1話 砂の町の悲劇
「黄金の暴風雨は龍歴院の派遣した上位の精鋭四人を殺し、少量の血痕を残して姿を消した」
「龍歴院が送ったハンターだ。彼は関係ない」
「あの男が陽動しなければ町に近づくことはなかった。何人死んでいたことか」
「その責任はあの町の統治者が認めていることだ。彼に責はない」
「金獅子の血液には──」
調査隊に通達。
砂漠で金獅子ラージャンが目撃された。
現場の報告によると、ラージャンの進行ルートに先導する男の姿があったという。
ラージャン...エルガドの一件以降、龍歴院は金獅子の狩猟依頼を凍結していた。気持ちは分かる。国家の軍事力でさえ及ばない一匹、作戦に選ばれたハンターのことを思うと、居た堪れない気持ちになるよ。
でも、誰かが行かなくちゃいけないんだ。
〜砂の町
漆喰の壁で出来た建造物が立ち並ぶ静かな町。
ほんのりとした甘みが特徴の灼熱イチゴが名産で、近年はこの町に足繁く通う商人がいたことで町が潤い、急激な発展を遂げた。
そんなある日、その商人が町の外で殺された。
事件の調査と犯人の収監は、この地区を管轄するハンターズギルドに託された。
(待遇がいいからギルドナイトになったが...この仕事はハンターよりつまらん。早く家に帰りたいな...)
味気ない牢獄の中、天井のゲッコーを見る。
地面を掘って作られた小さな地下牢に放り込まれた細身の男が、鎖に繋がれて俯いた。
蟻塚を参考にして作られたという地下牢は、暑い砂漠の昼でも温度が安定して少し涼しい。
泥の混ざった水溜り、その鏡面に映る表情は暗く先の不透明な不安を土色が語っていた。
「町を離れた悪徳商人の殺害...なんでもここの統治者のお得意様だったそうじゃないか。殺せば極刑になることは気づいていたはずだ」
鉄格子にもたれかかったギルドナイトが、腕組みして壁の方を見ながら囚人の男に話しかけた。
「...何故かって?そんなことこっちが聞きたいくらいだ。俺はただ騙されて、あの太った男に金を取られただけだ」
囚人は皮肉めいた、しかし力を込めて声でそういって水溜りを震わせると顔を上げていった。
恨みと諦観の混ざった顔で、自分の境遇を笑うように絞り出した一言だった。
「アンタは知ってるか?この地方にラージャンが来てるって話を」
無表情だったギルドナイトが恐怖に表情を歪め、不意に思い出した凄惨な記憶が流れる。
骨も肉も、眼球さえも叩き潰され、上半身が血溜まりになった商人の死体の有様に口を押さえて絶句した記憶。そしてその時、確かに一瞬だけ脳をよぎったのだ。
血溜まりの鏡面、醜く歪んだ顔。
これはきっと、人間の仕業じゃない。
「商人が死んだ事件...ラージャンの接近に気づけなかった町の警備の責任にされたら町長も困るよなぁ。分かるさ、俺にも娘がいる。仕事で人を死なせちゃ大切な子供もカミさんも、食わせていけねえもんなぁ。
...でもよ、これは酷くないか?」
囚人は手を繋ぐ鎖をジャラジャラと上下させてそういった。目からは涙を流し、呆れて笑う口を細い腕で押さえつけて無念を押しつぶすように泣いていた。
「アンタも同罪だよ...だって、町長の味方なんだろ?」
ギルドナイトはその言葉に答えられず、視線を左右に揺らして地面を見ていた。
少し砂を被った石の床の上、靴で砂を少し払って首筋に触れる涼しさが嫌に冷たかった。
腰につけた導虫で照らす薄暗さは、自分を襲ったかもしれない息苦しさで満たされていた。
泪によって窒息するように、耐えきれなくなって牢の方を振り向いた。
「もし俺が正義に殺されるなら、喜んで手にかかろう。あの娘の幸せのためなら、俺は今すぐ死んでやろう」
質素な囚人服に着替えさせられた男が最後まで持っていたのは、娘が海を描いた絵。
大海を泳ぐ海竜とローゼルフィン、そして男手ひとつで子育てをしていた男の似顔絵。
それは贅沢をさせてやれなかった娘に、彼が父として唯一与えることができた思い出だった。
「なぁアンタ...俺を殺したのは、正義か?」
答えられない。
翌日、男は町を追放された。
目の前に広がる広大な砂漠。与えられたのは一日分の水と食糧のみだった。
凶暴なモンスターが跋扈する砂漠で、車を引くアプトノスもいない。熱砂の熱さが靴を貫いて足に触れていた。
一度も振り返らずに歯を食いしばって歩く男の様子を、ギルドナイトは黙ってみている。
痩せ細った男の歩みは遅い。しばらくしても消えない背中を立ってずっと見ていると、誰かがズボンをくしゃりと掴んだ。
「ねぇ、全部知ってるんでしょ?」
「君は...」
「はぐらかさないでいいから、答えて!
