マージおばさんを膨らませ、
陽の下でアイスを食べながら課題ができるなんて!
こんなことを言ったらハーマイオニーが乗り移ったみたいだとロンに言われそうだけど、プリベット通りでは夜な夜な頭から毛布を被って、バーノンおじさんが目を覚さないかとひやひやしながら課題をこなしていたのだから、ちゃんと机に座って魔法の勉強ができるだけでもハリーとしては嬉しいのだ。
最近のハリーの日課は、クィディッチ専門店に箒を眺めに行くことだ。新作の箒ファイアボルトは、思わず溜息が溢れるほどかっこいい。ハリーには愛用のニンバス2000があるから、箒を新調する必要はないのだけれど、やっぱり毎日眺めに行ってしまう。ファイアボルトを気のゆくまで眺めて、それから買い物に行く。魔法界の街は魅力的なものばかりで、新学期が始まるまでに破産してしまわないかが心配だった。
そんな生活にも馴染んだある日、そろそろロンとハーマイオニーもダイアゴン横丁に来る頃なんじゃないかと思ってぶらぶら出歩いていたハリーは、予想通りマダム・マルキンの店から出てくる二人を見つけた。
「ハリー! パパから聞いたよ! おばさんを膨らませちゃったんだって?」
「ロンったら! 笑い事じゃないのよ!」
「そんなつもりじゃなかったんだよ。ただ、ちょっと、キレちゃって、」
ハリーは二人に弁解した。それを聞きながらロンは爆笑して、ハーマイオニーは呆れている。
休み中にそれぞれ海外に行っていた二人はこんがりと日に焼けて、おまけにロンはさらにのっぽになっていたが、二人とも変わっていない。
「ほんと、退学にならなくてよかったわ、ハリー」
「本当だよ。漏れ鍋に着いて魔法大臣が待っていたときは、本当にもう駄目だと思った。なんでファッジが僕を見逃すことにしたのか不思議だよ」
「それはあれさ、君がハリー・ポッターだからだよ」
ハリーは二人の買い物についてまわることにした。先週のうちに必要な買い物を済ませてしまったハリーは特に買うものはないので、荷物持ちだ。
薬問屋で魔法薬学に必要な材料を買い足し、フローリッシュ・アンド・ブロッツ書店で(特にハーマイオニーは山ほど)新しい教科書を買った。ロンとハーマイオニーも今日は漏れ鍋に泊まるらしく、三人はゆっくり店をまわることができた。
他にも必要な物を買い終えたところで、三人はフローリアン・フォーテスキュー・アイスクリーム・パーラーのテラス席で休憩する。
「そういえばレオノールは元気かな?」
いかにもふと今思いついたと聞こえるように、できるだけ自然に振る舞いながらハリーは言った。
去年は屋敷しもべ妖精のドビーに妨害されて誰とも手紙のやり取りができていなかったし、今年は気まずくてレオノールには何も連絡していない。
レオノールとは去年の終わりに廊下で二人で話したきりだった。
その時レオノールの父親のことを話した。レオノールは自分の父親がヴォルデモートかもしれないと言った。しかもそれは憶測じゃなくてほぼ確信に近かった。散々悩んだハリーはレオノールに「今までと何も変わらない」と伝えた。でも何も変わらないなんてことはなくて、夏休みの間もハリーはふとした拍子にレオノールのことを考えている。
「変わりないみたいよ。毎日庭の掃除をしてるって手紙で言ってたわ」
アイスを口に運びながら答えたハーマイオニーの口調が、少しだけそっけない気がした。
「そっか」
「どうして?」
「いや、ふと気になっただけだよ」
「庭園ってお母さんの実家のかな? きっとびっくりするくらい広いんだろうなあ」
サンデーを頬張りながらロンが言った。
「去年の終わりは数週間も地下で過ごす羽目になったから休みのうちに沢山陽を浴びられてるといいよな」
「そうだね」
ハリーとハーマイオニーはしみじみと頷いた。
「そうだ、忘れるところだったわ。パパとママがね自分で誕生日プレゼントを買いなさいってお金をくれたの。それで私、フクロウを買いたいと思ってて、」
その後ハーマイオニーは新しいフクロウを、ロンはペットのネズミのスキャバースの栄養ドリンクを買いに、三人は魔法動物ペットショップに向かった。
そこでなんとハーマイオニーがフクロウの代わりにオレンジ色の顔ぺしゃの猫を買ったものだから、スキャバースの身を案じたロンと猫を庇うハーマイオニーはそこからずっと剣呑な雰囲気で、ハリーはすっかりレオノールのことを忘れていた。
