3話 死に別れ讃歌
薄く白い霧がかかった山脈、主を失った生態系の行き着く先の崩壊。竹藪を折って歪んだ衝動を抱える修羅の行く末。
強さ。強烈な羨望が纏わりついたその魅力は、愛される条件である。
『キモい』
『彼に嫉妬してるでしょ?努力してないのに頑張ってる人の足を引っ張るお前のことなんて誰が好きになるの?』
強者の背景を勝手に美化し、弱者の背景を汚して蔑む。
快い英雄と醜い罪人。ツィツィヤックの巣に貼り付けられた無数の貝殻。
ディスプレイになるのは容姿だけじゃない。
ブラキディオスがメスを求めて強い粘菌を追求するように、力があれば衆人から愛される。
生き残るために異常な発達を遂げた性愛。金無垢のラベリングを貰い受け、夕陽が沈むビーチの地平から光る渦潮を眺めた。
潮風に負けずに咲いている一輪の花を踏まないように醜い獣を壊すエゴイズム。
水面に脂が浮く夕刻、絶望するほど愛しい多面的な暴力を強さと呼んだ。
超攻撃的生物。
リーダーを失い、散り散りになっていくハーレムは歪んだ愛の縮図だ。ロアルドロス。狂走エキスの染み込んだ海綿質のタテガミを齧る。
孤高。自由奔放にして端厳。一見してまばらに散在している破壊衝動が欲望を律する。
壊して喰らい、力を溜め込む小さな肉体の内に秘めた強かな心臓。
尖った歯で肉の繊維を切り、血液を嚥下して喉の渇きを潤す。
狂気と余裕の調和。野生と理性の融合。
異常に発達した筋肉を持て余し、余分な脂肪となった脳。その瞳が見据えるのは過去。
ゴワゴワした体毛が風に靡く。逆立ち、頬を横切った立髪が覆う表情は険しい。
王は座して、波打つ海を見ていた。
〜樹上の村
それは狩人の頂《モンスターハンター》を夢見ていた頃に遭遇してしまったただの偶然だった。青い若草を焼いてしまうほど鮮烈な、光。
俺も地元では名の知れたハンターだった。
両親の畑仕事の手伝いで培った腕っぷしでハンターとして活躍し、天性の運動神経で上位への昇格なんて噂も立っていた。
そんな俺の人生の大一番ともいえる戦いが、迅竜ナルガクルガの狩猟だった。
ナルガクルガは黒い体毛としなやかな動きが特徴の飛竜種で、ベリオロスの近縁にあたる。
密林の闇に紛れて静かに獲物を仕留める姿から《漆黒の影》の異名で知られる生態系の頂点。
刃のように鋭く発達した翼による攻撃が厄介で腕や足を落とされて殺されたハンターも多い。
待ち望んでいた大型飛竜との決戦に臨むべく修行に打ち込み、モンスターの生態を学び、採集した昆虫や鉱石を使って罠を作った。
この戦いに勝つ。
そのためには金も命も惜しまない。
これまで積み上げたキャリアはこの日のためにあるかのようだった。失敗は死。
凱旋の時には俺は救世主になる。
強大な者への挑戦。恐怖と好奇心。
「中止だ。クエストは取り下げられた」
長老の言葉を聞いた俺はフリーズして、しばらく言葉が出なかった。
ナルガクルガに挑むことは怖かったが、夢を叶えるためにどうしても挑戦したかった。
毎日長時間の鍛錬。強靭な肉体を作り上げるための節制。体を休めている間は座学に励み、狩猟のために万全の体制を整えてきた。
「村長...それ、どういう意味ですか?俺が勝てないっていうんですか?」
空気がヒリヒリと緊迫する。この村で生まれてから、一度も村長に刃向かったことはなかった。それでも、今回ばかりは狩猟の機会を譲るわけにはいかない。人生を賭けたんだ。
クエストの受注はこの地域の管轄のギルドに認められている。ギルドだって俺の実力を認めてくれているはずだ。
「そうではない。儂だけではなく村の衆も皆、お前の勝利を信じておるし願っておる」
「じゃあ何が──」
「イビルジョーが出た」
イビルジョー。その名前を聞いた時、両親から聞いた話を思い出した。
常に飢えている獣竜種で、古龍渡りの際には逃げ惑うモンスター達を狙って乱入し、渡りの古龍と戦って村を壊滅させてしまったそうだ。
この村が移動の不便な樹上に建てられている原因はイビルジョーの生命活動。
「お前はこの村の宝だ。イビルジョーとの遭遇の可能性がある場所に行かせたりはしない」
ナルガクルガの狩猟のため、モンスターの生態にまつわる村中の資料を読んだ。
恐暴竜イビルジョーは古龍にも並ぶ特級の危険生物に指定されている。もしこの付近にイビルジョーが出ているなら、この村にも避難勧告が発令されているはずだ。
しかし、凶暴なモンスターが多数生息する森の中で森の中で足の悪い老人たちが避難しても誰かが犠牲になる。
この状況を覆せる人物、命を賭けて戦うことのできるハンターが必要だ。
「俺、行きます」
その日、森林は立入禁止区域に指定された。
