ハンマー少女はバズらない! 固有スキル【隠遁】で自由に探索してたら伝説になってました 作:chikuwabu
「むにゃむにゃ……」
その夜。桃子はふらふらと、ぼんやりとした意識のまま、窓から外を眺めていた。
窓の外は暗く、時刻は分からないが恐らくは既に深夜だろう。耳を澄ませてみても、聞こえてくるのは遠くの機械の駆動音ばかりで、人の生活音らしきものは聞こえてこない、静かな夜だ。
桃子は窓の外を眺めたまま、今日――いや、昨日の出来事を思い返す。
昼間にニライカナイの砂浜で、雷の妖精エレク、そして小妖精のアオとキィとの四人でカレーを食べた。
その後、夕食は工房の人たちやローラと共に、バーベキューを楽しんだ。ナース服のローラの決めポーズは「お大事に♪」だった。
部屋に帰ってから、夜には和歌と二人でお風呂に入り、あがってからもカレーの話をしたり、雑多な時事ニュースの話をしたりしてから就寝した、気がする。
そして、今。何故だか意識が目覚め、気づけば窓際で外を眺めて立っている。
「うわあ、夜中じゃん。なんで私、こんな時間に起きてるんだろ……」
時計を見れば、時刻は既に丑三つ時も過ぎた頃。普段ならばぐっすりと眠っているような、夜と朝の中間のような微妙な時刻である。
どうりで人の声も聞こえず、静かなわけだ。
「なんか目が冴えちゃった。散歩でも行こうかなあ」
別段こんな時間に行きたい場所があるわけではないが、部屋でうろうろしていては隣のベッドで眠っている和歌を起こしてしまうかもしれない。
ならば外に出た方が幾らかマシだろうと判断し、桃子は音を立てないよう気を付けつつ、部屋の扉を開け外へと向かう。
誰の足音も、話し声も聞こえない施設の廊下を、ひとり抜けていく。
廊下には常夜灯が点いているため、真っ暗で何も見えないということはない。
だが、時刻が時刻だ。下手に音を立てて就寝中の人たちの眠りを妨げぬよう、桃子は静かに施設内を歩いていく。廊下の先では、館内に設置されている自動販売機が低音のうなり声を上げていた。
ギルドの性質上、別な区画へ向かえば誰かしらが起きて夜間の作業をしているかもしれないが、しかし桃子たちが寝泊まりする区画は静かなものだ。
宿泊している部屋からロビーにかけて、桃子は誰とすれ違うこともなく歩いていく。クローズの札が掛けられた喫茶店を横目に、そのままロビー横にある夜間用の出入口から外へと抜け出すことが出来た。
「うわあ……」
最初に出てきたのは、感嘆のため息である。
出入口を抜けると、そこには人工的な灯りのない海と空が広がっていた。水平線から下には闇のような海が遥か遠くまで広がっている。そして、水平線から上には、満天の星空が桃子の視界いっぱいに広がっていた。
千葉や東京のように人工的な明かりの数々が存在していないこの離島では、まるでプラネタリウムのような――いや、それ以上の感動を伴い、数えきれない程の星々が夜空を覆いつくしている。
桃子はしばし、呼吸も忘れその星空を見上げていた。
ダンジョン内でなら、美しい星空を見る機会もある。それこそ上高地ダンジョンの空の世界では、360度を埋め尽くす星空に囲まれたこともある。
けれど、ダンジョンと地上では、やはり違うのだ。いま眼前に広がるこの光景は、この日、この時間、この場所でしか味わえない風景だ。
桃子は少しだけ歩いて芝生の上に腰を下ろすと、改めてその広大な夜空を見上げ、時間を忘れてしまう程にその星々に見入っていた。
しかし、ふと。
視界の端に、人影が映る。
「えっ?」
それは、女性の姿だった。ギルドの職員かと思い、桃子はそちらに視線を向ける。
しかし、それはギルドの職員ではない。ふわりとした緩い髪しか見えなかったけれど、あれは和歌だ。今まで幾度も見た後ろ姿だ。桃子と同室で眠っていた筈の和歌が、何故だかこんな時間に屋外を歩いていた。
