ロンとハーマイオニーは訳が分からなかった。
なぜかマルフォイが四階まで付いてきていて、ずっとハリーと言い合っている。
「何度も言うけど君が来る必要はない」
「お前こそ何度も言わせるな。レオノールが巻き込まれてるかもしれないんだろ」
「かもしれないだけだ。それだけでこんな危険なことに首を突っ込むなよ」
「お前達こそ危険ってわかってるのに行くじゃないか」
「僕達には重要なことなんだよ」
「僕にだって重要だ」
「君はあの夜レオノールを置いて逃げたじゃないか」
「わかってるさ!」
マルフォイが急に足を止めたので三人が振り向くと、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「わかってる。僕もあの場に残るか無理矢理でもレオノールの手を引っ張っていけばよかったって思ってる。だから今度はそんなことしたくないんだ」
初めて見るマルフォイの真剣な様子にハリー達は押し黙る。
どこからかオルゴールのような音がした。
ロンが扉に顔を近づけ、聞き耳を立てる。
「フラッフィーのいびきが聞こえる」
ハリーは取手に手を掛けてもう一度マルフォイを振り返った。
「この先どうなっても文句言うなよ」
「言うもんか」
扉は軋みながら開いた。
ハープが途切れ途切れに音を奏でる傍で、三つの巨大な猛犬の頭がすやすやと寝息を立てていた。
ハープの音の合間が長引くのに合わせてフラッフィーの寝息も小さくなっていく。
ハリーは慌ててポケットに詰め込んできたハグリッドお手製の横笛を取り出して吹いた。
適当にそれっぽく音を繋げただけだがたちまちフラッフィーの寝息が深くなる。
ロン、ハーマイオニー、マルフォイの三人で巨大な前足をなんとかずらし、仕掛け扉を開けた。
扉の奥はずっと下の方まで闇が続いていた。
「…誰から行く?」
ロンの問いかけにハリーは足でロンを小突いて身振りで自分を示す。
ハリーの意図を理解したロンは頷く。
「オーケー。じゃあ僕が横笛を代わるよ。ハリーが降りて問題なければ、まあ、あとは適当に続くさ」
ロンに横笛を渡したハリーは闇の中へ飛び降りた。
ドサッという音とともにハリーは柔らかくてごつごつした地面に着地した。ごつごつしているのはすべて植物の蔓だった。
「大丈夫だ」
ハリーの声を聞いて残りの三人も飛び降りてくる。
「なんだ、この植物」
「クッションのつもりなのかな。どちらにせよついてるよ」
「ついてるですって?」
ロンの言葉にハーマイオニーが悲鳴で答えた。最後にハーマイオニーが着地したのを皮切りに蔓が四人に絡みつき出したのだ。
「うわ、なんだこれ!」
マルフォイも声をあげる。振り解こうとマルフォイが暴れるほどさらに蔓が絡みついた。ハリーはロンの足に絡みついた蔓を、ロンはハリーのを引っぺがそうと思い切り引っ張ったが後から後から蔓が現れる。
ハーマイオニーはなんとか振り解けたが他の三人はがっちり膝下まで締め上げられてしまった。
「動かないで!これ、知ってるわ。悪魔の罠よ」
「名前がすぐわかってありがたいよ!」
「黙ってて!どうやってやっつけるか思い出してるんだから!ええと、悪魔の罠、悪魔の罠は、湿気と暗闇を好み、、、」
「火だ!火を付けて!」
既に両腕も絡みとられ、蔓が三人の喉元に迫っていた。
「ええそうよ、でもマッチがないわ」
「冗談かよ!お前それでも魔女か!」
マルフォイが叫ぶ。
「そうだった!」
ハーマイオニーが杖を振るとリンドウ色の光が杖先から噴き出した。光と温もりに晒された蔓はすくみ上がり、さっきまでの力が嘘みたいにするすると三人を離した。ハリー達は力の抜けた蔓の下からジタバタと這い出す。
「ったくもう君ってやつは、」
「本当、冗談が聞いて呆れるぜ」
