「なぜ殺した?」
「ラージャンの討伐に向かった龍歴院のハンターは私の仲間だった」
「それだけで?」
「子供がいたんだ」
「あいつだって──」
〜ギルド 一等ハウス
月夜の晩、水槽をゴシックラゲが舞う。
夜更けより早く、まだ重くない瞼を開く。
本を読んでいた。
導蟲で照らすページの上、目がせわしく泳ぐ。
砂漠にはドドブランゴ亜種という獰猛な牙獣種がいる。ラージャンと同じ堅歯亜目に分類されるモンスターで砂獅子とも呼ばれている。
「あれはどうみても人間の仕業じゃなかった」
砂漠を渡る商人の荷車には、角竜ディアブロスの捻れた角が取り付けられるという。
砂漠の生態系の頂点に君臨する角竜種は、生息しているだけで砂漠の危険度を格段に上げるとされ、周囲に存在するあらゆる生物の畏怖の対象となっている。
捻れた角を前にして牙を剥くモンスターの種類は限られている。
ティガレックス、アンジャナフ、ヤツカダキなどの砂漠に生息する強力なモンスターはいずれも人体を握って引き千切るような殺し方はしない。
だから、人間の仕業と認定された。
まだ少し痺れている。
「あの男が殺された原因は──」
「──俺だ」
側頭部からは悪魔の如き角が伸び、筋骨隆々の肉体は荒々しい黒毛に覆われている。
その表情は修羅、宵闇のような黒い眼に浮かぶ日輪のような赤い瞳。
悪鬼羅刹、それがあの日見た稲妻の正体。
金獅子ラージャン。
又の名を、超攻撃的生物。
〜大陸の北東部
高々と連なる山脈から流れる清流、小鳥の囀る緑豊かな山麓。霧の中で深い足跡を刻む羅刹。
後ろ脚より長い腕を持つラージャンは、指の中節を地面に押し付けて歩行する。
樹上や崖での活動などに適応し、物を掴める形状に進化したラージャンの手は、握ることに特化しているため掌を足の裏のように地面につけて歩行することに不向きである。
ナックルウォークと呼ばれるこの歩き方では手の状態が握り拳に近くなる。
ラージャンはこの特性によって、外敵を捕捉すると瞬時に握り拳を形成し、瞬く間に粉砕するようになった。
一方、ナックルウォークをする動物にしては珍しくラージャンの後ろ足は踵を地面につけることがない。これは趾行と呼ばれる歩行方法だ。
趾行のメリットは足の長さを稼ぐことによるスピードの向上である。
踵を地面につける蹠行と比べて趾行は直立の安定性に欠ける。
特にラージャンは腕を前脚として使っているため、趾行により二足歩行時の安定性が損なわれてしまうが、桁外れの筋力と怪物的なバランス感覚によって補っている。
また、前腕や腿の太さに対して、後ろ脚が細い形状もスピードを向上させるためのものだ。
肉体全体が破壊の為に彫刻されていると囁かれるほどの機能の塊。
ラージャンと相対したハンターを驚かせる威圧的なファーストインプレッションは、こうした戦闘に特化した体形によるものだ。
周囲の生物が姿を消すほどの闘気を放つラージャンだが、その恐ろしさは強者であるほどに肝を冷やす体型に秘められているのだ。
穏やかに流れる生命のサイクル。熟れた果物の周りに集まる小動物。亀裂。
草花を退けて通る究極のドレスコード違反。
露骨な強力無比。その芳香に誘われて怒りを宥めるように姿を現したのは紫の幻影だった。
古くから生い茂る森林に伝わる怪談。
夕暮れの隠し神。金獅子の立髪が逆立つ。
枝の上の小鳥が落ちる。少しずつ濃くなっていくこの霧には毒が混ざっている。
這い寄る紫毒の神性。
霞龍オオナズチ。
尖った鼻、葉のような形状の尾。ゼンマイのように巻かれた先端は聴覚器官として使われる。
全身は弾力のある紫色の皮で覆われている。
環境に合わせて体色を変えることで透明化し、不可視の状態になることができる古龍種。
左右で別々の動きをする目玉は大砲の弾のように大きく、円錐状の瞼に覆われている。
その全長はラージャンの二倍以上。
翼の生えた巨大なカメレオンのようなユーモラスな見た目からは、古龍種特有の威圧感は感じられない。
しかしギルドはこのオオナズチをクシャルダオラやテオ・テスカトルに匹敵する超災害級古龍として警戒している。
鋼竜の竜巻や炎王龍の火災にも並ぶ古龍天候。
その正体とは──
鬼神対隠し神。
異色の邂逅。
霧の中で一層不気味さが際立つ黒と紫の対峙。
先に放たれたのは正確に喉を打ち据える金獅子の拳。地獄突きだ。
血液の流れが乱れ、痺れるほどの殴打を受けながら霞龍は毒霧を噴き出す。
激しく吹き出たガス状の毒液は、耐毒性の高い火竜を一瞬にして毒に侵すほどの猛毒だ。
