マルフォイが自業自得でバックビークに腕を切り裂かれた時、なぜかレオノールは怯えた顔をして立ち尽くしていた。レオノールが血とか怪我で怖がるところなんて、今まで一度も見たことがないのに。
ここのところレオノールの様子がおかしい。キングズ・クロス駅で顔を合わせた時も、その変わり様に驚いたけれど、学校が始まってからはもっと酷い。学校の中で見かけるレオノールは、いつも俯いていて、胸元に本や教科書を抱きしめるようにして、早足で歩いていた。そして、グリフィンドール寮には一度も顔を出していない。
思い当たる原因は、たくさんある。
まずは、去年の終わりに起きたあれ。一週間もリドルの日記に精神を削られることになって、しかもそのリドルことヴォルデモートが実の父親だった。
それに、今年からアビーがホグワーツに入ってきた。レオノールを閉じ込めていた義両親の娘だ。しかもアビーはそんなこと何も知らなくて、ただレオノールが急にいなくなったと思っている。
ハリーが知っていることだけでも、十分ひどい。
でも、それが、どうして怪我をしたマルフォイを見てあんな顔をすることになるんだろう? 繋がりが、ないじゃないか。
暗い窓の外では土砂降りが続いていた。クィディッチの練習があるから週末までには止んでほしい。いくらクィディッチが好きでも、大雨の中ウッドにシゴかれるのはかなり憂鬱だ。
次の教室に入ろうとしたところで前の廊下からハーマイオニーが走ってきた。
「あれ、なんで先にいるの?」
前の授業が終わって先生に用事があるからとか言ってハリー達と別れたはずなのに、どうして学校の反対にいるんだろう。
「大変よ!」
なにか慌てているハーマイオニーはハリーの質問を無視して話し始める。
「レオノールがいないらしいの!」
「レオノールが?」
「昨日の昼から誰も見てないらしいの。授業にも出てないどころか寮にも帰ってないんだって」
「それならまだ一日も経ってないだろ?」
ロンが首を傾げた。
「レオノールが半日くらいいないことならよくあるじゃないか」
ロンの言う通りだ。
そういうときは、たいてい図書室に籠って時間を忘れていたり、朝寝坊していたりしていた。
でも、最近のレオノールの様子を考えると、なんだか悪い予感がする。
「それが、何かあったみたいなの。私がさっき図書室に行ったら、マクゴナガル先生とスネイプ先生がマダム・ピンスに話を聞いてたわ。よく聞こえなかったけど、レオノールのことを探してるみたい。今年に入ってから様子がおかしいし、去年から色々あったからだけど–––––」
「ミス・グレンジャー」
振り返るとマクゴナガルとスネイプの二人がいた。
ハーマイオニーはしまった、というように手で口を押さえた。興奮してうっかり大声で話していたのだ。マクゴナガル先生とスネイプ先生はレオノールのことを他の誰にも漏らしたくなかったかもしれないのに。
「ミス・ペベンシーを見かけませんでしたか?」
「い、いえ、なにも知らないです」
「そう、ですか。親しくしているあなた達なら何か知っているかと思ったのですが」
マクゴナガルはふうっと溜息を吐いた。
その後ろでいつもに増して不機嫌そうに立っているスネイプにちょっと気が引けたハリーだったが、横から身を乗り出してマクゴナガル先生に尋ねた。
「レオノールに何かあったんですか?」
「分かりません。ミス・ペベンシーは昨日の昼から、正確には三限の授業中に出て行ったきりで、手掛かりはないままです」
「そんな!」
寝坊でサボることはあってもレオノールは基本的に授業好きだ。それが授業中に出ていくなんて…
「去年の終わりにあったことといい、家庭の事情といい、彼女の身に負担が重なっていたことは確かです。それに気づき、配慮できなかったのは私達教員の、」
マクゴナガルはそこでちらっとスネイプを見た。不機嫌な顔をしたスネイプの眉がぴくりと動く。
そうか、スネイプはスリザリンの寮監なだけじゃなくてレオノールの後見人でもあったんだっけ。
「私達教員の、ミスです」
マクゴナガルは必ず見つけ出すから心配しなくていい、あまり他の生徒には言わないように、と言って早足でスネイプと去っていった。
グリフィンドール寮に戻ったハリーはウィーズリーの双子にこっそり声をかけた。ハリー達とは別にレオノールと仲良くしている二人なら何か知っているかもしれない。
「昨日とかレオノールに会わなかった?」
