5月の初週には祝日が多い。
これも都会に来てから知ったことだ。
巷ではゴールデンウイークと呼称する連休では、例にもれず高育も授業は休み。
各々部活動や自習、買い物など余暇を満喫していた。
そんな中、俺はなぜか祝日にも関わらず、生徒会室に呼び出されている。
「お前たち四人に、校内の清掃を命じる」
呼ばれたのはあの夜一堂に会した男女四人。
校内清掃という罰則を与えることで、夜間外出と不純異性交遊を学校に黙認してくれる、とのことだ。
「門限を破っていたのは会長も同じでは・・・?」
綾小路が食い下がるが、生徒会長はその職権を多いに乱用して暴論を展開する。
「確かにそうだが、俺は今まで規則を破ったことが一度もない。教員からの信頼の厚さは、過去の生徒会長全員を並べてもトップクラスに入ると自負している」
「ほんとにすごい自信ですね…」
「言い換えれば、俺の言葉はある程度、バイアスがかかって学校側に評価されるということだ。勿論、俺を優遇する形でな。やろうと思えば、もう少し罪状を増やすことができるかもしれないぞ」
「無茶苦茶だろ…お前の兄貴」
「兄妹喧嘩に、よそから手を出してきたのはお前達だ」
「喧嘩の域をこえてんだっつーの…」
綾小路が食い下がるも、生徒会長は一歩も引く気はなさそうだ。
「他三人はどうする?」
「私はやります。今は兎に角、色々やりたいから。こういうちょっとした経験から、何か掴めるかもしれないわ」
鈴音がそう語る。
何か吹っ切れたような感じで、調子が良さそうだ。
有栖もその様子を見て、少しばかり楽しそうだ。
「私もお手伝いするのは吝かではありません。こういう催しはあまり経験がありませんし。しかし、この体ではできることも限られていそうです」
有栖は他に用事がなかったのだろうか。
祝日に呼び出されたにも関わらず少しご機嫌そうだ。
そういえば、あんなに一緒にご飯を食べるのに、意外と有栖のプライベートを知らないんだな、と独りごちる。
「俺も問題ないですよ。というか、別に困ってるならこんな迂遠的な方法を使わずに公募でもしてくれたら、校内清掃くらいは参加します」
綾小路のえぇ…という若干引いた声は、聞かなかったことにした。
「よい心掛けだ。というわけで、多数決ではお前が不利だぞ、綾小路」
「わかった、やりますよ…」
両手を挙げて降参のポーズをとっていた。
俺と有栖があてがわれたのは、少し遠くにある教会だった。
「敷地内に教会があるとは耳にはしていましたが、在学中に行くことになるとは思っていませんでした」
有栖と教会への道中は、話が途切れることはない。
「キリシタンの生徒用、なのですかね。あとは教職員もですか」
さすが天下の高育。
様々な需要に対応している。
教会は現代で作られたような鉄筋コンクリート式のもの。
歴史があるというわけではないが、大きくて綺麗な建物だ。
「教会には、当然神父さんとかもいるのかな?」
教会としても面目を保つためや、そもそも管理のために人員は必要だろう。
掃除用具をもって教会のドアをノックしようとすると、中から外国人の生徒が出てくるところだった。
とても大きな身長で、肉体に宿るパワーの量も凄まじそうだ。
彼は見かけたことがある、確か一年生の…
「山田アルベルト君ですね。こんにちは」
有栖が会釈をする。
俺もそれにつられ頭を下げると、アルベルト君もにこやかに会釈し有栖と英語で話し始める。
数回掛け合ったのち、彼は寮の方へと歩いて行った。
「なんて言ってたの?」
「掃除をするなら手伝いたいのだが、これから用事があるため難しい。また今度お礼をしたい。とのことですよ」
「すごい礼儀正しい子なんだね」
そう思いながらドアをノック。
どうぞ、と優しい声がしたため中へ。
「こんにちは」
「はい、こんにちは。話は堀北君から伺っています。清掃のお手伝いに来てくださった生徒さんたちですね」
どうぞ、と神父らしき男性は中へ促す。
教会内はステンドグラスでできた彩色豊かな絵が高窓にちりばめられ、中央に大きな十字架が屹立しており、神秘な感じと厳粛な雰囲気を同居させていた。
「本日はありがとうございます」
若い、およそ30歳くらいだろうか。神父は恭しく頭を下げる。
「いえ、とても立派な施設でびっくりしました。こんな大きくては独りで掃除は大変でしょうし。早速始めましょう」
そうして清掃開始。
有栖には、ミサで使用するのだろうか、茶色の長椅子の水拭きとからぶきの雑巾がけをしてもらう。
その間、俺と神父はは脚立を用いて高所の清掃をしていた。