起き上がったロンとマルフォイが口々に文句を言う。
「でも私がいなかったら今頃三人とも締め殺されてたわよ」
ハーマイオニーの言葉にマルフォイは肩を竦めたがそれ以上文句は言わなかった。
「こっちだ」
四人は汗を拭いながらハリーの示した奥へ続く道へと進んだ。
右腕がじんじんする。
内側から頭を殴られているような感覚だ。
本を読み漁っていて気付いたら辺りが薄暗くなっていたので帰ろうとしたのだ。
後ろから迫る足音に気付いたときにはもう手遅れだった。
背中から電気のような衝撃が流れ、レオノールは前のめりに崩れ落ちていた。
それからの記憶がない。
頭をはっきりさせようと一度ぎゅっと目を瞑ってから重い瞼を持ち上げる。
血だらけの右腕を男が掴んでいた。
「…クィレル先生」
クィレルはもう一方の手でレオノールの髪を掴んで持ち上げ、腕を伝わり落ちる血を瓶に集めている。
「ずっとヴィヴィエールの血の効果を間近で見てみたかったのだ。こんなチャンスをみすみす無駄にすると思うか? さっきの扉は上手くいかなかったが、もう一度くらい試してもいいだろうよ」
クィレルはレオノールに話しかけるというより独り言のように言った。いつものどもった話し方は何処へ行ったのか、ぎらぎらした欲望のこもった声だ。
赤子の頭くらいはありそうな瓶が血でいっぱいになろうとしていた。全身を掻き毟りたくなるような悪寒と吐き気がレオノールを襲う。
瓶がいっぱいになるとクィレルは掴んでいたレオノールの髪を放し、瓶を持ってどこかへ歩いていった。急に髪を放されたレオノールはその場に力なく崩れ落ち、顔を床にしたたかに打ち付けた。白と黒の大理石でできた床だった。
「くそっ!」
クィレルが対峙した大きな像に悪態を付いているのが遠目にぼんやりと見える。像は人よりも大きいポーンだった。
「まだ血が熟していないな。あの忌々しいスネイプが邪魔しなければ事前にお前の血を試せたものを。これではお前はただのお荷物だ」
クィレルの足音が戻ってきた。
殺される…!
……死にたくない。
床に転がるレオノールの横に立ったクィレルは残っていた瓶の中身をレオノールの顔にぶちまけた。
「ヴィヴィエールの魔法を拝むのは御主人様が戻られてからのお楽しみだな」
口の中にあの特有の鉄の味が広がる。
「泣かないで」
頭の中でマリオットの声がした。そこでレオノールは意識を失った。
ハリー達は奥へ続く一本道を進んだ。
しばらく歩いた頃から薄い羽の擦れ合う音が聞こえてきた。
四人は大きく開けた部屋に出る。天井は高く、アーチ型をしている。その部屋いっぱいにキラキラとした小鳥が飛び回っていた。
部屋の向かい側に分厚い木の扉が見える。
「こいつら、襲ってくるかな」
「そうかもしれない。僕が先に行ってみるよ」
ハリーは腕で顔を覆い、部屋を駆け抜けた。何も起こらない。
ハリーの合図で残りの三人も部屋を横切った。
「鳥、じゃないよな。なんだ?」
「もしかして、鍵?」
「ねぇ、これ…」
ハーマイオニーの強張った声に皆一斉に扉を見た。
銀製の鍵穴に赤い液体がべっとり付いている。
「血だ」
夕方から姿の見えないレオノール。眠らされたフラッフィー。血の付いた扉。
嫌な予感が更に増す。
「開かないと思うけど、呪文を試してみて」
ハリーに言われてハーマイオニーが呪文を唱えるが何も起こらない。
「やっぱり。あの中から本物の鍵を探さなきゃいけないんだ」
「絶対千羽以上いるぞ」
「鍵穴と同じで銀製だと思う」
四人は目を凝らして鍵の群れの中を探した。ふらふらと飛ぶ錆びついた大きな鍵がハリーの目に入った。どうやら羽が折れているようだ。
「あそこの、羽が折れているやつ」
「ふらふらしてるな」
ほとんど同時にマルフォイも見つけたようだ。