唸りながら飛び退いた金獅子は雄叫びをあげながら殴りかかろうとしたが、声が出ず、空の吐息を吐き出しながら剛腕を振っても間一髪でオオナズチには届かなかった。
ラージャンが距離を見誤るなど、普段はありえないことだ。殺意に染まっていたラージャンの表情が、進まぬ顔に揺らぐ。
光の屈折と微量の神経毒。
霞龍が強靭な顎を開いて金獅子に駆け寄る。
バックステップで距離をとって牙を避けようとしたラージャンの顔面に向かって長い舌が射出され、咄嗟に庇った腕を切り裂いて霧の中に血が跳ねる。
オオナズチはカメレオンのように前後に揺れることで、周囲の木の葉に溶け込みながら出血したラージャンに近寄る。
傷口の痛みが異様な速度で引いたことで、金獅子は周囲を覆う濃霧そのものに毒が含まれているということに気付いた。
オオナズチの擬態、それは皮膚の色を変えることによるカモフラージュだけではない。
濃霧を引き起こして光を屈折させ、更に霧の中に混ぜた微量の神経毒によって相手の五感を鈍らせているのだ。
さらに体表に微量な電流を流し、血中のユニオン鉱石と龍属性を反応させることで周囲の環境に完全に溶け込むことができる。
これはあらゆる素材を接合するとされているユニオン鉱石の性質を利用したものだ。
通常の生物であれば既にオオナズチのことを全く認識出来なくなっていたところだった。
しかし、あらゆる毒に強い耐性を持ち、電気力を含む肉を餌として好んでいるラージャンは擬態に使われている微弱な電流を感じ取って擬態に対応していた。
体表に電気を流して擬態をしている間は電流を感じ取り、電気を隠すために擬態を解除すれば耐毒性を利用して姿を目視する。
ラージャンの擬態対策は一見して完璧だったが、神経毒により五感の機能は低下している。
再びオオナズチの舌が伸びて今度は金獅子の肩を抉り、出血させる。
跳躍して放った雷弾は躱され、更に放たれた毒霧を浴びる。
尾の先端の聴覚と可視範囲の広い目玉を併せ持つオオナズチには死角が存在しない。
牙獣の王ラージャン、既に龍の術中である。
オオナズチは翼をはためかせながら猛毒の霧を吐き出し、風に乗せてラージャンに送る。
時間が経つにつれて呼吸で吸い込む毒の量は増え続ける。
霞龍はこのまま付かず離れず、舌と毒霧によってじっくりと金獅子を仕留めるつもりだ。
煌めき。立髪が金色に揺れる。
ラージャンの体毛は筒状になっており、中身は空洞だ。その空間を体内から放たれた雷エネルギーが満たすことで、ラージャンの毛は逆立ち、やがて黄金へと染まる。
怒髪が天を向き、翼のようになるこの姿を、大昔の人々は金獅子と名付けた。
闘気化。
電気エネルギーを糧に生命活動を行うラージャンだが、生命維持のために使っている電気エネルギーを消費することで身体能力を引き上げることができる。
気に障った標的の破壊に特化した肉体は、闘気化によって一層破壊力を増す。
目が眩むほどの眩い光に包まれた殺戮の悪魔は隠し神への挨拶と言わんばかりにそのエネルギーを解き放つ。
『雷砲』
霧の中を光が乱反射したのも束の間、一瞬にして澄み渡った空気を雷が照らした。
闘気化した金獅子の口内から放たれた稲妻の光線は、標的を巻き込むと同時にプラズマによって触れた者を溶断する。
毒を吸ってしまった金獅子は再び霧がかかる前に霞龍を仕留めなければならない。
霞龍が一帯に漂わせた霧を消し飛ばし、古龍天候すら書き換えてしまうほどの威力。
その稲光が自分に向けられていなくとも、雷砲の光を見た旅人はあまりにも絶望的なエネルギー量によって皆一様に死を連想するという。
遂に真の姿を表した黄金の獅子、その力は古の龍すら畏怖させる。
雷砲を撃ち込まれ、感電して体表の電流のコントロールすら出来なくなったオオナズチの擬態が解ける。焼けこげた皮膚では、景色に溶け込むことは容易ではない。
咄嗟に毒霧を放とうとした霞龍の意識を、黄金に煌めく獣の剛腕が消し飛ばした。
スタン。ゴムのように弾んでパンチを弾く霞龍の皮膚に、雷を帯びた高速のラッシュが打撲を叩き込む。電気の制御を失い、霧は消え、皮膚は焦げ、そして内出血。
オオナズチの擬態能力が消失する。
まるで雷神が太鼓を叩くように、拳を打ち付けるたびに轟々と鳴り響く雷鳴がラージャンの攻勢を知らしめる。
意識を取り戻した霞龍が舌を突き出して金獅子の腹部を貫き、金獅子は腹を刺されたままその舌を掴んでオオナズチを投げ飛ばす。
巨体の霞龍の体重を支えても舌は千切れず、腹に穴を開けられた金獅子は怒りによって更に力強さを増す。