巨大な木の中身をくり抜き、橋で木と木を繋いで樹上に建てられた村がこの地域の特色だ。
凶暴な肉食モンスターも生息しているが、村人たちは自然を畏れることで共存してきた。
文化的にも重要な村である。更に深刻な過疎化によって避難もままならない近況。
村には一名、将来有望なハンターも所属しているが恐暴竜の狩猟を任せられるレベルには達していない。
神出鬼没、《健啖の悪魔》の襲来に対して、ギルドが下した苦渋の決断。
それは温存していた史上最強の招致である。
霞龍オオナズチの死によって山岳地帯に閉じ込められていた捕食者が暴走し、金獅子の監視下で溢れ出す。突然捕食者から逃れるために各地に散らばった草食竜を狙って最強の獣竜種こと恐暴竜イビルジョーが活動を開始する。
大型モンスターの中でも脚力に優れ、地上での戦闘では無類の強さを誇る獣竜種の頂点。
ラージャンに次ぐもう一つの古龍級生物の登場に、災禍が加速する。
ハンターに重要なスキル。それは武器を振るう腕力と攻撃に咄嗟に反応する反射神経、そのどちらでもない。
過去に武闘を極め、人間の持ちうる強さの極致に達したハンターは幾人も居るが、いずれも金獅子ラージャンや怨虎竜マガイマガドといった古龍級生物の圧倒的な戦闘力を前に絶望して散っていった。
兵器の性能では、世界中の職人たちの技術を集めたところで超災害級の現象を自在に操る鋼竜クシャルダオラや炎王龍テオ・テスカトルには到底敵わない。
鍛錬の末に得られる力では、生物としての能力の差を埋めることはできない。
モンスターハンターとは、超人的な力でモンスターと闘う者ではない。
神に与えられた超人的な力の全てを狩猟に注ぎ込んだ異端児のことだ。
到着した瞬間、目に飛び込んでくる生物の数、大小、そして種類を判断。
天候、風が運ぶ匂いから草の配置まで、ありとあらゆる情報をヒントに状況を把握する。
二つの強者が立ち入ったは森は無人の戦場へと変わり、その緊張を地脈に伝える。微弱な波動だったと。
「...!」
直感で掴んだ異変の主の特徴は、噂に聞くイビルジョーの情報と一致していた。そしてもう一つ、人間のような反応もある。
(おいおい...ギルドは人払いをしてくれたんじゃないのか?)
健啖の悪魔と評されるその圧倒的な力の膨張は、これまで狩猟したどのモンスターとも違う。狩りに生きるものとしてシンパシーを感じるような底無しの渇望。胸騒ぎだった。
草木のような外見の衣を纏って走り出す。
時に蔦を掴み、岩から岩へと飛び乗り、草に紛れて疾走する。
ハンター達は超人的な力を持つが、優れたハンターほど強いエネルギーを放つというわけではない。イビルジョーのような強力なモンスターたちはエネルギー量の多い動物に敏感に反応するので、むしろエネルギーの多いハンターは気配を隠せずに格好の餌食になる。
導きの青い星にとって、重要なのは環境の中で発揮するパフォーマンスだ。彼は、ハンターには個体としての強さは不要と確信している。
酒場の腕相撲では新人のハンターに負けることもあり、腕力が強いとはいえない彼だが、クエストに出れば誰にも負けない実力を発揮する。
「ニクイドリ...イビルジョーは向こうか」
職業ハンター、趣味は生物採集。ギルドに与えられた庭付きの広い自宅には無数の希少な生物を飼っているという。特に、カセキカンスやツキノハゴロモといった幻の生物の飼育は現大陸の生物学者より完璧にこなす。
狩人、その極意は活殺自在。彼曰く、活かし方を極めることで、殺し方を極めるという。
ドス黒い感情の乗っていない彼の剣は、実際よく斬れたのだ。
竜熱機関式【鋼翼】改。通称インパクト702。
刃の後ろからエネルギーを噴射して強化した斬撃で、狩猟対象を焼き切る技巧の一振り。
名匠の智慧が込められたその機能は、怨虎竜マガイマガドの腕刃と被る。
その視界に飛び込んできたのは、立入禁止区域に指定されている森の中を徘徊している青年。
「そこで何をしている。この一帯はギルドに立入禁止区域に指定されたはずだ」
青い星に話しかけられた青年は、巨大な得物を背負っていた。
同業者。
痕跡を残す脚装備と顔が見える頭装備。どうやら密猟者ではないようだ。
「あんたこそ何をしてるんだ。俺はナルガクルガを狩猟する。邪魔したらぶっ殺すからな」
「殺すって...まさか僕を?君、ちょっと面白いね。ところで、こういう狩場では私語は厳禁だ。モンスターに居場所が分かってしまうよ」
村の狩人の全身が震えた。これまでに感じたことのない純粋な恐怖。どうやら迅竜と出会す前に恐ろしいものに見つかってしまったらしい。
咄嗟に村の狩人の背後に回った青い星が、愛情に満ちた表情で囁く。
「ほらね」
(歩法か!?この男の動きが見えなかった!)