「嘘、あれ和歌さん? え、なんで? こんな時間に?」
無論、なぜこんな時間に? という疑問は桃子自身にも言えることだが、しかし桃子が困惑しているのは、時間だけの問題ではない。
桃子が見た人影は。和歌は。
龍宮ダンジョンの門をくぐり、守衛の確認も通さぬまま、ダンジョンの奥へと潜っていってしまったのだ。
明らかに、正規の入り方ではない。なんだか、胸騒ぎがする。
桃子の第六感が、警鐘を鳴らす。
慌てて桃子もダンジョンの入り口へと向かうが、しかし今はリュックも探索者カードも持ってきていない。
守衛小屋には、この時間でも夜勤の守衛が待機しているはずだ。和歌がどのようにしてこの門を素通りしていったのかは分からないが、手元に探索者カードを持っていない桃子が門を潜ろうとすれば、まず間違いなく守衛に止められるだろう。
和歌が先に入って行ったのだと伝えても、すんなりとそれを信じて貰えるかどうかも疑わしい。そして何よりそれを信じて貰えたところで、だから桃子の入場を許可するなどという話にはならないだろう。
桃子は、そこでふと思い出したことがある。
親方たちが言っていた。地上でも、桃子はクズ魔石を砕くたびに【隠遁】状態になっていた、と。
「えと……そうだ、クズ魔石! よし!」
桃子はいま、モチャゴンのスカジャンを羽織っていた。
そして、モチャゴンのスカジャンのポケットには、房総ダンジョンで通りすがりに倒したゴブリンから入手したクズ魔石が幾つか入っていたはずだ。
桃子は守衛小屋の近くまで来ると、ポケットの中でクズ魔石を数粒、パキっと砕く。
恐らくこれで、数秒の間は桃子の姿は守衛に認識されない筈だ。桃子は急いで門を開くが、どうやら本当に守衛は桃子に気付いていない。
ルール違反は承知の上で。この数秒の認識阻害が切れぬうちにと、桃子は和歌を追いかけて龍宮ダンジョンへと駈け込んで行く。
「和歌さん? 和歌さーん?」
出入口の短い洞窟を抜け、煌めく鍾乳洞へと踏み入るが、しかし和歌の姿は見えない。いくら魔法光で照らされているとはいえ、それでも薄暗い鍾乳洞だ。障害物も多く、決して見通しが良いダンジョンというわけでもない。
桃子は和歌の名を呼びながら、昼間に何度か通った鍾乳洞の道のりを進んで行く。
「って、そうか、【隠遁】だから私が声出しても意味ないのか」
何度か和歌の名前を呼んでみるが、そこで桃子は思い出す。ここはダンジョン内だ。桃子がいくら声を枯らして名を呼ぼうとも、その声が和歌に届くことは無いのだ。
和歌や親方は、桃子が【隠遁】で隠れている違和感そのものには気付けるようになったらしいが、しかし決して桃子の声や姿を認識出来るわけではない。
となると、だ。桃子は今から、この鍾乳洞の中を当てもなく和歌を探し回るということになる。いくら何でも、それは無茶が過ぎる。
しかし。桃子には一つ、思い当たる場所があった。
「もしかして……ニライカナイ?」
和歌はそもそも、初日に一度しかこのダンジョンに入っていないのだ。
目的があって入るとしたら、親方たちが話し込んでいた新種の鉱石のスポットか、不思議な横道を通った先に存在する精霊の国であるニライカナイのどちらかだろう。
和歌の頭から一時的にニライカナイの記憶が消えていたとしても、何かの拍子に唐突に思い出した可能性もある。ニライカナイに向かったというのは、決してあり得ない話では無い。
桃子は、鍾乳洞の中を駆け抜ける。魔物がいるかもしれないが、小鬼程度ならば無視して通り過ぎても構わない。今は和歌を探すことのほうが優先だ。
目指すは、ニライカナイの砂浜へと続く横穴だ。
駆け抜けて。
横道を抜けた先には、昼間と全く変わらない、白く霧の立ち込める砂浜が広がっていた。
先ほどの夜空から一変して、トンネルを抜けた先の明るさに一瞬桃子は時間感覚がおかしくなる錯覚を覚えるが、ダンジョンならばよくあることだ。
