ハンマー少女はバズらない! 固有スキル【隠遁】で自由に探索してたら伝説になってました 作:chikuwabu
セイレーンの――いや、あやかしの瘴気が上層、そして地上へと漏れ出すことを防ぐためダンジョンの通路を崩落させた桃子たちは、セイレーンに会うため再び海へと潜っていった。
海面の上昇は未だ止まらず、崩落した階段は既に海に沈んでいる。周囲の景色を眺めても、幾つかの島の頂上部が水面から飛び出ているだけで、すでにこの階層は、全てが海に覆われた世界へとなりつつあった。
海の世界。
桃子たちが去ったこの場所に残されているのは、一艘の船と、そこに横たわる狙撃手の少女。
そして、それを治療した黒いドレスのりりたんだけである。
「さて、と。もしもの時のお守りも渡しましたし、ももたん一味はもう行ってしまいました」
海と、空だけの世界で。船に揺られたまま、りりたんは独り言のように呟く。
魔法か、あるいは別種の力だろうか。先ほどまで海に浸かっていたはずの漆黒のドレスは、海水に浸かっていた過去など元からなかったかのように乾いており、サラリとした柔らかい布地がふわりと海風に揺れている。
「なので、そろそろ寝たふりはやめては如何ですか? もう怪我は治っているはずですよ? 檸檬さん」
船の上には、二人きり。
漆黒のドレスのりりたんと、乾いた血で赤黒くなった迷彩衣装の探索者、檸檬だけ。
りりたんに声をかけられた檸檬は、ゆっくりと目を開く。そして、空を見上げたまま、一度大きくため息のような深い呼吸をしてから。
「あー、あのさ……」
檸檬は、仰向けに寝たまま空を見上げる。
すると、ずい、と。檸檬の視界にりりたんが入ってくる。覗き込み、ほくそ笑むように。
「何か?」
「……本当に、ごめん。それと、助けてくれて……あんがと」
上から覗き込まれた檸檬は、居心地が悪そうに顔を背けつつも、礼を言う。
実は、彼女は最初から意識はあったのだ。桃子たちがセイレーンと対峙していたときも、この船に乗せられたときも、そしてりりたんがセイレーンについて語っているときも。
気絶したほうが遥かに楽な状況でも、なにも知らない部外者ではいたくなかった。彼女はその強靭な精神力で意識を保ち続け、そして、状況を理解した。
己が討伐しようとしていたセイレーンが、人間を呪い殺す存在だったこと自体は間違いない。けれど。会話を聞く限りでは、セイレーンは必ずしも悪ではなかったのだ。そして、彼女には友がいた。仲間がいた。
檸檬の矢を全て防いだのは、モモコという名の小さな少女だった。
途中から少女の下半身が魚のそれになっていたので、日本人みたいな名前をしているが、彼女はセイレーンとは別種の人魚だったのかもしれない。
モモコは琵琶湖に生息する人魚姫の如く、ダンジョンの階段を破壊するという滅茶苦茶を実行していた。
その時ばかりは寝たまま様子をうかがっていた檸檬もガバリと起き上がり二度見してしまったが、人魚という種族はそういうものなのかもしれないなと、檸檬は疑問に思いながらも強引に自分を納得させる。
なお、当事者たちはまだ気づいていないことなのだが、檸檬の【鷹の眼】というスキルは、桃子の【隠遁】を理解し、打ち勝ち、無効化に成功している。
そのため、今後も檸檬がそのスキルを所有している限りは、桃子の【隠遁】は無効化され続けるだろう。
柚花、りりたんに続き、ダンジョン内で桃子をはっきりと認識できる、三人目の人間だ。
そして。
このダンジョンに呪いをばら撒いていた黒幕は、セイレーンではなく、あやかしだった。
小さなモモコたちは、真の黒幕であるあやかしを打倒するため。そして、友であるセイレーンを助けるため。
この広い海へと、再び潜っていった。
「アタシ、馬鹿みたいじゃん。本当の黒幕は別にいて、アタシが死ぬ思いしてやったことは、あの子たちを苦しめただけって……あの子に、どんな顔して謝りゃいいんだ……」
血が失われたからか、それとも精神力が尽きたのか。
上からりりたんに覗き込まれても、檸檬は起き上がらない。起き上がれない。
ただ、両腕を顔の前にやり。太陽から顔を隠して、りりたんから顔を隠して。一人、懺悔を絞りだすだけだ。