まだ見ぬ生物の襲来に膨らむ期待、死地へと向かうにはあまりにも明るい歓喜に満ちた表情。
そんな混沌を射抜いたのは、隆々とした筋繊維に覆われた健啖の悪魔。
「僕は...導きの青い星って呼ばれてる。君もハンターなら聞いたことあるでしょ?」
(新大陸調査団に加入したというあの最強のハンター!
「どうしてこんなところに...」
「あれを見れば分かるでしょ」
倒木を噛み砕き、溢れた鮮血と脳味噌をゴクゴクと嚥下するダークグリーンの悪魔。
気づいた時には体はしゃがみこみ、背の高い草の陰に隠れていた。
丸みを帯びた流線型の背中は、皮膚を裂くほど発達した筋肉の山だ。腐食した犠牲者の肉片で不気味なぬめりを纏った皮の張りは、薄皮のすぐ内側まで筋肉が迫っていることの証左だ。
魔法のような不思議な力を持つ古龍種とも、平気のような異常な力を持つ爆鱗竜とも違う。
鋭い牙、濁った唾液に剥き出しの筋膜。
生き物を理解しようとした導きの青い星だからこそ、瞬時に分かってしまう死との距離。
導きの青い星が呼ばれた理由が分かった。こいつは圧倒的に強い。
こめかみを冷や汗が流れる。
「...!」
村のハンターだけではない。導きの青い星の顔からも穏やかな表情が消えていた。
口元を抑え、考え込んでいる。
(樹上に二人...ギルドから派遣されたのか。気になるけど今はそれどころじゃない。噛み砕かれた木が溶けている...消化液か?)
強酸を使う相手には、大剣のガードが通用しない。攻撃を防ぐことが出来たとしても、強酸で溶かされてしまうからだ。
もし事前に知っておかなければ、武器で攻撃を防いでしまうところだった。
解析。強力な集中力が森中を満たす。
「君、ナルガクルガを狩るつもりだったんだよね?」
「そうだが...」
(イビルジョーは古龍と違ってモンスターを斥ける天候操作を行わない...これは使える)
「面白いものが見れるよ」
条件は揃った。
おびき出し 迅竜ナルガクルガ。
モンスターが稀に残す特殊痕跡を解析し、トウゲンチョウなどのその地の環境生物に手伝わせることでモンスターを誘き出す技法。
特殊痕跡の解析には長い時間がかかり、さらに絆石のようにモンスターをコントロールすることができないので、呼び出されたモンスターは人間を攻撃する。
秘伝の技術である操竜とは異なり、熟練のハンターならばその術を知る者は多い。しかし、モンスターの乱入はハンター達にとって悲劇と見なされることが多いため、戦闘中に使用する者は少ない。
現大陸から新大陸まであらゆる環境で膨大な戦闘経験を積んだ導きの青い星は、大型モンスターや環境生物の利用にも豊富な知識を持つ。
おびき出しを戦闘に利用できるハンターは、長い歴史を持つハンターズギルドが知る中でも彼一人だけである。
イビルジョーを前にして呼び出したモンスターは迅竜ナルガクルガ。森林地帯に住み着く黒豹のような姿の飛竜種で、刃のように発達した翼脚で敵を切り刻む漆黒の影である。
忍者のような身のこなしで物陰に身を隠し、必中の奇襲攻撃で敵を辻斬りのように仕留める。
潜伏によって恐暴竜の目を欺くことに成功したことや、恐暴竜の体に刃を弾く甲殻が存在していないことからナルガクルガは適任。
「いいかい?生きて帰りたいなら僕の邪魔をしないことだ」
「分かってる。参考にさせてもらう」
「いいね。先輩から学ぶことは大事だよ」
(ま、僕の技は見ても盗めないけど)
疾風迅竜、刹那行く影が恐暴竜に襲いかかる。
角竜と並び、生態系の頂点に立つ者の覚悟。
古龍級生物と対峙しても恐れはない。
視界に飛び込んできた獲物を前に、土を溶かす唾液を分泌しながら口を開くイビルジョー。
しかし、迅竜に食らいつこうと顎を開いた時、右頬に大きな違和感。
