ハリー・ポッターと忌まわしき一族   作:深田ハス

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09: 赤毛の兎を追いかけて

 

 

その日の夢は殊更覚えていなかったが、目覚めは最悪だった。嫌な夢だったということだけは覚えている。レオノールはベッドの上で起き上がって顔を擦る。

大広間に入ったところで思わずもう一度目を擦ってしまった。

大広間が真っピンクだ。淡いブルーの天井からはハート型の紙吹雪が舞っている。

思わずレオノールはその場でぽかんと足を止めてしまった。

「…ああ、バレンタイン」

しばらくして納得がいく。こんなことをしでかしそうな人物は一人しかいない。ロックハートだ。

天井は爽やかな青色をしているのにレオノールの心はさらに曇った。

そこでふと思いつく。

今日の昼は図書室にでも行こう。

なぜかわからないけど物凄く図書室に行きたい気がする。

レオノールは一刻も早くこのけばけばしい大広間を出ようと、シチューに入った紙吹雪を摘み出しながら急いで朝食を掻き込んだ。

その日はロックハートが手配したキューピッド(変装させられた小人)のせいで学校のあちらこちらで混乱が起きていた。マダム・ピンスのガードが固く小人が入ってこられない図書室はちょっとした避難場所になり、いつもより混み合っている。

椅子に掛けたレオノールはおもむろに黒い日記を取り出す。

しばらく真っ白なページをぱらぱら捲ってから、書くこともないのにどうして取り出したんだろうかと首を傾げながら日記を鞄に戻した。

午後のロックハートの退屈な授業を右から左へ聞き流しながら、またふと思いつく。

そうだ、今日の放課後はグリフィンドールの談話室に行こう。

なぜかグリフィンドールに行かなくちゃいけない気がする。

レオノールは小人の紙吹雪攻撃にできるだけ巻き込まれないようにして午後を過ごした。一日の授業が終わったところでグリフィンドールの談話室にしけ込む。なるべく避けてはいたものの無愛想な小人が所構わず紙吹雪を撒き散らすものだから、鞄の中にまで紙吹雪が入り込んでいた。

レオノールは鞄の中身を全部出して鞄を逆さにして振った。

紙吹雪が床中に舞う。

思ったより沢山の紙吹雪が入り込んでいた。

レオノールが紙吹雪と格闘している様子を見てハーマイオニーがクスクス笑う。今日のハーマイオニーは上機嫌だ。レオノールも、ハリーもロンも、ロックハートのバレンタイン・サプライズにうんざりしているというのに。

「これ…誰の荷物……?」

談話室に戻ってきたジニーが机の上に積み重ねられた荷物を見て言った。

「私の」

紙吹雪が残っていやしないかと鞄の中を覗きながらレオノールは答える。

「ごめんね、すぐ片付けるから」

鞄の中が綺麗になったことを確認してレオノールは荷物を戻す。

珍しくハリーはもう男子寮に上がってしまっていたので、変わった歌を口遊んでいたフレッドとジョージと遊んだ。

久しぶりに遅くまで談話室に居座った。

 

翌朝。

寝起きに枕横に手を伸ばしたところであるべきものがないことに気づいた。

日記は…?

慌ててベッドから飛び起きる。

すっかり忘れていた。

鞄の中をさばくるが見つからない。

どこだ!

昨日に限って色々なところに行った。しかも人の多いところばかりだ。

どこに置いてきたんだ!

レオノールは必死に思い出そうとするが慌てて上手く思い出せない。歯車が噛み合わずに空回りするように思考が滑っていく。

落ち着け。

朝日記を鞄に入れて出かけたことまでは覚えている。

それから、それから…

昨日一日何があった?

…図書室に行った。そうだ、そこで日記を取り出したけど何も書かずにしまった。

グリフィンドールのテーブルにも顔を出したけど、そこではどうしたっけ…

…放課後は、グリフィンドールの談話室に行った。鞄の中が紙吹雪まみれで、机に荷物を出して、それで……

 

「あ……」

 

…“これ…誰の荷物……?”

