二人で何やらこっぱずかしいやり取りをして。
寮への帰路。
二人並んで歩く。
街頭の灯りは静々と優しく、寮までの道しるべとなり夜道を照らしている。
そんな中。誘蛾灯のように煌々と光りながら鎮座したモノ。
自動販売機は、当然のことながら都会に来てから初めて見た。
初めて見たこの筐体の使い方を知った時は驚愕したものだ。
何せ、硬貨を入れると飲み物が吐き出てくる。
しかも清潔で、温冷も指定できるとなればもう驚きを通り越して恐ろしい。
しかし、彼の率直な感想ではあるが、
「綺麗な水が蛇口をひねればどこでも手に入るのに、何でこんなモノが必要なんだろう?」
だった。
そもそも水道ですら、彼には理解到底の及ばないものなのだが。
そんな自動販売機の方向で大きな騒音がした。
声の高さからして、男女だろうか。二、三人が争っているのようだ。
彼と顔を向かい合わせ、頷きあう。
(出歯亀かもしれませんが・・・)
気配を極力消しながら音の方へと向かった。
自販機の傍で二人の男女が言い争いをしている。
あれは堀北生徒会長と、1-Dの
(堀北鈴音さん。へぇ、堀北ですか)
一年の名簿自体は完璧に記憶していた有栖ではあったが、その二人を関連付けて考えたことはなかった。
言葉尻だけ捉えれば兄妹喧嘩のようだが、少々様子は険呑だ。
兄が妹を一方的に追い詰めているようにも見受けられる。
「鈴音、お前は相変わらず、孤独と孤高を履き違えているようだな」
彼はそう告げながら、彼女に手を伸ばす。
「また、痛い目を見なければわからないようだな」
私は格闘技の心得はないが、これは。
(少々、不味いかもしれません・・・)
内心冷や汗をかきつつも、一歩もその場から動けずにいた。
生徒会長が鈴音の腕を掴む。
次に見届けるであろう惨事に目を背けたくなり、ギュッと眼を閉じてしまった。
しかし、悲劇は起きず。
「やめろ。貴方は、彼女を殺す気ですか?」
隣で隠れていたはずの草十郎が、男の腕を掴む。
彼はいつの間にか兄妹の側に立っていた。
「お前は・・・何者だ」
生徒会長こと堀北学は、訝しげに突然の参入者に問いかける。
堀北妹も、闖入者が誰か知らない様で、困惑を隠せずにいた。
「・・・」
草十郎は何も語らない。
二人の間に流れる空気は、張り詰めたように冷たい。
「答えないか。今のはただの兄妹喧嘩だ。家族でない者に、口を出される謂れは・・・ない!」
そう言い切る前に右脚での鋭い上段回し蹴りを放つ学。
草十郎の顔面に向かい、弾丸のような蹴りを飛ばす。
「兄さん!」
(っ・・・)
私は心の悲鳴をあげる。
脚先は彼は頬を掠め、薄皮一枚を削り取った。
しかし、草十郎は一歩も引かない。一瞬たりとも学から目を逸らさない。
「次は当てるぞ」
最終通告。最後の審判。
「もうやめてください、彼は無関係です!」
ここで引けば見逃す、学はそう言っているのだ。
しかし。
「俺が質問しているんだ。貴方は、彼女を殺す気なのか?」
一瞬の静寂。二人を取り持つのは、風に揺れる街路樹の騒めきだけ。
「もし、そうなら。俺は―」
そう言い切る前に学は左脚で蹴りを放つ―
予備動作のみ行い、右手の掌底に切り替える。
完全なフェイント。
草十郎の肩口をえぐり取る、必殺の一撃。
「静希君!」
私は思わず、声を上げてしまう。
更に。
「そろそろやめた方がいいんじゃないスかね」
新たな乱入者により、壇上は混沌を極めていく。
「お前たちは、確か」
「綾小路君・・・!」
「有栖・・・」
「流石にやり過ぎですよ。兄妹喧嘩も、後輩いびりも」
ゆっくりと声を出す暗い茶髪の男。
学の右前腕を掴み、決して離さない。
一瞬で場を支配してしまう、そんな語り方。
冷徹で、平坦で、感情のない語り部。
私は一歩も動けない。
「貴方まで・・・一体何が起きてるの」
鈴音は困惑している。
劇場はフィナーレへ。
会議は踊る、されど。
「よくフェイントを見破ったな」
褒めてやる、そう言わんばかりの学。
学は言外に、お前が近くにいたことは気づいていたぞという話し振りで、綾小路の参戦そのものには驚いていないようだ。
「流石に見逃せませんよ。天下の会長さんが一目につかないところで暴行なんて」
綾小路は飄々と流す。
そしてずっと無言を貫いていた草十郎は。
空気を弛緩させるように微笑みながら。
「なるほど。俺の勘違いでしたか」
そう言って少し恥ずかし気にはにかんだ。
「勘違い?」
草十郎を除く、全員が意味を理解できていないようで、学が代弁者として問いかける。
「いや、俺はメガネのお兄さんの雰囲気が恐ろしくて、勘違いして飛び出してしまったんだ。でもまさか兄妹喧嘩だったとは」
邪魔してすまない、と言いたげに頭をかく。
それに、
「貴方はヒトを殺すような人間じゃない、優しい人ですから」
「俺は、お前の顔面に蹴りを入れたが?」
