疑問を投げかける弟子に対して、師匠の回答は実に軽いものであった。
「雰囲気や雰囲気」
「雰囲気ぃ?」
うげぇと舌を出しながら、訳の分からない事を胡乱げなものを見る目で先達を見返す。
「ええこと教えたるわ。呪力の捉え方は人それぞれ、術式しだいや言うけどな。僕の解釈に依れば…呪力は
コンコンと自分の頭を指差してそう宣う。
「アタマ悪い?呪力が?そもそもねぇだろアタマ」
言ってる事の意味が分からん、と鞣造は首を傾げる。
「物理法則かてアタマは無いけどな、理屈どおりに動くし、破綻せえへんやろ」
物理が理屈に従うというより、本来そうなるように組み上げられた理屈なのだから当たり前、トートロジーですらあるのだが、問題はそうならないモノ、呪力の存在である。
「呪力はな、人間から漏れ出た人間の感情やら状況を認識、定義する力、そういうもんの集合体や。そんでな、その人間の大半は、大して物理法則理解してへんねん」
現代ですら、先進国の半分しか大学行ってへんし、そのうち理系は半分以下やし、ランクの高い大学はもっと少ないからな。
ましてや呪術全盛の時代は?物理法則なんぞ、そもそもが未知やったし、学のある人間など、それこそごくごく限られてた。
「あーまあ、それはそうかもな」
「例えばな。東大物理学部博士課程卒のエリートが、宇宙の物理法則を処理する役所で大量の仕事を捌いとるわけや。仕事量がとんでもないからコンピュータでプログラミング使って自動化してな」
金髪の青年は身振りを交えて、架空の世の中の仕組みを、己の解釈を語る。
「そやけど、その大事な役所の地球支部に、なんでか大学も出てへんし勉強もサボってた高卒ド文系がおって、窓口に座っとんねん。ソイツが
「…ヤバそうだな」
「そのアホにマイナスとマイナスかけたらプラスになるやろ?プラスのエネルギーは癒し系や!って申請したら、なぜか通ってもうたんが反転術式や」
「マジかよ…」
無茶苦茶な世界観である。だが、実際に起こっている事自体が、確かに無茶苦茶なのだ。
なら、何かが、あるいは誰かが本当に無茶苦茶なのだ、という捉え方は一周回ってシンプルなのかもしれない。
「僕からアドバイスするとしたらな」
グサリと、いつの間にか静かに鞘から抜き放たれた刃が冷たく鞣造の心臓に突き立てられた。
己の傑作たる一振りを見下ろして、あっけにとられた鞣造は、ごふっと肺に入った血をせき込むように吐き出した。
「
「…ッソ野郎」
ちなみに呪力は面食いやな。
五条とか顔で2割は稼いどるやろ。
服装と化粧キメてダンスするのも効果アリや。
ホンマそういうとこやぞ呪力ぅ。まじめに仕事せいや