 

思えば、あの時声が震えていた。

 

「…ジニー」

 

お揃いなんかじゃない。

()()()()()()だったんだ。

ジニーもトムと話したんだ。

どうしてトムの日記を渡してきたんだ?

あんなに見られるのを嫌がっていた日記を、ジニーが自分からレオノールに渡してくるはずがない。

誰かがジニーに日記を渡させた。

誰が?

…トム

 

トムがジニーを操っていた?

でも、ジニーを操ってどうするの?

 

まさか……

 

最初に体調の悪いジニーを見つけたのはハロウィンの夜。フィルチの猫が石にされた事件が起きた場所のちょうど下の階段にいた。

継承者は被害者の出生を知っているくらい身近にいる。ハッフルパフ生はどうだか知らないが、カメラボーイは授業でジニーとペアだったらしい。

 

飛躍しすぎだ…

でも本当にトムがジニーを操っていたとしたら……

 

レオノールは女子寮を飛び出す。

談話室がざわついていた。嫌な予感が増す。

レオノールはちょうどそこにいたセオドールに尋ねた。

「何かあったの?」

「新しい犠牲者が出たらしいよ。レイブンクローの監督生だ」

 

そんな…

本当にジニーが…?

 

レオノールは駆け出した。談話室にいたスリザリン生が何事かと振り返ったが、レオノールは目もくれなかった。

ジニーのいそうな場所の中で一番近い大広間に向かう。

ジニーは、いた。

ハロウィンの時と同じ、体調の悪そうな顔をしている。

ジニーはレオノールに気づくと大広間の反対の扉から出て行く。

レオノールはそれを追いかけた。

ジニーはフラつく様子もなくするすると階段を登っていく。

三階まで登ったジニーは廊下を進んでいく。

赤い文字の書かれた石壁の前でジニーは足を止めた。

追いついたレオノールは荒い息のままその後ろに立つ。

 

「…トム」

「やっぱり気づいたか」

 

返ってきたのはトムの声だった。

「トムなの? みんなを襲っているのは」

「そうさ。それにも気づくとは。流石だね」

壁を向いたままのジニーがトムの声で喋っている。

「昨日の私に何をしたの?」

レオノールは今まで人前でトムの日記を出したことはなかった。ましてや()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()しない。

「君の記憶を改竄するのは難しいよ」

ジニーは壁の文字を見上げていた。

「ジニーに何をしたの?」

「君にしようとしたことと同じさ」

振り返ったジニーの瞳には赤い光がちらついていた。

その瞳を知っている。

「でも君では上手くいかなかった。もっと時間を掛けなきゃいけないみたいだ。生憎僕は忙しい。だからこの赤毛のおチビさんの元に戻りたかったのさ。この子なら僕の好きなように使えるからね」

ジニーは取り出した杖をレオノールに向ける。

「君なら追いかけてくるって思ってたよ」

ジニーが犬歯を剥き出して笑った。

 

その笑い方はトムそのものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

レオノールが失踪した。

本当に何処にもいないのだ。

スリザリンの女子寮で惰眠を貪っているわけでもなく、図書室で本に没頭しているわけでもない。

時期的にも秘密の部屋絡みとしか考えられなかった。

レオノールの失踪に主に二つの憶測が飛び交った。

一つは、レオノールが憐れな犠牲者という説。

レオノールはマグル生まれではない。関わりのないレイブンクロー生やハッフルパフ生ならまだしも、スリザリン生やグリフィンドール生の大半はそのことを知っている。ならどうしてそのレオノールが攫われたのか。マグル生まれと間違われたか、あるいは継承者に不都合な事実を知って口封じに連れ去られたか。この説は今まで他人事と思って一連の事件を鷹揚に捉えていた純血や半純血の生徒達を不安に陥れた。不安から逃れたい生徒達は二つ目の説に飛びつく。レオノールが継承者という説に。

純血あるいは半純血で、しかもスリザリン。この二つだけでも充分な証拠だ。しかも聞くところによるとペベンシーはマグルの養子先の家族から随分酷い扱いを受けていたというじゃないか。証拠と動機は十二分に揃っていると捉えた多くの生徒は、ペベンシー継承者説を実しやかに囁き合った。

 

 

「レオノールは継承者なんかじゃない…!」

ハリーはそんな学校中の雰囲気に憤った。

レオノールがマグル生まれでないことを知っている人なら、レオノールがスリザリンらしい純血主義の思想をこれっぽっちも持ち合わせていないことも知っているはずなのに。

レオノールがそんなことするわけない。

レオノールは継承者なんかじゃない。…だよね?