大量に巻き上がった土埃が落ちる前に左手で霞龍の頭部を掴み、右手で拳を打ち付けながら体毛に充満した電気エネルギーを解放。亀裂のように広がる電流が霞龍の皮膚を焼き焦がす。
オオナズチが怯んだ隙に、今度は握り拳を開いて素早く腕を振り、爪で体表を切り裂く。
今度はオオナズチの血液が飛び散り、ラージャンの瞳が血と同じ色で強く輝く。
ラージャンの猛攻が加速する。
左右の拳を交互に叩きつけ、そのまま首を掴んで投げ飛ばし、空中の霞龍に雷砲を放つ。
趾行とナックルウォークが生み出す瞬発力が落下する霞龍を追い抜き、地上から光を放つ凶悪な両拳が突き上げる。あの霞龍が動けない。
再び空中に打ち上げられて地面に落下し、倒れ伏す霞龍。神仙の隠し神を見下ろして冷徹な表情を浮かべる破壊神ラージャン。
ナックルウォークの体勢を中止し趾行のまま二足歩行に移行した金獅子は、更なるヒートアップを見せる。
閃光の中で脈打つ血管。クライマックス。
闘気硬化。
生命維持のためのエネルギーである雷属性を戦闘によって消費したラージャンの体内では、疲労物質を除去して栄養を補充するために血流の量が増えて上半身が肥大化する。
パンプアップした肉体に電気刺激を送ることで金獅子の双腕は赤黒く膨れ上がり、闘気化を遥かに上回る破壊力を得る。
蒸気を放ち、周囲に雷属性エネルギーを迸らせながら、倒れた霞龍に二足で歩み寄る。
遂に顕現した牙獣の王の最終形態。
牙獣種として臨界点に達した最強の獣は、完成した肉体に力を漲らせながら──
──吐血した。
霧に含まれていた神経毒!
二度も食らった霞龍のブレス!!
耐毒性が高いことで知られるリオレウスすら一瞬にして悶絶させるほどの猛毒。
血流の量が増したことでラージャンの体に毒が回り、闘気硬化が崩壊した。
ラージャンが筋力で補っていた趾行のデメリット、それは直立の安定性に欠けることだ。
黄金の輝きを失って転倒した金獅子。
そして、古の幻影が回復する。
神罰が獣の速度に追いつく。
霞龍オオナズチ 『強毒霧噴射』
霞龍下目は溟龍下目と近縁である。
溟龍ネロミェール。かつて新大陸調査団の一期団が鋼竜の追跡の際に遭遇した水を操る古龍。
陸珊瑚の台地に於ける最も強力な生物で、溟龍の放つ水流のブレスは液体を利用した攻撃の中で最強の攻撃とされている。
霞龍オオナズチも同様に液体の射出に長けていることは人類にはあまり知られていない。
オオナズチと敵対する獣人族のチャチャブーは、その脅威を知っている。
古龍の中では温厚な性格で知られるオオナズチは、威嚇しても立ち去らない相手にしか攻撃しないため戦闘すること自体が稀である。
しかしある時、激怒した霞龍に霧状の毒ガスを吹き付けられたキングチャチャブーは圧力に耐えきれず、肉体が潰れたという。
霧状の液体によって生物の肉体が見る影もなく変形する。
この不思議で恐ろしい現象をみたチャチャブー達は彼らの言葉でオオナズチをこう呼ぶようになった。
「神隠し」
防ぐことのできない不定形の衝撃が、金獅子ラージャンを襲う。
細かな毒の粒は弾丸となって毛皮を突き破り、金獅子の体を貫通する。
猛毒により闘気化を解除されたことで電気エネルギーの出力が下がったラージャンは、激痛の中で口を開き、毒で声帯が麻痺したまま溢すように唸る。
『気光ブレス』
追い詰められたラージャンが真っ向から放射したのは黄金の湧昇風、気光ブレス。
雷属性とは異なる《気光》という未知のエネルギーを口から照射することによって標的を焼き殺す金獅子の奥義だ。
放たれた気光は霞龍の毒を熱し、蒸発させることで強毒霧噴射を相殺していた。
互角。
秘境を照らす金と紫の激突。
その凄まじいエネルギーは地脈を通じて大陸各地の古龍たちに届き、世界中の神々が斉天と幻影の戦いに注目していた。
世界の均衡すら崩すことになる、龍と獣の壮絶な縄張り争いの結末。
その勝敗を分けたのは、最初の一撃だった。
霞龍の喉を打ち据えた地獄突き。
気光と打ち消し合う毒の濁流、その拮抗したエネルギーの流れに澱みが生まれる。
ナックルウォークの姿勢からスムーズに打ち込まれた金獅子のパンチは霞龍の喉に傷を残していた。
気光が霞龍の顔面を焼き、毒霧の噴射が中断された瞬間に金獅子の両手が霞龍の頭を掴む。
霞龍が再び強毒霧噴射を放とうとしたその時、長く伸びた金獅子の角が霞龍の喉を貫いた。
オオナズチの再生が停止し、古龍の血を被ったラージャンだけが激しく呼吸を繰り返す。
見渡せば、戦闘の余波で破壊された森林が広がっていた。
地脈に還元された栄養分の変化が大陸中の古龍たちに知らせた絶望。
それは、霞龍オオナズチの陥落であった。