シンジとアスカの短編集   作:アキみかん

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君の欲しいもの

 1Kの狭いシンジのアパート。

 二人分の食事を並べるだけで精一杯のテーブルに、不釣り合いな大きさの座椅子が鎮座している。

 キッチンで夕食の準備に勤しむシンジがこちらを振り返らないかを確認しながら、アスカはその一人掛け用のフロアソファーの背もたれを細かく調整していた。

 リクライニングシートのベストは、背中がほんの少し倒れる程度。クッションの柔らかさをぽんぽんと手で叩いて確認し、準備が完了したアスカは思わずニコニコと笑顔になった。

「でも、ホントに今年の誕生日プレゼント、こんなのでよかったの?」

 しかしシンジが出来上がった料理を運んできた時には、アスカはもう澄まし顔でスマホに目を落としていた。慌てたのか、その画面には何も映っていなかったが。

「ソファーくらい、いつでも買うのに」

 アスカがシンジのアパートに入り浸る半同棲生活を始めてから、初めての彼女の誕生日だった。

 せめて夕食だけは豪華にしようと、アスカが好きなとろとろの目玉焼き付きハンバーグを、シンジは作った。もちろんひき肉から手作りしてある。そのハンバーグをメインディッシュに、ポトフ、生ハムのサラダをテーブルに並べていく。お酒はまだ飲めないから、気分だけでも味わえるようにノンアルコールのシャンパンとグラスまで用意してある。

 日々のアルバイト代から食材を奮発したシンジだった。

「お誕生日おめでとう、アスカ」

 シンジはやわらかな笑顔をアスカに向けた。

 アスカがとびきり大好きな、シンジの表情。

 その時ばかりは、アスカも素直に笑顔を返す。

「ありがと、シンジ」

 長く同じ時を過ごし、心が通い合った先にしか辿り着けない、やさしい時間というものは存在する。

「ちなみにこれ、シンジに座ってほしくて選んだんだからね」

 キッチンへエプロンを脱ぎに行ったシンジに向かって、アスカはリクライニングソファーの座面をぽすぽすと手で叩いた。

「え、そうなの?」

「シンジ、課題の論文する時、時間かかるでしょ? ふかふかの背もたれあった方が楽だと思って」

「そんな……いいのに」

「ほら、遠慮しないで」

「じゃあ、まぁ、お言葉に甘えて」

 シンジが座椅子に腰掛け、リクライニングに背中を預けた瞬間、アスカはさも当然といった様子でシンジの両足の間にお尻をねじ込んだ。「よーいしょ♪」という掛け声が実に愛らしく、凶悪である。

「ん……?」

「はい、これ。よろしくね」

 アスカは満面の笑みで、シンジの両手にお箸とシャンパングラスをそれぞれ握らせた。

「え? えぇっ⁉︎」

「この前レンタルした映画観ながら、ご飯ね? 終わるまでシンジは私に奉仕すること。ちゃーんと私に食べさせるのよ? どう、うれしい?」

 やられたーとシンジは顔をしかめたが、後の祭りだった。アスカの背中はシンジの胸板に深く押しつけられていて、身動きがとれない。そもそも、誕生日に甘えてくるアスカを無理矢理引き剥がすなんて真似が、自分にできるわけがない。アスカはそれをよくわかっている。

 それから二時間。

 シンジは座椅子から一歩も動くことはできなかったが、なかなかどうして、悪い時間ではなかった。

 アスカの甘い香りと体温を感じながら、二人で映画を観て、晩御飯を食べる。アスカに言われるまま食事とドリンクを彼女の口元へ運ぶのは骨が折れたが、おいしそうにハンバーグを頬張る彼女の横顔を真近で見られるのは、自分だけの特権だった。

 口には出さなかったが、時折アスカが「あーん」をしてくれたのも、ポイントが高い。

 ただ、アスカに触れたくても触れられない、そのことだけがもどかしかった。

「……終わったよ、アスカ?」

 テーブルの料理があらかた片づき、テレビから映画のエンドロールが流れ始めた頃、シンジはアスカが眠っていることに気がついた。

「楽しかった、アスカ……?」

 返事がないことを承知で、シンジは呟いた。

 アスカが自分の傍で安心してくれる時、シンジはいつもやさしい気持ちになる。

 愛おしいーと。

 大学生になり、大人になっていく実感はあるが、この気持ちだけは子供の頃から変わらない。

 とはいえ、夜はふけ始めていた。

「おーい、アスカー」

 よほど気持ちいいのか、むにゃむにゃと口元を緩ませたまま、アスカは一向に起きる気配がない。

 晩御飯の片づけと洗い物もしなければいけないのに、困った。

 シンジは意を決して両手をテーブルに向かって伸ばした。指先がぷるぷるする。

 食事が終わった時、シンジが触れられないようにアスカがテーブルを絶妙な位置に遠ざけたことは知っていたが、限界まで腕を伸ばしてなんとかお箸とシャンパングラスを置くことができた。

