「お邪魔いたします。」
有栖が俺の部屋に入ってくる。
まだ引っ越したばかりで簡素な部屋だ。
じゃあ時間がたてば雑多な部屋になるのか、といえば。
この少年の場合はNOだろう。
「じゃあパッと料理を作ってくるから、まだシーツも引いてないけれど、備え付けのベッドにでも座って待っていてほしい」
「静希君の荷物はこれだけなんですか?」
俺が持ち込んだ荷物は大きめの段ボール一つ分だけだ。
中には私服と筆記用具、寝具と書籍を数冊。
「随分と少ないんですね。ここまで少ない方は静稀君だけだと思いますよ」
「そうかな?まあ、俺は山育ちだからね」
「山育ちが全ての言い訳にはなりえませんよ…」
ジトっとした目線を向けられている気もするが、調理場と居間は距離がありその顔は確認できない。
時間をかけずに作れる野菜炒めを作っている。ごはんは炊飯器で早炊きだ。
「静希君はなぜこの高育に入学したのですか?」
他愛のない話だ。
だが、俺にとってはあまり触れられたくはないことだった。適当に誤魔化そうとも思ったが、有栖には見抜かれそうだとも思い、真実と嘘を交えつつ回答し煙に巻くことにする。
「山には高校がなくてね。進学しようにも、俺はお金もない。そうして路頭に迷っていたところ、日本で一番お金がかからない高校を見つけたんだ。しかも卒後の進路実績も良いときている。記念受験のつもりで受けたわけだけど、何の因果か奇跡的に合格して、今ここにいるってわけだよ」
料理は完成。ご飯も炊けたようだ。
「はい、めしあがれ」
野菜炒めを作った。
オトコ飯の定番である。俺はあまり料理のレパートリーはないが、身銭を稼ぐために数か月バイトした前の拠点の中華料理店では野菜炒めを筆頭に割と多種多様な料理を作った。
持っている手札の中ではそこそこには自信がある。
「ありがとうございます。とてもおいしそうですね」
いただきます、と二人で手をあわせ食事をとる。
有栖もおなかは空いていたらしく、無言で食べ続けている。
「誰かと食事をとるなんて久しぶりだから、俺もうれしいよ」
「今まではずっと一人だったんですか?」
「山から下りてしばらく一人暮らしをしていたんだ。たまに誰かとご飯をとることはあったけれど、そういう時は外食だったしね。誰かと家の食卓を囲むことの楽しさを思い出したよ」
「静希君は本当に変わっていますね」
有栖が少しばかり嬉しそうにそう言った気がした。
食事もすみ、時刻は20時を回ったところだ。
有栖は玄米茶を飲んでおり、俺は荷解きをしていた。
「10万ポイントについて考えました」
「静希君と別れたのち、数人のクラスメイトと会話をしました。彼らにも情報収集を行ってもらっています。数日中に結論は出します」
有栖のことだ。俺には到底考えつかないことに思考を巡らせているのだろう。
そういえば日中のことを有栖に話していないなあと思い出す。
「そういえばなんだけど有栖と一度別れたとき食堂に寄ったんだ。そうしたら喧騒が聞こえてきて…」
食堂での顛末を語る。
「都会では、横入りされたときにそんなに怒るのが普通なのかい?」
「人によるとは思いますが…大体の人間はイラつきはせよ、怒鳴るまでではない、と半分泣き寝入りする方が多いのではないでしょうか」
「泣き寝入りが普通。覚えとくよ。自分がいつ横入りされるかわからないからね」
俺は郷に入っては郷に従えとも言うし、日々常識はアップデートしていかねば。
と、草十郎がまたしてもから回っているところを有栖はあきれつつも楽し気に見ている。
「やっぱり静希君は面白いです。いいことを思いつきました。私が静希君に一般常識を教えて差し上げます。静稀君が日々の生活で『違和感』を覚えたことを、私に相談してください」
微笑みながらそう言ってくれる有栖。こんなに助かることはないが。
「でも、迷惑じゃないかな?」
「いえいえ、お友達が困っているならば助けるのが当たり前。静稀君のいた『山』でもそうだったのでは?」
確かにそうだ。協力、協調、共感。山では、これらなしには生きてはいけなかった。
山では、皆での結束が不可欠だった。仲違いやコミュニティからの脱落は、そのままイコールで死に直結しうる。
「それに、これについては私にもメリットがあります。詳細はまだお話しできませんが、そういうわけですのでどうか遠慮なさらずに」
「わかった。頼らせてもらうよ、有栖。その時なんだけれど、言い争いの中で、『落ちこぼれのDクラスのくせに』と言っていた生徒がいたんだ。俺は勉強が苦手だから、今から学校で落ちこぼれないか不安だよ」
と有栖に不安を吐露すると、有栖が別のところが引っかかっているようだ。
「落ちこぼれのDクラスとおっしゃいましたか?Dクラスの落ちこぼれではなく?」
「俺の聞き間違いじゃなければだけど」
有栖は少しだけ目を見開き、考え込む動作をしたのち、不敵な笑みを湛えた。
「ふふ、本当にお手柄です、静希君。さすがの山育ちの嗅覚ですね。ヨシヨシをしておげましょう」
「俺は犬は嫌いだし、本当に苦手なんだ。犬扱いはひどい」
「冗談です、お気に障ったなら謝ります。ですが本当に大手柄ですよ」
俺が本当に不貞腐れたように見えたのか、有栖はすこし申し訳なさそうに言う。
「俺にはいまいち話が見えてこないんだけど…」
「静希君はまだ気にしないで大丈夫ですよ。それよりもお願いがあります。今日の食堂での騒ぎのことと、今日私と話したことは他言無用でお願いします。特に、他クラスの方には」
「有栖がそういうのなら構わないよ。確かに男に料理をふるまってもらってるのは人には知られるのは、少しばかり恥ずかしいよね」
「そのことではありませんが…まあ、よいでしょう」
今日は楽しかったです、また明日学校で。
そう言い残し有栖は自室へ帰った。もう21時に近づき、お開きにはちょうど良い時間だったろう。
急に広くなった自室を見渡しながら、簡素なベッドに腰掛ける。
まだシーツも敷いていないベッドには、先ほどまで座っていた少女の微かなぬくもりの残滓を感じた気がしたが、きっと気のせいだろう。
今日は人生で初めて経験したことがたくさんあった。
初めての学校、初めての教室。
初めての友達。
シャワーを浴びて就寝する。時刻は22時。
山にいたころはこんな時間まで起きていたことはない。
日が没すれば、世界の終焉だった。
だが今はどうだろう。
灯はスイッチ一つで確保でき、食料は売り場で容易に手に入り、蛇口をひねればきれいな水も容易に手に入る。
また明日学校で。
有栖はそう言った。明日が当然来るという確信。いや、それすら超越した常識だろうか。
ここにいる人は誰も今日の夜に怯えない。闇を恐れている人は一人もいない。
明日当たり前のように登校し、学友と会話をすることに何の疑問も持ってはいない。
俺もそうなりつつある。
電気のない生活には帰りたくないし、もはや帰れないとも思う。
だけど。
自分の気質が、山にいたころから乖離していることに幾何かの寂寥感を覚えた。