いまの檸檬は。
もう、太陽に真っすぐ顔を向けられない。
己のかけがえのない恩人を助けるために、正しい行動をしたつもりだったのだ。悪を討伐するつもりだったのだ。
けれどそれは、真の悪意に踊らされているだけで、自分より遥かに小さな心優しい少女を殺しかけ、更なる悲しみのきっかけを生み出すだけだったのだ。
しかし、その懺悔を否定したのは、黒いドレスの魔女である。
「ふふふ。あなたがセイレーンを倒そうとしていたのは人間の立場としては正解ですし、あれは仕方ないでしょう。なかなか白熱したバトルで、見ごたえもありましたよ?」
結果的に、黒幕が別にいて、桃子も檸檬も黒幕に踊らされている側だったけれど、それはあくまで結果論だ。人間としては、呪いをかけた本体を討伐するというのは当然の成り行きだろう。
むしろ、りりたんのなかでは稀に見る「ももたん名勝負」の一つである。
なお、仮に桃子が矢に貫かれ敗北したとしても、実はりりたんは桃子の知らぬ間に保険をかけていたので、矢に一度貫かれる程度ならば桃子が死ぬようなことはなかったのだ。なのであの勝負そのものは、りりたんは意外と落ち着いて眺めていた。
尤も、直後に現れたあやかしは許すつもりはない。魔法生物に擬態していたあれは、友と信じた桃子たちを、保護に動いたクリスティーナたち魔法協会を、ダンジョンの浄化を担っていたティタニアを、そして千里眼で覗いていたりりたんまでもを騙し続けていたのだ。
お陰で香川ダンジョンではつい殺意が漏れだしてしまったけれど、りりたんとしては檸檬に対してはそこまで思うところはない。
「最終的には、ももたん一味のほうが力で上回ったようですが、貴女もなかなかの見所がありますよ。この私に認められるなんて、誇ってよいのですよ?」
りりたんは桃子のファンだ。
だから、大抵の場合は無条件で桃子を応援しているし、今回はスタンピードから桃子を助けるために駆け付けたのも事実である。
しかしそれはそれとして、桃子がピンチになる姿も大好きだし、そこで希望を捨てずに抗う桃子の姿を眺めたいから、ストーキングのようなことをしているのだ。
今回のバトルは、とてもとてもよかった。
ギルドの決定に逆らってでも、師匠を救うために命をかけて戦うといったドラマチックなストーリーを持つ同年代ライバルの登場は、りりたんの心を非常に熱くさせた。
もし桃子に刃を向けた敵が名誉や欲に駆られた三下の性根を持つ愚か者だったならば、今ごろはさっくり粛清していただろう。だが、りりたんのなかで檸檬の評価は上々である。
とはいえ、だ。
檸檬は別にりりたんを楽しませるために命をかけたわけでもなく、そんな褒め方をされたところで1ミリ足りとも嬉しくはない。率直に言ってバトルが熱かったかどうかなど、知ったことではない。
なので、檸檬はりりたんの言葉をスルーした。
「結局、アタシがやったのはあやかしの復活の引き金を引いただけだった。先生を救うどころか、このダンジョンを海に沈めて、あのモモコって子を泣かせただけだった。ホント最低、アタシはなんで生きてんだ……チクショウ……」
「ふふふ。見た目に似合わず後ろ向きな性分なのですね。でも、結果としてはあなたの行動は、最適な未来を引き寄せましたよ?」
「最適って、何がよ」
檸檬はようやく、顔を隠していた腕をさげて、りりたんの顔を見上げる。
会話をしているだけで血液が戻ってくるなどということはなく、貧血気味なのは変わらない。しかし体力的には回復してきた。
どうにか両の腕に力を込めて、檸檬は上半身を起こす。
起き上がった檸檬の視界に映るのは、一面の水平線だった。どうやら、島の頂上部分までもが既に海中に沈んでしまったようだ。
「あなたが、セイレーンを神弓士の力で射ることによって、外部から強引にあやかしの記憶を引き出すことに成功しました。つまり、あなたの行動であやかしの計画を崩せたのですよ」
檸檬の持つ弓は、師である神弓士の大弓を勝手に持ち出したものだ。
そしてこの大弓は、過去にあやかしにとどめを刺したものである。
