草十郎が路地裏に飛び込んで二分後。
ようやく私と真澄さんは同じ道にたどり着く。
「あれだ!」
草十郎は存外近くにおり、道に入ってから10メートルほど先に居座る。
そのすぐさま、男が振りかざしたナイフを左手掌で掴み取り、
返す刀の右脚で、男を股関節ごと背負い投げ、男を背中から叩き落した。
男は痛みで呻き、意識を手放すことしかできず。
彼はいつも以上にいつも通りの目で静かにそれを見つめていた。
「やあ、二人とも。ちょうど片付いたんだ。彼女は―」
草十郎の目線の先には女子生徒が倒れている。
胸郭が規則的に揺れているので、気を失っているのだろう。
それを見て少し笑いながら。
「とりあえず、綾小路に連絡しようか」
頼むよ、と言いながら自身の端末を神室に放り投げて渡す草十郎。
神室も驚きからか、「あ、ああ」と了承しかできず、電話で顛末と場所を伝えに現場を少し離れる。
草十郎は滔々と語る。
「彼女には、申し訳ないことをしたな。もう少しうまくやれればよかったんだけど」
気絶した彼女を見て、心の底から申し訳ないという表情だ。
「いえ、それより。それよりもです。左手は大丈夫ですか?早く病院に行きましょう。他にも怪我があるかもしれません」
私らしからぬたどたどしい言い回し。
それを見て、草十郎は少し微笑ましそうにはにかむ。
「有栖も、そんなに焦ることがあるんだね。でも大丈夫だよ。こんなことは山では日常茶飯事だったから」
そう、心配かけまいと振る舞う草十郎。
左手を振って元気さをアピールしようとしているが、返って痛ましさが強調される。
表皮は痛々しく引き裂かれ、その切り口からは、我先にと言わんばかりに血液が流れ落ちる。
素人の刃とはいえ、振りかぶったナイフを受け止めたのだ。
指がきれいにつながっているだけで僥倖ではあるのだが。
「違います。慣れているとかそんなことは関係ありません。早く」
「心配ありがとう。でも、有栖には関係ないだろう?」
「え…?」
唖然とする。
草十郎は、今。
「私、関係ないですか?」
「だって、有栖は怪我をしていないだろう?」
当然と笑う。
私に心配をかけまいと、突き放しているわけではない。
ただ、本当に関係ないと思っている。
「それとも、どこか体の調子が悪いのかい?有栖は体が弱いんだから、気をつけなきゃダメだよ」
少し心配そうに私を見る草十郎。
私は、そんな彼が。
2か月間触れあってきた彼と、同じ見た目、同じ声をしているのに。
平生と同じ笑顔で語っているのに。
こんな怪我をした時でも、私の知っている彼でしかないのが。
とても嫌で。
「私に関係がないわけないじゃないですか!」
錆び切った歯車でさえ、もう少しまともな音を出すのではないだろうか。
それくらい、私は声を張り上げる。
自然と熱を帯び、頭が熱くなってしまう。
「私、心配しました。貴方の手から血がでて。それもたくさんです。それで、それなのに!」
貴方がいつも通りに笑っていることが、とても嫌で。
「俺が怪我をして、有栖は心配してくれたんだね」
「当たり前です。バカ…」
草十郎は何も言ってはくれない。
「人助けは、褒められてしかるべきかもしれません。でも、静希君は。もっと自分を大切にしてください。じゃないと、じゃないと。私が悲しいです。それだけが理由ではだめでしょうか、それだけでは…」
少しの沈黙。
きっと、彼は言葉を迷っている。
「君が悲しむのなら、これからは身体は極力は大事にしようと思う。有栖は、やっぱり優しいね」
彼は少し困ったような。それでいて、少し寂しそうな表情を湛えてそう言った。
私は彼の顔を見て、暫く何も言えなかった。
いつもなら、言葉になんて詰まらないのに。
うまく考えがまとまらない。
彼を諭す言葉も、心配する言葉も、責める言葉も、何も考えられない。
ただ、悲しかった。
===========================
「ありがとう、助かった」
オレは現場に着いて、開口一番にそれを言う。
神室が警察も呼んでくれていたらしく、男の身柄は拘束されている。
佐倉も事情聴取が執り行われているようだ。
「気にしないでくれ。それより早く彼女の傍に行ってあげてほしい。怪我していたら大事だ」
草十郎は特に気にしていないようだ。
「そんなことなんて言ってる場合じゃないだろ。お前もケガしているじゃないか。やばい出血量だぞ」
