ハンマー少女はバズらない! 固有スキル【隠遁】で自由に探索してたら伝説になってました 作:chikuwabu
『母上、眠っている状況ではなかろうに』
『カレー』
桃子の意識は、夢の世界の入り口を漂っていた。
先ほどまで、どこで何をしていたのかもよく思い出せない。
でも、どこからか聞こえてくる渋い男性の言葉の通り、本当は呑気に寝ていて良い状況ではないのだろう。
(ごめん……耐えようとしても、耐えられなくて……あと今、カレーって言った……?)
声の主が誰なのかもわからないほどに、桃子の思考は更なる夢の深みへと引き込まれていく。
『お母さん、大丈夫? 起きられないの?』
幼い少女の声がする。
それは、桃子も知っている声だ。自分をお母さんと慕ってくれる、着物姿の童女の声だ。
けれど、桃子の意識は彼女の声にも反応を返せない。
(なんだか……頭が働いてくれなくて……うぅん……起き……なきゃ……)
起きなければならない、と思っても。
まるで、引きずり込まれるように。意識はだんだんと薄れていく。
『……母様』
そして、知らない少女の声。
その声は、でも。桃子がとてもよく知っている声だ。
少女が語り掛けてくる。
『……私が、母様を。助けても、いいか』
(うん……お願いしても……いいかな。ヘノちゃんたちに、よろしくね……)
不思議と、心配はなかった。
今は、彼女に任せておけば大丈夫だろうという、確信があった。
桃子は、安堵と共に。
眠りへと、落ちて行った。
「ヘノ、ヘノぉ……? も、桃子さんの魔力が、なんだか動いてますねぇ……」
「桃子? おい。桃子。大丈夫か?」
瀬戸幻海の海中では。
水の妖精ニムの作り出した海流に乗り、桃子は眠りに落ちたまま、ゆっくりと海の中を漂っていた。
時間さえかければこの速度でも元の島には戻れるかもしれないが、流石にそんなことをしていては日が暮れてしまう。ヘノとニムは桃子の頬を突いたり、耳元で声をかけたりと色々試していたけれど、桃子はピクリともしなかった。
しかし。
そんな折、桃子の魔力に動きがあった。
いや、桃子の魔力が動いたというより、桃子を別な魔力が包み込んだというべきか。それと同時に、潮のなかを漂う桃子の身体にも異変が起きていた。
「さすがの。ヘノも。わけがわからないぞ」
「も、桃子さんが光ってますねぇ」
不思議な魔力が桃子を包み込み、うっすらと海中を照らす柔らかい光を放つ。
ヘノたちは、その魔力に覚えがあった。遠野のマヨイガで、或いは、房総ダンジョンの第一層で。彼女たちが出会ってきた、とある共通点を持つ存在と同種の魔力である。
これは、桃子由来の魔力だ。決して、危険なものではないはずだ。
ヘノたちが構えながらも、様子を見ていると。
桃子を包み込んでいた魔力は、桃子の身体に吸い込まれるように消えていく。
そして。
「なんだか。凄いことになっちゃったな」
「も、桃子さんが……人間じゃなくなっちゃいましたねぇ……」
光が収まると、桃子の変化は終えていた。
桃子の白かった肌は日に焼けたような小麦色に変化し、主にカレーを食べるためについている無害そうな口には、荒々しい牙のように鋭い犬歯が伸びている。
先ほどまで海藻パッドの力で膨らんでいたその胸元は、明らかに自前の肉体で膨らんでいた。桃子特製の海藻パッドは水着から押し出され、潮の流れに乗って海底へと消えていく。
そして。何よりも大きな変化は別にある。
力なく潮に揺られていただけの桃子の足が、とても大きな、魚の尾ひれへと変化していた。
ヘノたちは、その姿を知っている。
人魚姫。
実物を見たのは初めてだが、その存在が何者なのかは知っていた。
それは、琵琶湖ダンジョンの事件を経て誕生した『人魚姫』という、桃子の子供たちのひとりである。
ヘノとニムの二人はその誕生に至る過程に大きく関わっており、その存在を以前から聞かされてはいたので、人魚姫の存在そのものについては驚きはしない。
ただ、桃子本人が人魚の身体になってしまうというのは、さすがに理解の範疇外ではあったけれど。
ヘノとニムの二人が、これはどうしたものかと顔を見合わせていると、小麦肌の桃子が意識を取り戻したかのように、ゆっくりと目を開いた。
顔立ちは普段ののほほんとした顔つきの桃子と同じはずだ。けれど、その視線は鋭く。まるで、蛮族の長のような力強さを秘めている。
次に、小麦肌の桃子は己の周囲の海中を見回して。その視線が、二人の妖精をとらえる。
が、先に口を開いたのは、人魚となった桃子にツヨマージを突きつけたヘノだった。