りりたんの説明によれば、その弓で射られたことで、セイレーンの中に隠されていたあやかしの記憶が戻り、強制的にあやかしの人格が呼び起こされたのだそうだ。
つまりは、檸檬の登場はあやかしにとって想定外のイレギュラーだったのだ。
そもそも、それがなければりりたんとてセイレーンの姿に騙され、そこに潜む黒幕に気づけなかった。同じ理由で、魔法協会とギルドの軋轢も膨れ上がっていたことだろう。
被害は尾道ダンジョン、そしてその周辺地域だけではない。万が一でも、桃子たちがセイレーンを保護する名目で妖精の国に逃がしていた場合、この国のダンジョンは内側から滅ぼされた可能性すらあったのだ。
巡りめぐって、その最悪の状況に陥る前に黒幕が判明した。いま、りりたんがここにいるのは檸檬が戦ってくれたからである。
「あやかしは余裕そうに見せてはいましたが、その実は事前準備無しのぶっつけ本番で、そこまでの余裕など無いはずです。今なお、セイレーンの人格の掌握にすら手こずっているようですし」
「……そ。まあ、難しいことはわかんないわ」
檸檬も、先ほどまでの会話から、ある程度の漠然とした事情は把握出来ている。
だが、段々と話が複雑化してきたため、檸檬は早々に、話を理解することを放棄する。
檸檬は思う。自分の出番は終わったのだ。もう、いくら考えたところで、自分に出来ることはないのだろう、と。
「まあ、貴女は今のところは血が足りておりませんからね。頭を空っぽにして、休んで待つことをお勧めしますよ」
「アンタが……魔女様が言うならもう少し、横にならせてもらうよ」
「あの子が気になるなら、後日カレーでもお供えすれば喜んでくれると思いますよ」
「ごめん、ちょっと意味わかんない」
今の檸檬に出来るのは、桃子の勝利を信じて、目の前でほくそ笑む、黒いドレスの魔女の戯れ事をほどほどにスルーしながら。
横になり、休息をとることだけだろう。
だが、意外とすぐに次の会話が始まった。
「ねえ、そういえばさ。アンタって例の『琵琶湖の魔女様』なんだろ? アタシも何か、取引で大切なものを差し出さないといけないの?」
そういえば、と。檸檬は横になったまま、ふと思い出したことを魔女に問う。
以前、聞いたことがある。
琵琶湖ダンジョンに生息する破壊の権化、人魚姫。その逸話のなかでは、琵琶湖にはもう一人、人魚姫に脚を与えたという『魔女様』がいる筈なのだ。深海のような瞳をもつ水底に潜む魔女に、出来ぬことなどない。
しかし、彼女の力の恩恵を得るためには、取引が必要だ。例えば、己にとって大切な「何か」を差し出す必要があるのだ、と。
あくまで尾ひれの付きやすい噂話なので、檸檬とてそんな噂を鵜呑みにしていたわけではない。
しかし、こうして深海のような瞳をした底知れない魔女を前にしてしまえば。檸檬とて、噂として語られている『琵琶湖の魔女様』の逸話を意識せざるを得ない。
「ふふふ。人魚だけに、噂にも尾ひれはついているのでしょうが。でも、そうですね。私がわざわざ救ってあげているわけですし、あなた本人からもきちんと対価を払っていただきましょうか」
「声ならいくらでも持っていっていいよ。ただ、眼だけは勘弁してくれ。弓が撃てなくなったら、いよいよアタシの存在価値がゼロになる」
「いえ、声も目も自前のものがありますから、不要ですよ。でも、そうですね……」
魔女は、船の座席に腰かけて考える。
先ほどまで海に浸かっていたからか、ドレスの下から延びる脚は素足だ。白い肌の素足をぶらぶらと揺らす姿は、彼女の纏っている底知れぬ威圧感とは裏腹に、少女らしく可愛らしいものだった。
ただ、足の甲にある黒く爛れた火傷のような傷跡が痛々しい。檸檬はつい、眉をひそめてしまう。
「ふふふ。貴女には、私のための手駒となっていただきましょうか。貴女が自分に価値を見出していなくとも、私があなたの存在価値を見出してあげますよ、れもたん」
「……は?」
「なにも、絶対服従とまでは言いません。そうですね、雇用関係と言うのは、どうですか? 働きに応じて報酬も差し上げますよ、れもたん」
「……れも……なに?」
檸檬は、聞き返す。
