オル・ガ・ルヴァ。
400年前に私達の住む世界を救った勇者と同じ、異なる世界から現れた所謂異邦人。
市民全て平等に扱われるべきという言論を便利に使いこの学園へと入学し、ここでは本名から抜き取り“ルル”を名乗っている。
右も左も分かっていない本人がそうしたんじゃない。本人の身を案じた周囲がそう取り計らった。
公表されてしまっている名前を隠しておかなければ、恐らくまともな生活は送れないだろうからという配慮も含めて。
「お母さんから貰った名前なんだけどなー」
「我慢なさい。それだけ異邦人っていうのは祭り上げられるものなのよ」
「んー」
わかってるんだかわかってないんだか、ついさっき歴史の授業で世界の成り立ちを知ってもなおそんなことをルルは言ってのける。
ただでさえ今は魔界領が再出現したとかで大騒ぎしてるっていうのに、マイペースな奴だ。
あるいは、なんにも考えてないか。
「お父様があんたの正体を隠して学園へ編入させるの大変だって言ってたわよ。あんたも少しは隠す努力を──」
「──あ、霧だ」
「聞きなさいッ!」
渡り廊下を歩いている途中、窓から霧を見つけた彼女は足を止めてしまった。
そしてそのまま両手を合わせて霧へ祈りを捧げ始める。
初めて会った時からずっとこの調子だ。
「霧の主たるヴェオよ、我々をお見守りください。んふふー」
「まったく。世界が違うなら主神もそこにいないだろうに」
薄紫の癖のある髪の毛、眠たげな黄緑の瞳。
見た目だけなら確かに可愛いと言えるけれど、性格がこれなのでルルの事は苦手だ。
おとぼけが過ぎて何を考えてるのか一切分からない。
まぁ、苦手で嫌いの部類に入るのは前提もあるのだけど。
だってこいつ異邦人だし。
竜人の立場を奪った勇者と同じ存在だ。
魔界領が現れ、異邦人が現れ、世は新たな勇者に注目している。
私たち竜人の一族が勇者亡き後の世界を支えた事実に蓋をして、新たな英雄譚に期待をしている。
その期待を向けられている存在がこんな少しも目が離せないようなんじゃ、色々むかつくしかない。
「……どうしたの?」
「遅刻するわよ」
お祈りを終えたルルがこちらを見ている。
この目を見ているとこっちも眠たくなりそうだ。
「なんだっけ。実技だっけ」
次の授業のために移動しているのを思い出したらしい。
「飛行練習。初日だし浮くだけだとは思うけど、ルルは飛んだことある?」
「空は憧れるよねぇ」
答えになってない。
私は飛んだことがあるかどうかを聞いているのに。
「空、飛びたくて色々作ったっけなー」
「そうなの?」
「うん。わえ、空を飛んでみたかった。乗れなかったけど」
独特な一人称と要領を得ない返し。
乗れなかったの意味は分からないけど、結局飛んだことはないってことでいいんだよね。
「カブトムシみたいに飛んで、風を受けて、気持ちがいいと思う」
「……そこは鳥とかじゃないのね……」
けどまぁ、飛ぶのが気持ちいいのは確かだ。
邪魔な障害物もしがらみもなく、風の漂うままにどこまでも飛んでいく。
私にかつて空を支配した竜の血があるというのもあるんだろうけど、それを抜きにしてもきっと気に入っただろう。
それほどまでに空というものは素晴らしい。
「わえ、これから飛べる?」
「あなた次第ね」
魔法とはイメージだ。絶対に飛べないと思えば浮きもしないし、飛べて当然と思えばどこまでもいける。
一度少し浮いてさえしまえばそこからとんとんにはなるだろうけど、それ以外でも様々な要因が重なるので何にせよひとまず試してみない事には始まらない。
「試す……。研究? わえは好き」
「似合わないわね」
「そう思う。思います? んふふふ、かもかも」
「はあ?」
からかってるの?
「ちがうよ。期待、されない方がうれしい。求められると解が出る。答えちゃう。わえは望まない」
「……なにを言ってるの?」
期待をされず、何も要求されない状態が望み?
「ずいぶん寂しいこというじゃない」
「んふふ。んふふふふふ」
にへらとルルは笑うだけで明確には答えてくれない。
「ちょっと」
それどころか、ふらふらと小走りに先へ行ってしまう。
質問を受け入れる気もないってこと?
「はーやーくー」
でも置いていく気はないらしい。
学園内の構造を把握していないおかげで足留めにはなったけど、しつこく聞いたところではぐらかされそうだ。
あるいは、いつもの有耶無耶な言い方でこっちが呆れるか。
「……そういえば」
ルルが昔のことをちゃんと話してくれた記憶がない。
以前いた世界がどんな所だったのか、どんな生活を送っていたのか、どうやってこちらへ来たのかすらもはっきりとさせてくれない。
保護された当初や監視に任命されたお父様も手を焼いて、匙を投げるまでにようやく聞けたのは「大きなキノコを作ってしまった」というだけらしい。
その言葉がどういう意味なのかなんて、当然誰にも分かるはずもない。
私個人としても知れたのは、ヴェオなる霧に宿るなにかを信奉しているらしいことだけだ。
世界が違えばそこにいる神も違えるだろうに、ルルは疑わず霧を見ては祈る。
まるで何かの過ちを懺悔するかのように。許しを請うように。
「転ぶわよ」
「だいじょうぶ」
ゆらゆらと不規則に身体を動かしながら階段を降りる姿は危なっかしい。
ルルのことは好きじゃないからと、個人的な感情だけで放っておけない気持ちがあるのも事実だ。
過去に何があったのか、どう育ったのかは知らない。
ただ、本人が語りたがらないのは事実としてそこにある。
この複雑な感情をどう言い表せばいいのか分からないけれど、私は……。
「この学園にいる間だけよ」
「んゆ?」
「あんたのことを見守ってやるのは」
市民平等。貴族平民に差別はなし。
誇り高き竜人の一族としてそれくらいは、してやろうと思う。