フレッドとジョージはちょっと考え込んだ。
「そういえば会ってないな」
「見かけないなとは思ってたけど」
「何かあったのか?」
ハリーはマクゴナガルに聞いたことを二人に話した。
「俺達なら居場所くらいすぐに見つけてやるよ。なあ兄弟」
「もちろんさ」
「ちょっと待ってろよ」
そう言って二人はささっと男子寮に上がっていく。
しばらくして早足で戻ってきた二人は、顔色を悪くして何か話し合っていた。
「…おかしいぞ」
「なんでなんだ?」
「どうしたの?」
フレッドもジョージも難しい顔をして腕を組む。
「
「どうなっているんだ…?」
「でも、そうなると、考えられるのは、」
「ああ…」
ハリーそっちのけで会話していた二人は険しい顔をしてハリーを見た。
「「レオノールは今ホグワーツにいない」」
「なんだって!?」
ドラコは包帯で巻いた右腕を首から吊るしていた。
横様に吹き飛ばされたのが幸いしてか傷は浅かった。どうやったのかはわからないけど多分吹き飛ばしたのはレオノールで、それがなかったら骨が粉砕されていただろうと思う。
あの時、ドラコは血まみれの腕を庇って上体を起こした。その拍子にパンジーの肩越しにレオノールとばっちりと目が合ってしまった。
直前に喧嘩していた(というより一方的にドラコが怒鳴った)から、目が合って気まずい雰囲気になると思った。でも、レオノールの方がそれどころじゃなかった。
レオノールは怯えとも絶望ともつかない顔でドラコを見ていたのだ。
どうしてレオノールがあんな顔をするのか微塵もわからなかった。
ただあの時も彼女にとって非常に良くないことが起きたこと、それだけはドラコにも明確だった。
そして今度は真似ボガートだ。
「おい」
ドラコは大広間から出てきた少女に声を掛けた。
「あ! あなたは–––––」
ドラコを見て、少女の隣にいたグリフィンドールの一年生がびっくりして、それから怯えた表情になる。
「ちょっと来い」
ドラコだって、マグル生まれのグリフィンドール生に自分から直接声を掛けることがあるなんて思ってもみなかった。
でも、今ドラコが一番知りたいことを知っているのは彼女だけだ。
「なにか用なの?」
アビー・ペベンシーは物怖じせずに聞いてきた。
「お前と二人で話がしたいんだ、レオノールのことで」
少女は怖がっている友人達を宥めて、一人で大人しく付いてきた。
人気のない廊下まで来たドラコは、正面からアビーに向き直る。
「レオノールと何があったんだ?」
「何がってどういうこと?」
「そのまんまだ。レオノールが急にいなくなる前、何があった?」
真似ボガートが変化した物を見て、レオノールは真っ青になった。
他のみんなは、変化した真似ボガートの姿から、レオノールの怖いものは大きな窓ガラスが割れることだと思っている。
でもドラコは気付いたのだ。
大きな窓ガラスの前には茶色い髪の幼い女の子がいた。
それが昔のアビーだと、ドラコはすぐわかった。
「絶対、何かあったはずだ」
「何かってどんなこと?」
レオノールのトラウマになるようなこと。
そして確実にアビーが関与していること。
「……わからない」
それを、ドラコが勝手に、何も知らないアビーに言ってしまっていいものだろうか。
「家に大きな窓ガラスってなかったか?」
「私の家? んー……一階の暖炉のある部屋は大きかったと思うわ」
アビーは訝しそうに首を傾げた。
「あなた、ドラコ・マルフォイでしょう? スリザリンの。どうして急に私にノーラのことを聞くの?」
「レオノールが、昨日の三限の授業の途中で出て行ったきり姿が見えないんだ」
「ノーラが!?」
アビーは大きな声を上げた。
「昨日の三限って、もう一日は経ってるわ! どうしてみんなもっと慌ててないの!?」
ドラコは軽く溜息を吐いてから、アビーに説明した。
「レオノールが半日いないこととかは、今までも時々あった。昼から夜中まで図書室にいたりとか、」
「どうして、ノーラはそんなことするの?」
「しようと思ってしているんじゃないんだ。気づいたら時間が経ってたらしい」
「それでノーラは平気なの? 身体に悪そうじゃない」
「レオノールは結構、食べ忘れたりもする」
レオノールのことを話しながら、本当にアビーはレオノールのことを何も知らないんだとドラコは思う。
「…それってよくあることなの?」
アビーは戸惑っているように見える。
何も知らないアビーが、ちょっと気の毒に思えた。