ハリーを犯人とは疑っていないと言って笑ってくれたレオノールの顔が思い浮かぶ。

「どうしてレオノールが…」

ハリーは頭を抱えた。

ジニーはレオノールが失踪して以来真っ青な顔をしているし、流石の双子も気落ちしていた。パーシーも元気がなく、いつもの小言がない。

グリフィンドールには重い雰囲気が立ち込めた。

 

 

「どうしてレオノールが…」

ドラコは頭を抱えた。

レオノールが一連の事件を起こしているとは考えられない。だとするとマグル生まれと間違われたか口封じに連れ去られたかのどちらかだ。

どうして継承者はレオノールを石にせずに連れ去ったのだろう。

レオノールは大丈夫だろうか。

まさか、もう…

いや、生きているはず! …だろ?

スリザリンの談話室は、一見レオノールが家出していたときとなんら変わりないように見える。だが、ドラコはハブられていないし、所々でレオノール継承者説を議論する囁きが聞こえてくる。

そのうちふらっと何事もなかったかのように、寮に帰ってきたりしないだろうか。

ドラコの虚しい空想が現実になることはないまま、ダンブルドアの退陣が報じられた。

ダンブルドアですら見つけられない秘密の部屋を、一体誰が見つけられるというのだろう?

 

レオノールは見つからないまま、無情にも時は流れていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ぴかぴかに磨き上げられた床に、ふかふかの分厚い絨毯。

よくこの部屋の暖炉の前で絵本を読んだりおままごとをしたりしてアビーと過ごす。

でも今は違う。

アビーが勝手にレオノールのぬいぐるみを持ち出したのだ。

アビーは良い子。

でも強気でわがままなところもある。

言い出したら聞かないことだって。

「アビー、それは私のだよ。返して」

「アビーのだもん」

今日だってそう。

「ねぇアビー、それだけはだめ。返して!」

「やっ!アビーのだもん!」

いやいやと首を振るアビーは、うさぎのぬいぐるみを一層強く抱きしめた。

違う、それは私の。

マリオットのくれた私のもの。

それだけは譲れないの。

レオノールは手を伸ばした。

「それは私のだよ!返してって!」

「やっ!」

アビーはぬいぐるみを取られまいと身体を捻った。

()()()()()()()()()()()()()()()()、、、

()()()()()()()()()()()()()()()()()

ガシャンッ!!と音がして割れた窓ガラスがアビーと自分の上に降ってきて––––––

 

「違う!!」

レオノールの大声に景色がぐにゃっと歪んだ。

気づくと古びた壁紙の部屋で頭を抱えて蹲っていた。

古びたベッドにトムが腰掛けているのがわかった。

まだ衝撃に震えながら立ち上がったレオノールは、美しい青年を睨め付ける。

「トムがやったの?」

「何のことだい?」

「今の夢。私の記憶をいじったの?」

「いじるだなんて。言っただろう? 君の記憶は扱いにくいんだ」

トムはレオノールには目もくれず自分の手を眺めながら言う。

「嘘言わないで。いじったでしょう? 私は窓ガラスを割ってない!」

レオノールはベッドに座ったトムの真正面に立った。

「どうしてそんなに言い切れるんだい?」

うっとりするような優しい、それでいて背筋の凍るような目をしたトムがレオノールの顔を見上げる。

「この部屋に閉じ込められたことは君にとってショックだったはずだ。その頃のことを本当に正確に覚えていられるかな?」

「もちろんだよ! 忘れるわけがない!」

レオノールは怒りに震えて声を荒げる。

忘れるわけがない。

私はアビーを傷付けていない。

そのことは長い幽閉生活の中でたった一つの拠り所だったのだから。

忘れないように何度も書き重ねたんだ。

「本当かい?」

トムが囁く。

「本当に窓ガラスを割っていないのかい? 妹を傷つけたいってほんの少しでも思わなかったかい? 壁の文字だって、自分が故意に妹を傷つけようとしたんじゃないって信じ込むために書いたんじゃないのかい?」