「和歌さーん? 和歌さぁーん! ……やっぱり、ここに来たわけじゃないのかなあ。エレクちゃんたちもいないや」
声が届かないとは分かっているけれど、それでも和歌の名を呼んでみる。が、当然ながら霧の中から返答が返って来ることはない。
昼間に出会った妖精たちの声も聞こえないが、時間が時間だ。雷の妖精たるエレクも、小妖精のアオとキィも、この時間帯は眠りについているのかもしれない。
桃子は半ば駄目もとで、中央のガジュマルへと向かって砂浜を進んで行くが、そこでふと足元を見ると。
その砂浜に、自分のものではない、他の誰かの新しい足跡があることに気が付いた。
「これ……足跡だ! やっぱり和歌さん、こっちに来てるんだ」
足跡は、桃子と同じく中央にそびえるガジュマルの方向へと進んでいるようだ。
この方向に行けば和歌がいると桃子は確信し、その足跡を追いかけるように。砂浜の上を駆けていく。
桃子は、ガジュマルのふもとでその姿を見つけた。
それは、人影だ。
しかし、一人ではない。ガジュマルのふもとには、ひと組の男女がいた。
「――でも、何度倒しても数か月後に復活してくるの。本当、あの怪物はしつこくて、うんざりよ」
『それでも、キミがいなければ多くの犠牲が出ていたんだ。誇るべきさ』
何を話しているのかは分からないが、女性の方は和歌だ。どことなく、喉につっかかるような違和感があるけれど、しかし佇まいといい、声といい、その後ろ姿は和歌のものに間違いはない。
もう一人の後ろ姿は、見知らぬ男性のようだった。
こんな時刻、この場所に。和歌はもとより、見知らぬ人間の男性が存在していることに桃子は面食らうが、しかし桃子は和歌を探しに追いかけて来たのだ。勇気を出し、こちらに背中を向けている二人の人影に声をかける。
「あのっ」
『おや? もしかして、キミが桃子ちゃんかい?』
「あ、はい! えと……」
振り向いたのは、若い男性だった。
サラサラの髪にどことなく中性的な容姿を持つ、爽やかな印象の男性だ。探索者としては一般的な軽装鎧をシャツの上から装着しており、腰には一本の剣が佩刀されている。そして、その背には、彼の背を覆い隠す白いマントがたなびいている。
桃子は彼の声に違和感を覚えるが、しかしそれを気にする間もなく。その爽やかな男性に続いて、桃子の声に気付いた和歌が振り返り、声をかけてくる。
「桃ちゃん?! 桃ちゃんじゃないですか! やーん、ヒカリと桃ちゃんが一緒にいるなんて夢みたいね! って、夢の中でしたねー」
「え……? わ、和歌さん? 夢の中って……?」
和歌が、桃子の存在に気付き、テンション高く話しかけてくる。
そこで桃子は、いくつかの違和感に気が付いた。そして、状況が飲み込めず、困惑する。
和歌は、そしてヒカリと呼ばれた男性は、どういうわけか【隠遁】を無視して自分の呼びかけに反応し、明らかに桃子の姿を認識している。
更に和歌は、昨晩見た姿と微妙に違っていた。
まず、見たこともない装備を着用している。和歌は、魔法使いの女性が身に付けるような、肩から背中にかけて覆う長くてゆったりした布を羽織っていた。ケープやクロークと呼ばれるものだろうが、それを胸元で鈍く光る銀色の装飾で固定している。
そして、顔も髪型も普段と変わらない筈なのだが、どことなく、その様子がいつもと違う気がするのだ。
目の前にいるのは和歌だけれど、桃子の知る普段の和歌ではない、桃子の知らない別な面を見せているのだと。そのような印象を、桃子に抱かせる。
それに加え、彼女はこの場所を『夢の中』と表現している。
しかし、そんなわけはないと、桃子は奇妙に思う。桃子は地上から和歌を追いかけ、龍宮洞を抜けて、ニライカナイの砂浜までやって来たはずだ。少なくとも、桃子の認識している世界では、そのはずだ。
