6月初め。
すっかり季節は夏の様相を呈しており、夜も蒸し暑くなってきた。
鉄筋コンクリートとアスファルトは、太陽の熱を反射し、体感温度をさらに上昇させる。
本格的な夏の到来の前からこんなに暑いなんて。
山にいたころは考えられなかった。
いったい地球は今後どうなってしまうのだろう。
そんな漠然としたことをについて、特に思いを馳せることもせず。
ぼうっとしていた草十郎は、急に贈られる隣人からの言葉により面食らうことになる。
「静希君、もしかして電話をご存知ではないのですか?」
私は突然、不機嫌さをあまり隠さずに、ぼけっとした顔の隣人に不躾にそういった。
「流石に失礼だよ、有栖。俺だって電話くらいは知っている」
そこまでじゃないよ、と言いたげな彼。
少々ムッとしている表情だ。
「前のバイトの中華料理屋では出前の電話番もやってたんだ。だから、人より電話を取るのはうまい自信すらあるよ」
電話を取るうまさ、という概念はよくわからないのだが。
私は静希君が電話の使い方を知っていたということに、少々の驚きを覚える。
「私、静希君に電話をかけたことがあるのですが」
「もしかして、昨日の21時くらいのこと?」
しかも気付いていた。
その上で無視していたのか?この男は。
しかも、それを意に返さずに言うこの男。
少しイライラし始めた自分のコントロールを試みる。よし落ち着いた。
「気づいていたのですね。では、なぜ電話に出てくれなかったのですか?」
「俺は出たじゃないか。むしろ有栖が俺を揶揄ってたんだろう?」
草十郎は何のことかわからない、と言いたげな表情。
しかし、私はそのすっとぼけに、少しばかりの怒気が漏れてきた気がする。
「どういうことかわかりません。説明してください」
有栖は努めて落ち着いた声色で話したつもりであったが、返ってその冷徹さが仇となり、場を凍らせてしまう。
しかしこの男。特に意に介した様子もなく。
「?俺は電話に出たじゃないか」
草十郎もとうとう意味が分からないようで、怪訝そうな表情。
嘘をついているようにも見受けられない。
そもそもこの男が嘘をつけるタイプかと言うと。
なかなかどうして、わからないのだが。
とりあえず証拠となる物品を見せ、尋問を始める。
「これをみてください。通話履歴です。ほら、昨日静希君が電話に出なかったと書いてあるでしょう」
端末には昨日の21時ごろに有栖からが草十郎に電話をかけるも繋がらなかったこと、つまりは不在着信と記録されている。
「本当だ。じゃあ昨日、俺は誰と電話をしたんだろう?」
草十郎は本気で困惑している。
「静希君の端末にある履歴を見せてください」
いいよ、とすぐに手渡す草十郎。
「履歴には残ってないようですが・・・」
通話履歴には、昨日の21時頃に私からの着信があったこと以外に昨日の履歴はなかった
しかし、草十郎はよくこの端末を自分の席や図書室に忘れる。
しかも現代人とは思えないくらい不用心で楽観的な彼は、当然パスワードロックもかけていない。
いつも口が酸っぱくなるくらい、ちゃんと管理しろと有栖は苦言を呈しているが。
「誰も俺の端末に興味なんてないと思うけど。でもわかったよ。ありがとう有栖」
と言っていたくせに、何も改善されていない。
加えて、今日の授業は体育、理科の移動教室があった。
しかし、彼はいつも端末を自分の机の引き出しに入れっぱなしのようで、やろうと思えば誰でも操作し着信履歴くらい消去可能だろう。
「その電話からは何が聞こえたんですか?」
「音楽だよ。今までに聞いたことはあったかな?曲名はわからないんだけど」
「音楽ですか。その相手との会話は?」
「もしもしどちら様ですか?と声をかけたんだけれど返事はなくて。音楽はずっとかかってたんだけど、しばらくしたら止まったんだ。都会にはこういうイタズラ電話ってのあるんだろう?」
草十郎は嘘を言っているわけではなさそうだ。
私が電話をかけた時と同じタイミングに、静希君は他の誰かからイタズラ電話を受けていたのだろうか?
