シンジとアスカの短編集   作:アキみかん

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夏の欠片

 真夏の日差しが、シンジのいる木陰に濃い影を作っていた。

 山間から大きな入道雲が顔を覗かせている。茹だるような暑さと蝉の鳴き声が蜃気楼のように漂い、入道雲と青空をほんの少し歪ませていた。

 木陰の外に、シンジは目をやる。

 どこかから種が飛ばされてきたのか、小さなひまわりが一輪、咲いていた。

 せっかちらしい、まだ七月の後半なのに、もう花びらを満開にして、太陽に向かって誇らしげに咲き誇っている。

 誰かさんに似ているその花は、シンジのお気に入りだ。

 育てたーというよりは、見守っていた。

 誰かに折られたりしないように。

 誰にも、もらわれていかないようにー。

 

   ※

 

「ねぇねぇ、アスカ。碇くん、大丈夫なの?」

 昼休み。

 机を挟んで向かいに腰掛けたヒカリがひそひそと耳打ちしてくる。

「大丈夫って?」

 アスカは近すぎるヒカリの顔をどうどうとなだめながら押し返した。

「転校生よ。綾波さん、いつも碇くんが帰った後に追いかけるように教室出ていくじゃない。なのに二人とも下校中にあんまり見かけないって、クラス中で噂なんだから」

「バカシンジが時々ふらっと一人で帰るのはいつものことじゃない。あいつ、家の手伝いもあるんだし。それか存在感薄いから、ホントは校門のあたりにいるのに誰も気づかないだけなんじゃない?」

「綾波さんはどう説明するのよ?」

「つまり、なに? ヒカリは二人が放課後に逢い引きでもしてるんじゃないかって言いたいわけ?」

 いつもなら食いつきのいいアスカが落ち着いているのが、ヒカリはどうにも気に入らない。

「とにかく、伝えたからねっ。幼なじみだからって油断してたら、綾波さんじゃなくても他の女子に碇くんとられちゃうだから。なよっとしてるけど、よく気がきくしみんなにも優しいって、碇くん人気なんだから!」

 なよっとは余計だーと思いながら、他の女子にも人気というのは知らなかった。そこで初めて、アスカは少し動揺した。

「その余裕っぷり……なんか隠してない、アスカ?」

 さすがは親友、鋭く見ている。

 アスカはお弁当のふたを開けると、たこさんウィンナーをお箸で挟んで口に放り込んだ。

 ヒカリと夏休みの予定をあれこれ話しながら、アスカはふと教室の窓の外に目をやる。

 グラウンドの向こうで、入道雲が空に向かって高く伸びていた。バカシンジのせいで、今年は夏休み前のアノ感覚が一際大きい。

 アスカは無意識に自分の唇を指でなぞろうとしていることに気づいて、慌ててウィンナーをもうひとつ口に押し込んだ。

 

「あ……」

 下校途中の坂道で鉢合わせしたアスカとレイは、目が合うと同時に間抜けな声を上げた。

「ねぇ、惣流さん」

「え、なに? なにか探し物?」

 動揺を悟られないように、アスカは平静を装うのに苦労する。

「碇くん、見なかった?」

 あぁ、やっぱり。

「知らないわよ。バカシンジの家、今週は親が二人とも仕事で遅くて晩御飯の当番だって言ってたから、急いで家に帰ったんじゃない?」

 バカシンジ、という呼び方と、家の事情を知っていることをそれとなく強調する自分が、アスカは少し嫌だった。

「おかしいなぁ、いつもこの辺までは見かけるんだけど……」

 レイは腕組みをした後、お礼を言って坂道を駆け下りていった。

 彼女が見えなくなってからきっちり三十秒後、アスカは道の脇の茂みにそろそろと近づき、両手でかき分けた。生い茂った雑草で隠れていた小道が姿を現し、先に続いているのが見える。

 これは地元の人間でも気づかないだろう。

 少し奥に進むと、畦道は左右に大きく開けている。誰が作ったのか、脇には幅の小さな水路があった。水が流れる音で涼をとりながら突き当たりまで行くと、さらに視界が開けて眼下に広がる住宅街を見渡せた。

