ハンマー少女はバズらない! 固有スキル【隠遁】で自由に探索してたら伝説になってました   作:chikuwabu

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瀬戸幻海

『ぶくぶく……ぶくぶく……』

 

 太陽の光が水面を通して降り注ぐ。

 水面が揺れる度に、光の模様が移り変わっていく。

 

 地上とは異なり、人間による環境汚染が一切存在しないこのダンジョンの海は、驚くほど透き通っていた。魚たちは光を反射しながら優雅に泳ぎ、まるで一枚の絵画のように煌めく風景を描き出している。本当に、美しい海だった。

 その美しい海の中を、桃子は口から泡をぶくぶく出しながらゆっくりと潜っていく。海草で作られた胸パッドの力によって豊かに膨らんだ桃子の胸元は、左に緑、右に蒼の光を有している。その胸元からは、光の発生源である小さな妖精たちがそれぞれ顔を出していた。

 

「な、懐かしいですねぇ……桃子さんの胸から、こ、こうして景色を眺めるのも……」

 

『ぶくぶく……ぶくぶく……』

 

「地上だと。いつも。桃子の肩にばっかり乗ってるからな。こうして。胸元から景色を見るのも。悪くないぞ」

 

 生気のない目で泡をぶくぶく吐き出し続ける桃子とは逆に、胸元から顔を出して海中の景色を眺める妖精たちは実に楽し気だ。

 普段から自由にダンジョン内を探検できる妖精と言えども、このようなきっかけでもなければわざわざこの瀬戸幻海の海中に潜ろうとは思わない。水の妖精ニムですら、こうして海の底まで潜ることなど滅多にない。

 水面から差し込む光を反射しながら小魚が群れを成し、ゴツゴツした岩の岩肌には、これまたゴツゴツした貝がしがみ付き、海底には海藻だかサンゴだかよく分からないものが潮の流れに合わせて揺れている。

 妖精たちは、そんな海中の景色を物珍しそうに眺めていた。

 

『ぶくぶく……あー、あー、モンスターとはたたかいません。たんさくもしません。かれーらいすをしていきます』

 

「どうした桃子。大丈夫か。頭がおかしくなっちゃったのか」

 

 どれくらい海中へと潜っただろうか。そろそろ肺の中が海水で満たされてきた桃子が、ようやく人間の言葉を発する。しかし、言葉自体は意味不明だ。

 唐突に訳の分からない台詞を語りだした桃子に対し、緑に光る左の胸元から心配の声があがる。心臓に近い左胸に居座っているのは、桃子の相棒であるヘノだ。

 どこかで頭でも打ったのかと、ヘノは心配げに桃子を見上げていた。

 

『あー、あー。違う違う、水の中は久しぶりだったから発声練習してたの。どうかな、大丈夫かな? 私の肺の中に小魚入ったりしてない?』

 

「普通に喋れてると思うぞ。小魚は。わからないけどな」

 

「じゃ、じゃあ……も、桃子さんも準備出来たみたいですし、さ、さっそく食材を探しに、も、もっと先へ行ってみましょうかぁ……?」

 

 どうやら桃子の意味不明な発言はただの発声練習だったらしく、ヘノは安堵の息を吐く。

 魔物が襲ってきたならば撃退すればいいが、桃子がおかしくなってしまったらどうしたらいいのか分からない。いくらツヨマージを持つヘノとて、決して万能ではないのだ。桃子をなおすことは出来ないのだ。

 相棒がそんな失礼なことを考えているとはつゆ知らず、桃子はただ沈むだけでなく、手足を動かしてゆっくりと海中を泳ぎ始めた。

 水の妖精ニムが桃子の周囲の水流を操り、桃子はその水流に乗る形で空を飛ぶような軽やかさで泳ぐ。

 

 瀬戸幻海の海を、自由に。まるで魚のように。

 人魚のように。

 

 

 

 

 

 

 

 さすがにダンジョンだけあって、海中には魔物の姿もあった。

 光を反射する小魚たちとは違い、明らかに異質な形状の魚たちである。

 巨大な姿で、大きな角を持つ者。光を吸収するような漆黒の鱗を纏うもの。岩のような材質で出来た巨大な魚――いや、魚のように泳ぐ岩かもしれないが、そのような魔物の姿もある。

 

 通常ならば桃子は【隠遁】により魔物からは認識されない筈だけれど、今は妖精二人が胸元に隠れており、【隠遁】の特殊な魔力は乱されている。

 感覚の鋭い魔物ならば、桃子の存在に気付き襲い掛かってくることもあった。

 

