「クリスマスに、す、するから……キス」
シンジがあまりにも堂々とまっすぐこちらを直視しながら言うので、アスカは一瞬頭が回らなかった。だから、「え? あ……う、うん」という間抜けな返事を返してしまった。
「ん? ちょ……待って。キスって?」
正式につきあうことになってからこの半年間、キスくらい何度もしているではないか。
「だから……キスの、先の、キス、っていうか……し、したいんだ」
シンジにしては、随分と思いきった提案だった。アスカの頭から「ぼふんっ」と湯気が立ち昇ったのは、たっぷり一分後のことである。
「うん。じゃ、じゃあ……まぁ、よろしく」
※
クリスマス・イブ。
シンジの部屋のベッドに、二人は前を向いたまま並んで腰かけていた。
手はつないでいるが、会話がない。シンジもアスカも、真正面にある壁掛け時計を無意味に見上げているだけである。
「なんか、ごめんね」
沈黙に耐えきれず、シンジが言った。
「謝るようなこと、今からするの?」
洒落た冗談のつもりが、少しきつい言い方になったことを、アスカは心の中で反省する。
一週間前、仮にシンジがあんな発言をしなくても、こういう雰囲気になっただろうとアスカは思う。なまじ幼なじみの期間が長かったために、夏に稚拙いながらも恋人同士になって以来、アスカもシンジも早く次の関係へ進みたかった。本格的に寒くなってきたあたりから、二人の間にはそういう空気はあった。
階下から、親同士が談笑を楽しむ賑やかな声が微かに聞こえてくる。子供のようにはしゃいでいるのは主にユイとキョウコだろう。時刻はまだ夜の六時だが、ひと通り出来上がったら研究所に移動し、二次会と忘年会を兼ねて職員たちを交えて飲み直すに違いない。毎年の恒例行事だ。
「しないの? シンジがしたいって言ったのに」
アスカはつい、そんな言葉を口にした。チラと横を見ると、緊張した面持ちのシンジの視線とぶつかる。
「じゃ、じゃあ……いい?」
「ふ、ぇ……?」
いきなりシンジが腰に手を回したので、瞬間アスカはビクリと震えた。
まさか、いきなりとは。
シンジの手が一瞬迷うが、覚悟を決めたように自分の方へアスカを抱き寄せる。
ーキスくらい、いつもしている。
二人は同時に自分自身に言い聞かせた。
なのに、なぜ。
こんなにも気恥ずかしいんだろう?
「アスカ……」
「シン、ジ……」
顔がー。
近、づく。
その瞬間、いつもは瞳を閉じる二人が、今夜は目を細めるだけに留めた。互いの頬がほんのり赤く蒸気していることがわかって、二人の鼓動は同時に早鐘をうつ。
ー赤ちゃんみたいだ。
アスカのきめ細かい肌に、シンジは見惚れた。長いまつ毛の向こうの潤んだ瞳が、シンジの理性をかき乱す。
ー女の子みたい。
シンジの艶やかなリップに、アスカは魅了された。秋が終わる頃、唇が荒れているシンジを見兼ねてプレゼントしたアスカのお気に入りのリップクリームを、ちゃんと毎日つけているようだ。
唇の先端が、触れあう。
互いの存在を確かめあうように、ついばむような淡いキスをする。
一回。
二回。
三回。
浅く重なる毎に、顔の奥から火照りがやってくるのを、二人は感じた。
「アスカ……」
「シンジ……」
言葉はつたない。
だから代わりの手段を、二人は知っていた。
シンジが深く唇を重ねた瞬間、アスカは両目をそっと閉じた。少し角度をつけたシンジのキスはあまりにもやさしく、しっとりとしていて、アスカは互いの吐息をゆっくり交換しながら、小さく身震いした。
ちゅ……と。
音が響く。
身体の奥の何かが達しそうになって、アスカは両手でシンジの胸元にしがみついた。無意識にそうしたのは、嫌だったからではなく、シンジを離したくなかったからだ。
「はっ……はっ……」
呼吸が、荒くなっていく。
一階の喧騒は遥か遠く、聖夜の静寂は互いにやわらかな唇の感触を深くじっくり味わうことを許した。
肩から抱きあい、シンジが華奢なアスカの体を抱きすくめた。アスカの顎が肩に乗って、たまらずシンジはお互いの頬をすり寄せる。
きゅっと目を閉じながら、アスカも頬ずりを返した。
「アスカ」
「うん」
「好き……だよ」
「私も、シンジのこと……ずっと大好き」
とくん、と胸の奥から響くものを、二人は確かに聞いた。
大切な人を。
壊さないように。
繊細にー。
