ハンマー少女はバズらない! 固有スキル【隠遁】で自由に探索してたら伝説になってました 作:chikuwabu
「桃ちゃん……桃ちゃん……良かった、ちゃんと目覚めてくれて……」
窓の外は、茜色に染まっている。
しかし、つい先ほどまで一反木綿たちと戦っていた黄昏の空とは違う。この茜色は、一日の始まりを示す、希望の朝焼けだ。
その光が差し込むベッドで、和歌が桃子を抱きしめていた。
声を殺し、泣きながら。涙を流しながら。その腕を、震わせながら。
「桃ちゃんが、このまま……目覚めないんじゃないかって……」
「……エレクちゃんが、助けてくれました。お尻が割れるんじゃないかってくらいの尻餅はつきましたけど、怪我とかはなかったです」
「そう……なのね。本当に、良かったです、桃ちゃん……」
和歌は、強く桃子に抱き着き、離してくれそうになかった。
決して嫌な感じはしない。19歳にもなって、流石にもう実の母親と一緒に寝ることもなくなった桃子だけれど、和歌の抱擁に幼い日の母の温もりを思い出す。
「和歌さん、夢のこと、覚えてるんですか?」
「ええ。昨日までは……あれが夢なのか、何なのか……曖昧だったんですけど……」
桃子は、大人しく和歌の抱擁を受け入れたまま、和歌の胸元に顔を埋めたまま、問いかける。
昨日までは、和歌はニライカナイのことを覚えていなかったはずだ。いや、昔の仲間の夢を見たと話していたから、夢としては覚えていたのかもしれない。
どちらかと言えば、夢の中の出来事がもう一つの現実なのだと、すぐさま受け入れた桃子のほうが特殊なのだ。ニライカナイを旅する夢を見たとしても、そういう夢だったのだと考える和歌の方が、よほど普通の反応だろう。
「今朝は私の方が、桃ちゃんより先に目覚めたんですよ。そうしたら、桃ちゃんが痙攣しだして……苦し気に、エレクちゃんの名前を呼んでて……」
先ほどニライカナイにて一反木綿から解放されたときのことだろう。痙攣というのは恐らく、エレクの電撃でビクビクしていたときのことに違いない。記憶を辿ると、確かに落ちる直前、エレクの名を呼んだ気もする。
和歌の立場からすれば、桃子が一反木綿によって遥か遠くの空へと攫われ、安否不明という状況で目が覚めて。慌てて共に眠っている桃子の様子を見れば、その桃子が苦し気に痙攣をはじめ、雷の妖精エレクの名を呼んでいるのだ。なるほど、ただ事ではない。
そこでようやく、あれが夢ではなくもう一つの世界なのだと気づけたようである。
「大丈夫ですよ、和歌さん。痙攣したのは、エレクちゃんの電気でビリビリしてただけなんです。お尻で着地したのは滅茶苦茶痛かったけど、もう痛みも引きました。エレクちゃん、物凄く強かったんですよ?」
それでもなお泣き続ける和歌の背に手を伸ばして、桃子は和歌をあやすようにその背を撫でる。
大丈夫。あなたの桃ちゃんはここにいますよ、と。
和歌の体温は温かく。桃子は和歌の背中を撫でながら。
再びそのまま、和歌の体温に溶かされるように、眠りの世界に落ちていった。
その後。桃子が起きたのは実に数時間後のことだった。
桃子が起きると、和歌もまだ共にベッドの中に横になっていた。手にはスマートフォンが握られており、どうやら横になったまま観光者向けのサイトでも読んでいたらしい。
いや、和歌はベッドに横になっていたというよりも、横になった体勢から動けなかったと言うべきだろう。一度起きたときから、桃子は和歌に抱き着いたまま二度寝をはじめてしまったのだ。
そこから桃子の抱き枕になってしまった和歌は、桃子を起こさぬよう、ずっと共に寝ていてくれたのだ。
起きて早々、身体をパキパキ言わせてストレッチをしている和歌に、桃子は平謝りであった。
二人の匂いの染み付いた寝間着のまま、二人でうがいをし、歯磨きをしてから今後の予定を考える。
「桃ちゃん。今日は、少し気分転換に与論島までお出かけしましょうか」
「え、でも……」
与論島。それは、鹿児島の最南端の島だ。
船着き場からは一日に何本か船が出ているので、距離の近い与論島ならばここからも日帰りが可能だろう。
けれど、流石に与論島まで行ってしまうと、今日の昼には龍宮ダンジョンには行けなくなるだろう。夢で助けてくれたエレクもそうだが、アオとキィの二人の小妖精の顔が桃子の脳裏に浮かぶ。