トムが壁に向かって手を払うような仕草をする。

振り返るとずれた本棚の後ろの壁からは文字が消えていた。

「違う! 私はそんなことしてない!」

「僕には本当のことを打ち明けていいんだよ」

耳元でトムの声が囁く。

後ろを振り返ると絨毯の敷かれた部屋にいた。

大きな窓ガラスの前にぬいぐるみを抱いたアビーが立っている。

「ほら、」

後ろからトムがレオノールの掌を握らせる。

窓ガラスが割れてアビーの上に降り注ぐ––––––

 

 

「っ…」

目を覚ましたレオノールは身体の痛みに呻き声を漏らした。

今し方見た悪夢を追い出そうと頭を振る。

重い身体を起こした。

真っ暗だ。ここはどこ?

やけにじめじめした場所だ。手を伸ばすと冷たい石の壁に触れる。苔だかなんだかぬるぬるしていた。手探りと、少しずつ暗闇に慣れてきた目で、すぐそばに石のトンネルがあることがわかった。曲がりくねったそれは上に向かっている。

この上から落とされたのだろうか。

打身のような身体のあちこちの痛みから考えるとそんなところだろう。

だいぶ暗闇に慣れた目で自分の身体を見下ろした。全身べとべとで、ズボンもローブも所々擦り切れている。

ローブの内ポケットに何本か小瓶が入っていた。寮から出てくるときに咄嗟に突っ込んだやつ。頭のどこかでこうなると予想していたのかもしれない。

杖はなくなっていた。ジニーが、トムが取ったのだろう。

 

ジニー。

 

大丈夫だろうか。

 

ジニー自身は操られていることにどこまで気づいているのだろう。何も覚えていないのか、それとも全て自覚した上で抗えないのか。

とにかくジニーの身に何もないといいな。

レオノールは呑気にもそんなことを思う。

レオノールは自分の横に転がっていたパンパンに詰まった布袋を開けてみる。

湿気臭いトンネルの中に、ふわっとパンの匂いが広がった。

布袋の中には紙で包んだパンやらチーズやら日持ちしそうな食べ物が入っていた。ご丁寧に水袋もある。

殺すためにここに落としたのではなさそうだ。

水袋から一口飲んでみる。普通の水だった。

トムに睨まれたにしては、驚くほどの好待遇だ。

迷子になったときは無闇にその場を動かないほうがいいと言うが、今いる場所がどんなところか全くわからないのでも良くない気がする。それに当分助けが来るとは思えないし、この場でただ待ち続けるのは馬鹿みたいだ。

レオノールは布袋を肩に掛けると、片方の壁伝いにトンネルの奥へと進んだ。こうすれば戻りたい時は逆向きに壁を伝ってこればいい。

真っ暗ではないが、手元の湿った壁の水滴が鈍く光るのくらいしか見えない。

壁は曲がりくねって、先へ先へと続いていく。

百歩数えたところでレオノールは足を止めた。

ここまで何もなかった。

たった百歩だが、果てしない距離を歩いたように思える。

レオノールは壁を背にして座り込み、ため息を吐いた。

疲れた。身体のあちこちも痛む。

壁の感触だけが頼りの、何も見えない世界。

ジニーに襲われてからどのくらいの時間が経っているのだろうか。数時間? それとも数日?

私はここでどうなるんだろう。

そもそもここはどこだ。

疑問しか湧いてこない。

ぐるぐるぐるぐる考えたが、不安と変な緊張で何一つ考えがまとまらない。そもそも考えても答えがわかるようなことじゃなかった。

そのうち考え続けて疲れたレオノールは、湿った壁に背を預けた格好のまま目を閉じた。

 

 

 

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