「魔物は。ニムに。任せるぞ」

 

『ここの魔物は琵琶湖の魚人ほど厄介じゃないけど、その分ちょっと数が多いんだねえ』

 

 ニムとヘノがいれば、遠くから向かってくる魔物の気配も感知できるために、不意打ちなどを食らう心配はない。

 しかし、地上ならともかく、この水中では桃子もハンマーを振り回すことは出来ず、戦力としては数えられない。同じく、風で戦うヘノもまた、水中では大したことは出来ない。

 なので、水中の魔物を撃退するのはもっぱら水の妖精であるニムの分担だった。

 

「や、やりますよぉ? え、えい……っ!」

 

 ドフ、という鈍い音が海中に響く。

 

 丁度、桃子の右側から真っすぐに高速で接近してくる一角魚の魔物が居たのだが、ニムが気合をいれると同時にその一角魚は内側から破裂した。

 水を操って何かしていることは桃子でも想像はつくのだが、ニムはいったいどのような水の扱い方をしたのだろうか。桃子には分からないし、あまり詳しく聞いてみる気にもならなかった。

 

『人って、外見だけじゃ分からないことって沢山あるよね……』

 

「ニムは。普段は弱気なのに。たまに。過激なところがあって。愉快だな」

 

 普段は内気でおろおろしているニムの、水中の魔物に対する意外な一面に、桃子は正直言えばドン引きした。けれど、これもまたニムの魅力なのだなと、前向きに受け取ることにする。

 深く考えなくて良いことは、深くは考えない。桃子の生活の知恵である。

 

 

 

 

 基本的にダンジョン内には、そこまで多くの生物が存在しているわけではない。魔物と魔法生物たちを除けば、ダンジョン環境特有の「原生生物」と呼ばれる生物たちが生息しているに過ぎない。

 なので、いくら瀬戸幻海が地上の瀬戸内海そっくりだったとしても、その多種多様な生態系までを再現しているわけではない筈だ。

 

 しかし――。

 

 その前提の上でもなお、瀬戸幻海には、多くの原生生物が存在していた。

 かつて桃子が冒険を繰り広げた琵琶湖ダンジョン第四層『深潭宮』にも、思えば多くの水生生物が暮らしていたのを思い出す。いま妖精の湖に生息している魚介類は、その大半が深潭宮由来の生き物たちなのだ。

 そして、この尾道ダンジョン第三層『瀬戸幻海』にもまた、深潭宮に並ぶほどの――否、深潭宮以上に多様な原生生物たちが存在し、この大海原を住処として繁栄していた。

 

 魚屋の店先で見かけるような銀色の鱗の魚だけでなく、赤や黄の鮮やかな色を持つ魚たちが悠々と泳いでいる。

 水底には多くの海藻類が生い茂り、そこに隠れるように様々な貝やヒトデの仲間たちが見え隠れしている。更には、砂の中や岩の影に潜む、桃子の知識では判別すらできない奇妙な生き物たちも数多い。

 これら全てが食材になるとは限らない。しかし、それでもここは間違いなく、ダンジョン食材の宝庫と言えるだろう。

 

『色々いるね。どれが美味しいものなのかは分からないけど、広島ならカキとかいるのかな』

 

「桃子。柿は。木になる果物じゃなかったか」

 

『うーん、カキはカキなんだけど、違う食べものの話なんだよねえ』

 

 広島の海の幸と言えば。桃子の中で真っ先に浮かんできたのは牡蠣だった。だが、桃子の知る牡蠣というのは店先に売られている、既に中身が取り出された牡蠣だ。

 先ほど素通りしたゴツゴツした岩肌の一部にダンジョン産の牡蠣が沢山張り付いていたなどということには全く気付くこともなく、そのまま海底沿いに進んで行く。

 

「わ、わあ……! あ、あそこに……なんだか綺麗な、お、面白い生き物が、いますよぉ?」

 

『うわ、あれウミウシだよ、ウミウシ!』

 

「本当だ。なんだか派手で面白いな。あれが牛か。桃子。桃子。あれ。捕まえて。食べてみないか?」

 

『うーん、牛とは違う生き物かな。ウミウシを食べるっていう話は聞いたことないし、他のにしない?』

 

「そうか? ……まあ。桃子がそう言うなら。仕方ないか」

 

 ニムが発見した生物は、鮮やかな黄色と黒の模様を纏い、宇宙生物じみた形状をしていた。恐らくあれはウミウシの一種だろう。

 ウミウシ。果たしてそれは貝なのか、軟体なのか。

 ナメクジのような形状、触手まみれの形状、飛行機のような形状と、ウミウシという種の中だけでもその姿かたちは様々だ。更には、黄色、青、ピンクと、鮮やかな色合いで彩られているものも多く、色彩のインパクトも抜群である。