だとしたら、一元的に説明がつく。
道理で昨日は私の電話に出なかったのに、電話には出たと勘違いしているはずだ。
「つまりそのイタズラ電話からはメロディーしか聞こえず、いくら会話しても返事がないまま待っていたら、そのまま切れてしまったと」
そういうこと。と彼は同意する。
少し考える。
6月分のクラスポイントが振り込まれなったのは、Cクラスの龍園くんが暗躍し、Dクラスと遊んでいるから、という情報は得ている。
(それについて少しお話しようと昨日電話したのですが、既に龍園君はAクラスも標的にいれているということでしょうか)
Cクラスの行動は、現在のところは嫌がらせの域を出てはいない。
しかし、無言電話や悪意を持ったイタズラ電話が横行するのは、人によっては強烈なストレスや恐怖になりかねない。
そして、もし龍園がそれを仕切っているのだとしたら少なくとも電話履歴からは脚はつかないようにするはず。
(彼らしいやり方には思えませんが。少々面倒ですがこちらも調べてみましょう)
すぐに橋本に連絡。
イタズラ電話とCクラスについて探るよう指示を出した。
====================================
「よう、龍園」
「橋本か、失せろ。俺は暇じゃねえんだよ」
「最近忙しそうだもんな、お前」
CクラスがDクラスに喧嘩騒ぎで裁判を起こしているのは周知の事実。
それが龍園の指示とまで突き止めている者は現状そう多くはないだろうが。
「なんのことかさっぱりわかんねぇな。俺は期末試験の勉強に忙しいんだよ」
「お前が勉強ってタチかよ」
龍園はあくまで惚ける。しかし、脳筋が集まっているCクラス中でも、一番脳カランな石崎にあのズル賢いやり方はできないだろう。
(簡単に尻尾は出さないぜ、龍園は)
有栖が指示したのは、暴行事件を探ることではなくイタズラ電話と龍園の関係について調べること。
しかし、迂闊に話題に出すと煙に巻かれるリスクが高い。
(イタ電のことを話題に出さずに、それについて聞き出す・・・こりゃ難しいな)
「それで、わざわざ話しかけてきて何の用だ」
用件があるならさっさとしろ、と問いかける。
(カマかけるしかねえか)
「最近妙な噂が流れててよ、お前は何か知ってんのかと思ってな」
龍園は表情を崩さない。常にのらりくらりとこちらを観察している。
「噂、ねえ。教えてほしいことがあるならそっちから質問しやがれ、イエスかノーで答えてやるよ」
龍園は何も知らないようで、寧ろこちらを誘導して情報を得ようとしてくる。
(これはからぶったぜ、姫さん)
「何だ、おまえも知らないこともあんだな」
「ククク、俺は友達が少ねえんだよ。まあ、言ってみな。同学年のよしみでアドバイスしてやるよ」
(姫さんからはイタ電と、それが龍園と関係しているかについて調べろという命令。龍園との繋がりがないならここで話を打ち切ってもいいが・・・)
ここは情報を得ることを優先する。
人間よりも情報を信用する、良くも悪くも橋本らしい選択だった。
「実は一年の中で、イタズラ電話が流行ってるらしいんだ。で、俺の知り合いが困ってる。犯人をなんとかとっちめたいってわけだよ。他の奴らが被害にあう前の方がいいだろうしな」
「へぇ、その被害者ってのはどこのどいつだ?」
「そいつは言えねえわ。実は俺、今他クラスに狙ってる子なんだよ。それに相談されたら漢を見せない訳には行かないだろ?でも、狙ってる子が誰か、お前に知られるなんてたまったモンじゃない」
想定済みの質問だ。
橋本はイタ電についての情報を出しつつ、あくまで被害に遭ったのは他クラスの生徒であるとアピール。
更に犯人を特定するならば合理的に考えて共有すべき被害者の情報も、恥ずかしいから言いたくないという
これで、龍園が真意に気づこうと気づくまいと、これ以上の詮索はさせない。
「クク、確かにそいつは漢を見せなきゃいけねぇな。だが、それについて俺が答えるメリットはあんのか?」
龍園はあくまで情報を与える側という姿勢を崩さない。
「そうだな、今お前たちがやってるDクラスとの遊び。それについて、Aクラスは決して手を出さないと約束しよう」
橋本は元々から有栖と葛城が、暴行事件については静観を決めているのは知っていたが、ここでそのカードを切る。
(龍園からしたら同時に複数クラスを相手するのは面倒だろうからな)
龍園は少し考えたようなそぶりを見せた。しかしすぐに結論は出たようだ。
「まあいいさ、正直に答えてやるよ。それについてはCクラスは無関係だ。なんせ今、ウチのクラスは暴行事件の、か弱いか弱い被害者なんでな。リスキーな行動をして心象が悪くなるのは避けたいんだよ」
当然の理論。しかし、この男に正常な思考回路があるのだろうかは定かではない。
「お前にしてはつまらねえ回答だな。まあいいさ、時間とって悪かったよ」
失せろ、と言われたためそそくさと退散。
俺は俺の仕事をこなし、さっさと坂柳に報告、報酬を受け取った。
今日はこれでちょっと良いディナーにでも洒落込もうかな。
====================================
龍園は考える。
今の橋本の行動について。
正直に言うと、龍園にとっても今Aクラスが接触してくるのは想定外、というのが本音だった。
(葛城?いや違う。坂柳のやり方でもねえ。アイツらは暴行事件の本当の目的に気づかねえ程の馬鹿じゃない。最初から暴行事件についてはダンマリを決め込んでたハズだ。橋本の独断で調べているのか?
