プロジェクトZ ~ゾルトラークを破るために命を燃やした者たちの数年~ 作:おくしもろん
魔法は、イメージの世界である。
風の中のすばるも。
砂の中の銀河も。
正確にイメージすることができない以上、人はそれらを魔法で実現することはできない。
だが、幼心に誰しもが、一度は夢想しただろう。
草原を駆ける馬と、空を飛ぶ鳥の姿を重ね合わせ、翼持つ馬<ペガゾス>の姿を。
石造りの街角の女神像<ヴィノス>が、誰も見ていない時に生命を持って動き出す様を。
そして、そのうちいくつかの夢想は、時として魔法によって現実になった。
どんな魔法も、はじめはおとぎ話であったのだから。
あの崖の上まで行けば、惑星にすら手が届くと信じていた。
夜の湖面に輝く明星は、きっと水底にあるのだと信じていた。
願いを叶える流れ星は、地上に落ちてくるはずなのに。
どうしてここ、グレーゼの地では人の命だけが、こぼれるように落ちていくのか?
すべてを無に帰す閃光の、真っ白な輝きに貫かれて。
ただ一人の、純粋で邪悪な願いだけを叶えた、無慈悲で残酷な流れ星に灼かれて。
人々は皆、最期に空を見て逝くことを望んだ。
つばめが、飛んでいく。
なあ、見ているか。その高い空から。
教えてくれよ。この地上に、俺たちの願いを叶えてくれる星は、もうないのか?
みんな、どこへ行ってしまったんだ?
空にはあんなに、星が輝いているというのに。
希望よ。頼むから、あってくれ。
どこだろうとかまわない。
無責任だろうと知ったことか。
何一つ、成し遂げることの出来なかった、名もなき者たちの想いを。
──なんちゃって。
感傷的なのは、私の性分ではないのであるからして。
わかる人にはわかる。過去も今も、そして未来も。
この言葉さえあれば、必要にして充分なのだと。
わたしは、ここにいた。
※
もの言わぬ異形の石像が、崖の上にぽつんと佇んでいた。
巨大な体躯に、人の体を一掴みにできるくらい大きな手。
相貌には奇妙な面をつけた、人ではないもの──魔族の石像。
今にも動き出しそうなほど精巧な。
いや、むしろ今まで生きて動いていたものを、無理やり固めてしまったかのような。
それが、魔王軍屈指の魔法の使い手たる大魔族、腐敗の賢老クヴァールの最後の姿だった。
封印。
それもただの封印術ではない、魔族のなかでも指折りの実力を誇る大魔族を封じるものだ。
世界広しといえども、それを可能とする術式も、術者も、決して多くはない。
女神聖典に記された、僧侶の中でもとりわけ素養のある者にしか行使することの許されない、呪いと表裏一体の聖なる魔法か。
あるいは、南方諸国カンム一族に連綿と受け継がれてきた、封魔の守護法陣か。
石像はもはや何も語らない。
ただ一つ言えることは、クヴァールを封じ込めた特別な魔法が、たいへん希少なそれらの魔法のどちらであったとしても、それらを行使できる者が、この場に一人ずついたということだ。
「……はぁ、お酒飲みたい」
「一仕事終えたと思ったそばから、この生臭坊主」
そんな、とうの二人──僧侶ハイターと魔法使いフリーレンは、偉大な仕事をやってのけた直後とはとても思えない俗な掛け合いをしていた。
眼下にクレーゼの大森林を見下ろす断崖。
心なしかくたびれている二人の声が、風にさらわれて消えていく。
細かく震える手でぱたん、と。分厚い女神聖典を閉じて懐にしまうと、ハイターは石像と化したクヴァールに歩み寄っていく。
いや、正確には、石となったクヴァールが見つめる真正面。
ハイターたち後衛が一大仕事をやり遂げるための時間を見事稼ぎ切った、小さな戦士をねぎらうために。
「最初から最後まで、一歩も引かない前衛、お見事でした、アイゼン」
戦いが終わってなお、仁王立ちを決め込んで微動だにしないドワーフの戦士の背中に、ハイターは素直な感謝を送る。