高窓にあるステンドグラスは、近くで見てもとてもきれいだ。
思わず目を奪われ、掃除をする手がおろそかになる。
一応命綱はつけているが、結構な高さがあり恐怖心を煽る。
清掃はさっさと終わらせよう、と思い気を引き締めて作業に没頭する。
10時頃から始めた掃除も、気が付けば正午を過ぎあらかた終わってしまった。
そもそもこの教会は掃除が行き届いており、あまり介入するところがなかったとも言える。
神父と二人で脚立を片づけながら、少し話をする。
この後は有栖の雑巾がけも手伝わねばならない。
「それじゃあ、神父さんは学校医も兼ねているんですね」
「はい。この校内の生徒はめったなことには施設外に出られませんからね。私が学校医として生徒の健康管理を担当しているんですよ」
彼は医師としても働いているようであった。
病院で働く彼を想像し、今着ている黒い神父の服とのギャップに驚く。
「二足の草鞋なんですね。尊敬します」
「せっかく教会に来ていただいたんです。神父らしいこともしなくては。君の悩みを聞きましょう」
そう案内されたのは告解室。
罪を懺悔する場所らしい。
本来はプライベートを保つためにこの部屋を使用するらしいのだが、この場合客人は俺一人しかいないため、プライベートもへったくれもない。
「悪いですよ、そんな」
こういうのは敬虔な教徒が優先的に使用すべきだと思う。
「今は他にお客さんはいませんから。それに、あちらを見てください」
遠くを指さすと、有栖は自分の掃除が終わり昼寝しているようだった。
確かに今起こすのは少しだけ忍びない。
「じゃあ、有栖が目覚めるまでの時間つぶし、程度でも良いですか?」
「勿論」
告解室の中は狭かったが、不思議と圧迫感はなかった。
寧ろ自分の心と向き合える、ちょうどよいスペースだなと思った。
「静希君は、山から下りてきたそうですね」
告解室越しに、神父との対話が始まる。
「はい。つい最近、半年前くらいなんですけど」
「そうですか。山と街では、どのような違いがあるのですか?」
「そうですね。俺の故郷は、まだ電気も通っていなかったんです」
自然と口が軽くなる。魔法でもかけられたみたいだ。
誰にも言ったことがないことを、今ならすんなりと話してしまう気がする。
「今の日本にそんなところあるのか、って話ですけどね。でも本当で。山では、時計もありませんでした」
「あったのは、日の出と、その日生きるための作業、そして日没です。時間って概念を、都会に来てから知りました。あそこでは、明日のこととか、明後日のこととか。そういうことを考えることがなかったです。毎日生きていくのに必死で。毎日の食い扶持とか水とか。そういうものを調達してるだけで、一日が終わってしまう。でも、ここでは違います。生活に余裕があって、みんな笑顔で、当たり前のように未来を語ってます」
少しの静寂。
俺は次の言葉が、うまく出せない。さっきまであんなに流暢だったのに。
「だから、そんな当たり前が。まだ、慣れません」
神父は黙って俺の言葉の続きを待ってくれる。
「街頭の明かりは眩しくて、街の喧騒は五月蠅くて、人の数は多すぎて」
「時間に追われるし、勉強だって、鉛筆を初めて持ったのはいつ以来かなんてわからない。山では、最低限生きていく為の読み書きと計算しか教えられませんでした。それで、充分だったから」
そう。山の生活は完成していた。
全てがあり、何もない世界。
「だから、俺は。こんな都会が…」
語りがついに止まる。
唇が凍りついたように動かない。
まるで、金縛りにあったような。
「嫌い、ですか?」
神父は、全てを見透かしたようにそう告げる。
山から下りて約半年。
自分なりに努力をしたつもりだ。
宵越しの金のためにバイトもした。
勉強も、自分のペースでがんばった。
人生で初めての学校にも、幸運ながら入学できた。
それでも。
ずっと気づかないふりをしていたこと。
俺はまだ、山から下りたことを、ずっと。
数十秒の静寂。
なのに、永遠に感じる。
教会は静謐で、反響音がこだましやすいのか。
俺のかすかな服のこすれた音ですら、とても大きく聞こえてしまう。
俺の息遣いは、神父に聞こえているのだろうか。
「では、私から静希君にお尋ねします」
何を聞かれるのだろう。
心臓が早鐘を打ち、何も考えることができない。
呼吸が荒い。頭が痛い。体温が上がる。吐き気を催す。
「貴方はなぜ、山から下りてきたのですか?」
「山の中にいれば、貴方は幸せだったでしょうに」
本日もう一話挙がる予定です。