ハリー・ポッターと忌まわしき一族   作:深田ハス

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06: パラディオンに縋る

 

 

「ここでなにをしているんですか?」

後ろから声がした。

「暇なのよ。あの柳の枝が欲しいなと思って」

「危ないですよ。それ、近づくだけで襲ってきますから……っ、そんな簡単に近づかないほうが……」

誰だろう。普段、ここに生徒は立ち寄らないはずなのに。

近くにあった小枝を浮かせ、記憶で見たように幹にある瘤を突いた。

柳は嘘のように大人しくなる。

「どうしてそれを……!?」

驚いた声が上がる。

振り返ると、どこかで見た顔だった。

「ああ、君だったのね」

「な、なにがですか」

嗜虐心をくすぐる小動物のようだった。

ここになんの用だろうか。

「今日は満月だったかしら?」

顔からさっと血の気が引いて、少年は目を見開いた。

話すのは初めてだったかしら。

「……誰から聞いたんですか?」

「なにを?」

「僕のことです」

「誰からも聞いていないと思うわ」

”聞いたこと”はない。知っているだけだ。

「じゃあ、どうして、…?」

少年の声は少し震えていた。言いかけて、しまったとでもいうように口籠った。

「なにを慌てているの?」

柳はまだ大人しいままだ。カイラは手を伸ばして、その枝を一枝手折った。

「君、なにか隠してるの?」

少年が息を呑んだのが分かった。わかりやすい子。

あまりに怯える少年が少し気の毒になった。

「別に興味はないわ。君が誰で、何をしてるかなんて。私はただ、この枝が欲しかっただけ」

暴れ柳の枝を手の内で曲げてみる。思ったよりしなやかだった。

この枝が私の思い通りに動くようになったら、面白そうじゃないか。

これがどう役立つか、まだわからないけれど。

「……じゃあ、どうして"満月"なんて言ったんですか?」

少し鋭くなった声。追い詰められた小動物のような目。

「そうね…なんとなくよ」

「……あなた、何者なんですか?」

よく言われる。

「さあね。でも、君に危害を加える気はないわ。そんな面倒なこと、興味ないから」

彼はまだ疑っている。目がそう語っている。

「それじゃ、これだけもらっていくわね。口止め料ってことで」

少年の返事は聞こえなかった。聞くつもりもなかった。

 

 

いつも通り、図書館のあの棚の前でメモを書いていた。マグルの工学書や薬学書、誰もそこにあることすら知らない分厚い背表紙が列をなす、人の気配のほとんどない場所。静かで、都合がいい。

机には皮を切り開き、いくつかの試薬を掛けた暴れ柳の枝の破片。

その枝の断面に見られる反応を、ノートへ淡々と記録していく。

別に書き留めなくてもすべて憶えているが、膨大な記憶から必要なものを探すのは煩わしい。だからこうして紙に落とす。

ここは、母が昔よく来ていた場所だった。トムがよく座っていた場所だから。

私の中に遺る母の羨望が、無意識のうちに私の足をここに向かわせる。

ペンを進めていると、近づいてきた足音が不意に私の前で止まった。視線を感じる。私を見ている。

顔を上げた。

緑のネクタイ。スリザリン。

同じ寮の下級生だ。たぶん一度くらいは視界に入っていたかもしれない。どこかで見たことがある気がする。でも名前も顔も結びつかない。

「だれ?」

そこにいる少年は、自分で目線を外さずにいるくせに、どこか居心地悪そうだった。

少しして、少年がおずおずと名乗った。

「セブルス・スネイプです」

その名字を聞いて、脳裏に引っかかるものがあった。

「スネイプ……ああ、プリンスか」

それで納得する。

顔を、よく見た。輪郭、目の形、土気色の肌。誰かの記憶で見た彼女の顔。言われてみれば面影がある。

「顔が、少し似ている」

少年は目を瞬いた。

「母を、知っているんですか?」

どこか、期待が滲んだ声だった。

「別に。記憶にあるだけ」

彼は何も言わなかった。

答えを求めるような視線を寄越していたが、こちらに興味を向けられても困る。

私は視線をノートに戻した。

彼はそのままそこにいたが、しばらくしてどっかへ行った。いいことだ。

暴れ柳の枝はまだ微かに魔力を帯びている。

何度も枝を取ると目をつけられそうだから、できるだけ一度に調べてしまいたい。

 

 

 

 

 

 

 

姿を消してから二日後に、レオノールは発見された。

散々探しても見つけられなかったのが嘘みたいに、朝の廊下をふらふら歩いていたのだ。

マダム・ポンフリーによれば軽い脱水と栄養失調のみで特に身体に問題はないとのことである。

 

