二礼二拍手一礼。
同時に参拝を終え、隣のアスカへ視線を向けた時、境内に差し込んだ陽光が彼女の憂いを帯びた横顔を照らして、瞬間シンジはドキリとした。
「大丈夫、シンジ?」
「あ……う、うん、ごめん」
「行こっ」
二人で向拝を横に抜けて、シンジは鳥居の外まで行列ができている参道を振り返った。
元旦はよく晴れ渡り、シンジとアスカの実家近くの神社も多くの参拝客で賑わっていた。大晦日に降り続いた雪は日陰に積雪の後を残して、新年の晴れやかな気持ちを彩っている。
「ちょっと休憩していい?」
人酔いしたらしい、アスカは参道から少し離れた場所にある石段に腰掛けた。シンジも隣に座って、アスカにカイロを手渡す。
「そんなに有名な神社でもないのに、毎年すごい人だね」
言いながら、シンジはそっと左手をアスカの横に差し出した。アスカもカイロを左手に移して、右手の指先をシンジの左手に絡める。
シンジは少しほっとして目を伏せた。地元で手をつなぐというのは、少し勇気がいる。
「ねー。無宗教なのか信心深いのか、よくわかんないわよね、日本人って」
それはおおらかで、懐が深いからとも言えるかもしれない。
私たちもだけどーアスカが付け加えて、二人は目を合わせてクスクスと笑い合う。
アスカと他愛もない会話を交わしながら、シンジは時折参道の行列や帰りがけの参拝客が、アスカにチラチラと視線を投げかけていることに気づいていた。
はっと周囲の目を引く魅力が、アスカにはある。今日も普段二人で出かける時と変わらない格好だったが、鮮やかなブロンドヘアーから覗く勝ち気な素顔の存在感は圧倒的だった。それが異性を強く惹きつけるという事実にシンジが気づいたのは、大学に入ってからだ。
子供の頃から当たり前のように近くにいて、つきあうようになってからも特に気にしたことはなかった。にもかかわらず、ここ最近やきもきするのは、自分とアスカが今、子供と大人の端境にいるからだろう。
大学生になると、男女に大人の関係がつきまとい始める。アスカに声をかけてくる男連中のほとんどが下心を覗かせていることに、シンジは気が気ではなかった。
「今年は何をお願いしたの?」
「いつも通りだよ」
「何? まさかまた、今年も健康でいられますように?」
「アスカと一緒にいられますように……って、毎年言ってるのに……」
シンジが拗ねたような言い方をしたので、アスカは照れ笑いを浮かべてシンジとつないでいる手を「きゅっ」と握りしめた。
だが、実のところ神頼みはそれだけではなかったので、シンジは唇を尖らせて目を伏せる。
ーアスカに悪い男が寄って来ませんように。
そんな情けない願掛けを、アスカに聞かせることはできなかった。年始早々、神聖な神社の境内で煩悩に懊悩している自分が、心底情けなくて嫌になる。
「……参拝の時、私が何をお願いしたか、わかる?」
「勉強と部活でトップが取れますように、とか?」
「バカ……」
「?」
「まぁ、いいわ。おみくじ引かない、シンジ?」
社務所に移動し、一人三百円を払って木箱を逆さに揺らす。飛び出してきた木簡に書かれた番号のおみくじをもらい、同時に開いてお互いの運勢を覗き込む。
「大吉。ふっふーん、さすが私ね、神様もよくわかってるじゃない」
「……………」
シンジの運勢は『凶』だった。
恋愛運は『卑屈になるな。焦らず自分を磨くのが吉』。
う……とシンジは小さく唸った。
ーわかってるよ、そんなことは……。
「もー、たかがおみくじくらいで、そんなに落ち込まないでよね」
大吉の紙をこれ見よがしに見せびらかすのはどうなんだと思いながらも、アスカが無邪気な笑顔を見せて、シンジはほんの少し気分が和らいだ。
「あら、シンジ君とアスカじゃない」
社務所の横に設置されたおみくじ掛けにおみくじを結びつけている時、懐かしい声がして二人は振り返った。
「ミサトさん、加持さん」
