ハンマー少女はバズらない! 固有スキル【隠遁】で自由に探索してたら伝説になってました 作:chikuwabu
海の夢
そこは、広大な青の世界だった。
太陽の光が水面を通して降り注ぐ。
水面が揺れる度に、光の模様が移り変わっていく。
(あれ、ここ……水の中なのかな……?)
桃子は、夢を見ていた。
夢の中で、桃子は驚くほどの速度で広大な水の中を滑るように泳いでいる。まるで、魚にでもなったかのように。
周囲の風景を見れば、多くの海藻が潮の流れに揺られ、大小様々な魚たちの影が光を反射している。けれど、桃子はその魚影すら置き去りにして、ただ、泳いでいく。
(私、何かに向かって真っすぐ泳いでる……)
不思議なことだが、桃子はいま自分は泳いでいるという実感を持ちながらも、その自分の姿を俯瞰して見つめているような状態だった。
所詮は夢の話と言ってしまえばそれまでだが、それはまるで、自分の身体を誰かに貸し出しているような。或いは逆に、自分が誰かの身体を間借りしているような、実に不思議な感覚だ。
泳ぐ。
泳ぐ。
目の前に、いくつもの魔物の影がある。
しかし、夢の中の桃子は魔物に怯むことなく、すれ違いざまにその小さな拳に魔力を込めて振り抜いていく。
魔物たちはその衝撃に耐えられず、一瞬にして弾け飛ぶ。桃子よりも遥かに巨大な魔物ですら、圧縮した魔力を叩き込まれる衝撃には抗えず爆散し、そのまま煤となって水中へ消えていく。
拳のあまりの速度によって、一瞬で局所的に水圧が低下し、水中にいくつもの気泡が生まれる。まるでシャコのパンチだ。
魔力を帯びた自分の腕は、普段の肌の色ではなく、日に焼けたような小麦色の肌だった。
(ああ、そうか。そうなんだ。この夢は、私じゃなくて――)
尾びれをしなやかに揺らし、まっすぐ矢のように水中を突き進んでいく。
あの赤い珠を、破壊しなければいけない。
全ての元凶を、この拳で。叩き壊さねばならない。
友のため、同胞のために。夢の主は、その華奢な拳に再び魔力を集中させていく。
そして、視線の先に現れるのは、赤い、赤い魔石。
けれど、それは――。
「桃子。起きろ。なんか。濡れちゃってるぞ」
「ん……あれ、ここどこ? 私、水の中を泳いで……」
桃子の耳に、ヘノの声が届く。
いつの間にか、眠っていたようだ。
間近から聞こえるヘノの声に桃子の意識はどうにか回復してきて、朧気ながらも「今はいったいどういう状況だっただろうか」と考える。
半分ほど頭が寝たまま、現状を思い出そうとするが、あまり頭が働かない。気を抜けば、再び眠りに落ちてしまいそうだ。
感じるのは、瞼を閉じていてもわかる明るい空の色と、風で優しく運ばれてくる花々の甘い香り。
それと、下半身の謎の違和感。なんだか妙に、下半身がじっとりしている気がする。
「寝ぼけてるのか。ほら。お前らも起きろ。桃子の上で寝るな」
『起きるー』
『起きたー!』
『濡らしちゃった』
声は、桃子のお腹の上から聞こえる。
桃子はぼんやりと思い出す。ここは妖精の花畑だ。
そうだ、今日は宝箱の原材料となる、板材を製作していた筈だ。
午前中から房総ダンジョンの第一層にて、ある程度の太さを持つ樹木を幾らか伐採し、何往復もかけてその丸太を全て妖精の国まで運び込んでいたのだ。つい先日整備したばかりの落とし物だった斧が、伐採では大いに役に立ってくれた。
ある程度木材が揃ったら、鉈である程度まで成形。そして最後は【加工】の連発で、丸太だったものを素材として何枚もの板を製材していった。
桃子の横には、そうして完成した板材が重ねられている。
そこまでの行程で、魔力・体力ともに大幅に失ってしまったため、疲労を回復しようと花畑に横になって休んでいた所までは覚えている。おそらく、そのまま花畑で眠ってしまったのだろう。
聞こえてくる声から察するに、何人かの小妖精たちが花畑で横になる桃子の身体をベッドにし、一緒に昼寝をしていたようだ。
やり取りの中に不穏な発言も聞こえた気がしたので、眠気に抗い桃子もどうにか目を覚ます。
「ふわあ……ごめんね、私ってば、こんな場所で寝ちゃってたのかあ。って、うわあ、服が濡れちゃってる」
下半身のじっとりとした感覚は、やはり気のせいではなかったようだ。
もちろん、桃子が粗相したわけではない。あくまで、桃子をベッドにしていた小妖精によるものだ。
変なにおいがするわけでも、べたついたりするわけでもないのだが、桃子のシャツとホットパンツ、そしてソックスまでもがじっとりと濡れてしまっている。もしかしたら下着までも濡れているかもしれない。ちょっと、穿き心地が悪い気がする。