死角から爪で引っ掻かれたような強烈な衝撃が発生。顔を背けた先は岩壁。
ナルガクルガではない。オオナズチでもない。しかし、姿の見えない何かから攻撃を受けている。まずは顔に張り付いた外敵から食い殺そうと再び口を開けた時、散弾のような礫が弾けて体が吹っ飛ばされ、目の前の岩壁に衝突した。
反動で転倒して空を見上げると木漏れ日を遮るように覆い被さる疾き影の姿があった。
(ナルガクルガ、君は何をみせる?)
地上で何度も回転する二頭の怪物。
イビルジョーには岩に頭から衝突したダメージがまだ残っている。
その側から戦いの状況を解析していた導きの青い星は、岩壁を深く抉る歯形に驚愕した。
(上出来だ。じゃあ決まりだね)
地上での取っ組み合いは不利と判断したナルガクルガは遠心力を利用して空中に跳び上がり、尾から棘を飛ばして恐暴竜の腹に突き刺す。
腹部から流血しながら立ち上がった恐暴竜は痛みに苦しみながら迅竜に飛びかかり、迅竜はそれを回避しながら鋭利な翼脚で斬りつけた。
飛散した血の中を龍属性の稲妻が駆け巡る。
ナルガクルガの全身を覆う黒い体毛は攻撃を受け流すために細長く発達した鱗で、イビルジョーの猛攻すら受け流すしなやかな防具だった。
濁った血液の奥で黄色い眼の中の瞳が収縮。
何かを察知したナルガクルガは即座に飛び退き、充血した眼球を赤く光らせる。
膨張を始めた筋肉は体に刺さっていた棘を体外に押し出し、筋膜は皮膚を突き破って伸びた。
「おお...これが噂の...」
怪物の巨体に所狭しと閉じ込められていた筋肉の暴走。全身を駆け巡る激痛が胸中から込み上げる激情を掻き立て、悪魔の如き力によって神すら餌食とする最終形態。
怒りによって体内の龍属性が活性化し、露出した筋膜の内側から赤い光が漏れ出す。
巨体を見上げた迅竜は声も出ず、その迫力を前に圧倒されて静かに引き下がる。
筋肉膨張状態。
力が向上している。普段の恐暴竜の姿を見て、導きの青い星が投入されたことに納得していたことが恥ずかしい。
自分の存在がちっぽけにみえてしまうほどのエネルギー量。彼が戦っているのはこうも凄まじいモンスター達なのか。
悔しいが、一生かけても追いつけそうにない。
(俺はこれまで何をしていたんだ?)
遂に降臨した悪魔の前に立たされた漆黒の影と導きの青い星は同時に攻撃手段を思案。そして回避方法の発見に着手した迅竜が停止する。
大技。迅竜は一気に体の向きを変えて真上から尾を振り下ろすことで恐暴竜の頭部を打ち付けようとしたが、迷わず接近した恐暴竜の頭部には当たらず、隆起した巨大な背筋に跳ね返されて体勢を崩した。
弾ける暴力が押し寄せる。生命を奪い砂漠化を引き起こすとされる龍属性エネルギーを呼吸によって口元に排出し、与えられた餌を貪るように膂力で屠る。
それは戦闘ではなく、一方的な自然の摂理として行われる上位から下位への捕食活動。
スピード、切れ味、柔軟性、怪物の顎門は全ての障壁を強引に突破。悪魔の牙は純粋な膂力によって反撃を制圧することで頭部に到達。
もがく迅竜を無造作に振り回し、頚骨や背骨をへし折り、頭蓋を噛み砕く。
その間僅か六秒。
青く照らす異質なエネルギーが自然を手繰り寄せる。
早くも毛皮ごと噛みちぎって嚥下する捕食者の前に、恐れつつもうすら笑みを浮かべて立ちはだかる人間。
(もうおびき出しは使えないな。誰を送っても犠牲が出る)
(思っていたより迅竜で削れなかった。冰龍や屍套龍を送っても勝てるか分からない)
(手札を隠して戦れる相手じゃない)
両足で地面を捉える。
透明な空気を隔てる両者の攻撃の軌道。
そのバリアを一方的に破ることができるのが、恐暴竜の肉体。
(導きの青い星が刀を抜いた!)