「久しぶりね」
美男美女の落ち着いた大人のカップルーというのが、葛城ミサトと加持リョウジを久しぶりに見たシンジの感想だった。
ミサトは中学・高校とシンジとアスカの担任だったが、高校を卒業してからは疎遠になっていた。
「元旦からデートとは、やるようになったじゃないか、アスカ」
「そっちこそ、学校の先生とイチャイチャ手なんかつないじゃって、そういうの生徒に見られたら、ミサトが後で大変なんだからね」
加持とアスカの慣れ親しんだ様子に、シンジの胸の奥が微かに痛む。
アスカの好みが加持リョウジのような大人の男性であることを、シンジは長いつきあいの中で充分承知していた。
「シンジ……?」
アスカとつないだ手に力がこもっていることを、シンジは自覚していなかった。
「あの……」シンジはわずかに言い淀んだ後、ミサトに懇願するような視線を向けた。
「写真、撮ってもらえませんか?」
「あら、いいわよ」
アスカが、スマートフォンをミサトに手渡すシンジの横顔に視線を走らせる。
「はいっ、ビールっ」
間抜けな合図でシャッターが押される間も、シンジはアスカの手を恋人つなぎのままにした。
「ありがとうございます」
「あなたたち、大学生になったからって、ハメ外しすぎちゃだめよ?」
「それはお前だよ、葛城」
「え、なんで?」
「甘酒をビールみたいに飲むな」
ミサトと加持は手を振って先に境内を後にした。
「どんな感じ?」
遅れて神社を出てから、アスカは満足そうな顔でスマートフォンの画像を見ているシンジの手元を覗き込んだ。
二人横並びの平凡な写真。
二人の自撮りはアスカがよくしていたが、真正面からの写真はあまり撮ったことがなかった。
「欲しかったんだ、こういう写真」
上部にカレンダーと時計が表示されていて、シンジがすでにその写真をスマートフォンのロック画面の壁紙にしていることがわかった。
シンジの純真無垢な笑顔を眺めているうちに、アスカの中でいたずらな気持ちがむくむくと首をもたげてくる。
「相変わらず、加持さんかっこよかったなぁ」
途端に、「むっ」とシンジの頬が膨れっ面になったのが、アスカにはわかった。
「そうだね……」
ーまだまだガキね。
いや。
それは自分も同じか。
「スマホ、貸して」
「え? あ、うん」
アスカはシンジからスマートフォンをひょいと取り上げると、カメラを起動して自撮りモードにして、自分たちの顔の前へ掲げた。
そして、カメラのレンズへ目線を向けていたシンジの横に、アスカはおもむろにキスをした。
「え? えっ⁉︎」
パシャリーと、シンジの頬へくちづけするアスカと、驚いたシンジがほっぺたを赤く染めている写真が保存される。
「へへーん。これ、もーらい♪」
呆然とするシンジを尻目に、アスカは慣れた手つきでその写真を自分のスマートフォンに転送する。
「あんな、ザ・記念写真みたいな待ち受け、私はまっぴらごめんよ。シンジの間抜けな顔が写ったこっちにするから」
「ひどっ!」
いや、しかし、アスカが自分からキスしてくれている写真は貴重なのではないか。
思い直したシンジは、自分もアスカが撮った写真に変更しようと、アスカの方へ手を伸ばした。
「あ……」とアスカが声を洩らす。
これは、ダメだ。
手渡そうとしていたスマートフォンを引っ込めて、アスカは凄まじい操作スピードで先ほどの自撮り写真を消去した。ゴミ箱からも削除して、完全に復元できなくしてしまう。
「えぇぇーっ⁉︎」
「シンジはだめ」
「なんでさっ⁉︎」
「バカシンジはミサトが撮った記念写真で充分」
文句を垂れ流すシンジをたしなめながら、アスカは自分のスマートフォンのロック画面に設定した写真を確かめて、恥ずかしそうに顔を伏せ、へにゃへにゃと口元をわななかせた。
驚いたシンジの顔は赤かったが、シンジのほっぺたにキスをするアスカの頬も、充分真っ赤だったからである。