そして今、レオノールはセブルスの使う魔法薬学の教室の掃除を毎晩こなしている。

教室の掃除は、罰則と監視も兼ねていた。

この数日で校内は俄かに物騒になった。

「ブラックに遭遇していなくてよかった」

レオノールが見つかった日の夜に、ブラックが校内に侵入したのだ。生徒に被害はなかったが、グリフィンドール寮の入り口の絵画が襲撃された。

「ブラック? どの?」

「シリウス・ブラックだ」

「ああ、あの犬のほう」

そう言いながら、レオノールは淡々と大鍋をタワシで洗っている。

レオノールは放っておくとまたふらふらといなくなりそうで、セブルスは自分の目の届く場所として魔法薬学の教室の掃除を言いつけた。

「この二日間どこにいたのだ?」

「ガラスでいっぱいの部屋よ」

戻ってきたレオノールは不気味なくらい落ち着いていたが、なんとなく話し方がおかしかった。

–––––その理由に思い当たる節がないわけではない。

 

レオノールが姿を消していた二日間、セブルスは休む間も惜しんで校内をくまなく探し回った。

レオノールには寮監としてだけでなく、保護者としての責務がある。

こうしてレオノールが戻ってきてからも、セブルスの心は落ち着かない。

戻ってきたというよりも、何かを失って帰ってきたように見える。

 

–––––やはり、自分はまたしても見誤ったのだろうか。

 

迂闊だった、と何度思ったことか。

去年の終わりにはまたしても闇の帝王に囚われ、今年からは義理の妹がホグワーツに入学してきた。

今のレオノールが不安定な状態にあることは簡単に推測できたはずなのに。

あの忌々しいブラックに気を取られていたから–––––これは言い訳だ。

 

失踪したのは真似ボガートの授業中だったという。

–––––真似ボガート。

人の恐怖やトラウマを具現する魔法生物。

レオノールがどんなトラウマを抱えているのか実のところセブルスはあまり知らないが、今のレオノールが最も避けるべき存在であったことは間違いない。

ルーピンとて、去年の終わりにレオノールの身に起きたことや家族の事情を知っていたはず。

なのに、なぜ真似ボガートを––––彼女にとって最も避けるべきものを、授業に用いた?

––––––いや、これも八つ当たりだ。

ルーピンには、レオノールはカイラの生き写しにしか見えないだろう。ルーピンが昔からカイラを苦手にしていたのはセブルスも知っている。

 

姿を消していた間に、レオノールがどんな記憶を見たのか、セブルスは知りたくもあり、知るのが怖くもあった。

去年の終わりに、レオノールから祖母の血を飲んでいたことを打ち明けられたあの日から、セブルスは彼女と向き合うことをずっと恐れている。

 

––––––ヴィヴィエールの一族の力。

 

かつて、レオノールの母カイラは彼女達の力とその代償について、セブルスに少しだけ教えてくれたことがある。

彼女達は血を飲み、そこに宿る過去の記憶を見る。そして力を得る代わりに、少しずつ自分を失っていく。

「記憶に呑まれる」のだとカイラは言っていた。「自我を失う」のだと。

「私の母がそうだったわ。私が物心つく前から、母は自我がなかった」

そう言うカイラも、自分の母親のことながら、なんの感慨もなさそうだった。血に宿された記憶は、情報と引き換えにカイラからセブルス達と同じ時を生きるということを奪っていたように思う。最期にカイラにどれだけの自我が残っていたのか、正直セブルスにはわからない。

セブルスは、できることならレオノールにはその力を知らないでいてほしかった。

でも、きっと、レオノールが血を飲むのを、セブルスが止めることはできない。そこから得られる力はセブルスには計り知れないから。

せめて、カイラやその母と同じ運命を辿ってほしくない。

だがもう、それもすでに手遅れなのかもしれない。

 

淡々と鍋を洗うレオノールの姿を見つめながら、セブルスは思う。

今この教室にいるレオノールは、セブルスの知っているレオノールではない。

二年近く”レオノール”を知っているセブルスが、そう思うのだ。

今の彼女の顔を、よく知っている。

退屈そうな表情。

何もかも見透かしていそうな目線。

ちょっとした仕草も。

 

セブルスは少し躊躇って、そっと少女に呼びかけた。

 

「……カイラ」

 

「なあに、セブ?」

 

肩上で髪を切り揃えた十代の少女は、聴き慣れた退屈そうな声を出した。

セブルスの喉が震えた。
その声音、その呼び方–––––まるで時が巻き戻ったようだった。

懐かしさと痛みが一気に胸を突き上げ、言葉が零れる。

「……どうして……どうして貴女まで死んでしまったんですか……?」

「セブ……?」

少女は顔を上げると、不思議そうにセブルスの顔を見上げた。

「どうしたの?」

セブルスは息を詰め、拳を握り締めた。

瞼を閉じてゆっくりと息を吐き出す。

顔を背け、低く呟いた。

「………なんでもない、レオノール。掃除が終わったら寮に帰りなさい」

 

 

 