抱き寄せたまま、シンジはもう一度、アスカの唇を自身のくちづけで塞いだ。
「ん……」
舌を差し込んだのは、二人同時だった。
初めて感じる、あたたかな感触が互いの口内で触れあった瞬間、アスカは艶かしく身悶えした。その仕草が、シンジがそれまで必死に我慢していた淫靡な高揚感を一気に加速させた。
「は……ん……」
シンジの舌先がアスカの中をやさしくまさぐる。せつない吐息がもれる度、アスカの体の力が抜けていくのがわかって、シンジは彼女の首の後ろに左手を回した。
後ろ髪をかき分け、後頭部を支えながら、アスカの腰に回した右手で彼女を自分の胸元へ引き寄せる。
「ま、待って、シンジ……」
「やだ……」
「ん……」
ちゅ……くちゅ……。
唾液を舐めとるように、シンジは執拗にアスカの唇を味わったが、アスカは抵抗しなかった。
「ふ……ん……」
「ん……ん……」
くちづけの合間からもれるかすかな喘ぎ声に、シンジは自分が知らないアスカのにおいを感じた。
甘く、とろけるような、アスカの味がする。
ゆっくりと唇を離した時、別離を嫌がった二人の舌先から、か細い唾液がいやらしく糸を引いた。
泣き出しそうな表情で、アスカはシンジの顔を覗き込んだ。
「シンジ……」
触れたいー。
アスカにもっと触れたい。
シンジはけれど、鉄の意志でアスカを抱き寄せる以上の行為を、自身の両手にさせなかった。
もはや座っていることすらままならないアスカは、シンジの首の後ろへ両手を回すと、そのまま背中からベッドへ倒れ込んだ。
「はぁ……はぁ……っ」
シンジが体を離そうとしたので、アスカはシンジの髪を掻きむしるように抱き寄せた。その拍子に、アスカの口元がシンジの首筋に触れ、アスカはそのまま彼のうなじへチロチロと舌先を這わせた。
シンジの呼吸が跳ねる。
「ま、待って、アスカ、それ以上、されたら……」
「やだ……」
耳たぶに息を吹きかけると、シンジは面白いようにぶるっと震えた。頬から、上唇へ、吸いつくようにキスを繰り返す。
「シンジ」
「アスカ」
せつなく、ただ相手の瞳だけを求めるように、二人は見つめあった。
その時ー。
「いるの? シンジ?」
コンコン、とドアがノックされて、シンジは動きを止めた。
ー母さん⁉︎
「いないのかしら。……入るわよ?」
母の無慈悲な声に、シンジは息を呑んだ。
だが、ユイがドアを開けることはなかった。
「ユイさん。アスカたち、コンビニに出かけてるみたいですよ?」
キョウコの声に、シンジは抱きついたままのアスカの顔を覗き込んだ。
《シンジとコンビニまでお菓子買いに行ってくる。ママたちは研究所で二次会でしょ? シンジとケーキ食べたら勝手に帰るから、ママたちは楽しんできてね》
シンジとこうなる前に、アスカがあらかじめキョウコに出しておいたメールである。
シンジが下半身を密着させないようにしていることに、アスカは気づいていた。怖気づいたのではなく、彼のやさしさから、キス以上のことはしないつもりだろうーと。
だが、駆け引きにおける狡猾さで、シンジがアスカに敵うはずがないのだ。
「電気……消して。外から見られたら、バレちゃう」
ユイとキョウコの階段を降りていく音が遠ざかってから、アスカは掠れた声で囁いた。
声が、震えていたかもしれない。
「うん……」
暗闇が、アスカの憂いを帯びた瞳を薄く隠す。シンジを不安にさせないように、だからアスカは両手をシンジの首から外して、彼の両頬を指先で包み込んだ。
アスカの指先も、シンジの顔も、火傷しそうなほど熱かった。
「責任、ちゃんと取ってね」
「うん」
「絶対だからね? 浮気とか、コロスから」
「それ、初めてキスする時も言ってた」
「なによ……」
「絶対、浮気なんてしないから」
「……ねぇ、シンジ」
「うん」
「寒い、から……あたためて……」
シンジの頬を引き寄せて、アスカは互いの唇を合わせた。
くちづけは重なりあい、舌が互いの口内をやわらかく往復する。
窓の外ではささめくように雪がちらつき、今夜はホワイトクリスマスとなったが、お互いの表情と唇に夢中だったシンジとアスカは、そのことには気がつかなかった。
これだけしても、まだ足りない。
二人は抱きあったまま、枕元へ移動する。
シンジは足元の毛布を肩から被り、アスカにやさしく覆い被さった。
「ん……っ」