桃子が滞在するのは明日まで。つまり、アオとキィに会えるチャンスは今日と明日しかないのだ。
「見てください。与論島に、カレーの美味しいお店があるらしいですよー?」
「へー、行きましょう! 与論島!」
桃子は考えた。
与論島のカレーのお土産話を持って行けば、きっとアオとキィは喜んでくれる。なんなら、現地でカレーの材料を買っていけば、最終日にはとっておきの美味しいカレーを食べさせてあげられるだろう、と。
カレーの誘惑には、残念ながら抗えない桃子だった。
「桃子さん、明日まで滞在するのよね? 今日は与論島まで行くのかしら?」
カレーが入らなくなったら困るので、少なめにしてもらった遅めの朝食を食べた後。
和歌は与論島まで出かけることを親方と所長に伝えてくるらしいので、桃子はその間は喫茶店で時間潰しだ。
いつものように砂糖とミルクたっぷりのコーヒー牛乳を飲みながら、桃子は同い年の新たな友人、ローラと雑談中である。
そして、本日のローラの姿だが。
「うん。あの、ローラさん、その恰好は……?」
「うふ、やっぱり気になっちゃう? これ、最近一部で話題の『空の妖精』のコスなのよ。どう? 似合ってるかしら?」
それは、古代ギリシャか古代ローマのような、白くゆったりとした布を身体に巻いた衣装。そして、空中を漂うことはないものの、その背にはゆったりとした白い大きなヴェールを羽衣のように羽織っている。
これは、巷で話題になりつつある『空の妖精』だ。
モチャゴンの児童書で描かれた通りの、白い布に身を包み、その背に羽衣を纏う天女。カリンの配信に映り込んだという、空飛ぶ羽衣の天使。
砂漠ポンチョに身を包み、スフィンクスのブラジャーをパラグライダーにして空を滑空していた桃子が、世間ではこんな扱いだ。世の中、噂というものは得てして事実とはかけ離れているものである。
しかし、空の妖精の真相はさておいても。ただでさえ過剰に見目麗しいローラがそのような神秘的な衣装を身に纏えば、それはまさに、空から降りて来た天女か女神のように見える。
「ローラさん、美人だし、スタイルもいいし、なんていうか……本物の空の妖精そのものって感じがする! 本物っぽい! 本物かも!」
本物の空の妖精たる桃子が、自分より圧倒的にスタイルの良いローラを、本物のようだと褒め称える。どの口で言うのかと、柚花がここに居たならばツッコミを入れていたことだろう。
だがしかし、神秘的な美しさを醸し出しているのは本当だ。ローラを知らない人が見れば、すわ天女の降臨かと勘違いしてしまうかもしれない。ここが、ギルド職員が行き来する喫茶店の座席でなければ、だが。
「ただ、一つだけ困ってるのよね。空の妖精のキメ台詞って何かしら? お空ですわ♪ とか言うのかしらね?」
「さ、さすがにそれはどうかなあ。羽衣で空を飛んでるらしいし、ビューン♪ とか フワリ♪ とかでいいんじゃないかなあ?」
上高地ダンジョンに顕現した本物の空の妖精ならば『カレーだよ♪』とか言っておけばだいたい合っているのだが、流石にそれはローラが期待する応えではないだろう。
とは言え、世間の想像する空の妖精がどのような言葉を話すのかなど桃子にだって分からない。モチャゴンの児童書を読めば紅子が捏造した台詞くらいはあるだろうが、残念ながら未だに読む機会がない。
なので、ここは妥当な擬音でお茶を濁すことにした。
「擬音か。そうよね、空の妖精は大人びた神秘的なイメージだし、あまり喋らずに、寡黙。人々を静かに見守る天女。その愁いを帯びた瞳は、大空に何を想うのか。うん、擬音で表現するのもありかもしれないわね……」
コーヒー牛乳を飲みながら。
桃子の目の前で大真面目に空の妖精について考察するローラを、桃子は興味深げに眺めているのであった。
そして時間は過ぎ、今は島と島を結ぶ船のラウンジで、初日と同様に桃子と和歌はソファで寛いでいた。
桃子はソファに腰を下ろすと、自分のスマートフォンを取り出して、ポチポチとメッセージアプリで文章を入力し始める。
「お友達にメッセージですかー?」
「はい。まあここは電波繋がってないのであとで送信しますけど、実は昨日から、柚花……えと、後輩のタチバナに、ニライカナイのことを相談してたんです」