桃子が謎の緊張感と共に二人を見ていると、しかし目の前の二人は仲良さげに、互いの肩を叩き、笑い合う。
気の置けない関係。まさに、そのような雰囲気で。
「うーん、夢の中の桃ちゃんに、ここが夢だ、なんて言うのはなんか駄目ですよねー。どうしたものかしら」
『和歌。桃子ちゃんが困惑しているじゃないか。まずは彼女に、僕のことも紹介してくれると嬉しいんだけどな』
「ヒカリったら、夢の中でもそういうのはしっかりしてるのね。ええと、桃ちゃん、この人はヒカリ。私の探索者の仲間、パーティのリーダーなんですよー」
『よろしく、僕はヒカリ。君のことは和歌から色々と聞いているよ。僕がいない間、和歌を見ていてくれてありがとう』
爽やかな笑顔とともに、ヒカリと名乗る男性は桃子に右手を差し出してくる。
桃子は、それに一瞬だけ逡巡を見せた。和歌の仲間だとは言うけれど、どのような人物なのかもわからない。
そして何より、感覚的に分かってしまった。耳から入るのに、脳内に響くようなその声。
彼は恐らく、人間ではない。
けれど逡巡したのは一瞬だけで、桃子はおずおずと、自分も小さな右手を差し出した。
彼が人間でなかろうとも、彼が何者だろうとも。和歌の仲間で、和歌がここまで心を開いているのだ。
ならば、きっと。彼はいい人だ。
桃子の右手を優しく握る彼の手は、思いのほか硬かった。中性的で華奢な印象を纏う風貌に似合わず、桃子の手と触れ合ったのはとてもゴツゴツした手のひらだった。いくつものタコができたそれは、数え切れない程に剣を振るってきた剣士の手のひらだ。
桃子は、いつの日か握った、同じく皮の厚くなっていたサカモトの手を思い出す。
きっと彼らのこの手は、沢山の人を助けてきた剣士の証なんだなと。今度はきちんと、素直に受け止めることが出来た。
『ああ、そうだ、桃子ちゃん。今はこんなものしかないけど、お近づきの気持ちとしてひとつ、プレゼントしてもいいかい?』
「ふぇ? なんですかこれ、牙のアクセサリー、ですか?」
握手ついでとばかりに、ヒカリが懐から取り出して桃子の右手に握らせたもの。
それは、どこかの獣の牙だった。何かしらの魔物から得た素材なのだろうけれど、しっかりと固定具であるクラスプがつけられており、紐さえあればすぐにでもネックレスに出来そうだ。
『この獣の牙はね、魔除けとして一部ではお守りになってるんだ。桃子ちゃんを悪しきものから守ってくれるように。そして、大切なことを忘れないように、ってね』
「あ、はい……ええと、ありがとうございます」
桃子はきょとんとした顔でヒカリを見上げるが、ヒカリはにこにこと笑顔で桃子を見つめている。
「あらあら、桃ちゃん、駄目ですよー? いきなり物で釣ろうとする男なんて、下心があるに決まってるんですからー」
『えー、参ったな、僕は純粋にお守りを渡したかっただけなんだよ。でも確かに、不躾すぎたね。ごめんね、桃子ちゃん』
「桃ちゃん。こういう誠実そうなイケメンにこそ裏がありますからね、油断大敵ですよー?」
『僕って誠実そうなイケメンかい? 嬉しいな。和歌はなんだかんだ言って僕のこと大好きだよね』
「桃ちゃん、いまから私は暴力を振るうので目を瞑ってくださいねー?」
いきなり牙のお守りを手渡されどうしようかと思っていた桃子だが、目の前で漫才のようなやり取りが繰り広げられて、ついクスリと笑ってしまう。
ヒカリに対して遠慮なく暴言を吐きながらも、心の底から楽しそうな顔をしている和歌を見ていると、桃子もなんだか楽しくなってきてしまう。
桃子は、手に握った牙のお守りに視線を落とす。
どうか、悪しきものから、守ってくれますように。大切なことを、忘れませんように。
ヒカリの言葉を繰り返すように、しっかりと祈りを込めながら。桃子は貰ったばかりの牙のお守りを、スカジャンのポケットに仕舞い込んだ。