「水の小妖精が。水の魔力を制御できずに。お濡らししちゃったんだな」
「うえっ、お濡らし?! ね、これって綺麗な水? 私、びちょびちょだけど大丈夫?」
まさかのお漏らしだった。
いや、お漏らしはお漏らしでも、ヘノの口ぶりからすると、水の妖精が魔力制御を誤って水を出してしまったとのことなので、水そのものは魔法で作った綺麗な水なのだろう。人間の考えるそれとは違う。
しかし、お腹の上でお漏らしされてしまった桃子としては、それが本当に綺麗な水なのかどうか見た目では判別できず、気が気ではない。
下手人たる小妖精たちは既にどこかへ行ってしまい、もはやどの子がお漏らし犯なのかも分からない。
「大丈夫だろ。水の妖精が出すのは綺麗な水だからな。昔はニムもよく。水を制御できなくて。お濡らしして泣いてたぞ」
「そ、そっか。それはニムちゃんの名誉のためにも、聞かなかったことにしてあげた方がいいかな」
つまり、例えるならば。氷妖精たちが寝ながら周囲を凍らせてしまうような、フラムが寝ながら周囲に火をつけてしまうような。そして、水の妖精ニムが眠りながら水を作り出して周囲をびしょびしょにしてしまうような。そのような現象をここでは『お漏らし』と表現しているのだろう。
なので、妖精のお漏らしで服がびしょびしょになっていたとしても、そこに衛生的な問題などありはしないのだ。
むしろ、下手な水よりも綺麗で良い水だ。
――と、桃子は自分に言い聞かせるけれど。それでもやはり、気になるものは気になる。
ヘノが気を利かせて桃子の濡れた服はすぐ乾かしてくれたのだが、桃子はその後もしばらくはしきりに自分の服の匂いを確認していたという。
そして、どうにか気を取り直して。
シャツもパンツも乾かして、お漏らし事件など無かったかのように桃子は立ち上がると、昼寝前に制作していた大量の製材がそこにはあった。
これだけあれば、全ての武器とは言わなくとも、整備した武器の半数分くらいは宝箱のアイテムとして配り歩けるに違いない。
きちんと製材された板の山が珍しいのか、様々な小妖精たちがその板に乗ったり、斜めに立てかけて滑り台にしたり、角っこに噛みついて首を傾げている姿が見える。出来れば木材は食べないで欲しいところだ。
「さすがにちょっと、木材加工に魔力を使いすぎて疲れちゃった。このペースだと、宝箱を組み立てるのは、まだ当分先になりそうかも」
「ゆっくり。作っていけば。いいんじゃないか。別に。急ぎでもないしな」
武器を宝箱に入れてダンジョンに設置していく話を提案したのは桃子だが、ヘノの言う通りで、別にそれは何時いつまでにやらねばならぬような急ぎの案件ではない。
そもそも、武器によっては通常の宝箱に入るようなサイズではないので、それぞれの武器に合わせた特別な形態の宝箱が必要になる。提案しておいてなんだが、一つ一つ採寸して箱を作っていくとなれば、なかなか途方もない作業量ではなかろうか。
武器自体は、きちんとロープでまとめてあるので危険なことも無いだろう。宝箱は、ゆっくり、自分のペースで作って行けばよい。
そう考えると、多少は気が楽になってきた。
花畑では、小妖精たちがシンプルな追いかけっこをしている。
楽し気に花畑を飛び回る色とりどりの少女たちの姿を眺めながら、桃子は両手を空高くへとあげて、グイっと全身の伸びをする。
「んーっ、疲れた! ちょっと気分転換に、いつもと違うカレーでも作ってみようか」
「なんだ。珍しいカレーは。ヘノも。大好物だぞ」
「じゃあ、えへへっへ、玄米の残りも沢山あるし……よし、ちょっと珍しく、カレーピラフでも作っちゃおうかな」
「ぴらふか。良く分からないけど。ヘノも。食べたいぞ」
疲れたときは、カレーに限る。
まず、生の玄米を具材とともにカレー粉で炒め、その後、水を加えて玄米を炊き上げる。簡単に言えば、それが玄米カレーピラフだ。
玄米は、調理前にしばらく水につけておくのがコツだ。やるなら早い方がいい。
加工した木材の束をその場に一旦放置すると、桃子はすくっと立ち上がり、「善は急げ」とばかりにヘノと共に調理部屋へと向かうのだった。
「桃子。桃子。この。岩塩っていうの。塩なのか? 舐めてみてもいいか?」
玄米を大きな器にうつして、水につけ込む。
ニムが居ればその場で水を出して貰えるのだが、生憎いまは柚花の探索に付き合っているので、ここにはいない。