翌日、ハリーとハーマイオニー、それにウィーズリー一家の大所帯は、魔法省の車でキングズ・クロス駅へ向かった。いつもより大人数で来たので、九番線と十番線の間の柵を通り抜ける時にはちょっと神経を使った。カート一杯のトランクにフクロウや猫を連れた十数人が一気に柵の中に消えたら、いくらなんでもマグルに気づかれてしまう。
ハリーはロンと一緒に柵を通り抜ける。
後ろでガシャンッ!と何かがぶつかる音がした。
「痛っ!」
ハリーが振り返ると、勢いよく走ってきた女の子が、ちょうど柵から出てきたハーマイオニーとジニーのカートに突っ込んだところだった。
「わわっ! 大丈夫!?」
「大丈夫! ごめんなさーい!」
いてて、とぶつけた足をさすりながら、明るい茶色の髪の女の子は走っていってしまった。
「大丈夫だった?」
「ええ、私達はなんともないわ。友達でも探してるのかしらね」
「みたいだね」
さっきの女の子が、人混みの中できょろきょろと周りを見回していた。
「ノーラぁぁぁ! どこにいるのー? ねぇ、ノーラぁ!」
両手を口に当てて、汽車の音に負けないように大きな声を出している。元気そうな子だ。少し離れたところから女の子の両親のような大人二人が、女の子を見守っていた。服装からしても、なんだか居心地悪そうに身を寄せ合っているところからしても、マグルなんだろうなとハリーは思った。
汽車に乗り込もうとしたところでハリー達は見慣れたプラチナブロンドに出くわした。
「ポッター! 今年も汽車には間に合わないかと思ったよ」
「マルフォイ」
「おや、ウィーズリーもいるじゃないか。まだエジプトにいるんだと思っていたよ。帰りの旅費があったなんてね」
マルフォイに突っかかっていきそうなロンを宥めながら、ハリーはマルフォイの半歩後ろにいる女の子に目が止まった。見たことない子だ。小柄で、大人びた顔立ちに変わった色の目の–––––
「レオノール!?」
思わず大きな声が出た。
「ハーイ、」
はにかんだレオノールが、遠慮がちに声を発する。
ハリー達はレオノールの変わり様に息を呑んだ。
真っ白だった肌は少し日に焼け、膝下まであった黒髪は顎下でばっさり切られていた。
レオノールはちょっと気まずそうに、なんて言おうか迷っているようだ。
ハリーはといえば、レオノールの変化にびっくりしてしまい、言葉が出てこない。
ハリー達もレオノールも黙ったままで、ぎこちない空気が流れた。
「ドラコ行こっか。じゃあ、ハリー、また、学校でね」
「あ…うん、そうだね」
結局話しかける言葉が見つからないままレオノールはマルフォイと先に汽車に乗っていった。
「髪、どうしたのかしら?」
コンパートメントに入ってからハーマイオニーが言う。
ジニーと別れた三人は、最後尾の一つだけ空いていたコンパートメントに入った。窓際で一人の男の人が寝ている。
「イメチェン、とか?」
ぐっすりと眠る男の顔をそっと覗き込みながらロンが言う。
「そう、かしら? レオノールならやりそう?」
レオノールなら「面倒になった」とか言って髪を切ってしまいそうな気もする。でも、
「でも、そんなんじゃない気もするわ。だって、あんなふうに髪をばっさり切ってしまうなんて」
ハリーも同じことを思った。女の子にとっての髪の大切さはハリーにはいまいちわからないが、去年の終わりに起きたことが影響しているんじゃないかと思った。
「さっき聞けば良かったかな」
「だって、それは……そう、そうね、聞けばよかったかもしれないわ」
ハーマイオニーが珍しく口籠っていた。理由はわからないけど、レオノールと気まずいのはハリーだけではないようだった。
ポッター達がレオノールの変化に戸惑っていたように、ドラコもレオノールの変わり様が心配だった。
髪を切ってしまったのもそうだが、少しやつれているように見える。去年の終わりに起こったことを考えれば無理もないが、去年より疲れて見えるのが気がかりだ。
「休みはどうだったんだ?」
「特になにも。ずっと庭の整理だよ」
「庭の整理?」
「うん。もう荒れ放題でさ。あんなに外に出ていたのは初めてだよ」
日焼けは、休みの間中庭の整理をしていたかららしい。
レオノールは、話しているぶんには特に前から変わっていないようだった。
コンコンッと扉がノックされ、間髪を入れずにコンパートメントの扉が開かれた。
活発そうな女の子が勢いよく顔を出す。
ドラコには目もくれずにレオノールの顔を見つめていた。
「ノーラ? ノーラだよね?」
「アビー……」
レオノールが手に持っていたすべてのものを落とした。
「やっと見つけたぁ! 探したんだからぁあ!」