「さっき、有栖にも叱られてしまった。こんな傷放置していたら治ると思ってたんだけど」
「オマエの地元ではそういう傷は放置していたのかもしれんが、都会ではこういう時、病院に行くんだよ?」
「なんか最後の方に『はてなマーク』がついてた気がするのは気のせい?」
「気のせい、気のせい」
実際普通の病院にかかったことがないため、予想ではあるのだが。
「とりあえず、坂柳とさっさと病院に行ってきてくれ」
静希は少し困ったように頭をかいている。
怪我を負ったことも意に返さず。
まるで、いつも通りだと。
人間のサイズで生活し、人間の規範で活動している。
しかし、生き方は人間のそれではない。
その歪みを垣間見た気がした。
===========================
事後処理を綾小路と神室に任せ、草十郎は有栖に手を引かれながら治療を受けに病院へ。
すると。
当然なのか、はたまた偶然なのか。
「いらっしゃい、静希君」
メガネの神父が、黒い服ではなく見慣れない白衣姿で出迎えた。
「派手にやられましたね」
彼は局所麻酔を打った後、慣れた手つきで傷の縫合をしていく。
切られる前より綺麗に治りそうだな、と適当なことを草十郎は思った。
「恥ずかしながら」
「坂柳さんから事情は伺いました。今度からは怪我をしたときは、速やかにいらしてくださいね」
すみません、と申し訳なさそうに頭をかく草十郎。
「どうして正面からナイフを受け止めたのですか?」
「どうして?」
「私も沢山の傷を診てきました。これほどまでに綺麗に腱、筋肉、神経が綺麗に避けられている傷はお見事としか言いようがありません。表皮と真皮、皮下組織だけに傷を留めている。わざとこのように刃を受け止めたのではないか、とつい邪推してしまったのです」
「偶々ですよ」
それに、とまだ付け加えることがあるようで。
「俺の後ろに有栖と、その友達がいて。ナイフを避けたり、弾きでもして万一彼女に当たってしまったらと思うとつい。
もっと上手くやれればよかったんですけど」
神父もその回答に、一応の納得を得たようだ。
「友人を思う、それは素晴らしい心がけです。ですが自分を大切にしないのは歓迎できませんね。
医師としても、神父としても」
彼は目元と口調は優しげだが、それでいて少し厳しめの語句で俺を諭す。
もしかしたら、彼も俺を心配してくれたのだろうか。
「それに、なんとか殺さずに済ませようと無我夢中で」
彼の前では、やはり心の声が漏れやすいのだろうか。
つい草十郎は口が滑ってしまう。
「静希君はつい先程殺されかけたんですよね?」
「そうなんでしょうか」
「ナイフで切られることなんて、普通に生きてたらあり得ませんよ」
「普通は、そうなんですよね・・・」
「そうです。なのにそんな時にでも。これは敢えて、不謹慎なことを言いますが。
貴方は相手のことを殺してやろうとは思わなかったんですね」
その問いかけ。何の意味があるのかはわからない。
神父が、医師が。
しても良い問いなのか、そうじゃないのか。
そんなことは草十郎にはわからないけれど。
でも。
「人殺しは、いけないことですから」
答えは決まっていた。
山から下りた時から。
神父は何がおかしかったのか、少し苦笑していた。
「有栖がすごく心配してくれたんです。俺のことなのに、俺以上に」
「そうですか。他人を本心から気遣える方は、なかなかいません。もしそういった方に巡り合えたのなら、それは何よりの幸運でしょう。お友達を大切にして下さい」
彼の口調は教会の時と相違なく。それでいて手つきは淀みなく。
しばしの処置が進んでいく。
「そうですね。彼女は本当に優しくて、俺なんかを心から心配してくれています。だから。だから…」
あの時の続き。神父からの質問を嫌でも思い出してしまう。
でも今は教会ではなく。
彼も神父としてではなく、一介の医師として勤務する身。
「それについてはまたいずれ、お話ししましょう。処置が終わりました。早くお友達に顔を見せてあげてください」
ありがとうございましたと言い残し、とても綺麗に縫合してくれた左手を心なしか庇いながら、草十郎は処置室を出る。
すぐ前のソファに腰掛け、有栖が一人で待っていてくれたようだ。
彼女と待ち合わせるときは、いつも何かしら本を読んでいる印象だったが、今日に限ってはずっと何もせずに待っていたようだった。