カイラ・ヴィヴィエールと初めて言葉を交わした日を、セブルスは今でも覚えている。

スリザリンの談話室は入学したてのセブルスには肩身が狭く、静かな場所を求めて図書室の奥まで足を運ぶことがあった。マグルの分厚い専門書が並ぶ一角に、机があることを知っていたからだ。

だが、その日は席には先客がいた。

黒髪の女子生徒だった。背格好からして上級生だとわかった。

彼女は制服の袖をまくり、蝋人形のように白い腕を晒して、紙にインクを落として何かを書いていた。その手つきには無駄がなく、なんとなくセブルスは目が離せなかった。

視線に気づいたらしい彼女が顔を上げ、セブルスと目が合った。

それがカイラ・ヴィヴィエールだった。その頃は名前だけ知っている程度だった。二つ上の上級生だということも。

「だれ?」

向こうはまったくセブルスを認識していないようだった。

少し威圧感を感じて、居心地が悪かった。

「セブルス・スネイプです」

「スネイプ…」

何かを思い出すかのように彼女の視線が遠くを泳いだ。

「ああ、プリンスか」

母の旧姓だった。どうして彼女が知っているんだろうと疑問に思った。

まじまじと顔を見つめられた。

「顔が、少し似ている」

息が詰まりそうになった。

この人は母を知っているのか。どうして? 親が知り合いだったとか? 色々考えた。母親からそんな話は、一度も聞いたことがなかった。

「母を、知っているんですか?」

「別に。記憶にあるだけ」

セブルスの期待はあっけなく裏切られた。

返ってきた言葉には、なんの感情も籠っていなかった。まるで本の中身を答えるかのような声だった。

それきり、彼女は視線を戻して、またノートに何かを書きつけ始めた。まるで最初からセブルスなど存在していなかったようなそぶりだった。

しばらくそこに立ち尽くしていたが、彼女が顔を上げることはなかった。

彼女が普通の人間らしくないことはすぐに分かった。

最初に言葉を交わしてから数日後の放課後、セブルスは壁に背を預け、埃をかけられた鞄を見下ろしていた。ジェームズ・ポッターとシリウス・ブラックの仕業だった。

魔法で中身を逆さまにされ、ノートはばらばらに、羽根ペンもインク瓶も床に転がっている。

なにもやり返せなかったことが悔しかった。

拾い集めようとしゃがみ込んだ瞬間、誰かの足音が近づいてきた。

(来ないでくれ、誰にも見られたくない)

そう思った矢先、静かな声が背後から落ちてきた。

「邪魔」

セブルスが振り返ると、そこにいたのはカイラ・ヴィヴィエールだった。図書室で会った、二つ上のスリザリンの上級生。

彼女は足を止めることなく、淡々とこちらに近づいてきた。ほとんどセブルスを見ていなかった。

セブルスは慌てて一歩横に避ける。無言のまま、彼女はその脇を通り過ぎようとした。

セブルスは一瞬、声を掛けてくれるのではないかと思ってしまった。

図書室で少し話した。同じ寮生だし、母の名前を知っていた人だ。

けれど彼女は足を止めることもなく、まるで教室の椅子か何かを避けるように通り過ぎた。

(……そうだよな)

図書室で少し言葉を交わしたからといって、セブルスに手を差し伸べる理由にはならない。

期待した自分が、滑稽に思えた。

そんな風に思った時、すれ違いざまにふと視線を寄越した彼女は、そこで足を止めた。

無言のまま見つめられる。

セブルスは身の置き場に困りながらも、その目を見返した。

「ああ、プリンスの子」

ようやく彼女の中で、自分という存在が思い出されたらしい。

「なにしてるの?」

セブルスは言葉に詰まった。

廊下に這いつくばって、散らばった鞄の中身を拾っているのがどうしてかなんて、悔しくて恥ずかしくて言いたくなかった。誰かにやられたのだと口にするのは、まるで「自分はいじめられています」と宣言するようで余計に惨めだった。

「魔法で拾わないの?」

その言葉に思わず顔を上げた。

てっきり、”だれにされたの?”とか、”大丈夫?”とか、そういう反応を想像していた。けれど彼女の言葉は意外だった。あまりに予想外で、ずれていた。

拍子抜けして、馬鹿みたいにぽかんとしてしまった。

「…まだ、その呪文、習っていないんです」

「そう」

カイラはそれだけ言って、前みたいに視線を泳がせた。

何かを考えているような、まったく何も考えていないような、不思議な表情だった。

「何年目で覚えるんだったかしら…」

小さく独り言のように言ったあと、またセブルスに目を下ろした。

「まあ、頑張って」

まるで授業帰りにすれ違っただけの同級生にかけるような、軽い調子だった。

そしてそのまま、静かに去っていった。

彼女は誰に対してもこんな感じだった。

顔を合わせる回数が増えるにつれて彼女は次第にセブルスのことを覚えていてくれるようになった。

カイラは、セブルスが気兼ねなく話せる数少ない先輩だった。

 

 

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