「…私の知っているノーラと違うわ。私の知らない間に、ノーラに何があったの…?」
それはドラコも知りたかった。
気の毒なことをしてしまった。
リーマスは自分に割り当てられた研究室で、一人反省していた。
三年生のレオノール・ペベンシーが、自分の真似ボガートの授業中に飛び出して行って以来、行方が掴めていない。元からふらっといなくなる癖があるというか、あまり規則的な集団生活に慣れていない子らしい。それに加えて、一年生、二年生と例のあの人絡みの事件に巻き込まれて数日以上行方不明になったこともあるとか。
複雑な家庭背景があるということはダンブルドアから小耳に挟んでいた。だが、まさかこんなに事情を抱えているとは。レオノール・ペベンシーがあそこまでのトラウマを抱えていることをリーマスは知らなかった。
真似ボガートと対峙して彼女が動けないでいたときに、自分は間に割って入るべきだった。リーマスが咄嗟に動けなかったのは、ペベンシーにある人の面影を見ているからかもしれない。
最初に列車で倒れているレオノール・ペベンシーを見たとき、リーマスは心臓が止まるほど驚いた。本当に、あのカイラ・ヴィヴィエールが現れたのかと思うほど瓜二つだったからだ。
カイラ・ヴィヴィエール。
ペベンシーの母親だ。
外見は瓜二つだが、中身は対照的だ。
ペベンシーの母親は、人間らしい感情の揺れ動きを一切感じさせない、よくわからない人だった。ペベンシーには、……なんというか、彼女の母親にはなかった人間的な脆さを感じる。
その二人の違いを、リーマスはまだ上手く飲み込めないでいる。
リーマスの中で、カイラ・ヴィヴィエールの記憶は未だ鮮烈だった。
「ここでなにをしているんですか?」
あの日、そう声をかけたのは、思わずだった。見知らぬスリザリンの上級生が、暴れ柳のすぐ近くに立っていたからだ。
「暇なのよ。あの柳の枝が欲しいなと思って」
飄々とした声で、彼女は柳を見たまま言った。
「危ないですよ。それ、近づくだけで襲ってきますから……っ、そんな簡単に近づかないほうが……」
言いかけた言葉が途中で止まった。目の前で、彼女が地面の小枝を浮かせると、それで幹の瘤を突いたのだ。
柳が、嘘のように静かになった。
「どうしてそれを……!?」
思わず声が出た。秘密の方法を知ってる人が他にいるとは思っていなかった。だって、この柳は自分のために植えられたのだ。
彼女が振り返った。そのスリザリン生は、血の気のない肌に、変に大人びた顔をしていた。名前は知らないが、廊下で見かけたことがあった。
「ああ、君だったのね」
「な、なにがですか」
声が震えていた。あまりにも自然に、まるで知っていたように言われたから。
「今日は満月だったかしら?」
その言葉に、身体が一瞬でこわばった。 顔からさっと血の気が引くのが、自分でもわかった。
「……誰から聞いたんですか?」
「なにを?」
「僕のことです」
「誰からも聞いていないと思うわ」
どういう意味だ。聞いていないのに、どうして――?
「じゃあ、どうして、…?」
言いかけて、しまったと思った。これでは自分で白状しているようなものだ。
「なにを慌てているの?」
柳は嘘のように静かに揺れているだけだった。スリザリン生は手を伸ばして柳を一枝手折った。
「君、なにか隠してるの?」
心臓が跳ねた。声は出なかったが、呼吸が一瞬止まるのを感じた。まるで頭の中を覗き込まれているようだった。
リーマスがなにも答えられないでいると、彼女が続けた。
「別に興味はないわ。君が誰で、何をしてるかなんて。私はただ、この枝が欲しかっただけ」
まるで他人事のように言った。
「……じゃあ、どうして"満月"なんて言ったんですか?」
思わず、少し強い口調になっていた。追い詰められた気分だった。彼女の目を見た。
「そうね…なんとなくよ」
さらりと言うその声が、逆に怖かった。
「……あなた、何者なんですか?」
声に警戒心が滲み出ていた。自分でもわかった。言ってから、失礼だったとも思った。
「さあね。でも、君に危害を加える気はないわ。そんな面倒なこと、興味ないから」
まるで霧の中にいるようだった。彼女が何を知っていて、何を知らないのか、それが全くわからない。
「それじゃ、これだけもらっていくわね。口止め料ってことで」
彼女は暴れ柳の枝を持ったまま、さっさと背を向けた。 何も言えなかった。何も言えないまま、彼女の背中を見送った。