ハンマー少女はバズらない! 固有スキル【隠遁】で自由に探索してたら伝説になってました 作:chikuwabu
「見事に。ダンジョン。崩れたな」
「……当然。私と母様が、力を合わせたら。これくらい、できる」
崩れ落ちた階段を見て、ヘノがしみじみとつぶやく。
第三層『瀬戸幻海』と第二層『尾道渓流洞』をつなぐ階段はすでに半分ほどが海面に浸かっており、このまま放置していれば数時間もすればすべてが海に沈んでしまうだろう。
だから、その前に破壊した。探索者たちがこの瘴気の渦巻く階層へと不用意に足を運ばないように。そして、瘴気の影響が地上に漏れ出るのを、少しでも抑えるために、蓋をした。
ヒメと身体を共にしている桃子は、ヘノとヒメの会話を聞きながら、周囲の景色を見回す。
初めに降りてきたときには瀬戸内海の島々そっくりだと思った景色はすでに、その大半が海へと沈んでいた。
これが、この海のダンジョンにおけるスタンピードだ。
空がひらけた階層である以上は、深潭宮のようにすべてが水に沈むということはないだろう。しかし、あの美しかった島々はもう、ほとんどが消えてしまった。
太陽の光が降り注ぎ、静かで穏やかな海面の下では、異常なほどに増えた魔物たちが獲物を探して海中を蠢いている。
桃子たちは、沈みゆく瀬戸幻海に閉じ込められている。
いや、自分たちで破壊したのだから、閉じこもった、が正しいのかもしれない。
「もう。せいれーんを。倒さないと。妖精の国にも。戻れなくなったぞ」
「そうだね。でも、ヘノちゃん、一つだけ違うよ」
桃子は、ヘノの言葉に頷いて。でも一つだけ、訂正をする。
「私たちは、あの子を倒すんじゃない。私たちは、セイレーンさんを取り戻すの……!」
全てを海に沈める、悲しい瘴気のあふれるこの階層には、いま。
この状態を作り出した、瘴気の魔物。特殊個体が存在している。桃子たちは、その特殊個体を打倒しなければならない。
そして、取り戻さなければいけない。
「ふふふ。では、私に見せて下さいね。人魚姫の物語の、第二章を」
「うん。りりたんも、約束だよ。その子は、絶対に助けてあげてね!」
水の上を漂う船には、血まみれの少女が横たわっていた。
ヒメと死闘を繰り広げた少女――檸檬は、死の瀬戸際にいる。桃子たちは、重傷の彼女を救う手段を持ち合わせてはいなかった。
だから、桃子は魔女と取引をした。
魔女に。魔女ですら信じていなかった、奇跡の物語を見せつける。
それと引き換えに、人間を一人、救ってもらうのだ。
琵琶湖の焼き直しにも似たこの物語は、絶望的な状況だけれど、悲しみに溢れた悲劇だったけれど。
それも、これからがクライマックスだ。
少し、時を遡る。
「なに……これ」
狙撃の少女を無力化するために崖を崩したまでは良かった。
だが、桃子は決して相手を殺したいわけではない。海へと落下した少女が海中に崩れた岩に激突する前に、すぐさま海中で彼女を救出することに成功した。
しかし、間近で見た少女は魔物に負わされたであろう傷がひどく、見るからに危険な状態だ。ニムのように治癒の力を持つ仲間がいない今、彼女の救出は最優先で行わねばならない。
桃子とヒメが少女を抱えて、海面へと顔を出したところで。
何か、何かがおかしい。桃子はその世界に、違和感を覚えた。
海上で桃子たちが浮上してくるのを待っていたヘノも、珍しく焦ったような困惑顔をしている。
「ね、ねえ……ヘノちゃん、何かこの島、沈んでない……?」
そう。景色が違っているのだ。
崖を崩してしまったのだ。もちろん景観は変わっていることだろう。けれど、そういうことではなく。
先ほどまであった島の岬が、島の入り江が。島の木々が。
海に飲み込まれていた。
「いや。桃子。これは……」
ヘノが、口ごもる。いや、ヘノにも理解できないこの状況に対して、考え込んでいるのかもしれない。
海中に潜っていた桃子はもちろん、ヒメも状況が掴めていないようで、同じ身体のうちから、困惑の感情が伝わってくる。
「……海が。島を飲み込むほどに。増してるんだ」
考え込んだ末に、ヘノが出した結論。
それは、島が沈んでいるのではなく「海が増してきている」というものである。
何が起きているのか、桃子にはわからない。
周囲を眺めながら、とにかく重傷の少女を肩に担ぐようにして、彼女が水を飲まないように水面より上に持ち上げる。ヘノの言う通り、こうして考え込んでいる間にも、じわじわと、じわじわと。海岸線の地面が、徐々に海面に飲み込まれていくのがわかる。