だが、返事がない。
「……アイゼン?」
マントに身を包んだ小さな身体には、首から上がなかった。
ぎょっとしたハイターが痛む体をおして、おそるおそる手を伸ばす。
アル中なのか、怖さからなのか、はたまた心身の限界が近いせいなのか。聖典を閉ざした瞬間から、大きな手は常に細かく震えていた。
意を決したハイターの手が、子供みたいな肩に触れる。
すると不意に。マントの襟もとからにょきっと、トレードマークの二本角兜、じっとりとした黒目、そして長いひげ──ドワーフの戦士アイゼンの顔が、マントの下から出でた。
「……死んだかと思った」
「こっちのセリフですよ」
トレードマークの長いひげは土埃にまみれ、特徴的な二本角の兜も、片方が少し欠けていた。
いつもはハイターがドン引きするくらい丈夫な彼の身体にも、今回ばかりは多くの傷がつけられていた。
中でもとりわけ目を引くのが、普段の彼なら持っていない盾の存在である。
「この前のダンジョンで見つけたこれに、命を救われたな」
小さく震える手で長ひげをしごきながら、先の迷宮探索で拾った代物をしげしげと眺めるアイゼン。フリーレンの見立てでは強力な防御魔法が付与されていた武具らしく、普段は盾など使わない彼だったが、このときばかりはと持ち出してきたのだ。
だが、もはやそれは盾とは呼べない哀れな姿だった。
なにせ、ほとんど持ち手の部分しかなくなっていたのだから。
本来持ち主の身を守るべき防御部は、まるで皆既日蝕を起こした太陽のように、ぽっかりと円形に消滅していた。
「見つけたかいがあったでしょ。やっぱりどんな宝箱でも開けてみなくちゃ」
「そのせいで毎度ミミックに喰われてるような奴に云われたくないがな」
むふー、と少々自慢げなフリーレンに、ミミックほどではないが噛みつくアイゼン。
そのまま、持ち手だけになった役立たずの盾をぽい、と捨てようとしたものの、何か思い直したように、もそもそと外套の下にしまいこんだ。
どうやらポイ捨ては流儀に反するらしい。
「なんにせよ、終わったね」
少し。
ほんの少しだけ、今この時だけ、肩の荷が降りたようなすがすがしさで、勇者ヒンメルが空を見上げて呟く。
地べたに尻もちをつく。そんな格好の悪い姿をさらしたとしても、二秒後にはそこから片膝を立て、そこに肘なんぞかけてふうっ、と一息つけば、たちまちイケメンポーズの一つが出来上がるのだから不思議なものだ。
「いいや、ここからだよ、きっとね」
そこらの町娘なら少しどきっとするようなヒンメルの横顔も、フリーレンにはあまり意味をなさない。
自分の服についた土埃を払う方が大事らしい彼女の仕草と、相槌というには少々含みのある物言いに、けれどヒンメルは善く笑んだ。
差し出されたハイターの手を取って、お互い疲れているせいかふらついたところをアイゼンに支えられ、しまいには半ばわざと側にいたフリーレンまで巻き込んで、団子になった勇者一行は全員でまろび、再び地面に身を投げだした。
自然と輪になって仰向けになった四人は小さく笑った。もっとも、フリーレンが小さく口を開けたのは、疲れた証の可愛いあくびだったかもしれないが。
呵々大笑するには戦果に乏しい。
多くの死者を生んだ戦いだったのだから、笑えばなにを不謹慎な、とそしる者もいるかもしれない。
けれど、笑わずにはいられなかった。
子供の御駄賃とまごうばかりの支度金だけで旅立ったあの日から、三年。
魔王討伐という大看板を掲げる旅だが、まずは中央諸国にはびこる魔族の脅威を払しょくしなければならなかった。
だから冒険した。
未踏破の
魔族とも幾度となく相まみえ、判断を見誤り、助けられる命が失われたこともあった。
それらの積み重ねが、彼らの冒険が、今この瞬間、大きな実を結んだのだ。
