01: サマーメランコリック
腕が痛い。
モーフィンが私を棚に投げつけるのに思い切り掴んだところだ。
あの時外で子供と大人の笑い声が聞こえた。
あの大きな館に住んでる男の子だ。両親に挟まれてはしゃぎながら歩いていた。
羨ましいとは感じなかった。別世界、別次元だ。
グガーッ。
父親のいびきが響く。
今日は今年の夏の中でも特に蒸し暑い。
ガゴーッ。
今度はモーフィンのいびきだ。
外の空気の方がよっぽど心地良い。
窓から顔を出すと、丁度館の最後の灯りが消えるところだった。
リドルの館。
あの館に比べるとこのあばら屋に住んでいる自分が人間でなく思えてくる。
掃除道具入れ。
外見的にも立地的にもこの家はそんなところだ。
じゃあ私達は掃除道具入れに巣食う鼠かしら。
違う。鼠じゃない。
蛇だわ。
あばら屋。
右側の背中をさする。飛んできた大鍋が当たったところ、多分折れてる。
窓から立派な屋敷が見える。まだ灯りがついている。
今日も手紙は来なかった。
父親と兄は私を殴り続ける。
『この出来損ないが!一族の恥め!』
父親達の言葉が聞こえるのは不幸中の幸いか、はたまたその逆か。
妹は部屋の隅に縮こまっているだけ。
今日は八月の最後。
このままだと殺される。
妹は大丈夫。妹は弱いけど魔法が使える。
戸を開けて外に出た。
月明かりで道はちゃんと見える。
一歩踏み出すのもやっとだけど、ここにいたら必ず殺される。
少しでも遠くへ––––––
痛い、背中ぜんぶが、身体中が。
動けない。
さびれた門のそばでうずくまっていた。
人気のないと思っていた門が開いて碧眼の青年が現れた。
ちゃんとした身形に、無表情だけど綺麗な顔。
私がいることを知っている。というより私に何かしにきた。
「どうしてここにいるの?」
喉が渇いて、疲れ過ぎて、声が出ない。
青年の視線がすうっと入ってくる。
「母上の許可はもらっているから中に入ろうか。おいで」
ちっちゃな手。
すべてが、可愛い。
まだ生まれたばかりなのに、この子はこんなにも美しい顔をしている。
可愛くて、愛おしい。
ここが私の居場所。
これ以上の幸せは、ないわ。
「んあっ」
変な体勢で寝ていたレオノールは肘掛け椅子からずり落ちそうになって間抜けな声を上げる。
顔を擦って大きく伸びをした。
最近寝ていることが多い気がする。
椅子の横のテーブルには開けた小瓶がそのままにしてあった。
裸足のまま椅子から降りると空の小瓶を持ってキッチンに向かう。
キッチンの鍋からは美味しそうな香りがした。
ギュル〜っと腹が鳴る。
腹ぺこだ。
この屋敷に戻ってきてからまた食べ忘れる癖が酷くなっていた。
小瓶を水で濯いで逆さに置くと、スネイプ先生が作っていってくれたポークビーンズを山盛り皿に盛る。トマトの美味しい香りが鼻をくすぐった。
棚にしまってあったパンも取り出して、キッチンの机に並べる。
浸したパンを頬張りながら、ぼうっと朧げな夢を反芻した。
夢を見るのは疲れる。
最初は目覚めた時にはほとんど覚えていなかった。繰り返し見るたびに少しずつ夢が増え、さらに鮮明になってきている気がする。
寝過ぎで身体は怠くあちこちが痛んだが、あまり寝た気はしない。
ぺろりと皿の中身を平らげると流しで洗い物をする。
皿を籠に立てたあと、さっき洗った小瓶を持ってキッチンを出た。
向かったのは長細い小さな書斎だ。
書斎と呼ぶのが正しいのかよくわからない。片側に入り口から部屋の奥まで続くカウンターがあり、カウンターの上と反対側の壁一面が本棚になっていた。天井は高くなく、奥のそれほど大きくない窓からの光が部屋全体を明るくしている。
カウンターの上に小瓶が並べられた小さな棚が置いてある。
レオノールはその棚の空いているところに空になった小瓶を戻した。
左側の小瓶は空だが、右側とそれより下の段の小瓶には赤黒い液体が詰まっている。
レオノールはカウンターの前の椅子に座ると、今戻したやつの右隣から小瓶を取り、特になにも考えずに手で弄んだ。
夏休み。
ヴィヴィエール邸に帰ると、荷物を置いてすぐに邸の全ての部屋を見て回った。