次の瞬間、明るい茶色の髪をポニーテールにした女の子は飛び跳ねながらレオノールに抱きついていた。
「なんで……! なんでアビーが、ここにいるの…!?」
レオノールは明らかに狼狽えている。
「手紙が届いたからに、決まってるじゃない! 私、私ノーラと同じ魔女だったのよ!」
女の子はハシバミ色の瞳をきらきらさせて戸惑っているレオノールを見た。
「ダンブルドア先生が直接パパとママを説得して下さったのよ! すっごく素敵な先生ね!!」
ドラコは悪い予感がして席から腰を浮かせた。
「だれだ?」
レオノールに飛び付いていた少女は振り返ってドラコに屈託のない笑みを向けた。
「初めまして、アビゲイル・ペベンシーよ。あなたはノーラのお友達?」
「ペベンシー?」
ドラコは露骨に顔をしかめた。
ペベンシーといえばレオノールを四年間幽閉したマグルの里親の苗字だ。
「ってことは、君は」
ドラコはレオノールを見た。
レオノールは狼狽えたまま目の前の少女から目を離せないでいる。
「…ペベンシー夫妻の実の娘」
「もうっ、ノーラってば、いくら数年会ってないからって、パパとママのことをそんなよそよそしく言わなくてもいいじゃない」
アビーという少女はまたレオノールに抱きついている。
ドラコは少女をレオノールから引き剥がそうか悩んだ。
「急にいなくなっちゃってから今までどこにいたの? ずっと会いたかったのに」
アビーはぷくうっと不満げに頬を膨らませる。
されるがままにアビーにもみくちゃにされていたレオノールの目がゆっくりと見開かれていく。
「……何も聞いてないの?」
かろうじて絞り出したレオノールの声は、掠れていた。
「それなんだけどね、パパとママったら、何回聞いてもちっとも教えてくれないの!」
「そりゃ実の娘には言えないだろうな」
ドラコはレオノールからアビーを引き剥がすように二人の間に割り込んだ。
「どういう意味?」
義理の姉と自分を引き離そうとするドラコを、アビーは鋭い顔で見上げる。
「あなた、なにか知ってるの?」
威勢のいい少女は、今にもドラコに飛び付かんばかりに食い付いた。
「アビー」
レオノールが強い口調で呼び止める。
「アビー、君は今ここにいちゃだめだ。新入生達の中で今のうちに友達を作っておいでよ」
突然スイッチが入ったようにはっきりと喋り出したレオノールの声は、皮肉なことに今までドラコが聞いた中で一番感情の籠った声音だった。
「えー、だって、せっかく会えたのに」
アビーはごねるが、レオノールは無理矢理通路にアビーを押し出した。
「今のうちに友達を作っておかないと授業が始まってからが大変だよ。話す時間ならまた後で沢山あるから」
「ノーラがそう言うなら行くけど……ねえ、ノーラは私に会えて嬉しくないの? 私はすっごく嬉しいのにノーラは少しも笑ってくれないわ!」
アビーは不満そうにむくれた。
「もちろん嬉しいよ。もう二度と会えないと思ってた」
アビーに微笑んで答えるレオノールの顔は心なしか硬っている。
「一つアドバイス。寮はグリフィンドールかレイブンクローかハッフルパフがいいよ。その三つなら何処でも大丈夫」
「ノーラはどこなの?」
「秘密。ほら、行っておいでよ」
アビーは「後で絶対話そうね!」と言って廊下をスキップしていった。その後ろ姿を見送るレオノールの手は震えていた。
コンパートメントの扉を閉め、ふらふらと座席に座り込んだレオノールは頭を抱える。ドラコは掛ける言葉が見つからず立ったままそれを見守った。
「…制服に着替えてなくて良かった」
顎の下で切り揃えられた髪をグシャッと握りながら、レオノールがぽつりとこぼした。
その声音はいつものレオノールに戻っていたのに、なぜだかドラコの知らないレオノールを見ているようで怖かった。
「…どうしてスリザリンだって教えなかったんだ?」
「私がスリザリンだって知ったらアビーは意地でもスリザリンに入りたがる。マグルのアビーがスリザリンに入ったらどうなるかは目に見えてるでしょ」
「そうか」
ドラコはレオノールが何年も会っていなかった義理の妹の性格をはっきりと覚えていたことに驚いた。しかもどう宥めたらいいかまで。
レオノールは窓の外に目をやり、顔を顰めている。
日に焼け少し痩けた頬のせいで余計に狼狽えているように見えた。
「もう二度と
レオノールが沈んだ声で言った。
ドラコはなんと声を掛けていいかわからなかった。
車窓の外では雲が厚く垂れ込み、雨が降り始めていた。