 専門家に聞けばしっかりとした説明も期待できたかもしれないが、残念ながら桃子は専門家ではない。

 桃子にとっては、とにかくわけの分からない宇宙生物もどき。それがウミウシだ。

 

 とてもではないが、食べたくはない。

 

「き、綺麗なんですけど、ウミウシ……た、食べ物じゃないんですねぇ……」

 

「でも。桃子の【カレー製作】なら。なんとかなるんじゃないか。やっぱり。試しにウミウシを――」

 

『あーほらほら! ヘノちゃん、サザエがあるよ! あのグルグルした貝、網で焼くだけでもかなり美味しい筈だよ!』

 

「あれは。初めて見るな。じゃあ今回は。あの貝を袋に詰めて。持って帰るか」

 

 ヘノが「試しにウミウシを食べよう」などと言いかけていたけれど、桃子は慌ててそれに被せるように声を荒らげる。

 ウミウシは嫌だ。ウミウシは嫌だ。ウミウシは嫌だ。そう願う桃子に同情し、運命の女神が力を貸してくれたのかもしれない。まさにいま、ちょうど桃子たちの真下に、グルグル巻きが特徴的な貝が集まっていた。

 それは、桃子でも見覚えがある有名な魚介類。サザエである。

 

『壺焼きって言ってね、あの殻をそのまま器に見立てて焼くと、ぐつぐついい出して中身が美味しくなるの!』

 

「なんだそれ。皿もいらないなんて。便利だな」

 

 サザエならば桃子もよく知っているし、食べたことがある。流石にその形状からしてカレーの材料には不向きかもしれないが、サザエならば単純に網に乗せて直接焼くだけでも十分に美味しい筈だ。

 きっと、あの宇宙生物みたいなウミウシよりも何倍も美味しいだろう。

 桃子は必死で、ヘノにサザエの美味しさをアピールしていった。

 

 

 

 

 そして、数分後。

 

『うわー、大漁じゃん。サザエだけで袋がいっぱいになっちゃった』

 

「じゃ、じゃあ……柚花さんも待ってますし、一度戻りましょうかぁ……」

 

「魚も食べたかったけど。仕方ないな。焼くだけで美味しいなら。一度戻って。すぐに食べてみよう」

 

 桃子の目論見通りに、ヘノたちはウミウシを忘れて、サザエ探しに熱中してくれた。

 どうやら「焼くだけでも美味しくなる」という信頼性と「貝がそのまま器になる」という面白さの二大要素が、ヘノの心を鷲掴みにしてくれたようだ。

 桃子はサザエに感謝しながら、採集用のポリエチレン袋にゴロリとしたサザエたちを詰め込んでいくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「ゆ、柚花さぁん……も、戻りましたよぉ?」

 

「桃子はいま。そこの裏で水を吐いてるぞ。後輩には見られたくないらしいぞ」

 

 ヘノとニムが、柚花の待つ砂浜へと舞い戻る。

 ニムは、海岸で待っていてくれていた柚花の胸へと真っすぐに飛び込んで行き、それに続いてヘノが、サザエの入った袋を持ってふらふらと飛んできた。

 桃子も砂浜には戻ってきているのだが、一度体内から海水を吐き出す必要があるために、今は岩陰に隠れてマーライオンのようになっているところだ。

 

「皆さん、おかえりなさい。砂浜に焚き火の準備もしておきましたけど、結局はどんな魚を捕まえてきたんですか?」

 

「これだぞ。なんか。焼いたら美味しくなるっていう。やつだな。準備は任せていいか」

 

 ヘノたちの帰還に気付いた柚花が、砂浜の波打ち際ギリギリまで出迎えに来てくれていた。

 柚花は柚花で、桃子たちが戻ってきたらすぐに調理に取り掛かれるようにと、焚き火の準備などを進めてくれていたようだ。

 近場から手ごろなサイズの石や岩を集めて小さなかまどを作り、そこの中央には枯れ枝をはじめとした燃料が既にセットされている。多少の生木も混ざっているようだが、ヘノが乾燥の魔法を使ってしまえば問題ないだろう。

 

 桃子は岩場の陰で水を吐き出している最中らしく、代わりにヘノがふらふらと、パンパンに中身の詰まったポリ袋を抱えている。

 柚花は足元が濡れるのも構わず浜に入り、ヘノからそのポリ袋を受け取る。受け取ると、中の物体が擦れ合う音が響く。これは魚ではなく、貝だということが音だけでも分かる。

 