先手必勝。迅竜のように噛み砕こうとしたイビルジョーの右半身に、抗うことのできない巨大な質量が降り注いだ。
土石流。立ち位置によって流れる水を恐暴竜の視界から隠し、武器を構えることで恐暴竜の思考を反撃の対処に誘導した。
ギルドが誇る導きの青い星の正体、それはブラフとして特大の武器と極上の剣術を兼ね備えた超人の肉体を《弱点》とする最強の環境利用特化型ハンター。
(全てが計測不能!俺のやっていた仕事とはレベルが違う!)
モンスターと人間の間に存在する体格や筋肉量の違いなど関係なく、相手すら含む周囲の環境を自由自在に操る。
まさに、生ける大地と共に狩る英雄。
水流に押し流される最中、恐暴竜の顔に向けてはじけクルミが落下し、敵影の捕捉に手間取っている隙に強烈な斬撃が襲いかかる。
大型モンスターすら押し流す荒波の中で折れた木の幹に乗りこなし、倒木に住んでいたスタミナライチュウを齧りながら武器を構える。
人類初の溟龍ネロミェールの討伐に成功した英雄は、水流すら武器に変える。
水かさが減って地べたに倒れたイビルジョーは目視で周囲の人影を探し、地上には生物の姿がないことを確認する。すると直後に、木の上の楔虫にぶら下がっていた英雄が大剣を振り翳しながら空中から急接近した。
インパクト702のエネルギー出力を空中での加速に利用したのだ。
口を開いた恐暴竜の口元が赤く光ったことに気づいた英雄は奇襲を中止して剣でブレスを防ぎながら着地する。
「属性の強制解除...龍属性か?」
ウチケシの実で龍属性の影響を消し去り、イビルジョーの頭上に向かって尖った石を射出して植物の根を断ち切る。
落石。
岩を背筋で叩き割って雄叫びをあげるイビルジョーに対して納刀したまま駆け足で足元に移り、抜刀と同時に斬撃を浴びせる。
顎門を開いた悪魔が迫ると、楔虫に向かってクラッチクローを射出することでクローの収縮を利用して跳び、躱す。
飛び散った涎は石を溶かし、小川の生物を殺して流れる。追撃の牙が青い星を追い詰める。
顎門が閉じ、古龍骨すら粉砕する顎の力で青い星が挟まれる。絶体絶命のピンチだ。
(これは確実に死ぬ!)
村のハンターの目には、青い星の回避が追いつかず、その牙が体を噛み砕いたように見えた。
追撃の直前、青い星がアイテムポーチから取り出した金色の衣が風に靡いていた。
(今、何かを使ったのか?)
振り返った恐暴竜の頭殻に空中から斬撃が振り下ろされ、顔に傷をつけられながらよろめいた恐暴竜が後退した先で落とし穴が作動。
巨大な筋肉の塊が地響きを起こしながら地中に下半身を埋める。
英雄が着地して首を刎ねようとすると、イビルジョーは落とし穴に嵌ったまま拡散龍ブレスを吐き出して自身の周りを囲って追撃を防いだ。
龍属性エネルギーはバチバチと炸裂しながら周囲の植物を侵食する。
(やはり...龍属性...!)
英雄は悪魔と睨み合ったままスリンガーから石を打ち出してドクカズラを射撃し、毒が滴り落ちて恐暴竜の方へと流れ込むのを待った。
(地面を噛んだ?)
