「どうかな、アスカ? 帯、変じゃない?」
姿鏡の前で何度もポーズをとるヒカリに、アスカは思わず苦笑した。
中学の頃からおなじみの紫陽花柄の浴衣が、その色味とは正反対に落ち着きなくくるくると回っている。
「バッチリよ」
夏祭りの夜だった。
「髪は? おでこちょっと出してみたんだけど、そばかす目立たないかな?」
男子との待ち合わせまではまだ時間がある。浴衣の着付けを見てほしいと請われてヒカリの自宅に招かれたのはいいが、彼女はデートの準備に余念がなかった。アスカはその様子を微笑ましく見ていた。
「鈴原のバカのどこがそんなにいいわけ?」
いつもの決まり文句をアスカは口にすると、ヒカリはしあわせそうな笑顔を浮かべた。
高校生活ももう二年目に突入している。ヒカリと鈴原の交際は中学から続いていて、デートなどは数えきれないほどの回数を重ねてきているだろう。ましてや今日は、自分とシンジを含めたダブルデートなのだ。
それでもなお、新鮮な気持ちでお出かけ前の準備に勤しむヒカリが、アスカは羨ましかった。
「あーあ、アスカはいいなぁ」
ヒカリがぼやいて、アスカは少しドキリとした。
左手首を袖の中に隠したのは、無意識だった。
「え、なんで?」
「だって、私とは出来が違うんだもん」
ヒカリは右側の頬をふっくらさせながら、アスカの浴衣を指差した。
朱赤のシンプルな浴衣に、すらりと手足の長いアスカの出立ちはよく映えた。告白してくる男子が後を絶たないのも頷けるほどの美少女。
高校生になってから、アスカはその雰囲気の中に少女の面影と艶っぽさを同居させていた。まぁ、親友を前に自慢するつもりはないが、今年も浴衣姿だけでシンジを悩殺する自信がある。
「なんてことないわよ。毎年のことなんだから」
シンジとのつきあいは長い。夏祭りに浴衣姿をシンジに見せるのも、もう何度目になるだろう。
——つきあい始めてからは、三年目か……。
「いいよね、幼なじみで恋人同士って。マンガみたい」
「相手のこと、なんでも知ってるってのも考えものよ。新鮮じゃなくなっていくから」
言いながら、アスカは姿鏡の前で自分の右半身をチラと確認した。
シンジはいつも左手で手をつなぐ。今日は髪をポニーテールに結い上げているから、最近身長が伸びているシンジからはうなじが嫌でも目につくはずだ。フレグランスは少し大人っぽいものにしたくて、ママの寝室から良さそうなものを拝借した。
左手首を触りそうになって、アスカは慌てて右手を引っ込めた。
「今年も碇君が赤面するところ見れそうだね」
ヒカリの言う通り、最近は慣れてきて夜だってシンジにイニシアティブを取られることが多い。周りの男どもの視線ごとシンジを虜にすることで、どちらが主従関係の上なのかをバカシンジに再認識させなければならないのだ。
ヒカリの家を出た頃、夕日は山並みの向こうへ姿を消し、快晴の夜空には星々が瞬いていた。
駅前のロータリーが近づくにつれ、祭り囃子の音が大きくなる。
道行く男性が、アスカを振り返る。だがアスカは、そんなものには興味がない。
アスカは左手を首筋に当てた。裸で抱き合う時、シンジはいつもこちら側に唇を当てる。右か左か、どちらから見せてやる方がより効果的だろうか。
「ごめん、待った?」
ロータリーの方を向いて話し込んでいたシンジと鈴原に、ヒカリが声をかける。
決めた。やはり右のうなじがいい。アスカは顎を引くと、ほんの少し体を斜めにした。これなら駅からの明かりもばっちり横から差し込んでくる。あとはバカシンジが振り返った瞬間、上目遣いに視線を送ってやるだけだ。
「お待たせ、バカシ……」
アスカの殺し文句が途切れる。振り返ったシンジが浴衣を着ていたからだ。
深いグレーの一松模様。
シンジの浴衣姿を、アスカは初めて見た。
「なんや。思ったより薄い反応やな」
Tシャツに短パン姿の鈴原は、つまらなさそうに腕組みをした。
「やっぱり、変かな?」
口を開かないアスカに、シンジはバツが悪そうに苦笑いを浮かべた。
「母さんがさ、毎年アスカだけ浴衣だから、今年は着てみろって、買ってきちゃって」
黙り込んでいるアスカに向かって、シンジは満面の笑顔を向けた。
「アスカは、今年もよく似合ってるよ」
アスカはくるりと踵を返した。顔が熱くなっていることを、シンジに気づかれたくなかった。
「さ、揃ったんだから、さっさと行くわよ」
頬をかいてからアスカの右隣に並んだシンジの後ろから、ヒカリとトウジも並んで歩き出した。
「委員長も、よぉにおてるで」
「ホント?」
うれしい——というヒカリの声が、アスカの耳の中で跳ねた。
「浴衣って、けっこう歩きにくいんだね」
「そうよ。女の子の気持ち、ちょっとはわかった?」
ようやく口を開いたアスカに、シンジの口がほっとゆるむ。
アスカは、ごく自然に右手でポニーテールの触覚に指を添えた。
負けっぱなしは性分ではない。極めて滑らかに、シンジの視線を誘導する。
「あ……」
と声を上げたシンジは、しかしアスカの左手首を見ていた。
「先週買った腕時計。うれしいなぁ、つけてきてくれたんだ」
無邪気な笑顔をこぼすシンジに、アスカの瞳がわずかに潤んだ。
シンジは、何か特別なことがあって腕時計を買ってくれたわけではない。デートの時にたまたま雑貨屋で見つけただけの安上がりな時計だ。ヒカリも、誰も、夏の夜の煌びやかな熱気に浮かれて、そんなことには気がつかなかった。
「シンジ……」
アスカはふいに、シンジの耳元に体を寄せた。
でもやっぱり、負けっぱなしは性分ではない。
「あんた今日、ナマイキ」
ほのかに漂う大人の香りを武器にする。
「帰ったら、おしおきだからね……?」
今日は二人とも、両親の帰りが遅い。
シンジは不自然にたじろいだ。
「……うん」
叱られた子供のようにはにかむシンジに、アスカは頬を艶やかに赤らめながらほほえんだ。