お父さんは何をしたの?私のお父さんが何かしたなら言って!」
ギルドナイトは黙って片膝をつき、少女の涙を拭い、肩に手を乗せてじっと目を見た。
何かを言いかけた喉から声が出るよりも早く、少女は先に声を出した。
「お父さんを助けてよ」
〜数年後
「あの男が復讐を誓って、砂の町に金獅子を導いているそうだ。金獅子の依頼は龍歴院が受けたが、彼の処刑は我々が請け負うことになった」
金獅子ラージャンの討伐依頼はギルドの中でもモンスターの情報を多く保管している龍歴院に引き継がれ、ハンターズギルドには処刑する武器のない砂の町に代わって、捕らえた犯人の死刑執行が委託された。
数年ぶりに足を踏み入れても、街並みは変わっていなかった。
少し人だかりができた広場。日照りで乾いた白昼の執行。
処刑場に招かれたギルドナイトは、少女から叩きつけた言葉を心で受け止めて立ち尽くす。
追放の日よりも人数が多い町の警備が、二人がかりで取り押さえた犯人を連れてくる。
「まさか執行人がお前だったとは!お前に殺されるとは知らず俺は情けないことを...道化だ」
鎖に繋がれていたのは、元気を失って一層痩せこけたあの時の男だ。
あれからどんな生活をして生き延びたのだろうか。目に光を灯さず、ひたすら押しては返す弱い呼吸に、胸が締め付けられる。
その首に刃が届く位置に立ち、一度振り返って当地のギルドマスターに尖った眼差しを向けたナイトに向かって、マスターは囁いた。
「人を殺したくない気持ちも分かるがね。密猟者の暗殺もギルドナイトの仕事なんだ。
この仕事を選んだ時点で君も分かっていただろ?」
「お言葉ですが、マスター。彼を生かしたところでもう生態系は破壊されません。後はラージャンとハンター達の問題です」
「では君がラージャンを狩るか?...勘違いしていないかね。君が腰につけたその剣は、もうモンスターに向けて振れるものじゃないんだよ」
お前に何が分かる。
処刑台に登りながら泥の混ざった水溜りを思い出した。
曖昧な記憶の中の水溜りには、あの日の男が持っていた海を描いた絵が映っていた。追放の日、少女に何か言われたような気がする。
処刑台から人だかりを見下ろすと、あの少女が今にも泣き出しそうな顔で処刑台の上に立つ男を見ていた。
そうだ。あれは涙を拭った後の記憶。
「侮るな」
囚人を抑えていた自警団の男を処刑台から蹴り飛ばして、腰に備えた長身の剣を抜く。
ギルドナイトは、ハンターの中でも突出した実力を持つ者のみが就くことができる職業だ。
一つのギルドで十二人までしかギルドナイトになることはできない。
「商人の殺害は人ならざる者の所業。ギルドにはそう伝えた筈だ。
この男には帰りを待つ一人の少女がいる。断じて、ここで死んでもらうわけにはいかない」
「その男が死刑を迫られた理由は金獅子ラージャンを利用した社会への復讐だ。この町に来ているギルドナイトが君だけだと思うか?」
ギルドナイトを取り押さえるために向かった護衛団の兵士が悉く蹴散らされ、単身のギルドナイトに命を奪われずに制圧される。
ギルドナイトはモンスターとの戦いを生業とするハンターの中でも、とりわけ対人戦に秀でた選ばれしもの。
その実力は、単騎で王家直属の騎士団に匹敵する戦力と目されている。
(俺以外のギルドナイトが到着しても、ギルドマスターを人質にすれば戦いは避けられる。
今、俺が狙うべきは──)
ナイトがギルドマスターのすぐそばまで向かった時、背後から少女の悲鳴と迸る血液が押し寄せて、ナイトは自分の考えの甘さを後悔した。
振り向いた先は、自分が絶対に守るべきだったはずの正義。
「暗殺もギルドナイトの仕事...君達ギルドナイトは人を殺すことに抵抗のない死神だと聞かされている」
体に宿る激情、砂に染み込む血溜まりの鏡面、虫食いの正義が人間性を奪い去っていく。
地面に膝をついて、胸に手を当てる。あれはまだハンターだったころの懐かしい記憶。砂漠の死神はこんな色をしていた。
「あぁ...どうやらそのようだ」
目玉が憎しみで充血し、わずかな気の迷いが傾けた瞳の見る先。無色透明の決意を持った少女が放った言葉に、凍てついた物が溶かされた。
「もういいよ」
白い風に吹かれて少女の髪が揺れる。
刹那を流れる涙に手を伸ばして掬いたくなる。しかしそれは叶わない。もう彼女の心はすでに壊されてしまったのだから。
風を白く染めたのは、砂漠にピシャリと落ちた猛き閃光だった。
「そうか」
強く歯を食い縛り、額に薄く血管が浮き出る。
ぼやけて過ぎていた毎日に稲妻が落ちる。
姿は見えなくとも、かの怪物の所業だと分かった。
商人を殺したのは──
「──お前の仕業だったのか」