「やあ、待たせたね。有栖」
「そうですね、そうかもしれません」
少しぎくしゃくした雰囲気。
流石の彼も、今が絶妙な空気感なのは何となく察している。
そういえば、待ち合わせはいつも彼女が先に着いていた気がする。
「じゃあ、帰りましょうか」
そう言って先んじて歩き始める有栖。
すぐ後ろをゆっくり歩く。
病院を出るともう時刻は20時過ぎ。夏は既に到来しており、蒸し暑さが残っている。
しかし、あたりは比較的うす暗く、お互いの細かい表情をうかがい知ることはできない。
ゆっくりと寮までの道を歩く。
なんとなく話しがたく、会話はない。有栖もそうなのだろうか。
「俺は」
草十郎は、自分から口火を切ることにした。
足を止めて。
「山から下りてきて、いろいろな人にお世話になった。
下りたばかりの俺を助けてくれた人。中華料理屋の店長夫婦。この学校を紹介してくれた人。そして、この学校で出会った友人…」
有栖は振り返らない。しかし歩みは止まっており、確かに話を聞いてくれている。
「俺をいろんな人が心配して、助けてくれているんだ。それがありがたくて。
特に有栖には本当に感謝しているんだ。初めての友達だから。だから心配をかけたくなかったんだ」
有栖は表情を見せてはくれない。いつも、不敵な笑みを浮かべている彼女からは想像もつかないほど、今の彼女の背中は小さく見えた。
「都会のルールはわからないし、学校も、知らないことだらけだ。そして、それで、皆と違う俺が…」
いつも嫌で。
有栖は黙って俺の話を聴いてくれている。
「でも、そんな中で。君や、君のような人たちが。俺と関わって生きてくれている。だからそれだけで本当にありがとう」
それだけを伝えたかった。
例え君がいつか俺のことを忘れてしまっても。
俺を嫌いになったとしても。
俺は、君への感謝を一生忘れないと思う。
「静希君」
彼女は俺の言葉を、ゆっくりと咀嚼していた。
長い、永い、遥かな静寂。
俺が今言えることは全て話した。
有栖は、一体俺に何を言うのだろう。
「私は以前、貴方と約束しました。いつか、私が困っていたら助けてください、と」
覚えている。忘れるわけもない。
教会からの帰り、二人で歩いたあの日のことを。
「うん、そうだったね」
「私は今、困っています。大切な友人に一人、ダメダメな方がいて。その方はとても優しくて、人を思いやっていて。私の夕食も準備してくれるんですよ。なのに。私と折角お友達になってくれたのに」
彼女は振り返らない。俺に背を見せながら、滔々と語る。
「自分のことを、大切にしてくれません。きっと、自分のことがお嫌いなのでしょう。その理由は私には話してはくれていません。でも無理矢理には訊きたくありません」
「だから、その方がご自身のことを愛せるように、助言をいただきたいのです」
やっぱり君は優しい。
「それはきっと、とても難しい相談だね」
そんな君だから、いつか語りたいと思う。
「はい・・・何せお馬鹿さんですから」
俺が山を降りた理由。
「その馬鹿に、伝えておいてほしい。友達を大切にしろって」
そして、この学校に来た目的を。
「特に、初めての友達は、ですね」
君にだけは、知っていてほしいから。
「そして、いつか秘密を打ち明けられる時が来たら、それを受け止めてくれる友達を見つけろって」
君にだけは、隠したくないから。
「ラッキーですね。一人目で、もう見つかってます」
例え、それで君に嫌われたとしても。
「そして何より。友達や、周り人に感謝しろって」
「いつも、伝わっていますよ。何せ、とても優しい方ですから・・・」
「じゃあ、世界一の幸せ者じゃないか」
「そうです。そうなんです・・・」
彼女の小さい背は震えていた。
その顔はうかがい知ることはできないけれど。
もしかしたら彼女は泣いていたのかもしれない。
だとしたら、きっと。その馬鹿
それが本当に申し訳なくて。
いつもなら、申し訳ないだけで終わっていたのに。
なぜだろう。今日は少し嬉しかったんだ。
第一章完です。
読んでいただきありがとうございました。
見切り発車で始めたのですが、多くの方に読んでいただけて光栄です。
続きについてもプロットはあるのですが、まだちゃんと文章に起こせていないので、明日投稿できるかは未定です。