このままではこの怪我人の少女を休ませるどころか、彼女を横たわらせられる地面がこの階層から失われてしまう危険があるだろう。
青い空には、太陽が顔を出し。周囲に広がる海は、穏やかなものだ。それだけ見るなら、何の異変もない海だ。
しかし、いま。
瀬戸幻海に、かつてないほどの異変が発生しているのは、間違いない。
そして、ダンジョンの異変に被せるように。
更なる「異変」が桃子たちの目の前に現れる。
それは、先ほどまで砂浜にいたはずのセイレーンだった。
もちろん、海が増したところで人魚であるセイレーンは困らない。なので、悠々と彼女は海を泳ぎ、桃子たちのもとへとやってきたのだが――。
「クフフ……モモコ。ソノ子ヲ助ケルノ?」
「セイレーンさん! ごめんね説明もなしに離れちゃって! あの、今この海が――」
周囲の状況に混乱していた桃子が、いつもと同じように聞こえるセイレーンの声にハッとして振り返り、セイレーンに近づこうとする。
しかし、途中で桃子の言葉が途切れてしまう。身体が動かなくなってしまう。
否。
ヒメが。桃子と肉体を共にしている人魚姫が強制的に、桃子の動きを止め、表へと出てきたのだ。
射貫くような瞳で、セイレーンの顔をしたものを睨みつける。油断なく、拳に再び破壊の魔力を宿す。
同じく、空を漂っていたヘノまでもが、神槍ツヨマージを現出させて、セイレーンの顔をしたものへと向けて構えている。
ヘノを中心に風の魔力が渦巻き、穏やかな海の中で、桃子たちの周囲だけが轟轟という激しい音とともに、水面に荒波を発生させている。
「桃子。こいつはセイレーンじゃないぞ。近づくな」
「……お前。誰だ。セイレーンは、どこにやった」
それは、ヘノとヒメによる宣戦布告だった。
肉体の中からその光景を見ていた桃子は「え……?」と、ヘノたちの言葉が理解できずに、心の中で驚きの声を上げるしかできない。
しかし、内側から冷静に眺めることで、ようやく桃子にも理解できることがあった。
「ワタシハ、此処ニ居ルワ。ワタシ、ズット寂シクテ、仲間ガ欲シカッタ」
目の前で語るセイレーンは、今までと同じ顔、同じ声をしているはずなのに、違う。
その悲しげに語る表情には、どことなく、残虐な愉悦が混じっている。それは、感知能力のない桃子にすら伝わるような、邪悪な空気を纏っていた。
「ダカラ、イキモノ、全テヲ海ヘト引キズリコンダ。仲間ヲ増ヤスノ、トテモ、楽シカッタワ」
セイレーン――いや、セイレーンの姿をもつその何者かは、眉を下げて、でもニタリと口元を歪めつつ、言葉を続けていく。
仲間が欲しかったと。だから、全ての生き物を海へと引きずりこんで、とても楽しかったと。
そして。
桃子の背で、血を流し。それでも弓を握りしめた少女に、底冷えするような冷たい視線を向けて。
「デモ、アノ日。ソノ弓デ、ワタシハ殺サレタ」
ぞくりとした。
いくら鈍感と言われがちな桃子でもわかる。これは、セイレーンではない。桃子の全く知らない相手だ。
少なくとも、桃子たちと泳ぎ、食べ、寝て、笑いあったセイレーンではない。
桃子の知らない見知らぬ誰かが、セイレーンの身体を動かし、その見知らぬ誰かの過去の話をしているのだ。
ヘノの巻き起こす暴風の中で、桃子は恐る恐る、声をかける。
「あなた……誰?」
「ワタシ……『アヤカシ』ト、呼バレテタワ」
あやかし。
そう名乗った人魚は、くつくつと笑い、桃子へと両手を向けた。
すると、いつから集まっていたのだろうか。邪悪な笑みを浮かべる人魚の背後から魚の形をした魔物たちが桃子めがけてとびかかってくる。
しかし、これはすでに想定していたのだろう。風の結界が飛び交う魔物たちを吹き飛ばす。
ヘノが桃子の上から叫んでいる。
「桃子! そいつは魔物を操ってる! 水中からくるぞ! 泳いで離れろ!!」
「ダメだよ、今私が潜ったら、この子が……!!」
「アハハハハハ!! 沈ンデ、仲間ニナリマショウ? アハハ――」
ヘノの風は、水中の敵までは倒せない。桃子が魔物たちから逃れるためには、人魚の身体で海中を泳ぐしかない。
しかし桃子は、人を見捨てられない。
今も桃子の肩に担がれて血を流している少女は、もう危険な状態だ。本当なら今すぐにでも治療を施さねばならないというのに、当たり前だがここで水中に沈めてしまえば今度こそ彼女は命を失ってしまうだろう。
桃子は、人魚の尾をくねらせ、少しづつ彼女から距離を取ろうとするが、しかし駄目だ。
どうやら背後の海中にも魔物たちはすでに潜んでいる。
じわじわと、冷や汗が桃子の額からにじみ出る。