「おい。お前。人魚姫だな。桃子は。どうなってる」
「……母様は。寝てる」
「そうか」
桃子が答えを返す。
いや、桃子の身体、桃子の声帯、桃子の声だけれど。しかしそれは、桃子ではない。
人魚姫が、桃子の身体でヘノに答えを返す。
「……今も。寝てる」
「そうか」
「……」
「……」
そうして、ヘノと人魚姫の初の会話は、終了した。
海中に、沈黙が訪れる。
「うぅ……も、もうちょっと、二人とも、会話をしましょうよぉ……」
あまりの会話の少なさに、二人に挟まれたニムの泣き言だけが響いていた。
結局、人魚姫もヘノもあまりに会話が端的過ぎてどうしようもないので、この後しばらく時間をかけて、ニムがひたすら話を進行することになるのだった。
海の底。様々な海藻が揺らめく、海藻の丘とも言うべき場所で妖精たちと人魚姫の邂逅は続く。
「つ、つまり……も、桃子さんが海中で眠ってしまったので、そ、その間……桃子さんを守るために……人魚姫さんが、憑依しているわけですねぇ……?」
「……そう。その通り」
「そうか。桃子を助けてくれて。礼を言うぞ」
「……うん」
「……」
「……」
「うぅ……ヘ、ヘノみたいな子が二人いると、こんなに疲れるんですねぇ……めそめそ」
どうやら、桃子の生んだ人魚姫という存在は、随分とコミュニケーション能力に難があるようだ。
端的に、必要最小限しか述べないその口調は、桃子というよりもヘノに近いというのが、この場で進行役をする羽目になったニムの感想である。
ニムが半泣きになりながらも頑張ってコミュニケーションをとった結果、時間はかかってしまったけれど、ようやくヘノたちにも状況が飲み込めた。
桃子の精神は、先ほどの謎の歌声によって、眠りの呪いにかけられている。
それにともない、この人魚姫は桃子の危機を感じ取って、きちんと桃子本人の承諾を得てから、桃子に憑依する形でこの場に現れたのだという。
人魚姫が憑依している間は、当然ながら桃子の身体は水中で溺れることもない。
なので、ヘノたちも今は水中呼吸の魔法の維持に縛られず、ある程度自由に行動が可能になったというわけだ。
「あ、あのぉ……そ、それじゃあ……え、ええと、柚花さんの所まで帰りますかぁ? よ、妖精の国に戻れば……の、呪いも解けますよぉ……?」
ニムが率先して、これから先の行動指針を確認する。現状、自分達が選べる選択肢は二つある。
ひとつは、柚花のもとに帰ること。桃子の状況を柚花にも説明しなければいけないし、なにより眠りの呪いを解かなければいけない。
呪いに関しては妖精の国に戻れば女王ティタニアもいるので、解呪そのものは特に心配は不要だろう。
なお、ニムは早く柚花のもとに戻りたいので、こちらの選択肢を希望している。
そして、もうひとつの選択肢が――。
「……先に。敵を、倒す」
「敵って言っても。魔物じゃなくて。魔法生物だから。懲らしめる程度だぞ」
「……わかった。よし、行こう」
「うぅ……なんなんですかぁ……めそめそ」
それは、桃子に呪いをかけた敵を叩くこと。魔物ではなさそうなので殺しはしないつもりだが、相手が敵対するならばこちらも武力行使に出るのは厭わない。
もちろん、敵本体をどうにかしたところで桃子の症状が改善するとは限らない。だが、それはそれとして、桃子にとって危険な相手を野放しにすべきではないという、いわゆる武闘派な選択肢だ。
そして、ニムにとっては非常に残念なことに、目の前にいる口数の少ない二人組は、武闘派だった。
ヘノと人魚姫は口数が少ない割に、唐突に阿吽の呼吸で息を合わせてくる。
二人の間に入り、ひとりで頑張ってコミュニケーションを取っていたニムとしては、実に腑に落ちないやりとりであった。
なんにせよ、行動方針は決まった。
人魚姫を先頭に、海藻の丘を離れて、再び瀬戸幻海に響く歌声の主の元へと三人は海中を進んでいく。
「た、倒したら、絶対すぐに柚花さんの所に帰りますからねぇ……? さ、さらに回り道なんてしたら、お、怒りますからねぇ……?」
やるとなれば行動が早いのがヘノであり、人魚姫だ。足をとめて考える時間があるならば、とりあえず行動してしまうタイプである。
巻き込まれたニムはたまったものではないけれど、ヘノとの付き合いも長いので、なんだかんだでニムの順応も早いのだった。
≪LaLa―― LuLa――≫
そして、それは居た。
先ほど船をとめた島からほど近い、海面にぽつんと浮かぶ一つの岩礁。