突然土を掘り起こして地中に潜っていくイビルジョー。体が完全に土に隠れる寸前に投げ込まれた音爆弾の影響も受けず、地面を掘り進んでそのまま姿を消した。
(掘削の速度は遅いが、追い打ちをかけると彼が一人になる...それはリスクが大きい。
イビルジョーが離れるのを待つか)
血生臭い。土砂によって地形が破壊され、落とし穴に落ちた時の恐暴竜の抵抗で木や岩が抉れている。
入念に準備して戦おうとしていたナルガクルガは筋肉膨張状態となったイビルジョーによって六秒で捕食され、そのイビルジョーを撃退した導きの青い星はまだ余力を残している。
目の前で起きた戦いのレベルについていけない。自分は何のために戦っていたのか。そんなことを考えて落ち込んでいた。
国家が総力をあげても敵わないとされている古龍級生物の撃退。これだけの偉業を成し遂げた男が、今もすぐそばで平然としていることが許せない。
しばらく呆然としていた村のハンターに向かって青い星が話しかけた。
「イビルジョーはもうこの近くにはいない。
僕は忙しいからギルドに戻るよ。
現大陸は君たちに任せたよ!」
龍属性に侵食された植物、土に染み込んだドクカズラの猛毒。大地は死を纏っている。
翼竜に捕まって颯爽と去っていく青い星。
怪物の暴力によって強引に歪められた巨木。
『君達に任せたよ』
目標にしていたナルガクルガの凄惨な死体がまだ熱を持っている。殺されてからあまり時間が経っていないのだろう。
戦いが始まる前よりずっと安全だというのに、地獄にしかみえなかった。
そんな最悪の風景の中に取り残され、目標を失い、自分の弱さを突きつけられている。
「は...?」
情けない嘆き声。初めて膝から崩れ落ちる。
モンスターハンター、いつか口にした夢が殺された瞬間だった。
「なんだったんだよ、そりゃ」
積んできた鍛錬は無駄だった。
学んできた常識は覆された。
立ちこめる死臭と飛び交う虫の中で立ち尽くし、目から溢れる虚無感を抱いて膝を落とす。
「これが俺の一世一代?こんなものが?」
頭が潰れたナルガクルガの死体。その体には僅かな噛み跡しか残っていないが、唾液で毛皮が溶けて異臭を放っている。
周囲はまるで台風が通った後のように木々が倒れ、山火事が起きた後のように全ての有機物が龍属性で焦げていた。
一生を費やして鍛錬と勉強を重ねて強くなったとしてもこれはとても、とても食い下がれるような境地ではない。
この先の世界はスケールが違う。それは怪物同士の戦闘の痕跡から唯一得ることができた淡白なメッセージだった。
開けた視界、無限に広がる平原、雄大な自然を我が物顔で飛行する飛竜のような希望に満ち溢れた世界ではない。息が苦しくなるような殺風景と冷たい厳しさだけが其処にあった。
「辞めよう...もうハンターなんて辞めてやる...俺に
悔しさと絶望感ですっかり前を向けなくなってしまったそのとき、導きの青い星の言葉を思い出した。それはイビルジョーの出現を感じ取り、好敵手の出現に胸を躍らせていた死神。
再び冷や汗が流れ、死との距離が縮まる。
『こういう狩場では私語は厳禁だ。モンスターに居場所が分かってしまうよ』
俺の声に誘き寄せられて樹上から着地したのは一連の事件の元凶だった。
金獅子 ラージャン。
目撃した者は皆、殺される。
最強の宴にたった一人取り残された弱者を見下すように、赤い瞳でじっと見つめてきた。
「ラージャン...?」
丁度良い。
もう、どうでもいい。
ナルガクルガを倒すためにずっと鍛錬を重ねていた。あの貴族でも手に入れられないという黒く艶やかな毛皮を靡かせて皆の前を歩くんだ。
夢は目前にある。腐りかけの死骸から毛皮を剥ぎ取って装備に貼り付ければ、きっとずっと叶えたかった夢だって叶えられるだろう。
だが、それはハンターを名乗るにはあまりにも寂しく卑しいことだった。
「殺せよ」
ラージャンは鳴き声をあげず、歯を食いしばって泣きじゃくる俺を立ち止まって見ていた。
最強の狩人と最強の獣竜の決戦の跡地。
最強の牙獣であるラージャンは恐暴竜と戦うためにここを訪れたのだろう。
怪物の輪の中に平凡な狩人が入る余地はない。
苦しみの中で目を閉じて、必死に懇願する。
「別に...平均以下の狩人だったわけじゃないさ。終わりでいいだろう」
涙を流しながら縋り付くように放った言葉を、ラージャンは受け入れなかった。
威嚇すらせず、黙ったまま後ろを向き、そのまま歩いて離れていく。
無傷の体が死体の横で寝転がっている。
殺す価値すら見出されなかったのだ。