「どうやって捕まえるの?」
「そのための箒じゃないのか」
マルフォイが部屋の隅にある箒を指した。
「オッケー、ここで飛ばなきゃいけないのね」
ハーマイオニーが顔をひくつかせた。箒はハーマイオニーの数少ない不得意な分野だ。
「君は扉の前にいてくれ。それと、」
ハリーはマルフォイに向き直る。
「鍵を捕まえたら君は来た道を戻ってくれ」
「なんでだ」
「先生達に知らせてほしいんだ。少なくとも誰かが怪我してる。できればダンブルドアがいいけど、他の先生でもいい」
「お前が行けよ、ポッター」
「僕は一刻も早く賢者の石に辿り着かなきゃいけない。でも、僕達で手に負えるか分からないから応援を呼んでほしいんだ。それにその方がレオノールも助かる」
マルフォイの青い瞳がじっとハリーを見た。
「…わかったよ」
男子達は箒に跨り、鍵の群れに向かって飛び立つ。マルフォイが飛ぶところを見るのはネビルの思い出し玉を取り合ったとき以来だが、やっぱり箒はうまかった。
羽が折れていながらも鍵は意外にすばしっこくなかなか捕まらない。
「三人で追い込むんだ!」
それぞれの方向から三人は鍵達を追い立て、天井のアーチのてっぺんに追い込む。羽を痛めた鍵は他の鍵のように小回りが効かず群れから少し遅れた。
一気に加速したハリーが鍵に手を伸ばす。
グシャッと嫌な感覚とともに鍵はハリーの手の中に収まった。
「捕まえたぞ!」
ハリーは鍵をしっかり手に握ったまま箒の向きを変える。
次の瞬間クィディッチで培った反射神経でハリーは咄嗟に身体を倒した。
鍵が襲ってきたのだ。
ロンとマルフォイも慌てて床に向かう。
鍵達は二人には構わずに蜂の群れのようにハリーだけを追い続けた。
「こっちだ!」
ハリーはロンに向かって鍵を投げ、キャッチしたロンがそれを今度はハーマイオニーに向かって投げる。
「今だ、行けよマルフォイ!」
マルフォイは躊躇っているようだったが鍵に追いかけられているハリーは構っていられなかった。
「ハリー!早く!」
ハーマイオニーが扉を開け、ロンが箒のまま飛び込むところだった。
「マルフォイ!」
「…ああ、もう!死ぬなよ、ポッター!」
マルフォイがさっき通ってきた道に向かうのを視界の端に捉えながらハリーは扉に飛び込んだ。
ハーマイオニーがばたんと扉を閉じた瞬間に真っ暗だった部屋に灯がついた。
扉から振り返ったハーマイオニーが悲鳴を上げる。
ハリーとロンも思わず身震いした。
目の前に広がっていたのは巨大なチェス盤だった。手前に黒い駒、部屋の向こうに白い駒が整然と並んでいる。
でも三人の背筋を凍らせたのは自分達より大きな駒ではなかった。
チェス盤の至る所に血を引き摺った跡があるのだ。
酸鼻な光景とともに鉄の臭いがむわっと鼻につく。
ハーマイオニーが微かに震えているのがわかった。
ハリーも自分の脚が竦むのを感じたが、怯んでいる猶予はなかった。
「向こう側に行くにはチェスをしなきゃいけないんだね」
「そうだと思う」
ハリーの囁きにロンが頷く。
「僕達三人が一人ずつ黒い駒と代わるんだと思う。ちょっと待ってね、」
考え始めたロンをハリーもハーマイオニーも静かに待った。この中でロンが一番チェスが上手いことは二人ともよくわかっていた。
「ハリー、ビショップと代わって。ハーマイオニーはその隣のルーク。僕はナイトになる」
ロンの言葉が聞こえていたのか呼ばれた黒い駒達はチェス盤を降りて三人に位置を譲った。
二人が位置に着いたのを見てロンが大きく息を吐く。
「始めるよ」
白いポーンが前に出る。
等身大のチェスが始まったのだ。
ロンの片割れのナイトが最初に取られた。白のクイーンは容赦無く黒のナイトを床に叩きつけチェス盤の外に引き摺り出した。
