「お食事はよろしいですか?」
女性店員からカウンター越しに笑顔を向けられて、シンジは言い淀んだ。
まっすぐこちらの目を見てくる。そういうマニュアルなのだろうが、アスカ以外に顔を直視されるのは苦手だ。
「あ、あのー、じゃあ、そこのスコーンをひとつください」
レジ横のショーケースの中を、シンジはおずおずと指差した。
お金を払って受け取りカウンターの方へ並び直す。前のカップルが、お互いの腰に手を回したまま話し込んでいて居心地が悪い。これから夜のパレードにでも参加するのだろう、二人とも海賊のような格好で時折クスクスと笑い声を上げている。
別に目の前のカップルだけではない。店内は動物やファンタジーの仮装で身を包んだ客たちで溢れていた。これから夜にかけて、駅前と大学で仮装パーティーがあるのだ。今日はハロウィンだった。
洒落たカフェに一人で入るのが、シンジはどうにも苦手だった。自分に自信のない人間には、こういう繁雑な空間は落ち着かない。
運良く奥側の角の席が空いたので、シンジはドリンクとスコーンのトレイをテーブルに置いて革張りの立派なソファーに腰掛けた。座り心地は抜群だが、背中を預けると腰が深く沈み込んで、態度の大きい人間のようになってしまった。
ーこういうの、どう座るんだろ?
「おまたせ、シンジ」
そんな居たたまれなさも、遅れてやってきたアスカの顔を見た瞬間に吹き飛んだ。
「ごめんね、ゼミが長引いちゃって」
「大丈夫ですよ、お嬢さ……」
アスカが大きく目を見開いたので、シンジは慌てて口に両手を当てた。
「……じゃなくて、アスカ。僕もさっき来たところだから」
アスカはシンジの斜め向かいの席に浅く腰を下ろして、小さく息を吐き出した。
なるほど、ああやって座るのか。
トレンチコートを背もたれにかけるアスカを、シンジはつい横目で観察してしまう。
アスカには、華があった。彼女と一緒にいるだけで、少し自分に自信がつくように感じるのはなぜだろう。
「これ、外の看板にあった新作?」
「そうみたい」
アスカはトレイの上のドリンクに目をつけ、パッと顔を輝かせた。
秋らしい、モンブランと洋梨をあわせたフラッペだった。アスカが好きそうだなと思って注文しておいたが、お眼鏡にかなわなかった時のために、スタンダードなホットのカフェモカも注文してある。アスカが選ばなかった方を、シンジは飲むつもりだった。
こういう時、遠慮せずに自分の好きな方をセレクトする方がシンジが喜ぶことを、アスカは知っている。
「新作もーらいっ♪」
アスカがさっそく一口つけると、シンジは小さくー本当に小さく、少しだけ笑った。その変化は、つきあいが長いアスカにしかわからない。
「今日のハロウィンは、参加しなくてよかったの?」
スコーンをアスカと自分の口に交互に運びながら、シンジは気になっていたことをぼそりと呟く。
「そうね。ゼミの課題が山のようにあるから、行ってる暇ないかな。シンジと一緒に、ホラー映画でも観てる方が楽しいし」
アスカの台詞に、シンジはどきりとする。彼女は時々、こういうことを大学構内でも平気で口にする。
「あ、でもさ。そこの雑貨屋でこんなの売ってたから買ってみた」
アスカがトートバックから取り出したのは、うさぎの耳の形をしたカチューシャと、蝶ネクタイだった。
「なに、それ?」
「ほら、不思議の国のアリスの最初に出てくる、せかせか急ぎながら走っていくうさぎいるでしょ? あのうさぎになりきれるってやつ」
そう言いながら、アスカはニヤニヤした顔でそのカチューシャをシンジの頭に素早く付けた。
「えぇ……⁉︎」
「おぉ、似合う似合う」
「恥ずかしいよ、アスカ」
シンジのもじもじした態度が、アスカの中の加虐性を刺激する。
「別に、それくらい今日は大丈夫よ」
「そりゃあまぁ、そうかもしれないけど……」
周囲を見回してみるが、確かにシンジのことを気にしている客はいない。店内には、肌の露出が大きいドレスやゾンビらしい体中包帯だらけの人物までいるので、これくらい大したことではないのだろう。
「もういい? 外して?」
「だーめ」
スマホで写真を撮ろうとするアスカを、シンジは慌てて静止した。
「だめーっ!」
「えぇ〜? 待ち受けにしたいんだけど」
う……と、しばらく静止した後、シンジは小さな声でさらに叫んだ。
「その顔、絶対委員長にも送るつもりじゃないかっ」
「もう、しょうがないなぁ。じゃあ、これでどう?」
アスカはカバンから別のカチューシャを取り出すと、それを自分の頭に付けた。
アスカが付けたのは、「鏡の国のアリス」の主人公・アリスが作中で付けている大きな黒いリボンだった。
「う……あ……」
いささか誇張された大きさのリボンだったが、アスカの顔の小ささとのキュートなギャップに、シンジは思わず息を呑む。
「どうよ?」
見惚れるシンジに、フフンと勝ち誇った笑みを浮かべた後、アスカはふいに恥ずかしそうに顔を逸らしてから、そそくさとリボンを外した。
(バレたかな……)
アスカは頬杖をつくと、シンジに紅潮した顔を見られないように、プイとレジカウンターの方を向いた。
(今夜はうさぎの役、かな……?)
シンジは頬杖をつくと、アスカに真っ赤になった顔を見られないように、プイと窓側の方を向いた。
ちなみに、昨夜は執事役のシンジが終始敬語で王女役のアスカに奉仕するというものだった。
「少し休憩したら、帰ろうか?」
「うん……」
二人は同時に頬杖を崩し、正面を向いて見つめあった。
今夜は、街も大学もお祭り騒ぎだろう。
シンジにしては大胆に、テーブルの上のアスカの手に自分の指先を重ねた。拗ねているのか照れているのか、少し怒ったようなアスカのその上目遣いは、今夜も二人きりで……という秘密の合図だが、浮かれ気分の客たちは、もちろんそんな二人には気づかない。