「アスカは、碇君のどんなところが好きなの?」
ヒカリの唐突な質問に、危うくアスカは頬張っていた卵焼きを吹き出しそうになった。
お昼休みの教室である。クラスメイトが思い思いの場所で昼食をとっているというのに、なんということを訊いてくるのだろう。
「あのね、ヒカリ……」
器用に片眉を上げて抗議するアスカを無視して、ヒカリは続ける。
「だって、中学二年の頃からつきあい始めて、もうすぐ四年と三ヶ月じゃない?」
ヒカリと鈴原のバカの二人とほとんど同時期にこちらもつきあい始めたので、この親友は正確な日数まで把握していて困る。
「幼なじみでちっちゃい頃からずっと一緒にいるってことはさ、それだけ碇君が魅力的ってことだよね?」
だめだ。何か言わないとヒカリは話をやめないつもりのようだ。
「あのー……ほら、バカシンジってさ、犬みたいでしょ?」
「犬?」
「そ。しっぽ振ってどこでもついてきてくれるし、お願いしたらなんでもしてくれるからさ、便利なのよね。強いて言うなら、そういうところかな」
「それってつまり、アスカにはいつもめちゃくちゃやさしいってこと?」
「う……」
アスカは言葉に詰まった。おちゃらけてごまかそうと思ったが、否定したくなかった。
「うん……まぁ、そうかな」
顔中がホットだ。
アスカはごく小さな声で頷く。
いつもなら「きゃーっ!」とピンクの悲鳴を上げるヒカリが、なぜかこの日はニコニコ笑顔に留まって下を向いてしまった。
「ヒカリ?」
ヒカリが膝の上で開いている本を見ていることに気づいて、アスカは机に両手をついて覗き込んだ。
ヒカリが読んでいたのは、心理テストの本のようだった。
「あ、バレた?」
ヒカリが顔を上げて、てへっと舌を出す。
「選択盲っていうらしくて、ちょっと試しちゃった。ごめんね」
「選択……なに、それ?」
「人間の脳って、何か質問されると作話するんだって。理由をでっち上げるの。『なんでそれが好きなの?』って訊かれた時に思いついた答えのほとんどはデタラメで、本当の理由は本人もアクセスできない心の奥深くに収納されてるらしいよ」
「ホント、それ?」
「どうかなぁ。でも、さっきのアスカの返事は本当かもね」
「なんでよ?」
「だって、顔めちゃくちゃ真っ赤っかだもん」
思わず顔に両手を当てたアスカを、ヒカリが囃し立てる。
そんな二人の様子を、シンジは少し離れた席からぼんやり見ていた。
「……ちゅうわけやけど、センセの方は惣流のどういうとこにゾッコンなんや?」
机を囲んで一緒に弁当を食べていたトウジとケンスケが顔を覗き込んでくる。
「え? なにが?」
シンジはとぼけてみせたが、二人には通用しなかった。
「センセも往生際が悪いで。聞こえとったんやろ? ワシかてイヤなんやで、こんなこと訊くんは。でも委員長から聞き出してこいってコトヅテたまわってもとるから、仕方ないんや」
言いながら、トウジの鼻の穴がぷっくり膨らんでいる。仕方がない、の部分は嘘だろう。
「実際、惣流って凶暴なところがあるじゃないか。よくコントロールしてるよな、碇は」
「ま、まさか……」ゴクリ、と二人は唾を飲み込んだ。
「そんなにええんか……あっちの方が」
あはは、とシンジはやり過ごす。
否定はしよらんな……と、トウジとケンスケは目配せした。
「尊敬してるんだ、アスカのこと。自分の意見はっきり言うし、友だちも多いし、うらやましいんだと思う」
はぐらかされたと感じたが、シンジが笑ってそれ以上深く話さなかったので、二人はちぇっと小言をもらして諦めた。
ーアスカは、碇君のどんなところが好きなの?
ー惣流のどういうとこにゾッコンなんや?