しかし、桃子が追い詰められた表情を見せたのは、一瞬だ。
恐れなどなく、ただ勇ましく、桃子は――いや、ヒメは、目の前の邪悪な人魚を睨みつけた。
「……セイレーン。お前、何してるんだ」
たったそれだけ。
たったそれだけで、この窮地を免れることが出来た。
ヒメに声をかけられたあやかしは、途端に苦し気な顔を浮かべる。
そして、次に顔を上げるとそこには、穏やかな、それでいて悲し気な顔があった。
「――……ヒメ、ゴメンネ……」
それだけ呟くと、ザブン、と水を跳ねさせて、周囲の魔物とともに海中へと潜っていってしまう。
あとは、ヘノの起こす風の音だけが周囲に響いていた。
「あいつ。桃子と人魚姫みたいに。表情が変わってたな。まるで。二人いるみたいだぞ」
ヘノが小さく呟いていたその言葉こそが、後ほど。
桃子たちにとって、大きな希望となる。
セイレーンが去ると、桃子たちの周囲からは魔物の影も消えていった。
ヘノはツヨマージを油断なく構えたまま、しかし周囲に起こしていた小さな嵐を消し去ると、桃子を先導するように、呆然としたままの桃子の意識を引き上げるように、耳元で声をかける。
「桃子。とにかく。上の階層に逃げよう。ここは陸地がなくなる」
「……そうだな。母様、まずは安全な上層だ」
ヘノに続き、ヒメも、心中に複雑な感情を隠したまま、桃子に移動を促す。
そうだ、今は考えることよりも、まずはこの少女の治療だ。
この状況では海岸に隠したリュックもすでに海の底で、そこに入っている応急医療アイテムも既に使い物にはならないだろう。ならばせめて、第二層に自生している薬草でもいいから治療を施さねばならない。
そして。
桃子たちは、上層――第二層『尾道渓流洞』へと続く階段の前までやってきた。
瀬戸幻海の水かさは増し、高台にあったはずのこの上層へ続く階段は、すでに海面からすぐの位置である。しかし、これ幸いと、桃子たちは狙撃手の少女を抱えたまま上層の階段へと海原を泳いで近づく。
が。
「ふふふ。残念ながら。既に上の階層も魔物だらけですよ。そちらの女性を上層に逃がしたとしても、助かることはないでしょうね」
「りりたん!」
「お前。遅いぞ。大変なことになっちゃったんだぞ」
その階段で桃子たちを待ち構えていたのは。
漆黒のドレスを身に纏った少女。先代妖精女王。そして、人魚姫に命を吹き込んだ、深海の魔女。
りりたんが、尾道ダンジョン第三層『瀬戸幻海』へと、いま。足を踏み入れた。
「……魔女様」
「人魚姫。こうして面と向かってお話しするのは初めてですね。来るのが遅くなってしまい申し訳ありません。それに、桃子さんにヘノさんも」
「りりたん、じゃないね。先代女王様……だね」
妖精の姿を持つ分身ではなく、漆黒のドレスを着たりりたん本人が、ゆるりと階段を下りてくる。
しかし、桃子は気が付いた。りりたんは今、桃子のことをいつもの愛称で呼んでいない。
彼女はいま、先代女王ネーレイスとしてこの場に立っている。二重人格ではないにしろ、りりたんとしての彼女と、先代女王としての彼女は、似て非なる存在のようなものだ。
桃子は、この先代女王が少しだけ、苦手だった。
本質的に、この先代女王にとって大切なものは、現女王ティタニアとその娘たちだけなのだろうと桃子は考えている。
ヘノのパートナーである桃子も、多くの人間の探索者たちも、そして彼女自身すらも。人間という種は、彼女にとっては大切なものではないのだと思う。
彼女にとっての桃子はきっと、【創造】の力で各地のダンジョンに魔法生物を生み出すための、ティタニアの味方を作るための。あくまで有用な駒のひとつに違いない。
その先代女王ネーレイスが、口を開く。
「結論から言いますが、今現在このダンジョンには、スタンピードが発生しています」
「おい魔女。じゃあ。海の水が溢れてるのも。その影響か」
ヘノの無礼な物言いも気にせずに、それどころか微笑みを浮かべてヘノに頷いて。
たった今の、ヘノの言葉を肯定する。
「ええ。このダンジョンの穴が水没するのも時間の問題でしょう。そして、スタンピードを起こしているのは、セイレーン――いや、正しくは」
そして、先代女王は冷たく、結論を出す。
それは、無慈悲で、残酷な結論だ。
「セイレーンという魔法生物を作り出し、その姿を隠れ蓑にしていた真の黒幕。この尾道ダンジョンを呪いで満たそうと画策している『あやかし』という、力もつ魔物によるものです」
桃子の友は。
人魚姫の同胞は。
魔物により、隠れ蓑として作られただけの、幻の存在でしかなかったのだ、と。