「さ、サザエっていう……貝を、袋いっぱい拾ってきましたよぉ……?」

 

「え、これ袋の中身全部サザエなんですか?! なんか凄い量ありますね」

 

「ほ、本当は……う、ウミウシ……? を食べたかったんですけど、サザエで袋がいっぱいになっちゃったんですよぉ……」

 

 柚花にポリ袋を手渡すとヘノはすぐにUターンして桃子の元へと急いで戻っていったので、ニムが代わりに柚花への説明を受け持つ。

 海の中でどのようなやり取りがあったのかは定かではないが、場合によってはウミウシを食べる羽目になっていたようである。袋一杯のウミウシを受け取る羽目にならなくて本当に良かったと、柚花は心から、思う。

 

「ニムさん、私もウミウシよりサザエのほうが好きだからこの方が嬉しいですよ。ありがとうございます」

 

「じゃ、じゃあ、一緒に食べましょうねぇ」

 

「コツが必要なんで、ニムさんには私が食べさせてあげますよ。じゃ、先輩が水を吐いてる間にこっちは準備を進めちゃいましょうかね」

 

「は、はーい……」

 

 

 

 

 

 ニムと柚花がキャッキャと楽しみながら準備をしている間、桃子はヘノに背中をさすられていた。

 ヘノの小さい手で背中をさすったところで、サイズ的には微妙にくすぐったいだけなのだが、しかしそれでも不思議と、桃子に安心感を与えてくれる手だ。

 

「桃子。サザエは後輩に任せておいたぞ」

 

「ふぅー、ヘノちゃんのお陰でだいぶ楽になってきた気がするよー」

 

「それなら良かったけど。一応。あとで。ニムに最後の調整をしてもらうんだぞ」

 

「ついでに、ニムちゃんに綺麗なお水でシャワー浴びさせてもらいたいなあ」

 

 桃子は顔をあげて、最後に水で濡れた髪の毛を手でかきあげる。

 肺の中の水は一通り吐き出したとは思うので、あとはニムに体内の水分を調整して貰えば完了だ。やはりどうしても、体内の水分の話になるとヘノではなくニムの領域である。

 また、全身が潮と砂でぱさぱさになっており、乾かしたところで全身に色々とこびりついていて気になってしまう。桃子は調理の前にニムに頼んで、綺麗な水を出してもらうことに決めた。

 

 桃子の体の表面を手ごろな風で乾かしていたヘノが、ふと手を止めて。桃子の顔を見上げる。

 

「なあ。桃子はやっぱり。水中呼吸の魔法は。苦手だったか? 今回も。嫌だったか?」

 

「え? ……うーん、まあ正直に言うと、肺に水を入れるのと、最後に水を吐かなきゃならないのは苦手かな。でも、ヘノちゃん達と綺麗な海をみれたのは、すごく楽しかったよ」

 

 ヘノは、お世辞にも思慮深いとは言えない少女だ。

 なので、考え無しに行動した後で、一番大切な筈の桃子を危険に晒してしまうことも、残念ながら少なくない。

 今もまた、桃子の身体を乾かしながら。ヘノは冷静になり、桃子に嫌われてしまったのではないかと、不安げに聞いている。

 

 人間の魔力の揺らぎというのは、本人の感情を表すという。

 柚花はそれにより他者が苦手になってしまったが、同じ能力を持っていたとしても、妖精たちはいちいち人間の感情を気にしない。

 それでも、見ようと思えば人間の感情くらい気軽に読み取れるのは間違いないのだ。だから、ここでヘノに気を使い、嘘をついたところで意味がない。

 

 なので桃子は、正直に答える。苦手なものは、苦手。これは嘘のない感想だ。

 

 だがしかし、それと同時に。

 ヘノたちと一緒に水の中を泳ぐ時間は、とても、とても楽しかったというのもまた、事実である。前後の水吐きの儀式さえなければ、毎週のように深潭宮や瀬戸幻海に泳ぎに来たっていいと考えるくらいには、ヘノたちと水中を自由に泳ぐのは気持ちいいのだ。

 

「……今度。女王か魔女に頼んで。肺の中の水を上手に吐き出す魔法を。教えてもらうことにするぞ」

 

「あはは、そうだね。突飛な魔法だけど、あったらいいね」

 

 ジッと、桃子の魔力を読み取って。そして、苦手と好きが同居する、桃子の複雑な心境に触れて。

 ヘノは、新たな魔法の習得について。意外と真面目に考え込むのだった。

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