その上で、その魔法生物は一人、歌い続けていた。まるで、誰かに声が届くのを待ち続けるように。
「あそこの。岩の上に。なんか。お前とそっくりなのが。いるな」
「あ、あれも、人魚さんなんでしょうかねぇ……?」
「……わからない、けど。母様の、敵は。とりあえず、殴る」
三人が歌声の主の元へと近づくと、そこで見つけたのは、岩場に腰かけるかたちで歌を歌い続ける魔法生物の姿だった。
海を思わせる青い髪色をした若い女性の上半身に、人魚姫と同じような長い尾ヒレを持つ魚の下半身。
それは、まさしく人魚だった。
ザブリ、と波音を立て。
歌い続ける人魚の前に、桃子に憑依した人魚姫がその姿を現す。その背後には、緑と蒼の光を纏う妖精たちが浮いている。
水面から顔を見せる人魚姫と、岩場で歌っていた人魚の視線が交わる。
刹那。歌が止まり、そこには潮風と波の音だけが響く。
「……ナカマ……?」
「……お前が。敵か」
「ズット……ズット……アイタカッタ……」
「……お前。その歌で、母様を呪ったな」
潮騒の中で。
岩場の上に座る人魚と、水面から顔を出した人魚姫が。互いに声を掛け合う。
岩の上の人魚は、信じられないものを見るように人魚姫を見つめ。そして探し求めていた同族との邂逅に堪えきれなくなったか、ふるふると声が震え、その頬には涙が溢れ出す。恐らく、感動のあまり人魚姫の言葉は耳に入っていない。
一方、人魚姫は無表情だ。顔立ちそのものは桃子と同じものである筈なのに、今にも敵を射殺さんというその顔つきは、ヘノやニムが初めて見る桃子の顔だった。恐らく人魚姫は、相手の言葉など聞いてはいまい。
「なんか。こいつら。会話が。噛み合ってなくないか」
「うぅ……あ、相手の方、泣いてるんですけどぉ……ど、どういうことですかねぇ……?」
人魚姫の背後からその様子を窺っているヘノとニムだけが、二人の人魚たちの奇妙な会話に疑問符を浮かべている。
人魚姫が少しずつ、岩場に座る青い髪をした人魚へと近づいていく。
「……お前。名前は、なんだ」
「ワカラナイ、ワタシ……ダレ……ワカラナイ……デモ、アナタ、ナカマ」
人魚姫が、拳に魔力を集中させる。
岩場にいる人魚は、泣きながら。それでも、幸せそうな微笑みを人魚姫へと向けている。今にも岩場から、人魚姫へと向けて飛び込んで行きそうな気配を見せる。
ヘノは無表情で興味深げにその成り行きを見守り、ニムは二人の人魚の様子を見て嫌な予感でいっぱいになる。
「……まあいい。とりあえず、来い」
「ウレシイ! ウレシイ! ナカマ! ナカ――」
感極まって、岩場の人魚が人魚姫へと飛びつき、抱擁を交わそうとする。
ヘノは後に語る。あんなに綺麗に決まるカウンターは、なかなかお目にかかれないぞ、と。
ニムは後に語る。いくらなんでも、あれはひどかったです、と。
人魚が、桃子の身体に憑依した人魚姫と抱擁することは、無かった。
互いの距離が近づいたその瞬間、桃子と同じ顔をした人魚姫がその小さな拳を振り抜き、無防備な人魚に魔力の衝撃を叩きつけて、吹き飛ばしたのである。
青髪の人魚は水面をバウンドするように吹き飛び、数十メートルは吹き飛んだ後に、そのまま海へと沈んで行った。
「……よし。解決」
「うぅ……ぜ、全然、解決してませんよぉ……?! わ、わぁ……ど、どうしてこんなことに……!」
慌ててニムが吹き飛んだ人魚の元へと潜っていき、ヘノと人魚姫も一瞬顔を見合わせてから、ニムに続く。
海に潜ると、こぽこぽと泡を出しながら、吹き飛んだ人魚が少しずつ沈んで行く姿が見える。
「今のやつ。殺しちゃったのか」
「……大丈夫、峰打ち。こらしめた、だけ」
「そうか。なら。大丈夫か」
「うぅ……パ、パンチに、み、峰打ちなんてないですよぉ」
ニムが沈みゆく人魚に追いついて、その無事を確かめる。
峰打ちというのは言葉のあやだとしても、人魚姫は実際に手加減はしてくれていたようで、謎の人魚は姫の拳一発で意識を飛ばされただけのようである。
さすがに無傷というわけではないかもしれないが、治癒の魔法を使えるニムが大急ぎで処置を施しているので、恐らく大事は無いだろう。
「と、とりあえず、こ、この人魚さんも連れて……柚花さんのところに早く戻りますよぉ……? い、異論は許しませんからねぇ」
「わかったぞ。ニム」
「……わかった。ニム」
「うぅ……な、なんなんですか、もぉ……めそめそ」
瀬戸幻海の、海の中。
不愛想な二人組の相手に疲れたニムの泣き声だけが、めそめそ、めそめそと、響いているのだった。