ふと昼休みの会話を思い出して、アスカとシンジは同時に顔を上げた。
真正面から互いの視線がぶつかる。気恥ずかしくなって、手元のノートに目線を戻したのも二人同時だった。
(シンジの好きなところ、ね……)
(アスカのどこが好きかって、そんなの……)
ー本当の理由は本人もアクセスできない心の奥深くに収納されてるらしいよ。
放課後、二人はシンジの家の自室で試験勉強に勤しんでいた。家の事情で帰宅部のシンジと違い、試験前で短縮になっているとはいえ、部活直後に試験勉強にも精を出すアスカに、シンジはいつも素直に感心する。
カリカリとペンをノートに走らせる音だけが静かに室内に響く。お互い両親の帰宅が遅い関係で、二人は小学校の頃からこうして宿題や試験勉強に取り組んできた。
勉強中は、二人とも無駄話をしない。ただ、アスカのペンの動きが止まると、シンジは当たり前のように手元の消しゴムをアスカの前に差し出し、アスカは顔も上げずにそれを受け取ってノートを訂正する。逆にシンジが頭をかき始めると、アスカはシンジの手元を前から覗き込んで、つまずいている問題を丁寧に解説する。
「飲み物入れてこようか?」
壁の時計は六時を指していた。予定のところまで進んで一区切りついたシンジは、伸びをしながらアスカに言った。
アスカは集中した状態でまだペンを走らせている。
アスカは、努力家だった。彼女の自信は、日々の絶え間ない努力に裏打ちされている。そして、アスカがここまで真剣な表情を見せるのは自分の前だけだということを、シンジは知っている。
「台所に行ってくるね」
シンジがアスカを見つめる視線は、限りなくやさしい。
ーアスカには、ホットミルクをたくさん入れた、とびきり甘いカフェオレを淹れよう。
アスカの返事がないことも気にせず、シンジは席を外した。
「……入るよ、アスカ?」
ホットのカフェオレとお菓子を乗せたトレーを持って自室に戻った時、シンジは中の様子を覗き込んで声のトーンを下げた。アスカが机に突っ伏して眠っていたからだ。
「お疲れさま、アスカ」
トレーを机に置き、ベッドから毛布を取ってアスカの肩から掛ける。向かいの席に戻ろうとして、シンジは動きを止めた。
しばらく考えてから、座椅子をアスカの隣に移動して腰をおろす。少しだけ、アスカの寝顔を眺めていたかった。
「う……ん……」
アスカの口の端から流れたよだれをティッシュで拭き取った時、シンジは我慢できずに顔を彼女の唇に近づけた。
が、疲れて寝ているのをいいことにキスをするのは卑怯だなーという気持ちが働いて、シンジは頬へのキスに留めた。
アスカが自分のそばで安心してくれている。その事実だけで、シンジは満足だった。
「……ん?」
アスカが目を覚まして顔を上げた時、シンジは自分の隣で小首を傾げるように座椅子に背中を預けて眠り込んでいた。
自分もノートを仕上げたところで眠ってしまったようだ。やけに気持ちがいいと思ったら、背中に毛布がかけられている。
「シンジ……」
机の上には、個包装のチョコレートの隣に、丸い形のかわいらしいティーコジーが置かれている。アスカがその茶帽子を指先で摘んで持ち上げると、中からマグカップがひとつ現れた。ご丁寧に木製のカップリッドまでつけられていて、フタを外すとカフェオレの甘い香りが溢れた。
両手で包み込んで、一口含む。随分と時間が経っているはずなのに、淹れたてを思わせる温かさがアスカの心を満たしていく。
アスカはやさしく目を伏せて、座椅子から投げ出されたシンジの右手に指先を絡めたが、その冷たさにハッとなった。
「ホントに、もう……」
自分の背中の毛布を、座椅子ごと包み込むようにシンジに掛ける。カフェオレを飲み終えた後、シンジの口の端からよだれがだらしなく垂れているのがわかって、アスカはテーブルのテッシュで丁寧に拭き取った。
「ホント……あんたって、私がいないとダメなんだから」
自分がついていないとダメだなーと。
シンジも思ってくれているといいな、とアスカは思う。
高校生になって童顔の中に少し凛々しさが混ざってきたシンジの顔を、アスカはじっと眺めた。
ゆっくり、唇を奪う。
くちづけを数回重ねた後、それでもシンジが起きないことを確認すると、アスカはシンジのうなじにキスを移して強く吸った。シンジの首筋に赤い跡が残って、うっとりする。
二人きりの時、アスカは我慢しない。シンジにだけは、独占欲の強い自分の醜い姿を見せる。見てほしい。
シンジの身体が、少し熱くなった気がした。いや、火照っているのは自分の方かもしれない。
満足したアスカは離れようとしたが、ふと思い至って間抜けな顔のまま眠り込んでいるシンジを横目で見た。
横から毛布の内側に潜り込んで、いそいそとシンジの肩口に頭を乗せる。シンジの右手に自分の左手と指先を絡めるのも忘れない。
最近、冷え込み方が酷くなってきた。
こうして充電しておくのは、悪くない。
「シンジ? 入るわよ?」
息子の部屋を覗き込んだ時、碇ユイは「やっぱり」と小さく声をもらした。
《まだお邪魔してました?》
右手のスマホから、おっとりした口調のキョウコの声が響く。
「試験勉強してたみたいですね。アスカちゃん、今日は晩御飯うちで食べてもらって、シンジに家まで送らせますから」
壁の時計は八時を指している。
ユイはテーブルのティッシュを一枚取った。
ーしかしまぁ。
二人毛布にくるまって、シンジもアスカもしあわせそうな顔で寝息を立てている。まったく同じ場所から垂れている二人のよだれを拭き取りながら、ユイは小さく苦笑した。
「なんだか、似た者同士ね、あなたたち」
肩を寄せ合うシンジとアスカが小さく笑ったように、ユイには感じられた。