「当てる気はなかったでしょう。威嚇程度なら、動物でもすることです。それに、こちらは家族水入らずを勝手に邪魔しました。多少痛めつけられても文句は言えません」
笑いながら語る。
学もつい笑みがこぼれる。
「成る程な。喜べ綾小路。お前にも、楽しめそうな同級生がいるぞ」
「いい迷惑すぎるな・・・」
「君は確か、綾小路君だっけ?」
「綾小路で構わない。静希、だったか」
「静希?」
学が耳ざとく反応する。
「これは面白い。新入生の中でも特に異質な二人が、こんなに早く会するとはな」
「異質?」
有栖は思わず問いかける。
この男は私の知らない何かを掴んでいる。
「新入生の経歴を、生徒会長権限で調べさせてもらった。だが、経歴不詳の生徒が二名。それも、二人とも小学、中学どころか今までどこに住んでいたかも不明。更に…」
学は告げる。
「入試成績。綾小路は5教科全てで50点ジャスト。狙ったか?」
「偶然って、怖いスね」
あくまで偶然だと、綾小路は惚ける。
「そして静希。お前は試験自体を受けていないな」
「推薦って、怖いスね」
「茶化さないで綾小路君…」
しかし、この事実には流石に皆驚きを隠せないよう。
そして、なぜか草十郎も驚いている。
「静希、お前は一体何者だ?」
草十郎はゆっくりと語り始める。
「すまない。話が見えないんだが、入試試験とは一体なんだい?」
「天然って、怖いスね」
「もう突っ込まないから…」
場が、益々荒れていく。
「ハハハハハ!面白い。それでこそ、俺の見込んだ男たちだ」
学は確信したようだ。この二人は台風の目になると。
学は独り、満足したようだ。
先ほどまでの何者も寄せ付けない雰囲気は、完全に鳴りを潜めている。
「ではな、皆。そろそろ解散としよう。早めに寮に戻った方がいい。夜は冷え込む」
解散のお触れを出す学。
「兄さん、私は・・・」
「鈴音。上に上がりたくば、死に物狂いで足掻け」
顔も観ずに背中越しに語る学。
そのまま帰路に着こうとするが。
「失礼ですが、会長さん。静希君に怪我をさせたこと、まだ謝っていただけてないのですが」
有栖が、鎮まりかけた水面に一石を投じる。
「そうだな、それについては謝罪しよう。すまなかった」
学は素直に受け入れ草十郎に頭を下げる。
「さっきも言ったけど、俺も悪かったんです。だから気にしないでいいですよ」
それに、とまだ言いたいことがあるようで。
「都会では、先輩が後輩を虐めるのが普通なんですよね?個人的に、こういう催しは余り好ましくはないのだけど、都会の常識なら仕方ない。あ、でもカツアゲ?は遠慮したいな」
ポイントにあまり、余裕がなくて・・・と恥ずかしげに語る草十郎。
学も鈴音もポカンとしている。
相変わらず綾小路は表情が読めない。
有栖はため息をつき呆れているが、その表情はどこか嬉しそうだ。
「静希君が許す、というならもう結構です。会長さん、ごきげんよう」
学がその場を去り、閉幕となった。
「静希君、帰りましょう」
「そうだね。じゃあ二人とも、おやすみ」
綾小路と鈴音に挨拶をして去ろうとする二人。
「待って頂戴!」
鈴音が呼び止める。
「あ、その、不躾で申し訳ないんだけど。助けてもらったから、感謝を。その、ありがとう」
辿々しく、素直な感謝を述べる鈴音。
「こちらこそ、綾小路には助けて貰ったしね。お互い様だ。クラスとか関係なく、仲良くしてくれると嬉しい」
お互い自己紹介をする。
「堀北鈴音か。会長も堀北なんだよね?じゃあ、鈴音と呼ばせてもらうことにするよ」
そう言い残し今度こそ解散となった。
帰路。
「静希君、ほっぺたは大丈夫ですか?」
可愛らしく問うてくる有栖。
「大丈夫だよ。本当にちょっと掠っただけだしね」
「ダメですよ、後からしっかり消毒と手当てです。化膿したら大変ですから。それにしても、なぜ会長が当てる気がないとわかったのですか?」
先ほどの掛け合いで、有栖がわからなかったことを尋ねる。
武道家同士の、緻密な駆け引きなのだろうか。
「言葉で説明するのは難しいんだ。言ってしまえば感覚だよ」
「これも山育ち故、ということでしょうか?」
呆れながらも理解を示してくれる有栖。
心配してくれてありがとう。
心の中でそう思った。
有栖はなんだかおかしそうだ。
「まさか、静希くんと綾小路君がお知り合いだったなんて、存じ上げませんでした」
「廊下で一度すれ違っただけだよ」
それ以外は面識がない。
「彼から何か特別なものを感じましたか?」
そういわれ、うーんと首をひねる。
「まあ、よいです。いずれ自分の目で確かめることにします。静希君の今までについても、いつか教えてください」
そう言って有栖は先に歩いていく。
どこか足取りはご機嫌なようで安心した。
そういえば、さっき有栖には言いそびれたんだけど。
綾小路はもしかしたら、ヒトを殺せる人間なんじゃないかって思ったんだっけ。