ーあぁ、ちくしょう。

 両手が自由になってしまった。

 アスカのなめらかな髪先や、ゆっくりと上下している豊かな胸の鼓動が、シンジの理性をくすぐる。

 このまま襲いかかりたい衝動を、シンジはかろうじて残った自制心で抑え込んだ。

 だが。

「シンジ……」

 ふいに、アスカが寝言を呟きながら顔を横へ傾ける。

 我慢できなかった。

 アスカのつややかなリップに、シンジはそっと自分の唇を重ねた。

 起こさないように、二度、ついばんでから、深く結びつける。

「ん……」

 やさしく、長くー。

 二時間も彼女のために隷属したのだ。

 だからこのキスは、がんばった自分へのご褒美か。

 それとも、アスカへのプレゼントになるだろうか。

ー後者だといいな。

 甘い吐息を残して、シンジは名残後しそうにアスカから唇を離した。

 部屋の隅に脱ぎっぱなしにしていたダウンジャケットに手を伸ばし、それをアスカの前からかける。そのままシンジは、アスカを背後から目一杯やさしく抱きすくめた。

 しあわせそうにふにゃふにゃと崩れたアスカの寝顔は、残念ながらシンジの位置からは見えなかった。

 

   ※

 

「……だから碇クンは両手が少し辛そうなのね?」

 シンジの話を聞き終えると、洞木ヒカリは呆れた様子で目を細めた。

「そうなんだ。いくら座ったままだって言ったって、何時間も両手にお箸と飲み物を持ったままになんかするもんじゃないね」

 うれしそうに話すシンジを横目に、ヒカリはテーブルを挟んで向かいにあるリクライニングソファーをちらと盗み見た。後半、シンジが言い淀んだ箇所があったが、寝ているアスカにキスをしたとか、濁した内容はそんなところだろう。シングルベッドのシーツの乱れ方も目についたが、ヒカリはそれ以上考えないことにした。

 高校を卒業してから少し離れてしまったが、ヒカリとアスカの交流は続いていた。親友に一日遅れの誕生日プレゼントを渡すために訪ねたのだが、まさかシンジのアパートの方に招かれるとは思わなかった。

 シンジにのろけている自覚はないだろう。しかしなんというか、うらやましいというかけしからんというか。自分なら、とても恥ずかしくてトウジにそんなことは頼めない。

(……ていうかさ)

「ゆっくりしていってね、委員長。アスカも久しぶりに会えてよろこ……ぶはぁッ!」

 言い終えるよりも前に、キッチンから助走をつけて鮮やかに飛翔したアスカの真空飛び膝蹴りがシンジの頬に炸裂し、シンジは錐揉み状に回転しながらベッドサイドまで吹き飛んだ。

「人が飲み物用意してる隙にっ! なんて話をヒカリに聞かせてんよッ! このバカッ! ウルトラバカシンジッ!」

 茹でだこ状態でぷすぷすと頭からほんのり赤い蒸気を噴き出すアスカを、ヒカリは久しぶりに見た。懐かしいその光景に、思わずクスリと笑みがこぼれる。

(好きな人が鈍感だと、お互い大変だね、アスカ)

 ぐったりしているシンジへ馬乗りで追撃を仕掛けるアスカに、ヒカリはあたたかい眼差しを向けた。

 碇クンに背中を預けたい。碇クンが欲しいだなんてー。

(それってもう、プロポーズじゃない)

「罰として今日もイスになんなさいよ、シンジっ! 明日も、明後日もだからねっ! わかった⁉︎」

 アスカが思いきりシンジのほっぺたを両手で引っ張る。

「いたたたッ! わかった、やるからっ! 言われなくったっていくらでもするから、アスカ! いいたひぃ〜っ!」

 シンジの平和な悲鳴が、今日も狭いアパートの室内にこだました。

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