名にし負う大魔族、腐敗の賢老クヴァールの封印。
彼がこの地に根ざして幾年、あまたの冒険者、魔法使いたちを葬った絶対強者。
そのあまりにも強すぎる魔法を相手にしては、さしものヒンメルたちも討伐するまでに吐いたらなかった。
だが、クヴァールは封印された。
ハイターの見立てでは、おそらく向こう半世紀以上は問題ないという。
失われたものは多かったかもしれないが、これは勝利であった。
そして同時に、反撃の狼煙でもあった。
かつて人類の希望と目された”南の勇者”の死から十二年。長らく続いた人類と魔族の戦いの均衡が、久方ぶりに崩れたのだ。
「これで確信できた。僕たちの力は、大魔族にも通じる」
強敵との戦いは終わった。
だが、だからこそ、すべてはここから始まるのだ。
魔法はイメージの世界である、と。フリーレンはいつも云う。
もしそれが本当なのだとしたら、今回得られたものは万金に値するものだ。
端から勝てるイメージを持てない相手と、まともに戦うことができる者はほとんどいない。
よしんば戦えたとして、そこから勝ちを拾えるものなど皆無だ。
だから、何よりもまず、自分たちで自分たち自身のことを信じられるくらいの強さが必要だった。
むろん、討伐できたわけではない。
いかに強力な封印だとて、おそらく向こう100年以内には、確実に解けてしまうものだろう。
それは人にとっては充分な時間。だが、残されたもの、これから生まれてくる者たちにとっては避けられぬリミットでもある。
リミット。そう、リミットなのだ。
古より連綿と続く魔法史の中では間違いなく新星でありながら、当代最強の威力を持ち、このクレーゼを訪れた冒険者の四割、魔法使いに至っては七割の命を奪った魔法。
人を殺す魔法──ゾルトラーク。
あの魔法を、どうするか。
ヒンメルたちが、いや。人類が、その答えを出すまでのリミット。
おそらく道のりは長いだろう。
もしかするとそれは、道なき道となるかもしれない。
けれど、ヒンメルの目に絶望は見えなかった。
「それで、どうだいフリーレン。間近で見れば何かわかるかもしれないって云っていたよね」
「んー……わかんない」
「わかんないかぁ……」
いや、いま少しだけ
さっきまで笑っていたハイターは小さく舌打ちしたし、アイゼンも「もう、このエルフおいてかない?」などとぼやいている。
仲が良いのか悪いのか。
そんな四人はけれど今、仰向けに寝転がって同じ空を見上げていた。
けれど、西の方に黄昏の残滓を残した夜空に、一筋の幽かな流れ星が白い尾を引いた。
「……綺麗だな」
そういったヒンメルの指先に、何かが当たる。となりにいたフリーレンの手か。
横を見ずに指を伸ばし、すっと握る。
「ヒンメルはブレないね。でも、自分の顔に見惚れちゃうのは流石にちょっと、止めた方がいいと思う」
「えっ」
フリーレンが杖先に明かりを灯して、いくぶん白けた目で見つめている。
ヒンメルが握っていたのは彼女の手──ではなく、手鏡だった。
鏡を見れば、泣きぼくろが印象的なイケメンが自分を見返している。
いつから、ここにあったのか。
鏡は地上から夜空の星々を写し、角度を変えれば杖先の光を拾った。
魔法でも何でもない、ただの細い光の線が、クヴァールの石像にあたる。
その光の、見えない白い筋を冷めた目で辿って。
魔法使いとしての目が、手鏡を捉えて止まる。
「あ」
「なにかわかったんですか、フリーレン」
「うん、一つだけ」
「で、なにがわかった」
言葉尻にかすかに込められたハイターとアイゼンの期待に、フリーレンは素直に答えた。
「この手鏡の、持ち主」
取っ手に刻まれた、ある人物の名前を。
初稿で、クヴァールのことを「七崩賢の一人」と書いていましたが、ミスでした。
訂正してお詫びします。