「ああ、あの可愛らしい美少女配信者ちゃんですね。桃ちゃん、可愛らしいお友達がどんどん増えていきますねー」
和歌も、探索者タチバナのことは知っていた。以前相談したこともあるし、そうでなくとも柚花はそれなりに名の知れた配信者である。
ダンジョンの時事ニュースなどを小まめにチェックしている和歌ならば、タチバナの情報くらいは当然知っていることだろう。和歌も言う通り、タチバナは自他ともに認める美少女であり、美少女配信者というカテゴリで名前が挙がることも多い。
尤も、この離島には柚花をも超えるトンチキ美少女、無暗に造形が美しいコスプレウェイトレスがいるので、ここ数日で桃子の中の『美少女』の基準が無駄に高レベルになってしまった。ローラと比べてしまうと、柚花ですらまだ、綺麗で可愛い子止まりだ。
きっと、和歌の言う「可愛らしいお友達」にはローラも含まれているのだろう。
「あ、そういえば。和歌さんも昔は……えと、その、美少女配信者として知られてたんですか?」
そこで、桃子は思い出す。
和歌も昔はファンの多い配信者だったはずなのだ。以前までは和歌の年齢を勘違いしていたので、桃子の中では曖昧な記憶だったのだが、和歌の実年齢を把握した今なら分かる。
十数年前まで活動していた「美少女配信者の和歌」の正体は、いま目の前に居る同僚のほんわかお姉さんだ。
「うふ、恥ずかしいですねー。でも、最近の子はみんな綺麗ですし、ファッションもお化粧もレベルが高いですから。私も流石にもう美少女を名乗るのは難しいですかねー」
「あはは。難しいっていうか、さすがに和歌さん、さんじゅうご――」
「桃ちゃん?」
「いえ、なんでもないです! あ、和歌さん! 与論島ですよ、与論島! カレー屋さん行きましょう、カレー屋さん!」
「桃ちゃんったら、誤魔化し方が可愛らしいですねー」
三十五歳で美少女は無理がありますよ。口から出かかったその言葉を止めたのは、ファインプレイだったと桃子は自画自賛する。
和歌は、いつでも笑顔を見せてくれるふんわりしたお姉さんだけれど。和歌は、いつだって母親のように優しいけれど。
実年齢に触れ、それをいじったヒカリへの仕打ちを目撃してしまった今となっては、今の笑顔が安心して良い笑顔じゃないのだということに勘付くことが出来てしまう。
世の中には、口にしてはならない話題というのがあるのだ。
この時。桃子にしては珍しく、警戒心というものが十全に仕事をしたのだった。
与論島のカレーはとても美味しかった。
この島で採れた野菜や肉を煮込んで作った、まさにこの島でしか食べられないカレーである。
桃子はついつい、そのカレーを再現してあるというレトルトのカレーも幾つか買ってしまった。この島でしか食べられないと思っていたカレーを、持ち帰って好きなときに食べられるのだ。それは、ものすごいことだ。
今日か、明日か。さよならの前に、アオとキィの二人にもこのカレーを食べさせてあげたいなと思いながら、桃子はレトルトカレーを大人買いした。
そして、お腹も満足し。町のお土産屋などを覗いたあと、桃子と和歌は海沿いのベンチで遥か先の水平線を眺めながら、ゆったりと過ごしていた。
ニライカナイの魔物との戦いが嘘のような、のどかな離島の午後だ。
間違いなく、この時までは、のどかな午後だったはずだ。
「桃ちゃん。お願いがあるんですけど、聞いてくれますかー?」
「え、なんですか? 私に出来ることなら、なんでも……とは言えませんけど」
青い海を眺めながら、和歌が言い淀む。
桃子がきょとんとした視線を横に座る和歌に向けると、和歌は桃子の手をきゅっと握って、言葉を続ける。
「お願いです。今日は龍宮礁には戻らずに、桃ちゃんはこの与論島の宿に泊まっていってくれませんか? 親方さんたちには、私からなんとか伝えておきますから」
「へ……?」
桃子は一瞬。和歌が何を言っているのかが分からなかった。
社員旅行で龍宮礁に宿泊しているというのに、わざわざ与論島の宿に桃子を泊まらせる。桃子は最初、その意図が、和歌が何を言いたいのかが、よく分からなかった。
人のいない、静かな岬のベンチには、さざ波の音だけが響く。風は静かな日だった。
どこか遠くで、渡り鳥が鳴いた。