なんとなく距離感がおかしい魔女であることは、この少ない会話でも察してはいた。だが、特に今の会話では、聞き間違いでなければなんだか妙な言葉を吐かれた気がした。
「りりたんは、事情があって瘴気の溢れる深層にはもうあまり潜れないのです。ですから、れもたんを手足のように使いたいのですよ。生に執着せず、戦闘力、精神力ともに申し分なく、そして大した我欲を持たない。れもたんは、私兵に添えるならばなかなかの逸材ですよ」
ずっと昔にも、あなたのような軍人気質の子がいましたよ、と。りりたんは更に付け加える。
「……聞きたかったのはそこじゃないんだけど。まあ、いいか。どうせアタシに拒否権なんてないんだし、まな板の鯉だ。煮るなり焼くなり、好きにしてよ」
「海の上で、まな板の鯉ですか。淡水か海水か、貴女はどちらなのでしょうね。れもたん?」
「アタシは海水だ。舐めたら後悔する塩辛いやつな」
聞き違いでなく、どうやら檸檬は『れもたん』で確定のようだ。
漆黒のドレスを着た恐ろしい魔女というイメージが強かったものだが、実際に対面してみると底知れぬ恐ろしさの影に隠れて、そこはかとなく子供っぽい言動が目立ち、意外にも話しやすい。
彼女なら、自分の力を活用してくれるんじゃないか、居場所を与えてくれるんじゃないか、と。
檸檬は、先ほどの自分の「魔女の手駒となる」という取引を、心の中で前向きに考えているのだった。
「――ですから、期末テストのおかげでこのような事態になってしまったのですよ。テストは害悪ですね」
「まあ、気持ちはわかるけどね。アタシも留年してるし」
「やめてください、れもたんみたいな不良と一緒にしないで欲しいです。全く失礼ですね、プンプン」
「殴っていいか?」
暇に任せて、なんだか学校のテストの愚痴を吐き出した魔女を見上げて。
檸檬は、先ほどの自分の「魔女の手駒となる」という取引を、今からでも撤回した方がいいのではないかと、真剣に悩み始めるのだった。
一方、海底では。
明らかに数の増えた魔物たちを、すれ違いざまにヒメが煤へと変えながら、瀬戸幻海の大海原を突き進んでいった。
速度に自信があるヘノも、水中では人魚姫には追い付かないため、今はおとなしく桃子たちの水着の胸元へと入り込んでいる。
「おい。人魚姫。海に潜ったはいいけど。どっちに行けばいいんだ」
「……わからない。けど、きっと」
一行は魔力を感知してセイレーンの、あやかしの行方を追おうかと思ったが、しかしそれは失敗に終わった。
魔力が感じ取れないのではない。逆だ。
この瀬戸幻海の海中は今、あやかしの邪悪な気配で満ちていた。とてもではないが、ここから本体のみを探し出すというのは骨が折れる。
しかし、それでも。
ヒメは、人魚姫は。確信のようなものを持っていた。
「……セイレーンは。私のことを、呼んでるはず」
「そうか」
だから、セイレーンから呼ばれるまでは、がむしゃらに泳ぐことにする。
水没した島々の上を泳ぐ。元は船着き場だったであろう場所の上を通り過ぎる。このような時でなければ見惚れていたであろう、沈みゆく島々という儚くも美しい景色の上をぐるりとまわる。
そして。
≪La―― LaLa――――≫
「ヒメちゃん、ヘノちゃん! 今の歌……」
「ヘノにも。聞こえたぞ。今の。せいれーんだな」
それは、セイレーンの歌だ。
以前にも聞いたその歌声は、力強く。しかし、そこはかとない悲しみを纏い、この海中へと響いている。
これはきっと、自分たちを呼んでいるのだろう。
セイレーンに呼ばれているのか、それともあやかしに誘われているのか。
桃子には、ヒメには、わからない。
けれど、次に行くべき場所は見えてきた。
「……セイレーン。今、迎えに行くから!」
桃子とヒメが、心を一つにする。今の声がどちらのものだったのか、それは本人たちにもわからないことだろう。
もし、この歌があやかしの罠だったとしても。
あやかしがいるのならば、そこにはセイレーンが存在しているはずなのだ。
海中を突き進んでいく。
仲間を迎えに行くために。拳骨で、罰を与えるために。
そして。共に深潭宮で過ごすという約束を果たすために。
桃子たちは迷いなく、歌声の発生源へと進んでいくのであった。