しかし、それで葛城と坂柳の行動を万一にでも阻害することは出来ねぇだろう。
つまり、絶対に一度はそいつら二人に許可を得てから調べている。
しかし葛城はまだしも、坂柳は橋本の女のイタ電なんて気にするタマじゃねえ)
つまり。
(イタ電されたのは坂柳の関係者の可能性が高い、ってことか)
「ククク、少しは面白くなってきたじゃあねえか」
(坂柳には、ある程度の情をかける奴がいるってことだ)
これは彼女の弱点となる。
龍園はいずれたどり着く。
坂柳有栖に近しい存在に。
====================================
放課後。
とりあえず、カラオケボックスに集まり会議。
「で、結局イタ電の犯人はわかったの?」
当たり前のように同席する神室。
ふるふる、と小首を横に振る有栖。
「橋本君が空振りましたから。予想はしていましたが、Cクラスが主犯でないという証言が得られただけでも収穫です」
有栖も、手がかりがないことには何も進展はないことを理解しているようだ。
「アンタ、ちょっとケータイ貸しなさいよ」
一見許可をとっているように見えるが、勝手に鞄にある草十郎の携帯電話を操作する神室。
「アンタの着信履歴、坂柳しかないのね。今度、暇だったら電話してやるよ」
「ありがとう」
二人で騒いでいる。
草十郎の手に端末が戻った時、草十郎の端末にちょうど電話が鳴った。
『幻想序曲 ロメオとジュリエット』
巨匠、ピョートル・チャイコフスキーの傑作。
シェイクスピアの戯曲をモチーフに彼が手掛けた、彼の最初の傑作と呼ぶ声も多い。
「チャイコフスキーですか。中々どうしてセンスが良いですね。静希君」
「私が変えてやったんだ」
笑いながら語る神室。
確かに草十郎のセンスではないなと思いつつ。
しかし神室がクラシックに造詣があるとは意外な一面だ、と有栖は思う。
今度色々話してみようか、なんて思っていると。
「綾小路からだ」
「へぇ・・・」
驚きを隠せない有栖。
自然と笑みがこぼれてしまう。
「誰?」
彼を知らない神室は当然この反応。
「Dクラスの友達だよ」
そう言いながら草十郎は、通話を開始する。
通話開始ボタンを押さずに。
「もしもし」
と話し始める。
「「・・・・・・」」
膠着する場。固まる二人。
そして、困り顔の未開人。
「またイタズラ電話だ。音楽しか聞こえない。もしもーし!」
「ちょっと待てやー!!」
神室の特大のツッコミが響く。
「えぇ…」
朴念仁は、急に大声で騒ぐ同級生に、若干どころかかなり引いていた。
神室が携帯電話をひったくり、緑の応答ボタンを押して、はい!と草十郎に手渡す。
『もしもし、静希か?』
「すごい、本当に電話できてる」
『?』
電話越しですら、困惑しているのがわかる。
『なんのことかわからんが・・・折り入って頼みがある』
「もちろん。俺にできることなら引き受けるよ」
そうして1分程会話して、電話は切れた。
「すごいね、神室は。ちゃんと声が聞こえたよ」
「ハァ、アンタのことは多少は慣れたつもりだったけどさ、まだまだ予想を
神室はため息。
「やっぱり、静希君はいつも私の想定外を行きますね」
今回ばかりは、少しだけ。語気が強めの有栖だった。
今回のオチ。
「だって
と、犯人の供述。
おそらく固定電話だったのだろう。
草十郎からしたら全くもって同じモノであっただけで。
閑話休題。
「それで、電話の用件は?わざわざ綾小路君が電話をかけてくるなんて」
有栖の興味は既にそちらに移ったようだ。
「そうだ、二人に尋ねたいんだけど・・・この場所はここから近いのかい?すぐに行ってほしいと頼まれたんだ」
「あら、ここは・・・」
地図が示す場所。
指定されたのは、ビルが並ぶ商業施設から少し奥に入ったところ。
いわゆる、路地裏。
「そこで、ストーカーに追われている女子生徒がいるらしいんだ」
少年の、最初の■■が始まる。