 そこを右へぐるりと回り込んだところに、シンジはいた。

「お疲れ様、アスカ」

 木陰に敷いたレジャーシートに座りながら、シンジが小さく手を振る。

「家で涼めばいいのに……あんたってやっぱり変わってる」

 そう言いながら、アスカはシンジの隣に腰掛けた。

「委員長と夏休みに遊びに行くところは決まったの?」

「やだ、聞いてたの?」

「あんなに楽しそうに大きい声で話してたら、いやでも聞こえるよ」

「とりあえず、早めにショッピングはしようって。ヒカリ、貯めてるお年玉の残りで、鈴原とデートする時の服買いたいんだって」

「へぇ、それはそれは」

「私が何買うか興味ない?」

「うーん……聞いても教えてくれなさそうだから、いいや」

「……バカ」

「え?」

「なんでもない」

 シンジはレジャーシートの端のスクールバックから水筒を取り出した。ふたを開けて、アスカの前に差し出す。

「ありがと」

「麦茶で悪いけど。いっぱい飲んでいいよ。アスカ、汗すごい」

 遠慮をするような間柄でもない。

 アスカはシンジの水筒に口をつけた。熱砂のような気温からは想像もできないほど、麦茶は冷たかった。自然の生命力が喉元から体中に染み渡っていくように、アスカは錯覚した。

 アスカから水筒を受け取ったシンジも、申し訳程度にお茶を口に含む。きっと偶然だが、自分の唇が触れた箇所と同じところにシンジが口をつけたことに、アスカは気づいていた。

 シンジはハンドタオルを鞄から取り出すと、アスカの首元の汗を拭った。そのままタオルをアスカに手渡し、今度は脇に置いてあったうちわでアスカをあおぎ始める。

 アスカはチラと上を見上げる。一本張り出した小さな木の枝の先に、吊り下げ型の虫除けが引っ掛けてあった。初めてアスカが招待された時にはなかったものだ。

ーひまわり、好きだったよね、アスカ?

 シンジがアスカをこの場所に連れてきたのは先週のことだった。シンジが見せてくれた一輪のひまわりは、孤高の存在のようにひっそりとその場所に咲いていた。

 抜けるような夏の青空に、そのひまわりはよく映えた。気に入ったから、それ以来毎日ひまわりを見にこっそりこの場所を訪ねている。

 そういうことにしている。

「シンジ、ひまわりの花言葉って知ってる?」

「知らないよ?」

「あ、そう……」

「知らないけど、堂々としてて、ちょっと憧れるな。大人になったらさ、ひまわり畑も見に行きたいね」

 二人で、一緒に……?

 特に何も考えていないのだろう、こっちの気も知らないで、シンジは時々、無責任なことを言う。

「この場所さ……」

 転校生には教えたの? と聞こうとして、アスカは踏み留まった。

 シンジがじっと空を見上げていたので、アスカもつられて視線の先を追った。そこには、昼休みに教室で見たものよりもさらに大きく高い入道雲があった。

「なんだか、懐かしいんだ」

 空を見上げながら、シンジが呟く。

「なにが?」

「わからないけど、ああいう大きな何かに、見覚えがある気がする」

「なにそれ? ポエム?」

 シンジはやさしく笑った。

 しばらく二人でぼんやり入道雲を眺めながら、ふいにレジャーシートの上でシンジの指がアスカの手に触れた。

 その瞬間、二人の指先は同時に小さく震えたが、アスカが小指ひとつ分近づけると、シンジはその上に指先を静かに重ねた。

「これって、まだみんなには秘密?」

 シンジの視線は遠く前を向いたままだったが、心は近かった。

「どうせどこかで、勝手にバレるわよ」

 自慢したいけれど、誰にも教えたくないような。

 それは押し入れの中の、大事な宝物に似ている。

 ようやくシンジの顔がアスカの方を向いて、二人は一時見つめあった。

 木陰の中で二人のシルエットが静かに重なる。

 太陽に晒されたひまわりは、そんな二人のことなど知らんふりで、今日も空に向かって目一杯咲き誇っている。

 二人の秘密を知っているのは、入道雲だけだ。

「……帰りに、かき氷食べたい」

「よかったら、家で作ろうか? 今日は父さんも母さんも遅いから、内緒でスイカもサービスするよ」

 熱波は胸のあたりから遅れてやってきて、アスカの両頬と心をさらに焦がした。

 夏休みに、さてシンジと二人でどこに出かけるかを、アスカは考える。買った水着をプールでシンジに見てもらうつもりだったが、お小遣いを奮発して映画でも観に行って、デート中のヒカリと鈴原のバカにわざと目撃されるのもいいかもしれない。

 蝉の鳴き声が、シンジとアスカを世界に二人だけにした。小さな風がおどけたように吹き抜けて、暑さをふっと和らげる。

 ヒヨドリが二羽、入道雲に向かって飛んでいくのが見えて、二人はおーいと手を振った。

 夏だった。

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