白い駒は次から次へ黒い駒を殴り倒し、盤外へ引き摺り出していく。
自分が取られたらどうなってしまうのか。
壁際で傷ついた黒駒が死屍累々として山を成すさまは二人の心胆を寒からしめた。
黒いボディで最初は気付かなかったが八つのポーンのうちの一つがてっぺんから血塗れだった。
そのポーンが通った後に血の跡が増えていく。
ハリーとハーマイオニーが取られそうになったところを二度ロンが間一髪で阻止した。
ロンは盤上を駆け回って取られたのと同じくらいだけの白駒を取った。
お互いのポーンはもうほとんど残っていない。
「…これしか手がない」
しばらく考え込んでいたロンがぽつりと呟いた。
「どうしたの?」
ハーマイオニーが思わず尋ねる。
「…次の一手で僕が取られる」
「だめ!」
二人が同時に叫んだ。
「これがチェスなんだよ!僕が一駒前進する。そうしたらクイーンが僕を取りにきてハリー、君が動けるようになるからキングにチェックメイトをかけるんだ!」
「でもそんなの…!」
「前に進むためには払うべき代償があるんだ!」
こうしている間にもスネイプが石を手に入れて、レオノールの身に何か起こっているかもしれない。
ハリーはごくりと唾を飲み込んだ。
「行くよ」
覚悟を決めたロンが一歩前に出る。
白のクイーンはロンの頭を石の腕で殴った。
ハーマイオニーの悲鳴の中でロンが床に崩れる。
二人はなんとかその場に留まり、引き摺られていくロンを見ていた。
ハリーは王冠を見上げながら震える足で白のキングの前に立つ。
白のキングは王冠を脱ぎ落とし、ハリーの前で片膝を着いた。
残っていた駒がザザーッと左右に捌け、お辞儀をした。
二人は黒駒の中で倒れるロンに駆け寄る。
––––よかった。息をしている。
ロンは気絶しているようだった。
「先に進まなきゃ」
ロンが身を挺して開けてくれた道だ。
二人は後ろ髪を引かれる思いでロンを後に残して扉をくぐった。
下水溝のような臭いが鼻をつき、二人はさっと鼻を覆った。
この臭いは知っている。
部屋にはハロウィンの時に現れたのよりも一回り大きなトロールが横たわっていた。
頭に瘤を作り、気絶している。
ハリーとハーマイオニーは間違ってもトロールを起こさないように部屋の脇をそろそろ通って次の扉へと進む。
次の部屋には大きさの違う魔法瓶がずらりと並んでいた。
通ってきた扉と次の扉に炎が上がる。ただの炎じゃない。紫と黒の炎だ。
ハーマイオニーが瓶の横にあった巻紙を広げ、ゆっくりと中身を読む。
「…パズルだわ。三つは毒薬、二つはお酒、一つは黒い炎の中を通り抜けさせてくれて、もう一つは紫の炎を通って戻れるようにしてくれる」
「前に進むにはどれを飲んだらいいの?」
「ちょっと待ってね、」
ハーマイオニーはブツブツ言いながら巻紙を読み返す。
「これ。この左から三つ目の一番小さい瓶」
一口分しか入っていない小さな瓶だ。
「じゃあ戻れるようにするのは?」
ハーマイオニーは右端の丸い瓶を指差す。
「君がそれを飲んで」
ハリーはハーマイオニーをまっすぐ見た。
「鍵の部屋にあった箒でロンを連れて戻ってほしい。箒ならフラッフィーも飛び越えられるはずだ」
「でも…!」
「お願いだ!君に頼みたいことがあるんだ。マルフォイが助けを呼びに行ってからもうしばらく経ってるだろ。僕達みたいにマルフォイも信じてもらえていないかもしれない。だからフクロウ小屋に行ってヘドウィグを直接ダンブルドアに送ってほしいんだ」
ハーマイオニーは目に涙をいっぱい溜めてそれでも振り返らずに紫の炎を通って戻っていった。
ハリーはハーマイオニーが指した一番小さな小瓶の中身を飲み干す。
冷たい氷が身体の中を流れていくような感覚がしてブルッと身震いする。
そうして黒い炎の中に足を踏み入れた。