それは大学一年生の秋の頃。
「ん……?」
プチン、と腰のあたりが音を立てた。
肌寒さが増し始めた朝、ベッドで寝ているシンジを起こさないよう、シンジとお揃いのスウェットのズボンからスカートへ穿き替えている最中のことだった。
「え……?」
ころころとフローリングの床を転がっていくボタンを眺めながら、アスカは彫像のように動きを止めた。
◯
碇シンジは苦悩していた。
アスカが自分の作る晩御飯を食べなくなっていたからである。
大学に入学して一人暮らしを始めてから半年、自分だけの城を手に入れたシンジは、アスカと半同棲に近い生活を送っていた。
なにしろ親や友人に一切邪魔されないのである。もちろん講義や勉学を疎かにしたことはないが、学校が終わっても家の前でアスカとさよならしなくていい生活は、かつてないほどの潤いをシンジに与えた。
とりわけ、二人のための夕食を作るのは楽しかった。アスカは気難しい分、美味しいものを食べた時には快活な笑顔を見せる。それを独占できるのが、シンジはうれしかった。高校三年の一年間、日向マコトのカフェでアルバイトをした経験もおおいに役に立っていた。
それなのに……。
「……ごちそうさま」
今夜もアスカはハンバーグを三分の一ほど残して手を合わせた。
アスカとは子供の頃からの幼なじみで、彼氏彼女の関係になったのは中学二年からという古いつきあいだ。
飽きたのだろうか?
これが倦怠期というものなのだろうか?
「ぐすん……」
「シンジ……?」
目を伏せたシンジを、アスカが対面の席から覗き込んだ。
「もう……僕のこと、飽きた?」
「えぇ!?」
「だって……今日はアスカが好きなハンバーグなのに……」
「いや、それは……」
「そりゃ、四六時中僕みたいな奴と一緒にいたら、つまらないのはわかるけど……」
だめだ、完全に卑屈になっている。
子犬のような瞳でねめつけてくるシンジに、アスカは白旗を上げた。
「ダイエット?」
アスカが食事を控えるようになった顛末を聞いて、シンジは小さく声を上げた。
「うん、まぁ……そんな感じ」
「太ったってこと?」
「だって、そうじゃなきゃスカートのボタン外れないじゃない」
そうなのだろうか。
「だいたい、シンジのご飯が美味しすぎるからいけないんじゃない! それしか原因が考えられないんだもん」
喜んでいいのか怒っていいのかよくわからない理由を叫びながら、今度はアスカがシンジを恨めしそうにねめつけた。
シンジはわずかに小首を傾げた。
シンジは栄養管理にかなり気を使っていた。特にアスカが泊まっていく日は、完璧な栄養バランスで一汁三彩を用意し、抱き合った時のアスカの体重試算から、密かに彼女の日ごとのBMIまでチェックしていたのである。最近は、アスカの好き嫌いまで加味した完璧な一週間分の献立を、シンジは組み立てていた。
それでアスカの体重が増加しているというのが、どうにもシンジには信じられなかった。
——だいたい、外れたスカートのボタンって……。
夏頃から紐が緩んでいて、縫い直さなきゃと思っていたスカートではないだろうか。
シンジは確かめることにした。
「アスカ、ちょっといい?」
シンジはアスカの背後に回ると、しゃがんで彼女の腰を後ろから両手で抱き寄せた。
「だめよ、シンジ」
言いながら、アスカはさして抵抗しなかった。
全身でアスカの体調をはかる。
いつも向かい合ってする時と比べて変化は見られない。
「あ……」
シンジがスウェットの裾野から両手を侵入させると、アスカの顎がわずかに跳ねた。
念のため、腰のあたりをなでてみるが、ふくよかになっているような感触はなかった。
そもそも、つながる時にはいつもアスカの痴態をつぶさに観察しているのだ。甘く歪んだ視線から、せつない喘ぎ声、しっとりと汗ばむ乳房に、自分を受け入れてくれるその中心まで。
変化があれば、それを自分が見逃すはずはなかった。
少し意地の悪い考えが頭をよぎった。ここ数日、やきもきさせられたお返しだ。
「そうだね。言われてみれば、ほんの少しだけ、腰のあたりがふっくらしてるかも」
「ガーン……」と、アスカの表情が沈む。
体を密着させ、シンジは両手をアスカの腰から上半身へとなめらかに滑らせた。
やわらかな丘の入口を、指先でくすぐるようになでる。
「こ、こら、シンジ……ぁ……」
シンジがアスカのうなじにちろちろと吸いつくと、アスカはしおらしくなった。
シンジは両手を彼女の豊かな双丘の中心へと這わせ、ゆっくりと味わうように指先で包み込んだ。
お風呂上がりで、下着はない。アスカのスウェットの下に、シンジの両手の形がいやらしく浮かび上がる。
「ここも太った?」
「だって、そこは……シンジがいっぱい触るから……」
スウェットの下でシンジの指先がうごめく。
ふたつの頂きに、シンジの親指と人差し指がコリコリといたずらを施していた。
「ここも、僕のせい?」
「あ……や……」
「いい提案があるんだけど」
「な、に……? ん……っ」
シンジはアスカの耳たぶに息を吹きかけた後、そっとささやいた。
「食べるのを減らすんじゃなくて、運動を増やせばいいんじゃないかな」
シンジの右手が、下山して下腹部へと降りていく。
スウェットのズボンから、ショーツの内側へ。シンジしか知らないアスカの領域は、すでに甘い蜜を湛えていた。
「それ、いいかも……」
アスカが紅潮した頬をシンジにすり寄せる。
恍惚と期待を舌先に絡めながら、二人は深いキスを互いの中に差し込んだ。
「最近、やけに機嫌がいいわね」
一般教養の講義の後、赤木リツコは教材を整理しながら最前列のアスカに声をかけた。
アスカとシンジは高校で教師をしている友人、葛城ミサトの教え子たちだ。まだ一回生でゼミには所属していないが、目にかけている生徒たちだった。
「あぁ、わかりますか?」
アスカが珍しくニコニコと笑顔を返す。
アスカは感情が顔に出やすい非常にピーキーな女の子で、先月はナーバスな表情が目立っていたのだが、ここのところ毎日潤っているらしく、肌もツヤツヤしているようだ。
「もう毎日ご飯もおいしくって」
そう言う割には、体型に一切変化がない。羨ましい限りだった。
「シンジ君の手料理かしら」
「あ、わかっちゃいます?」
「あなたたちの仲の良さは、学内でも有名だからね。調子がいいのはなによりだけど、寒暖差も大きいから、体調には気をつけるのよ」
しかし、その忠告は隣のシンジに言った方が適切だったかもしれない。ツヤツヤのアスカとは対照的に、隣のシンジはげっそりと頬がこけ、ショボショボだったからである。
「大丈夫、シンジ君?」
リツコの片付けを手伝っていた院生の伊吹マヤがシンジの顔を覗き込んだ。
「すいません。最近ちょっとダイエットのしすぎで……」
「ダイエット? そんなのしなくても、前から充分痩せてるじゃない。気をつけなきゃだめよ、過度な食事制限とか」
「いや、まぁ。食事というより、運動しすぎというか、なんというか……」
「さぁ、帰るわよ、バカシンジ!」
シンジはビクッと体を震えさせた。
「今日はシンジが下ね。今夜もたくさんがんばらなくっちゃ!」
アスカが満面の笑顔でシンジを講義室の外へ引っ張っていく。
「あぁあぁぁ〜……」と断末魔のような悲鳴を残していくシンジに、リツコとマヤは顔を見合わせて小首を傾げた。