なので、調理部屋に備え付けられたアンティークな蛇口から水を注いでいく。この蛇口の水がどこから来ているのか桃子は知らないのだが、どうやら下手なダンジョンの水よりも魔力の豊富な良い水なのだそうだ。
その間に、具材の準備だ。
桃子が氷部屋から冷凍状態の肉や野菜、そして事前に小さく切り分けた状態でタッパーに詰められていた冷凍でか豆。具材はこれくらいで充分だろう。
あとはちょっとした味付けとして、龍宮礁でゲットした岩塩の端っこを砕いて調味料とするだけだ。
一方ヘノは、桃子が岩塩の端っこを削って砕く姿を興味深げに眺めていた。
「砕いて出来た粒くらいなら舐めてもいいけど……お塩だから、舐めたら普通にしょっぱいよ?」
「ぺろり。……むぐぐ。しょっぱいな」
「うわ、大丈夫?! お水、お水飲んでっ」
ヘノは砕けた岩塩の、数ミリ程度の欠片を拾って口に直接放り込む。例え数ミリと言っても、ヘノの身体のサイズからすればけっこうな塩の塊だ。
しょっぱさに顔をしかめるヘノを見て、このままではヘノが高血圧になってしまうと焦った桃子がカップに入った水を差し出すと、ヘノはそこに顔をつっこんで水を飲み出した。
ごきゅごきゅと水を飲み、ヘノはどうにかそれで落ち着いたようだ。髪が濡れてはいるものの、普段通りの無表情に戻っている。
「本当に。塩なんだな。塩って。もっと。砂みたいで。サラサラしてるものだと思ったぞ」
「まあ、日本のお台所だとそっちの方が主流だけどね。サラサラしてるのは海で採るお塩で、岩塩は山とか洞窟とか、陸地で採れるんだよ」
「じゃあ。ニムが前に持ってた塩は。ダンジョンの海で。採ったのかもな」
「え、ニムちゃんが? サラサラのお塩を?」
桃子は包丁で材料を細かく刻んでいたところだが、ヘノの言葉でその手をとめる。
ダンジョンの海とは、どういうことだろうか。いや、ダンジョンには湖も砂漠もあるし、なんなら空の上もあるのだから、海のダンジョンがあってもおかしくはないのだろう。
思えば、水路が流れていたり、水が溢れていたりというダンジョンの話はよく聞くけれど、そこが淡水か海水かなどということまで桃子は今まで気にしたことは無かった。
しかし、もしかしたら自分が気づかなかっただけで、海水か、もしくは塩水が湧き出ているダンジョンもあったのだろうか。桃子は少し考え込む。
「見せてくれたのは。ほんのちょびっとだけどな。桃子がスーパーで買うような。白くて。砂糖みたいな。塩だったぞ」
「ふーん、ニムちゃんが行くところで、塩が作れるとしたら……やっぱり、海水みたいなのがあるのかな。ねえヘノちゃん、それって海なのかな」
「ヘノに聞かれても。わからないぞ」
「あ、そりゃそうか、ごめんごめん。でも、お塩が採れるってことは、海水みたいな塩水のダンジョンがあるってことだよねえ」
水の妖精であるニムは、水のあるダンジョンが好きで、よく出かけている。
いつもヘノと一緒にいるイメージがあるけれど、そこはやはりそれぞれの属性の違う妖精だ。ヘノは水の中などは好きではないし、ニムも空の上が好きなわけではない。なので、意外に一人で出歩くことも多いらしい。
今日もおそらく柚花と一緒に、どこかの水のあるダンジョンに出かけている筈だが、もしかしたらその中には、海水のダンジョンがあるのかもしれない。
「海水ってだけで。そんなに違うのか? 琵琶湖ダンジョンの水じゃ。駄目なのか」
「うん。あそこは淡水って言って、お塩のない水なんだよ。海水のダンジョンがあるなら、もしかしたら琵琶湖ダンジョンとは違う生き物もいるかもしれないね」
妖精の国の湖には、主に琵琶湖ダンジョンで捕まえて来た生き物たちが生息している。
だが、もし琵琶湖ダンジョンとは違う環境のダンジョンで、そこ独自の魚などを捕まえることが出来るとしたら、もしかしたら妖精の国の湖はもっと色々な食料の宝庫になるのかもしれない。
とは言っても。淡水であるはずの琵琶湖ダンジョンには、淡水には生息していない筈の巨大なクジラもいるし、イカもいる。ダンジョンの環境においては、地上の常識はさほどあてにはならない。
過剰に期待はせずにおいて、新しい生き物がいたら儲けもの、くらいで考えた方がいいかもしれない。
なんにせよ、ニムが戻ってきたら話を聞いてみるのが一番早い。
カレーピラフと引き換えならば、ニムも喜んで情報を提供してくれることだろう。
「じゃあ。ニムを見つけ次第。捕まえて。全部。白状させることにするか」
「ヘノちゃんは、ちょっと言い方が物騒なんだよね」