拍子抜けするほどなにもなかった。
そこであることを思いついてもう一度邸の部屋を回る。
今度は上手く行った。
玄関ホール横の物置が、改めて入ると知らない廊下に変わっていた。突き当たりの扉を出ると、玄関ホールの隣の部屋に出た。部屋は一見何も変わっていないように見えたが、最初にはなかった扉や廊下が沢山増えていることに気づいた。とても一日じゃ回りきれないような量だった。
レオノールは指の傷を舐めながら増えた部屋の一つに入る。
そこは地下の蔵に繋がっていた。
蔵といっても壁の隅から隅まで棚に並べられているのは樽ではなく、ジュース瓶より少し大きいくらいで少しずつ形の違う数百ほどの瓶だった。棚の上の方は光が届かずほとんど見えなかった。
全ての瓶にはラベルが貼られていた。右下にある瓶が一番新しく、左上の方の棚はどれくらい昔かもわからないくらい古びていた。
瓶は赤黒い液体で満たされていたが、一番新しい瓶だけは空だった。レオノールはそこに自分の名前を見つけた。
カイラ・リアンより
レオノール・マリオン
1980.7.21~
自分にはミドルネームがあったらしい。
カイラは母親の名前だったはずだ。隣の瓶にも同じ名前があった。
ジュディス・カレンより
カイラ・リアン
1956.2.15~1981.7.24
この瓶は淵まで中身が入っていた。
つまり最後の空瓶は自分用ということらしい。
レオノールはなんと思っていいかよくわからなかった。
もう一度ラベルを見比べる。
カイラが母親なら、ジュディスは祖母だろう。
母より娘、の順で名前が書かれているようだ。しかも頭文字がアルファベッド順になっている。
そう思って瓶を左に遡っていったが、すぐに当てはまらないところにぶち当たった。
カイラから遡って二つ目でTが出てきてしまったのだ。しかも二つ目と三つ目のは母親の位置にある名前が同じだった。その二つ目の瓶だけなんだかかなり形が違う。
レオノールはすぐに瓶の名前を辿るのを放棄し、再び地上の邸に戻って新たな扉を開けていった。
新しく見つけた部屋のうちの一つが長細い小さな書斎だった。
レオノールは手の中の小瓶を見る。
小瓶には番号と共に”テレーズ”と書いてある。
書斎のカウンターの上には他の部屋から引っ張ってきた家系図も開いてあった。家系図といっても、家督を継いだ者とその子供の名前が書かれているだけで、家督を継がなかった者が家族を作ったのかまではわからない、細い一本の蔓のような図だ。
ヴィヴィエール家の家督は代々娘が継いでいた。
だが、カイラの二代前、レオノールの曽祖母の代では先代の一人娘ではなく長男からの線が次代に伸びていた。その長男と二重線で結ばれているのがテレーズだ。つまりレオノールの曽祖母はヴィヴィエールの一族ではなかったようだ。
レオノールに近いここ数世代は一人っ子かいても二人くらいがほとんどだが、古い時代にはヴィヴィエールは子沢山だったようで、同じアルファベットから始まる名前が並べて書かれていた。随分と遡ったところにレオノールはパルマの名前を見つけた。パルマの下には線が続いていなかった。
レオノールは新しい小瓶を開けようとしてふと手を止める。
そういえば明日はドラコと待ち合わせをしてダイアゴン横丁に行く予定だった。
レオノールは去年からさらに伸びた自分の髪を触る。しばらくほったらかしにしていた髪は寝癖も相まってぼさぼさだった。
小瓶の液体を飲むとその後眠くなって何時間も寝てしまうのだ。
今寝てしまうと明日出かける準備が間に合わないかもしれない。
先に明日の準備をして、それから今日は早めに寝よう。
レオノールは小瓶をカウンターに置き、うきうきして椅子から立ち上がった。
外出は久しぶりだ。
この夏は部屋で寝ていることが多くて、ほとんど庭にも出ていない。
相変わらずスネイプ先生は多忙のようで、顔を合わせるのは週に一回くらいだ。それも酷いと夜に来て作り置きの料理を拵え、一晩泊まって翌朝か昼くらいには帰っていく。
レオノールは書斎を出て、明日は何を着ていこうかと考えながら鼻歌混じりにスキップで浴室に向かった。